『生誕の日・狂狼編』



小狼は呆然とした顔で傍らに横たわる少女を見つめていた。
少女は激しい情事に精も根も尽き果てたのか、瞳を閉じたままピクリとも動こうとしない。
かすかに上下する胸の動きがわずかに少女の無事を伝えるのみだ。
白い肌には無数の赤い線と指の痕が刻まれ、下半身には男の欲望の残滓がベットリとこびりついている。
無惨―――今の少女にふさわしい言葉はこれ以外あるまい。
少女が口にするのもはばかられる無惨な陵辱を受けたことは疑いようがない。
誰に―――
一体、何処の誰にこのような無惨な陵辱を―――

「オレは・・・・・・オレは・・・・・・」

自分だ。
自分がやったのだ。
命に代えても守ると誓ったはずの少女を自分の手で穢したのだ。
それも、おぞましい妖魔の血の力まで使って。

「オレはなんてことを・・・・・・さくらになんてことを・・・・・・」

未熟ゆえに激昂しやすい精神は、醒めてしまうのもまた早い。
精を放ち一時の激情が去った後に残されていたのは、己の悪行への後悔のみであった。
自分はなんということをしてしまったのか。
絶望に似た感情が小狼の中を走りぬける。
あれほどまでに注意していたのに。

魔力と狂気。

代々の李家の当主に課されてきた試練。
強大な魔力は時に人の精神を狂わせる。
特に、精神が不安定な思春期は最も危うい。
それを防ぐために様々な策が講じられる。
小狼が生活のほとんどを半ば隔離された別館で過ごしてきたのもその一つだ。
感情の起伏を抑えるため、限られたごく一部の者としか交わらない生活を送る。
さくらはその限られた一部の者の一人だった。
その役目は“生贄”。
思春期の性の暴発の受け皿。
万が一の際には暴走した小狼の餌食とするための生餌。
それがさくらにあてがわれた役割、最初のうち小狼はそのようにさくらを見ていた。
しかし、それはさくらと共に過ごす時の中で少しずつ変わっていった。
単なる餌でしかなかったはずの少女が、徐々に気になる相手へと変わり、いつしか自分にとってかけがえのない存在へとなっていたのだ。
初めて肌を重ねたあの日の充足感は忘れられない。
自分が何のためにこれまで生きてきて、これから何のために生きていけばいいのか、腕の中のこの少女が教えてくれた―――それほどの想いだった。
自分はこれからこの少女のために生きる、そう誓った。
あの時は。
それなのに。

「さくらは何も悪いことをしていないのに・・・・・・それなのにオレは・・・・・・」

慙愧の念が小狼を苛む。
さくらは何一つ悪いことをしていない。
芙蝶たちに身を弄ばれたことの責をさくらに問うのはおかしい。
一介のメイドにすぎないさくらに芙蝶の命令を拒否できるわけがない。
身体を求められたら黙って身を差し出すしかない。
そんなことはわかりきっていたはずではないか。
では、芙蝶たちが悪いのか。
そうとも言えない。
たしかに芙蝶たちの行為には少々行き過ぎたところはあった。
しかし、それは同性同士の悪戯の域を超えるものではない。
悪戯の中に小狼を挑発する意図があったにせよ、それに対する自分の反応はあまりにも過激すぎた。
超えてはいけない域を超えたのは芙蝶たちではない。自分だ。
悪いのは自分だ。
ささいな感情の乱れも抑えられず、激発した自分の魔力が悪いのだ。

いや。
それも違う。

あの時、自分は楽しんでいた。
さくらを責め嬲ることを楽しんでいた。
泣き叫ぶさくらを踏みにじることに悦びを感じていた。
あれはたしかに自分だった。
激発した妖魔の血のせいなどではない。
間違いなく自分の意思でやっていたのだ。

「あれは魔力のせいなんかじゃない。あれはオレの願望だ・・・・・・。オレはさくらを穢したかったんだ。どこまでも穢して・・・・・・さくらをオレで塗りつぶしてしまいたかったんだ・・・・・・」

―――――――――――――――――――――――――――――――――

「う、うん・・・・・・」

さくらが覚醒したのは、小狼が正気を取り戻してから数分後のことだった。
気だるげに身体を起こし、焦点の合わない目でキョロキョロと周りを見回していたが、やがてその視点が小狼を捉える。

「あ、小狼さま」

この時の小狼の行動は迅速だった。
そして滑稽きわまりないものだった。
ベッドから飛び降り、両手両膝を床について頭を下げる。
謝罪の究極形態―――土下座である。

「すまない、さくら! オレが悪かった!」

口から出るのも無論、謝罪の言葉だ。

「ほ、ほえ? 小狼様?」
「姉上の悪戯にのせられてあんな酷いことをお前に・・・・・・すまなかった! 本当にすまなかった!」

見るに耐えない姿とはまさにこのことであろう。
日頃の彼を知るものが見たらなんと思うだろうか。
みっともなさに失笑するか。
それとも情けなさに呆れるか。
だが、今の小狼にはそんなものを気にする余裕は無い。
頭を床に擦りつけてただひたすらに謝罪の言葉を繰り返すのみだ。
その間、一度も頭を上げていない。
さくらの顔を見るのが怖くて頭を上げられないのだ。
もしも、自分に向けられた顔に恐怖や嫌悪の感情が浮かんでいたら―――
人外の魔性に向ける目で見られたら―――
自分は立ち直ることができないかもしれない。
それが怖くてさくらの顔を見ることが出来ない。
ただ無様に謝罪を繰り返すのみである。
そんな小狼はさくらはキョトンとした顔で見ている。

