バレンタイン・パニック!・後編

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朝の柔らかな日差しが大きな窓から差し込んでいる。

食後の紅茶を終えて、御剣は身だしなみを整えるべく、クローゼットに向かった。
扉を開けるといつもの自分の服に混ざって、自分のものではない男物のカジュアルウェアが目に留まる。

御剣の口元が微かな笑みの形を作った。

優しい、ともいえる手つきでそっとフリースのジャケットに触れる。
時折泊りに来る恋人のものだ。

ふと脳裏に浮かぶのは、鮮やかな青いスーツとニッコリとした邪気のない笑顔。
とげとげした印象すら受けるその髪型とは正反対のものなのに、何故かしっくりと来てしまう。

しかし、休日に髪を降ろしこの服を着て寛ぐ恋人はまるっきり印象が違って見えて、
どう贔屓目に見てもお堅い職業————弁護士————に就いているようには見えない。

公判が重なり、お互いに忙しかった為、このところまともに逢えていない。
考えてみると前回成歩堂が泊りに来てからかなり日が経っている。

今日あたり、誘ってもいいだろうか……

休みが合えば誘おうと決め、着替えを済ませるとクローゼットを閉める。

玄関を出たところで、御剣はテーブルの上に置き忘れてきたあるものに気付く。

「うム……」

ほんの2秒ほど考え、

「誘えば良い事か」

考えを切り替えたように頷くと、そのまま仕事に向かった。

 
エントランスに到着すると、いつもとどことなく雰囲気が違うように感じた。
どこ、と、はっきりとは指摘できないが……
若干の訝しさを感じたが、ちらほらと耳に入ってくる言葉に合点がいく。

「今年もこの日が来たか~」
「俺は奥さんからだけだよ」
「良いじゃないですか、一人でも確定してれば」
「そうとも言えないよ……だって俺のより自分チョコが豪勢だからな」

まるでコントのような会話を聞き流しつつ、御剣は内心溜息を吐く。
浮足立っていて仕事になるのだろうか……別に、職務をきっちりと果してくれさえすれば何も言わないが……
まあ、良い大人なのだからメリハリは付けてくれるものと期待するしかない。

つまり、今日はバレンタインなのだ。

毎年この時期はあまり御剣にとって愉快とは言い難いものだった。

飽きもせずに贈られてくるチョコレートやその他のプレゼントに業務を妨げられ、辟易するばかり……
率直に言えばたとえ本命だろうが一切送りつけてこないで欲しい……

特に某老婦人には……

軽い眩暈を覚え、御剣は思わず立ち止まった。
眉間に審理中並みの皺が寄る。

「いかん……考えないことにしよう」

それよりも重大な懸案事項がある……
階段を登りながら、御剣の思考は数日前に遡っていた。

 
裁判所でのこと……

公判が終わり、諸手続きを終えて検事局に戻ろうとした時、
御剣は数人の女性が休憩スペースにたむろしているのを見かけた。

どこかで行われていた別の審理が終わったのだろう。
女性たちの寛いだような声が、大きくは無いがはっきりと聞こえていた。
御剣はさしたる興味も示さず、そのそばを通り過ぎようとした。

しかし、聞こえてきた話題に思わず足を止める。

「今日の審理、やっぱり成歩堂さんの勝利だったわね」
「あら、勿論じゃない。相手はあの検事さんだもの」

そうか、成歩堂は今日、公判だったのだな……

大体において成歩堂の動きは把握している。
その日の公判が重なっていたことも知っていた。
勝ったということは、被告人は無実だったのだろう。

口元にうっすらと笑みを浮かべながらその場を通り過ぎようとする。

その足が再度止まった。

「でも、成歩堂さんってちょっと可愛いと思わない?」

仕事の話から急に変わった内容に思わず耳をそばだてる。

「え~、そうかなぁ」
「あ、私もちょっとそう思う……笑顔が素敵よね」
「背もそこそこ高いし」
「御剣検事とか狩魔検事とかとの裁判の時はハラハラドキドキだし」
「お茶目だし」
「私、バレンタインのチョコ贈ちゃおうかな」
「え、成歩堂さんって今フリー?」
「判んないけど、いつも一緒にいる子はそんな感じじゃないし」
「判んないわよ~~~」

