『香港物語・6』



さくらが帰ってきたのはかなり時間が経ってからのことだった。
すでに陽は暮れて辺りは暗くなっている。
館に着いたら偉にすぐ小狼のところに行くように伝えられた。
偉が何かを恐れているような素振りをしているのが気になったが、小狼に呼ばれているとあっては行かないわけにはいかない。
まっすぐ小狼の部屋に向かった。


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「小狼様。さくらです。ただ今戻りました」
「来たか。入れ」
「はい。・・・?あの、小狼様、灯りをつけてよろしいでしょうか。部屋の中が暗くてよく見えないのですが」
「つけるな。そのまま来い」
「?わかりました。失礼します」

そうだ。そのまま入って来い。
今のオレは闇の中でも見通せる。
灯りなどつけなくてもお前の姿がハッキリと見える。
随分と幸せそうな顔をしてるな。
あの男と会えたのがそんなに嬉しかったのか?
それも今日でお終いだ。

お前からは今、オレがどんな顔をしているか見えないだろう。
オレの心の中も。
オレがどれほど狂っているのかも。
オレがどんなにお前を壊したがっているのかも。
ふふっ、今のオレの顔を見たらお前がどんな顔をするのか・・・どんな声で鳴いてくれるのか・・・
楽しみだよ、さくら。

お前のせいでオレがどれほど苦しんできたのか。
お前のその無垢な笑顔がどれほどオレを傷つけているのか。
お前にはわからないんだろうな。

いいんだよ。それは。
お前が悪いんじゃない。
ただ、お前がオレの前にあらわれてしまったのがいけないんだ。
オレの心をこんなにかき乱したのにオレ以外のヤツにあんな風に微笑む、それがいけなかったんだよ、さくら。
お前は全然悪いことはしていないんだ。
なのにこれからオレに壊されてしまうのは・・・運命なんだよ。さくら。
それがお前の必然だったんだよ。
だからオレを恨むのはお門違いだ。
恨むならお前を見つけてしまった偉かあの男を・・・お前にあんな笑顔をさせるあの男を恨むんだな。
あの男を・・・

そういえばなんて名前だ?
何をやってる男なんだ?
かなり重い病気にかかっているようだったが。
そうか。お前が李家に仕えたのもあの男のためか。
あの男の治療費を稼ぐためだな?
ふん。ならば払ってやるさ。いくらでも。
お前の身体と引き換えにな。
それが最初からお前の目的だったんだろう。

いや、もっと面白い手があるな。
あの男の命乞いでもさせるか。
李家で責任を持ってあの男を助けてやる。
その代わりにお前の身体と魂をオレに捧げろ・・・そう言ったらお前はどうする?
まあ、お前ならば捧げるだろうな。あの男を救うために。

そうしたら辱めてやるよ。さくら。
あの男の目の前で。
愛する男の前でお前がどんなミジメな存在に成り果てたのかを教えてやる。
お前が誰のモノになったかハッキリと思い知らせてやる。
あの男に!


さてと。
まずは・・・コイツに自分の罪深さを思い知らせてやるとするか。

「さくら。今日はどこに行っていた?」
「何処と言われましても・・・その」
「どこに行っていたんだ。いや、誰に会っていた?」
「え?あの〜。それは一体、どういう意味でしょうか」
「答えろ、さくら。今日、誰と会っていた」
「??はい、今日は桃矢お兄ちゃんのお見舞いに行っていました」

そうか。
あいつの名前は“とうや”というのか。
どんな字だ?
燈矢か?籐矢?それとも桃矢か?
そうか、桃矢お兄ちゃ・・・


・・・?
・・・・・・??
・・・・・・・・・・???


ま、待て!
今、コイツなんて言った?
なにか、ものすごい重要なことを聞いたような気が・・・?

お兄ちゃん?
『お兄ちゃん』って言ったよな。

お兄ちゃん・・・って・・・あ、兄?


兄〜〜〜???
兄妹〜〜〜???


