『ドキドキの理由・前編』



それはさくらの聞いたことのない言葉だった。

「釣り針効果?」
「違うよ。釣り針じゃなくて、つりばし。吊り橋効果っていうの」

そう言われてもサッパリわからない。
読書好きな奈緒子は時々、さくらには理解できない難しいことを言うことがある。

「つりばしって、え〜っと。あの山の中で谷とかにかかってるあの吊り橋のこと?」
「そう!」
「それって、どんな効果なの? 景色がよく見えるようになるとか?」

一緒に話を聞いていた千春にも奈緒子の言っていることがわからなかったようだ。
まあ、それは当然だろう。
『吊り橋効果』などと言われてピンと来る小学生の方が珍しい。
キョトンとする二人を前に奈緒子は得意げな顔で説明を始めた。

「あのね、吊り橋効果っていうのはね、カナダの学者さんが発表した学説で『恋の吊り橋理論』っていうのが正式な名前なの」
「恋の理論? こいって・・・・・・お魚の方じゃないよね?」
「もちろん愛とかラブとかの恋のことだよ」
「ん〜〜? 恋と吊り橋になにか関係があるの??」
「ほら、吊り橋の上にいるとちょっと怖いなって思うでしょ」
「うん」
「怖くてドキドキしてくるよね」
「うん」
「でね。女の人はそのドキドキを恋のドキドキとカン違いしちゃう、っていうのがその学者さんの理論なの」
「そうなの?」
「ちゃんと実験もしてるんだよ。その結果、吊り橋の上みたいに危ないところで男の人に優しくされると、その人のことがとっても素敵に見えたって答えた人が多かったんだって」
「ふ〜〜ん」
「だからね。男の人がデートコースにジェットコースターとかお化け屋敷とか怖そうなところを選ぶのは本能的に吊り橋効果を狙ってるからだって話なの」
「怖いドキドキを恋のドキドキとカン違いするから?」
「そうみたい」
「それってちょっとズルくないかな。さくらちゃんはどう思う?」

奈緒子の話にちょっと納得がいかないな〜〜という顔で千春はさくらに質問をふった。

「・・・・・・」

しかし、さくらからは何の返事も無い。

「ん、あれ? さくらちゃん?」

もう一度呼びかけてみるが、やっぱり返事がない。
さくらの耳には千春の質問が届いていないらしい。
真剣な顔で何かを考え込んでいるようだ。

「さくらちゃん!」
「ほ、ほえ? あ、なに、千春ちゃん」
「どうしたの、さくらちゃん。そんな難しい顔して」
「あ、さくらちゃん。ひょっとして、吊り橋効果に何か思い当たることがあったとか」
「!? う、ううん、そんなことないよ!」
「ほんと〜〜?」
「ホントだよ! なんにもないよ! ただ、そんな不思議なことがあるのかな〜〜って思ってただけだよ」

あわてて否定するさくらだったが、奈緒子は納得していないみたいだ。
ジト〜〜っとした疑いの視線をさくらに向けている。
こういう時の奈緒子は意外に鋭い。

(うぅっ、奈緒子ちゃん疑ってるよ〜〜)

返事に窮するさくら。
そんなさくらのピンチを救ったのは思いもかけないところからの助け舟だった。

「吊り橋効果っていうのはね〜〜」
「うわっ!? 山崎くん?」

山崎である。

「カナダのダットンさんって人が言い出した理論でね〜〜。吊り橋の上にいると女の人は・・・・・・」

3人の間に割り込むと、軽快な口調でホラを吹き始めた。
もちろん物知りな彼は、吊り橋効果の本当の意味を知っている。
知った上でホラを吹いている。
いつものことである。

「はいはい!」

千春が山崎の首根っこを掴んでホラ話を中断する。
これまたいつものことである。

「いたいよ、千春ちゃ〜〜ん。いつもヒドイなあ」
「ヒドイのは山崎くんのほうでしょ! いつもいつもしょうもないホラ話ばかりして!」
「まだ何も言ってないのに〜〜」
「だからホラ話が始まる前に止めたんじゃないの!」
「いたい、いたいよ〜〜千春ちゃん、離してよ〜〜」
「離したらまたバカなこと言うつもりでしょ!」
「わ〜〜ん、木之本さん、奈緒子ちゃん、助けて〜〜」
「やれやれ。山崎くんも毎度毎度こりないわねぇ」
「あはははは〜〜〜〜。これがボクの芸風だから」
「何の芸風よ!」
「おい、お前達。もう休み時間は終わりだぞ。早く席につけ」
「「「は〜〜い」」」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・

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結局、山崎の乱入のせいで吊り橋効果のお話はうやむやのうちにオシマイとなった。
奈緒子も千春も山崎もいつも通りの顔で授業に集中している。
そんな中一人、浮かない顔をしているのはさくらだ。

(吊り橋効果、かぁ。わたしのドキドキも吊り橋効果のせいなのかな)

そう。
奈緒子には否定したけれど、実はさくらには吊り橋効果に思い当たることがあったのだ。
最近感じるあのドキドキ。
とっても不思議なドキドキ。
あれはもしかしたら吊り橋効果のせいなの?
そう思い当たる節があったのだ。
たしかにさっきの話どおりならば、最近自分が感じている『ドキドキ』の説明はつく。

(でも、もしもそうだとしたら、あのドキドキはカン違いってことなの?)

それは

(なんかイヤだな。なんでかわからないけど、あのドキドキがカン違いっていうのは・・・・・・なんかイヤだな)

そんな考えも頭に浮かんでくる。
なんでイヤなのかはよくわからない。
けれど、なんかイヤだ。
あのドキドキがただのカン違いなんかであって欲しくない。
あのドキドキはカン違いなんかじゃない・・・・・・

そこでさくらはちょっとだけ首を捻って後ろの席に視線を向けた。
さくらをドキドキさせるモノに。

(小狼くん・・・・・・)

熱心に寺田の授業に聞き入っている小狼の顔に。

NEXT・・・


続きます。

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