続・君から眼が離せない 前編

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「でもまいったよ」

ふらりと立ち寄った喫茶店で、冷たい水で喉を潤した成歩堂は一心地着いたように溜息を洩らした。

「……ム」

返す御剣の言葉は短く、眉間にはまたもや皺が寄っている。
その表情の険しさに、成歩堂は御剣の不機嫌を感じ取ってその眉をへたらせた。

「……ごめんな、不愉快な思いさせちゃって」

メニューを見ながらも別の考え事をしていた御剣は、その落ち込んだような声に顔を上げた。

そしてハッとする。
沈みかえった様子で、成歩堂は完全に俯いてしまっていた。

「何故、君が謝る? 君は何もしていないだろう?」

不愉快な思いをしたのは、成歩堂に対してではない。
成歩堂を口説こうとしていた、特にカメラを持った男に対してである。

そんな者の為に、せっかくの初めてのデートをふいにしたくは無かった。

「でも、御剣……」

顔を上げた成歩堂の視線が心持ち上に動くのを見て、御剣は己の眉間の皺に気付いた。
皺を解き、御剣は成歩堂に微笑んでみせる。

「すまなかった。少し考え事をしていたのだよ」
「……考え事?」

緩まった表情に成歩堂は少しばかりホッとした。
しかし考え事の意味が解らず、不思議そうな表情で首を傾げる。

「重大な懸案事項だ……」
「そんなに? ならばこんな事してる場合じゃあ……」

懸案事項と言う言葉に反応して、成歩堂の顔が一瞬で弁護士のそれに変わる。
本当にくるくるとよく表情が変わる男だ。

御剣は苦笑を漏らすと、首を横に振った。

「心配は要らない。仕事の事ではないからな……
それよりも何にするか決まったのか?」
「えっ……あ、ああ……いや、まだ……」
「丁度ランチタイムだな。食事にするか?」
「あ、うん。そうだな、そうしよう」

仕事がらみではないと知り、成歩堂は安堵の表情を浮かべ頷いた。

しかし、初めて入った店では何を頼めば良いのか判らない。
二人は結局無難な所で、日替わりランチを注文した。

「ところで懸案事項、って何?」

ウェイトレスが離れるのを見計らい、成歩堂は少しばかり声のトーンを落として御剣に尋ねた。

「うム……実は先ほど気付いたことなのだが」

そう前置いて、御剣は腕を組む。
成歩堂は黙ったまま、聞く姿勢を取っていた。
その姿を上から下まで眺めてから、御剣は呟いた。

「君のその私服姿……」
「え、何かおかしい?」
「いや、別に可笑しいのではない。いや、むしろ新鮮でいいのだが……」
「……?」

言い淀む御剣に、無理に先を促すことをせず成歩堂は小首を傾げて待つ。
その表情に更に御剣は危機感を募らせた。

「……君は、可愛すぎる」
「……………………………………………ハァ?」

たっぷりとした沈黙の後、成歩堂は間抜けな声を上げた。

恐らくさっきのカメラ男もこの表情にやられたのだろうな……
そう思いながら、御剣は先を続けた。

「君はいつもあの青いスーツ姿でいるからな。あれは既製品だろう?」
「え、あ、うん、まあ……」

いきなりのスーツの話題に、成歩堂は戸惑いながらも頷く。

「知ってのとおりのギリギリだからね。それじゃなくてもあれは最初の頃に買ったからさ……
高い物なんか無理だったし」

言いながら後ろ頭をポリポリと掻く。

「って言っても、今も変わんないけどね」
「あのスーツは君の象徴のようなものだな。あれを着てる時の君は体格が良く見える」
「あ、そう? でもそれを言うなら、御剣は僕と真逆だ」
「真逆?」
「あのスーツ高そうだし、でも良く似合ってると思うよ……あれだけ赤いのにスマートに見えるし」」

(……あのヒラヒラ以外は)

しかし、だからと言ってネクタイ姿も何となく想像がつかない。
事実、今日の御剣の装いはスタイリッシュではあるがネクタイはしていない。

そこまで考えて、成歩堂は漸く自分も御剣の私服姿を初めて見たことに思い至った。

「でも、考えてみれば、お互い私服で会うのって初めてだね」
「うム、今までは法廷や職場、現場で会うことが殆どだったからな」
「でも、スーツの方が良かった? 私服ってあんまり持ち合わせなくってさ……」