「お、お兄ちゃん〜〜〜!?って、その・・・本当の兄なのか?」
「ほえ?本当じゃないお兄ちゃんっているんですか?」
「あ、いや・・・。お前に兄なんかいたのか?聞いてないぞ!」
「?夜蘭様にも偉さんにもちゃんとお伝えしてありますが。小狼様はお聞きになっていなかったのですか?」

あ。
そういえばコイツが来る時に身の上について書かれた資料を偉にもらってたっけ。
あの時はどうでもいいと思って机の中にしまい込んでそのまま忘れてた。
あれに書いてあったのか。
あれはどこにしまった?
たしか、この辺りに・・・くそっ、暗くて見にくいな。急に見にくくなった。

「さくら、すまない。やっぱり灯りをつけてくれ」
「はい、小狼様」

パチッ。

「これでよろしいでしょうか。小狼様。・・・?小狼様、手から血が!」
「ん?あぁ、これか。さっきちょっとな」
「大変!すぐに手当てをしませんと。すぐに偉さんを呼んで来ます!待っていてください」
「あ、おい、さくら!」

すたたたたた〜〜〜・・・・・・

オレが呼び止める間もなく、さくらは部屋からすっとんで出て行った・・・


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さくらが偉を呼びに言っている間にオレは偉にもらった資料を探し当てて読んだ。
そこにはさくらの家族について

「兄:木之本 桃矢」

とハッキリ書かれていた。

兄・・・
家族・・・

は、ははは・・・
そうか。
あの男は兄か。
「家族」なのか・・・

なるほど。
特別な顔をしているように見えたのは当たり前か。
あれは「家族の前で見せる顔」だったんだな。
オレも姉上の前では別人みたいに見えるって苺鈴にからかわれたことがあったっけ。
気を許した家族の前ではいつもと違う顔をしてるのは当たり前か。

そうか。
当たり前か。
家族だもんな。

あ、あははは。
そうか。家族か。
兄、か・・・。
ま、たしかに「特別な相手」ではあるよな。
生まれた時から一緒の「兄妹」なんだから。
はは、ははは・・・・・・

オレはあまりにも間抜けな勘違いにホッとするやら呆れるやらでただ、力なく笑うことしかできなかった。
そして、怒りにまかせて家宝の遠見の鏡を叩き割ってしまったことを思い出して大いにあわてるのだった・・・


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「調子はどう、桃矢」
「おう、ユキ。大丈夫だ。ここのところかなりいい感じだぜ」
「ふ〜ん、ならいいんだけど。あれ?この花、誰か来たの?」
「あぁ、さっきさくらが来た」
「さくらちゃん来てたんだ。それにしては桃矢、ずいぶん不機嫌な顔してるけど」
「あぁ?当たり前だろ。あんな怪獣に暴れられたら誰だってこうなるぜ」
「そうかな?いつもはもっと嬉しそうな顔してたと思ったけど」
「・・・ユキ。パイナップル食うか?」
「わあ〜悪いね桃矢。お見舞いに来たのにご馳走になっちゃって」
「黙って食え」

ふん。
不機嫌な顔してるだと?
当たり前だぜ、ユキ。
あいつのあんな顔見せられちゃあな。

『小狼様、小狼様』って。

なにが嬉しくてそんな顔してるんだ。
そんなにその小狼ってヤツがいいのかよ。
そいつが・・・その小狼ってヤツがお前にそんな顔をさせてるのか?
そんな幸せそうな顔を。
お前のそんな顔、初めて見たぞ。

くそっ。

なんか知らんが無性に腹が立つ。
ユキに言うとまた「シスコン」とか言われるから黙っとくけどな。
小狼か。
どんなヤツか知らねえがさくらを泣かせたら承知しねえからな!


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お互い、それと気づかぬうちに接近するさくらと小狼。
それを見守る人たち。
二人の未来にあるものは・・・?


END エピローグへ


香港物語、出会い編でした。
チェリーダンスに投稿したパラレル話の二人がどんな風に出会ったのか、というのを改めて書き起こしてみました。

ちなみに裏のテーマは「究極のヘタレ小狼」。
本編と違ってさくらよりも圧倒的に強い魔力、権力を持ち、さらにお邪魔虫たちもいないという状態でも結局さくらに手を出せない究極のヘタレ小狼を書いてみたかったです。
まあ、実際のところ小狼はさくらを自由にできる、という立場にあってもきっと、いつまでも手をだせないんだろうな〜と思います。
そこも小狼のいいところかも。

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