ひときわ明るい笑い声が響く。
しかし御剣の心情は穏やかではなかった。

成歩堂が実は密かに人気があることは、かなり前から知っていた。
こう言った噂話の類は結構頻繁に耳にしていたのだ。
恐らく当の噂の本人は頓着などしてはいまいが。

いつもはすんなり聞き流してしまうのに、その時の御剣はどうしてもその場を動くことが出来なかった。

「それにさ、贈るって言ったって面識ないじゃん」
「ふっふ~ん、それがそうでもないんだよね~」
「どういうこと?」
「だって、いつも裁判の時私が受け付けてるから」
「あのさぁ、それってあんまり意味ないんじゃ」

そこまで聞いて御剣は戻らなければならない用を思い出し、今度こそそこを離れた。

女性たちの死角をキープし続けていたため、見咎められる事は無かった。

 
彼女たちが成歩堂にチョコレートを贈るかと言えば、可能性は五分五分といったところか……
あるいは冗談であろう。

考えに沈み込んでいるうちに、目的地に到着した。
そのまま執務室のカギを開ける。

時間を確認すると、もう少し開始まで間があった。

気分を切り替えるために紅茶の準備をする。

今日は案件も無く事務処理に一日費やすことになりそうだ。

湯の沸く間、御剣は再び懸案事項に思考を飛ばした。

それとなく周囲を当たってみて判明したことが一つある。
成歩堂を狙っている人間は実際のところかなりな数に上っている。
貧乏であることはこの際あまり問題ではないようだ。
何故なら狙っている者たちというのが、もともと自分自身が高給取りであるせいだろう。

いつもの段取りをソツなく熟していきながら、御剣は尚も思考を進める。

本当に良い人が現れれば、それは成歩堂にとって幸せなことであろう。
だが、何もせずに指をくわえてじっとその時を待つつもりはない。

精一杯繋ぎ止めるためにやるべき努力は惜しまない。

「手を……打つべきだな」

ではどうするか……

黙考する御剣の眼にふと一つの書類が止まった。
何気なく手に取ってみると、それは今度行われる担当の裁判の資料だった。

序審法廷での担当弁護士は成歩堂龍一……
本審議では星影弁護士が担当するようだ。

「……うム」

紅茶を片手に何気なく目を通していくうちに、少し気になる部分が出てくる。
紅茶を置き、資料を漁るが、今一つはっきりしない。
もともと担当していた検事の不手際が多い案件だった為か……

無意識のうちに御剣の手が携帯に伸び、コールをしていた。

いつもより長めの呼び出しの後、目的の人物が出る。

「はい、成歩堂です」

若干高い声が、心持ちさらに上擦っているように聞こえる。

「御剣だが、今大丈夫だろうか?」
「あ……うん、大丈夫だよ」
「もしかして忙しいのではないか? 慌てているようだが」
「あ、いや、ちょっとびっくりしただけだよ。こんな朝から掛けてくるなんて珍しいから……何かあったのか?」
「いや、実は少しばかり聞きたいことが有ってな……もし良かったらこちらへ来てもらえないだろうか」
「聞きたい事? 良いけど、急ぐのか?」
「出来れば、な。良いだろうか」
「うん、こっちは別に構わないよ。依頼も無いしね。執務室で良いのか?」
「うム、出来れば午前中に来てもらえないだろうか」
「わかった……何時が良い?」
「では、11時に来てくれたまえ」
「了解」
「では、待っている」