言いながら成歩堂は自身の身体を見回した。
その様に自然に微笑を浮かべて、御剣は頭を振る。

「いや、恰好そのものは問題ない。むしろ君はかなり細身だったんだな」
「…………そうかな? 標準だと思うけど」

言いながら今度は御剣を上から下まで見回す。

「そういう御剣だって細く……ない……か……意外に肩幅あるな」

良く見ると典型的な逆三角体型だ。
均整の取れた良い身体つきをしている。

「鍛えてるの?」
「仕事柄、な。そういう君は……あまり鍛えてるとは言い難いか」
「あははは……やっぱりばれる?」
「そのくらいは判る」

以前君を抱きしめた時に……
言葉にせずに御剣は苦笑する。

その苦笑を違う方に受け取り、成歩堂は意味の違う苦笑いを零した。

「たるんでるのかなあ……そんなつもりは無いけど」

お腹の肉を抓む仕草をするが、いかんせん抓める肉が無い。

「君の場合……」

その仕草に笑いを誘われながら、御剣は誤解を解きにかかる。

「たるんでいるのではなくて、痩せているのだよ。ちゃんと食べているのか」
「あ、えと……」

ともすればまともな食事を摂っていないことは当の昔にばれてしまっている。
御剣の微笑みながらも鋭い視線に言葉に窮していると、

「お待たせいたしました」

丁度のタイミングで食事が運ばれてきた。

「お、待ってました」

わざとらしく成歩堂が声を上げる。
それだけで実情がバレバレだった。

しかし御剣は呆れた顔をするに留め、出された食事に眼を向けた。

日替わりランチ定番のハンバーグに味噌汁、やや多めのライスにサラダ……
近くに大学があるから学生向けなのだろう……量は充分にある。

「ドリンクはすぐお持ちしてよろしいですか?」

店員の言葉に成歩堂は御剣に視線を送る。御剣は少し考えて、

「では、後で」

良いだろうか、と成歩堂に視線を返せば、成歩堂は一つ頷いた。

「かしこまりました」

店員が頭を下げ立ち去ると、成歩堂はニコニコと箸を手に取った。

「いただきます!」
「いただきます」

ランチはボリュームの割に味もしっかりとしたものだった。
極めて良心的な店と言える。

「懐かしいな、こういうの」

眼を細めて箸をどんどん進めていく様に、どうやらもともと食が細いわけでは無い事を知り、御剣は安堵した。

「たまにはこう言った所のものも良いものだな」

素直な感想を述べると、成歩堂はくすくすと笑った。

「あまり馴染無さそうだもんな」
「ム、そうか?」
「うん。いつも連れてってもらう所ってちょっと違うからさ」
「そうか……そうだな」

確かにこのところ成歩堂を食事に誘う時はかなり選んでいたような気がする。
高級志向と言うわけではないのだが、
御剣の行動範囲にある店がそう言った所であったのも原因かもしれない。

後はもう一人の旧友と三人で飲みに行った時に居酒屋に入ったくらいのものだ。

「君は随分馴染んでいるな。懐かしい、と言っていたが」
「以前はね。ここじゃないけど似たようなところがあってさ」
「大学時代か?」
「そう、金欠の学生に嬉しい量で……」
「その頃は食べていたのだな」
「うん、まあね。練習でもうお腹ペコペコになっちゃって」
「練習?」
「演劇の……ね」

言ってしまってから、ハタ、と口をつぐむ。
確か御剣には自分が法学部出では無い事を話していない。

「芸術学部と言うのも意外にハードだったのだな」

しかし、御剣は箸を運びながらさらりと当たり前のようにそう繋いだ。

「……知ってた、のか?」

少しばかりばつが悪そうに成歩堂が頬を掻く。

「知っているも何も……君の学歴を見ればすぐに判る。
まさか隠しているつもりだったのか?」
「そんなんじゃないけど……
法学部出でもない僕なんかが弁護士なんて……」

絶対笑われる……
いや、もしかしたらショックを受けるかもしれない……

勿論、成歩堂自身、軽い気持ちで弁護士になったわけではないが……

「確かに、初めに君の学歴を知った時には愕然としたがな……」

苦笑を漏らしながら御剣は食事の手を止める。

「……やっぱり、ショックだった?」

眉をへたらせながら成歩堂もまた箸を止める。

「ショックと言うよりは……」

ともすれば完全に落ち込みそうになっている恋人を宥める様に、御剣は微笑を浮かべた。

「鳥肌が立ったよ……
君がいつから法学の勉強を始めたのかは知らないが、
君は転部することも無く在学中に見事に合格を果たした……」
「…………勉強を始めたのは御剣の記事を目にした後からだよ。
僕の通っていた大学には法学部は無かったからね。
転部はあまり考えてなかったかな……」

苦笑しながら成歩堂は頬を掻く。

一刻も早く御剣に接触したかった。
その一心で裁判所に通いつめ、必要な文献を片っ端から漁ったのだ。

ある意味本来の段取りを悉くすっ飛ばしてきたとも言える。

「良くそれで司法試験に合格できたな」
「千尋さんに教えて貰ったからね……師匠が良かったんだよ」

照れたように、しかし一抹の懐かしさと寂しさを込めて成歩堂は微笑んだ。

その微笑に御剣の中に畏敬の念が湧き起る。

この恋人は可愛いだけではない……
たとえ師匠が良かったとしても、たった二年そこらで全くのゼロから難関を突破するのは並大抵では無理だ。
不可能に近いと言っても良い。

しかしこの目の前の男は、自分の努力を正当に評価しているようにはとても見えない。
彼は自分が「天才」であることを自覚しているのだろうか……?

「君の実力もあったのではないか?」

控えめに水を向けてみると、案の定成歩堂は複雑な笑みを零し頭を振った。

「丸暗記だよ。台本覚えるのだけは得意だったからね」

そう言って誤魔化すように食事を再開する。

恋人になっても、やはり成歩堂は自分の事になるとあまり話したがらない……
恥ずかしいのか、自分自身に拘らないのか……

(恐らく両方だろうな……)

半ば呆れて溜息を吐きながら、御剣もまた箸を動かし始めた。

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