続・君から眼が離せない 後編

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それからしばらく、二人は他愛のない話をしながらランチを完食した。

デートらしいデートを、とは思っていたものの、
生憎御剣自身、殆ど経験が無いせいで殊更良いプランも思いつかず……

一方の成歩堂も本来恋愛下手なうえに、プライベートでは人をあまり近づけていない事が災いし……

食後のドリンクに口を付けながら、お互い困ったように苦笑いをし合った。

「さてと、君はどこか行きたい所はあるかね?」

このまま沈黙を続けていてもどうしようもない。御剣はそう判断すると、成歩堂にそう尋ねてみた。

「そうだなあ……」

顎に指を添えて、成歩堂が考え込む。

ランチのおかげでお腹は一杯だ。
少し歩くのも良いが、特別に行きたい場所と言うのも無い。

考え続ける成歩堂に、少し話を進めようか、と御剣が口を開く。

「君は休日にはよく行く場所とかはあるのかね?」
「うん? あると言えばあるんだけど……」

尋問めいた御剣の口調に苦笑しながら成歩堂は後ろ頭を掻く。
恐らく自分では普通に話しているつもりなのだろうが、如何せん眉間に皺が寄っている。

「うム、どう言った所だろうか?」
「……近所のスーパー」
「……色気が無いな」

言って、御剣は口をへの字に曲げてしまう。
その表情に思わず成歩堂は吹き出してしまった。

「僕の行くとこなんてそんなものだよ。もう映画とか見に行く齢でもないし……
殆どファッションとかにも興味ないしね。それより特売とかが有ったらそっちの方が逃せないよ」
「……全く、君はどこの主婦かね?」

半ば呆れたように苦笑いしながら御剣が突っ込む。

「仕方無いじゃん。自炊の宿命ってやつ? 少しでも安く上げないと生活できないからね」

突っ込みを華麗にスルーして成歩堂が嘯くと、二人の間に自然に笑いが湧き起った。

「そう言う御剣はどうなんだよ?」

世間話の延長で成歩堂が問うと、

「うム、私もたいして出歩かないな……」

言いながら御剣は腕を組み、指をトントンとさせる。

「結局僕と似たようなものじゃん」

スーパーの特売に群がる姿は想像できないけど……

食後のコーヒーに口を付けながら、
成歩堂はヒラヒラの真っ赤なスーツ姿のがたいの良い男が特売の卵を手に取る様をリアルに想像してしまい……
「ぶふっ!!」

思いっきり色気のない吹き出し方をしてしまった。
危うく飲み込みかけていたコーヒーを吹き溢しそうになったのを辛うじて回避する。
しかし一部が気道に入り盛大に咽た。

「……全く、何をやっているのだね、君は」

呆れたような、怒ったような声で御剣が何度目かもわからない突っ込みをする。

本当に表情が良く変わる男だ。
しかも殆ど心の内を隠しきれていない……

「み、みつるぎが…………特売……ブッ……ククッ……」

……訂正する。隠す積もりも無いようだ。

「私が買い物に行くのがそんなに可笑しいのか?」
「いや、ご、ごめん……って言うか想像つかなくて……」

やっとのことで笑いを収め、眼尻に溜まった涙を拭いながら成歩堂が謝罪する。

「私だって買い物くらいすることもある」
「って言って食材買わなそうだけど……」
「私も朝食ぐらいは作るぞ」
「へえ……御剣が?」

恋人と言うより、まるっきり幼馴染の会話になってしまっている。
ムードも何もあったものではないが、それが二人の気を楽にしていった。

結局、元の関係に『恋人』と言う肩書が加わったに過ぎない。
お互いが変に自分を偽っていた頃と比べれば、
その枷が無くなった分、更にナチュラルになっただけなのかもしれない。