「な、なんでもする! お前の望むことならなんでもやる! お前が欲しいものならなんでもやる! だから・・・・・・お、オレを・・・・・・」

オレを許してくれ―――そう言いかけて小狼は本当に自分が情けなくなった。
さくらが金銭や高価な贈り物を欲しがるような女の子でないことは誰よりも自分がよく知っている。
そのさくらに向かって自分はなんと下卑た台詞を口にしているのか。
自分が金銭や物で人をつれると考えている下衆だと白状しているようなものではないか。
本当に自分はなんと情けない男なのか。
さらなる絶望が小狼の心を切り刻んでいく。

「本当になんでもしれくれますか」

それだけに、さくらがこう言ってきた時の小狼の驚きは尋常のものではなかった。
さくらが何かの対価を要求してくるとは考えていなかったのだ。
だが、さくらが望むならなんでもいい。

「も、もちろんだ! なんでもする」
「どんなことでもいいですか?」
「どんなことでもだ! お前が望むならなんでもしてやる!」

どんなことでもする。
たとえ、その望みが自分にとってどんなに絶望的なものであろうとも。
自分のもとを去りたい、という願いであったとしても。
さくらがそれを望むならば。
小狼は覚悟を決めてさくらの返事を待つ。
だが、さくらの望みは小狼の想像外のものだった。

「それじゃあ、一つだけ」
「な、なんだ」
「もう一度、さくらのことを愛してください。今度は普通のやり方で」
「え・・・・・・?」

あまりにも意外なさくらの答えに驚いて小狼は顔を上げる。
その目に映ったのは―――いつもと変わらぬ笑顔のさくら。
その微笑も瞳もいつもの何一つ変わらない。
いつもと同じ優しいさくらだ。

「さ、さくら? 今なんて・・・・・・?」
「もう一度愛してください、とお願いしました。ダメ、ですか?」
「い、いや! ダメなことなんてない! だけど・・・・・・」

小狼にはさくらの言葉が信じられなかった。
こいつは何を言ってるんだ?
もう一度愛して欲しいだと? オレに?
あれほどお前のことを傷つけたオレにか?
人外の化け物のオレに?
どうしてそんなことが言えるんだ?
どうして?

「お前はオレが怖くないのか? オレがお前に何をしたのか、覚えてないのか・・・・・・?」

信じられないという顔でさくらを見つめる小狼にさくらはクスリと笑いながら答える。

「本当のことを言うとちょっと怖いです。さっきの小狼様、凄く怖かったから」
「ならば、どうして・・・・・・。オレはまたさっきみたいになるかもしれない。またお前を傷つけるかもしれないんだぞ。それなのに、どうして」
「そんなことはないですよ。ほら、見てください」

言いながらさくらは両手を広げる。まるで小狼を包み込むかのように。
その肌には小狼が刻みつけた無数の赤い轍が浮かんでいる。
それは、まだ幼さの抜け切れぬ少女の身体にはあまりにも無惨な仕打ちであったのは間違いない。
でも、それだけだ。
牙が裂いた痕もなければ、爪がかいた痕もない。
何箇所か、縛られた痕に血が滲んでいるところがあるくらいだ。
傷と言うほどに酷いものは一つもない。

「どこにも傷なんかないでしょ? 小狼様はさくらのこと、傷つけたりしてないですよ」
「でも! それはたまたまかもしれない。次はお前のことを傷つけてしまうかも・・・・・・」
「わたしは小狼様のこと信じてますから。絶対、大丈夫だって」
「オレには・・・・・・そんな自信はない。それでもいいのか」
「だから、小狼様のことをもっと信じるためにもう一度、今度は普通に愛して欲しいんです。そんなのダメ、ですか?」
「ダメなわけないだろ・・・・・・。さくら」
「はい」
「ゴメン。そして、ありがとう」
「小狼様・・・・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・

今宵、何度目になるかわからぬ口付けを、そして、今宵初めてとなる抱擁を交わす二人。
重なる肌から伝わってくるのはまぎれもない人の温もりだ。
李家当主の生誕を祝う夜は続く・・・・・・

NEXT・・・・・・

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(あ、でも! お尻はもうダメですからね!)
(わ、わかってるよ! もうしない!)
(あんなの何度もされたら癖になっちゃいますから・・・・・・)
(ん? なんだって?)
(な、なんでもないです!)

NEXT?


生誕の日の続き話その4です。
少しはラブい方向にいっているでしょうか。
ラブいお話は難しいです。

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