会話を終了し、携帯を切る。
そこまでして、初めて御剣はそれが口実をつけた誘いのようになっていることに気付いた。

「フッ……」

思わず苦笑が漏れる。

考えてみれば、こうやって呼び出さないと成歩堂はここを訪れる事が無い。
当たり前と言えば当たり前。
互いに仕事に誇りを持っているのだ。

しかし、それが辛い時もある。
もしかしたら今の自分の心理が成歩堂を呼びつけてしまったのかも知れない。

ならば、時には自分の心に素直に従ってみるのもいいだろう……

御剣は冷めてしまった紅茶を飲み干し、内線のコールを押した。

 
午前11時5分前に御剣は局のエントランスに姿を見せていた。
丁度少しばかり部屋を空ける用があり、そのまま成歩堂を待つべく出向いてきたのだ。

しかし、それは表向きの事……
御剣には、ある目論見があった。

すぐに成歩堂がエントランスに姿を見せた。

「あれ、御剣」

待っていたのが意外だったのか、成歩堂は一瞬驚いた様子だった。
しかしすぐに花開くような笑顔を見せる。

「もしかして待った?」
「いや、丁度用事があったのでな……ついでだから君を待っていた」

眉間の皺を完全に消し去り、御剣が穏やかに笑う。

「そうか……待たせずに済んで良かったよ。御剣、時間には煩いからな」
「そう言う性分なのだよ」
「知ってるよ」

いつもの軽口の応酬だが、何かがいつもと違う……

成歩堂は少し不思議そうに小首を傾げて御剣を見つめた。

「御剣、何か良い事でもあった?」
「? 何故そのようなことを?」
「うん? 別に。機嫌良さそうだから」

敏い男だ。
こちらの表情をきちんと読んでいる。
しかしいつも若干詰めが甘い。

「良い事、というよりは、君に会えたからかもしれんな。早く受付を済ませ給え」

そう言いつつ軽く肩に手を置く。
欧米ではごく自然な親しみのジェスチャーだが……

ザワワッ!

周囲にさざめきが沸き起こった。

あまりに自然すぎて全く違和感を覚えていない成歩堂は、
促されるまま受付で入局の許可証を発行してもらった。

そこでようやく周りに落ち着きが無い事を悟るが、

「済んだか? では来たまえ、紅茶でも淹れよう」

御剣に呼びかけられて、意識を逸らしてしまった。

「あ、うん。でも良いのか? 大事な用があるんだろう?」
「ああ。だが君とお茶を楽しむくらいの余裕はある。君が好みそうな茶葉が手に入ったのだ。
それとも君の方は時間が無いのか?」
「いや、さっきも言ったように僕は今日は予定は無いよ。じゃあお言葉に甘えようかな」
「うム、そうしてくれたまえ……ところで明日は?」
「明日? 土曜だよね。今週の土日は休むよ」
「君も公判が立て込んでいたからな……では、久しぶりにゆっくりしないか」
「あ、いいね。でも、御剣は休めるのか?」
「私も今週は休める。そうだな……」

ふ、と御剣が軽く成歩堂の耳元に顔を寄せた。

「今夜から来たまえ……夕方迎えに行こう」
「了解」

少しくすぐったいのか、成歩堂は首を軽く竦めクスクスと笑った。
そのまま二人は階段へ向かう。
しかし御剣はその横のエレベーターのボタンを押した。

「あれ、御剣、階段じゃなくていいのか?」
「うム、君は階段は慣れていまい」
「でも、大丈夫なのか?」

顰められた眉が言外に成歩堂が心配していることを物語る。
御剣は鮮やかな笑顔を見せると、頭を振った。

「君と居れば大丈夫だ。君は私から恐怖を取り除いてくれるからな」
「そうか……でも、無理はするなよ」
「心得た」

エレベーターが到着し、二人はその奥へと消えた。

聞き流せば何の事は無い会話だが……

「えっ、えっ、今の何!?」

二人が消えた後、呆然と見守っていた観衆から一気にどよめきが巻き起こった。

確かに、それだけ聞けば何の事は無い(?)会話ではあるが……

受付以外ではずっと添えられ続けた御剣の手つきの優しさだとか……
微妙に「君」を強調する話し方……
何より眉間の皺が完全に消え失せた御剣の笑顔と、
それを当たり前のように受けて微笑み返す成歩堂の慈愛に満ちた表情に……

「あの二人ってもしかして!?」

決定的な証拠を与えられないままの疑惑が彼らをさらなる混乱へと陥れた。

 
執務室に戻り、成歩堂の為に紅茶を準備しながら、御剣は一人微笑んでいた。

目論見通りに事が運んだ手応えはある。
あからさまではないにせよ、周囲の人間が二人に注意を向けていたことは感じ取っていた。

眼の端に、こちらに携帯を構える姿も確認していた。
恐らく写真も撮られている。
今頃はいくばくかの人間に疑惑が浮上していることだろう。

しかし……

決定的な証拠を掴ませるつもりは無い。

本音を言えば、宣言しても一向に構わないが、恋人がそれを望まない。
ならばせめて自分たちの親密さをアピールするくらいは許してほしい。
「自分」が「彼」にとって、「彼」が「自分」にとって、親友以上であることくらいは……