「…………じゃあさ、ちょっと歩き回ってみるのもいいね。目的は決めないでさ……」

笑いの残滓を目元に残しながら、成歩堂がそう提案した。

「うム、そうだな……」

紅茶ももう残り少ない。
御剣は同意すると、紅茶の残りを喉に流し込んだ。

 
二人で歩く街はいつもと違って見えた。

ちょっとした公園に立ち寄り、いつもは目に止める事の無いソフトクリームを買ってみたり……

「こう言うのって、あまり縁が無いだろ?」
「うム……」

柔らかい陽射しの中、少しばかり人目を離れたベンチに並んで座り、何でもない話に興じ、

「少しここに寄ってみたいのだが……」
「うん、いいよ」

途中目に付いた本屋に立ち寄り、それぞれに興味のある雑誌を買う。

「何買ったの?」
「経済方面の雑誌だ……君は?」
「僕は週刊誌」
「君が? そんなものを読むのかね?」
「真宵ちゃんに頼まれたんだ」
「……なるほど」

思わず納得してしまって、御剣が頷く。
成歩堂は困ったように眉をへたらせて苦笑いした。

その眼がふと何かに気付く。

「アッ! たこ焼きだ」

成歩堂の嬉しそうな顔に御剣もその方向に眼を向けると、確かにそこにはたこ焼き屋の看板が有る。

「たこ焼きが好きなのか……?」
「うん? まあね。良く真宵ちゃんと買って食べてるよ」
「そうなのか……」

ふと御剣の心の中に言いしれない感情が掠める。
つい、二人がたこ焼きを手に並んで食べている様を想像してしまい、あまりの違和感の無さにクラリときた。

あまりにも似合いすぎている…………
嫉妬してしまうほど…………

「御剣、食べたことあるか?」

そんな御剣の心情を察する気配も無く、成歩堂が聞いてくる。
そのあまりに無邪気な瞳に、御剣は己の邪心を瞬時に封じ込めた。

「う、うム……実はあまり食べたことが……」

正直、まだ小さかったころに祭りの縁日で食べた記憶があるくらいのものだ。

「そっか……」

そう短く答え、成歩堂はちょっと笑う。

「食べたいのか?」

御剣がそう尋ねると、成歩堂ははにかむように笑った。
そのまま後頭をポリポリと掻く。

「僕は好きだけど……さ」
「そうか……」

御剣は頷くと、小さな店に足を向けた。

「ま、待てよ!」

慌てて成歩堂が後を追う。

「無理しなくても良いって。御剣、食べた事あまりないんだろ? それに僕、今日はもうたくさん食べてるし……」
「食べたくないのか?」
「い、いや……それは……」
「遠慮はいらない。君が好きならば買おう。どれがいい?」

御剣はメニューを指差しながら成歩堂に再び尋ねる。

「生憎私は疎くてな。君が好きなものを頼むといい」

悪意なく微笑む御剣にそう促され、成歩堂は少しばかり恥ずかしそうに、しかし同時に嬉しそうに笑った。

「そ、そう……? じゃあ、お言葉に甘えて……」

そう言って、メニューを覗き込む。しばらく迷っている様子だったが、

「うん、ソースにするよ」

と、一番基本的なものを頼んできた。

「では、ソースを二つ……」
「お時間二、三分程掛かりますが、よろしいですか?」
「ああ、構わない」

御剣は店員に向かって極めて普通にそう注文する。

「はい、ソースお二つですね。では少々お待ちください」

注文を受けた男の店員が、手際良く準備を進める。
丁度焼いているところだったようで、香ばしい匂いが二人の鼻先に漂って来ていた。

「……御剣も食べるの?」

たこ焼きが焼けていく様を見ながら、成歩堂がさも意外そうにそう訊いた。

「おかしいだろうか?」
「いや、って言うか……」

想像がつかない……

言いかけて、成歩堂は言葉を飲み込んだ。
その代りに興味がその心に湧き始める。

「無理しなくても良いけどさ……でも、何事も体験だよね」

そう言って財布を出そうとする。
それを御剣が押し留めた。

「別に良い。私が出そう」
「え、でも……」
「私も食べてみたいのだ。だからいい」
「でもさ、さっき昼の時もお前が……」
「別に構わないだろう。今日誘ったのは私の方だから」

言いながら、御剣はふと思いついたように付け加える。

「君はもう少し肉を付けた方が良い。今のうちにたくさん栄養補給しておきたまえ」
「うっ、何だよそれ……僕に太れってか?」
「そう言う事になるな。活動量と摂取量のバランスがそもそも取れていなさそうだし」
「でもさ、こんな調子で奢られてたら、筋肉じゃなくて贅肉付いちゃうよ」
「ふム、それは問題なかろう……公判の時にはどうせ君は食べないからな」
「そう言うけどさ、普段は結構食べてるんだよ。自炊もしてるしさ」

そう言って成歩堂は何故か胸を張って見せる。
その姿を上から下までじっくりと見まわし、御剣は大げさなほどの溜息を吐いた。

はっきり言って自分よりも明らかに一回り細い。
身長はたかだか2センチくらいしか違わないにも関わらず、明らかに体重は軽そうだ。

……いや、事実軽い……軽すぎる。

「正直食べていると言っても、疑わしいものだな。まあ、食そのものはさほど細いわけではなさそうだが……」
「確かに大食いじゃないけどさ。普通には食べてると思うんだけどなあ……自転車通勤だからかな?」