ではそれを周囲に知らしめるためにどうするべきか……

答えは簡単だった。

プライベートに近い自分たちを見せれば良いのだ。

思った通り、成歩堂は普通に接してくれた。
穏やかで寛いだ優しい表情は、しかし御剣と居る時だけその性質を変える。
見つめる瞳に愛しさが宿るのだ。
その時、彼の表情は極上のものになる。
本当ならば誰にも見せたくないが、同時にそれが自分にだけ向けられるのを見せつけたくもある。

結局、無意識下ではずっと見せびらかしたかったのかもしれない……
となれば、きっと自分は思っていた以上に子供じみているのだろう。

そう考えると妙に可笑しくなり、思わず声を殺して笑ってしまった。

「どうしたんだ? 御剣」

肩を震わせているのを見咎めて、ソファに座っている成歩堂が訝しげに声を掛けてきた。

「いや、何でもない」

笑いの名残を留めながら、御剣は成歩堂の前にティーカップを置いた。
そこに淹れたての紅茶を注ぐ。

「あ……いい香り……」

立ち上る湯気に少し鼻をうずめるように香りを嗅ぐと、黒目勝ちの大きな眼がうっすらと細められる。
さらに和んだ表情に気を良くしながら、御剣はその隣に腰掛けた。

「花のような香りだね」
「うム、華やかさは無いが、落ち着きのある春のような香りだろう?」
「うん……僕には親しみ易いかもね」
「気に入ってもらえれば嬉しい」

穏やかに会話しながら二人で紅茶を楽しんでいると、
ふと成歩堂が何かを思い出したようにきょろきょろと辺りを見回した。
そして不思議そうに首を傾げる。

「ム? どうした?」
「あ、いや……」

御剣の問いかけにちょっと狼狽してから、成歩堂は照れ臭そうに笑って頭を掻いた。

「今日、バレンタインだろ? でも御剣の部屋、いつもと変わんないなって」
「何故だろうか?」
「うん? だって御剣ってモテそうじゃないか? だからチョコレートで部屋が埋まってるんじゃないか、って」
「君はチョコが目当てだったのか?」

ふざけ半分でわざと声を低めてやると、覿面に成歩堂が慌てる。

「いや、違うって! さっきさ、真宵ちゃんがそんな事言ってたんだよ」
「ホホウ……真宵君が?」
「うん、きっと沢山もらってるはずだ、ってさ」

その時の事を思い出したのだろう。
成歩堂は堪えきれない様子で思い出し笑いをした。

成歩堂が事務所を出るとき、真宵たちから手渡されたチョコレートは御剣宛だった。
御剣に迷惑になりはするまいかと躊躇う成歩堂に、真宵はニヤリと悪い笑みを浮かべてみせると、

『分かってるよ。だからじゃない』
『どういうこと?』
『エビでタイを釣るんだよ! なるほどくん!』

「……と言うと、どういうことだろうか?」
「つまりね……」

真宵は、御剣が甘いものが不得手であると承知したうえで、
バレンタインチョコの処分を買って出るつもりなのだ。

じゃあ、このプレゼントは一体……?

突っ込みたかったが怖い返事が返ってきそうで、
成歩堂は何も言えないまま引き攣った笑みを浮かべるに留まった。

「でも、真宵ちゃんも当てが外れたかな」

成歩堂は苦笑を漏らす。

気の毒そうな……
だがどことなくホッとしているかのような……

「いや、そうでもない」

しかし御剣は殆ど表情を変えずにさらりとのたまう。

「受付の方に、私宛の届け物は全て預かって貰うようにしている。
いちいち執務室に届けられては業務に差し支えるのでな……
先ほど連絡があったが、やはり今日は預かって貰って正解だったようだ」
「え……じゃあ」
「うム、真宵君に謹んで進呈しよう。私は真に親しい者からだけで充分だ」

そう言って固まる成歩堂に笑ってみせると、手を差し出して見せた。

「やっぱり、御剣ってモテるんだな」

少しばかりおどけた口調で言いながら、
成歩堂はカバンの中から可愛らしいラッピングのプレゼントを二つ取り出した。

「ム? 二つか?」
「うん、真宵ちゃんと晴美ちゃんから……と、後もう一つ」

そう言って取り出したのはシックな包装の……

「千尋さんから……僕たちに、だって」
「チヒロ……綾里弁護士か?」
「うん、今朝来てくれたんだ。久しぶりにさ」
「今朝……ああ、もしかして先ほどの電話の時か」
「そう、晴美ちゃんの霊媒でね。いきなりだったからびっくりしたよ」
「なるほど、それで始め妙に歯切れが悪かったのか」

気にはなっていたのだが、それで合点がいった。
しかし同時に別の懸念が生じる。

「良かったのか? ここに来て」

久しぶりの師弟の時間を邪魔してしまったのではないか?