そんな話をしている間にたこ焼きが焼き上がり、ソースと青のりが振りかけられる。

「お待たせしました」

その声に二人は振り向く。

「ありがとう。おいくらだろうか」

御剣はそう言ってさっさと代金を支払ってしまう。
店員は代金を受け取ると、品物を御剣に手渡した。

「いただきます」

満面の笑みを浮かべて頭をちょこんと下げた成歩堂に、店員もニッコリと、会釈では無い笑みを返す。

「ありがとうございました」

そう言って、その笑みのまま御剣にも頭を下げる。

御剣は少しばかり複雑な笑みで会釈を返し、成歩堂を促してその場を離れた。

「どこで食べようか?」

成歩堂はきょろきょろと辺りを見回す。

「家に帰ってからで良いのではないか?」
「う~ん、でもこういうのはやっぱり焼きたてが一番美味しいし……あ、あった!」

成歩堂は何かを見つけたように駆け出す。

「……そんなにたこ焼きが好きなのか」

御剣はそう呟き、苦笑しながら後を追った。

以前建物が有った空き地だろうか……
すぐ近くにちょっとした休憩スペースのような場所が有った。
レンガが敷き詰められたそこには、奥に飲み物の自動販売機が数台設置され、
いくつかの四人掛けのテーブルと椅子が置かれている。

奥に座れば人目に付くこともあまりなさそうだ。
二人はその場所に向かうとそこに腰を下ろした。

この周辺の店が共同で管理しているのだろうか……
椅子やテーブルには目立った汚れも無く、充分に使えそうだ。
御剣はそう判断すると、そこに今買ってきたたこ焼きのパックを置いた。
内の一つを成歩堂に差し出す。

「ダイエット論はひとまず置いておいて、食べるとしよう」
「そうだね」

受け取って、成歩堂は早速パックを開ける。
湯気が立ち上り、ソースの香りが辺り一面に広がった。

「いただきます!」

添えてあった爪楊枝で一つを突き刺し、さっそく口に放り込む。

焼きたてのそれはまだ熱く、成歩堂は「あちっ、あちっ」と口をはふはふさせた。
中からコロンと出てきたタコは大きく、成歩堂の口の中で踊る。

「ん! これ美味しい!」
「君は本当に美味しそうに食べるのだな……そんなに慌てて食べると火傷するぞ」

御剣は苦笑しながらも一応そう忠告し、自分は爪楊枝でたこ焼きを半分に割って口に入れた。
それをゆっくりと咀嚼する。

ふと眼を上げると、じっとこちらを見つめる成歩堂と目が合った。

「…………どうした?」
「いや、その……美味しい?」

どうやらたこ焼きが御剣の口に合うのかどうかが気になるようだ。

そう判断して御剣は苦笑すると、口の中のタコを飲み込んだ。

「うム、これは美味しいな。なるほど、君が好きなのも解る気がする」

そう言って次を口の中に入れる。

「そ……! 良かった!」

その言葉に嘘は無いと判断し、成歩堂は心底ほっとしたような笑みを浮かべた。

「…………!」

その笑顔に思わず御剣の心臓が鼓動を打つ。

本当に無防備に笑う男だ。

しかもその笑顔が……

(なるほど、そう言う事か……)

今日、デートしてみて改めて分かった。

この目の前の恋人はあまりにも鮮やかに、無邪気に笑いすぎる。
その笑顔の前では、男も女も関係が無い……
皆が警戒心を解き、惹き付けられてしまう……

しかもこの恋人ときたら、自分がどれほどの必殺の笑顔を振り撒いているのか全く自覚が無いようだ。

こんな可愛さを所構わず垂れ流しされては、今日のように不逞の輩がまた寄ってきてしまう……

「御剣、また眉間に皺…………」

たこ焼きを口に運ぶ手を止め、成歩堂が再び眉をへたらせる。

「……やっぱり口に合わなかった?」
「…………ム? そんな事は無いが?」

どうやら食べながら、つい考え込んでしまっていたらしい……

再びシュンとしそうになる成歩堂に、御剣はニッと口元を釣り上げて笑って見せた。
こうなったら言葉にしてしまった方が早い。

「さっきの懸案事項の事、覚えているだろうか?」
「さっき……? ああ、アレ? そういやそんな事話してたね」

急に話題を変えられ戸惑いつつも、成歩堂は頷いて見せる。

「懸案事項って何だったの?」

御剣がこれほど難しげな顔をするほどだ。
余程の事なのだろうと、成歩堂は表情を引き締めた。

しかし次の御剣の言葉で総崩れを起こすことになる。

「君のその可愛さ……どうにかならないものだろうか? このままでは私の方が気が気ではない」
「………………………はい?」

あまりにも真面目な顔をしてのたまう御剣に、どうリアクションを取って良いか分からない。

「今日、一緒にいて判った事なのだが……」

焦る成歩堂を眺めながら、御剣は言葉を続ける。

「君はスーツを着ていないと本当に年齢が解り辛くなる。
それに君のその笑顔は殆ど犯罪に近い。君に笑い掛けられた者は殆ど全員、君に見惚れてしまっていた……その中からさっきの男たちのように邪な感情を抱く者が出ないとも限らない。
それでなくても黙って立っているだけで君は人目を引いてしまうのだよ……」
「いやいやいや! ま、待った!!」

法廷張りに滔々と語り始めた御剣に、思わず成歩堂も法廷張りの声で待ったを掛けてしまった。

その顔が赤くなるやら青くなるやら……

「いや、待って、御剣……まずは落ち着いて……」
「私は冷静だ。落ち着くべきなのは君ではないか?」
「いやいやいや、そんなに冷静に指摘するなよ……
とにかく今の全部有り得ないって。誰も見惚れていないし、人目を引いてるのはお前だよ……
僕は元々そんなに人付き合いも得意じゃないし……」
「だとしたら君が無自覚なだけだろう。
君自身が知らないうちに、君の周りに人が寄ってきてしまうのだよ。君のその無防備な笑顔のせいで……」
「いや、だから、そんな風に見えるのは御剣だけだって。
それにもし、僕が普段と違うと思うんだったら、それは多分…………」

言いながらだんだんと成歩堂の声が小さくなっていく。

「たぶん、御剣と一緒で、楽しいからだと……思う……」

言っていて恥ずかしくなり、とうとう成歩堂は真っ赤になって俯いてしまった。

「ふム、つまり君は、私と一緒だから楽しんでくれている……
だからいい笑顔になっている……そう言いたいのだな」
「うん……」

自分ではそこまで思っていなかったのだが、今日は始めからどこかで浮かれていたのかも知れない。
しかしそこまで表情に出ていたのだろうか……

「良かろう……ではこれからは外で待ち合わせるのは極力避けることにしよう。
今日みたいなことはもう御免だからな」
「そこまで気にしてたの……? あれは多分からかわれただけだと思うんだけど……」
「いや、たとえもし初めはそうだったとしても、それが本気になる可能性は充分にある」

……それどころか、あれは間違いなく本気でナンパしていた。

「可能性のあるものは出来る限り排除しておきたい」
「もう……意外に心配症なんだな」

真剣な顔で言われ、成歩堂は小さく苦笑を漏らした。
有り得ない事だけど、御剣が本気で心配している事は判る。

しかしそれはさほど不快ではなかった。
むしろ心の奥がくすぐったさにむず痒くなる。

ついに成歩堂が譲歩した。

「……解ったよ。どっちにしてもあまり外で待ち合わせることも無いだろうし……」
「次からは君を迎えに行く。だから待っていてくれたまえ」
「了解」

御剣は満足したように頷くと、少し冷めてしまったたこ焼きに爪楊枝を刺した。

「もう……ほんと、どんだけなんだよ……」

成歩堂は苦笑したまま溜息を吐くと、残ったたこ焼きを口の中に放り込んだ。

「さて、君は明日は何か予定はあるかね?」
「うん? 明日は特別には無いよ。日曜だから買い物には行くかもしれないけど……」
「また、特売かね?」
「いいのが有ればね……御剣は? 休めるの?」
「ああ、急を要するものも無いからな……明日は休める」
「良かった」

御剣の返事に成歩堂が心から安心したように笑う。

普段が恐ろしく忙しいのだ。
休める時にはゆっくりと休んで欲しい……

自分よりも健康管理はしっかりしているのだとしても、
オーバーワークが過ぎればあまり意味も無いのだから……

しかし、御剣の言っている意味は、成歩堂のものとは違っていた。

「もし明日特別な用事が無ければ、今日は私の部屋で飲まないか?」
「……………………え?」

御剣の部屋で飲む……?

「うん、別にいいけど?」

あっさりと承諾する成歩堂は、どうやら完全に御剣の誘いの意図をはき違えているようだ。

「うム、では、何か軽く抓めるものと飲み物でも買って帰ろう」

しかし、御剣はそれを承知の上で敢えて無害な顔で笑ってそう言った。

「じゃ、途中でどこかに寄ろう」

単純にまだ一緒にいられるのが楽しい成歩堂は、ニッコリと笑うと立ち上がった。

「ああ」

御剣も頷き立ち上がる。
そして二人は家路につくために歩き出した。
 
さて、成歩堂はいつ気付くだろうか……?
御剣の本当の意図に……?

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