言葉にしなかった思いを正確に汲み取ってか、成歩堂は微笑みながら頭を振った。

「大丈夫。いつも最低限しか姿を見せてくれないから。それにこれは仕事だろ」

そしてニヤリと笑う。

「むしろ早く行けって追い出されちゃったよ」
「それはそれは……」

肩を竦めて見せながら、プレゼントを受け取る。
しかしその眉間には皺が寄っていた。

「……これだけだろうか?」

本音を隠さず軽く睨む。
温度の低くなった視線に成歩堂はうろうろと視線を泳がせた。

「えっ……いや、あの……」

ふと力なく視線が落ち、成歩堂は大きな溜め息を吐いた。

「……御剣、モテるから……もし迷惑だったら嫌だし……」

ボソボソと呟く。

「…………」

黙り込んでしまった顔には、悔しそうな、嫉妬にも似た表情が浮かんでいる。
それは、感情表現が豊かでありながら滅多に見せる事の無い成歩堂の本音を垣間見せるものだった。

苛めるのはこのくらいにしておくか……

沈んでしまった成歩堂を抱き寄せ、御剣は耳元で囁いた。

「冗談だ……私には君がいればそれで良い……今夜来てくれるのだろう?」

弾かれた様に顔を上げた成歩堂の唇を軽く奪う。

「君へのプレゼントは用意してある……君は身一つで来てくれれば良い」
「僕もさ……本当は一応用意はしてるんだけど……事務所に置いて来ちゃったんだ」

はにかむように成歩堂が呟く。

「ラッピングとかもしてなくて……実際さ、どうすればいいか分かんなかったんだ」

困ったような照れ笑いを浮かべる成歩堂の言葉に、御剣の心臓が強く鼓動を打った。
その鼓動の命ずるまま、再び、今度は深く唇を重ねる。

「……形などは関係無い……君から貰えるだけで嬉しいのだよ」

口付けを解き囁く。
少し息の上がった成歩堂はほんのりと赤らんだ顔を隠すように御剣の胸に額を寄せた。

「……ほんとに良いのか? ならば今夜待って行くよ。交換しよう」
「うム、楽しみにしている」
「うん、……それじゃあさ」

抱擁を解くと、成歩堂は顔を上げ、真っ直ぐに御剣と視線を合わせてきた。

「早く仕事終わらせなきゃね。用事があったんだろ? 何?」

その眼にはすでにいつもの冷静な光が戻っている。

それは戯れの時間が終わったことを告げていた。
それを悟り、御剣の瞳にも鋭さが戻る。

「うム、君がこの前担当した法廷の件でな……
検察側の不手際が多すぎて、君に直接確認したいことが有ったのだよ」

用意してあった書類を見せながら、御剣はさらにこの弁護士に魅かれていく自分を感じていた。

普段はむしろ間が抜けているようにさえ見えるこの弁護士は、
一度仕事になると冷静で抜け目が無くなってしまう。
計算なのか本能なのか、真実を嗅ぎ当て組み立てられるロジックは、
紆余曲折を経ながらも、最後には誰にも反論出来ないほど完璧なものへと完成していく。

おそらく計算ではない……
いや、本能で計算しているのだろう。

だからこそ頭での計算などでは歯が立たないのだ。

「これさ、真犯人が裏で情報操作してて……ってあれ? この証拠品確か無関係だったはずなんだけど……」
「なるほどな……それでこことの事実関係に違和感があったのか」
「…………そうなるね。このままだとまた再捜査ってことになりかねないよ」

困ったように成歩堂は蟀谷を掻いた。
それを横目で見ながら御剣は口惜しく思う。

もしも成歩堂が検事であれば、このようなミスなど起こるまいに……

しかし本人に告げるつもりは無い。
きっと本人も是とは言うまいし、何より御剣自身がそれを望まない。

「……君は恐い男だな」

賞賛の言葉だけを乗せ、本音を伏せる。

弁護士の仕事こそ成歩堂の天職……
それに検事になって貰っては、(あらゆる意味で)ライバルが増えすぎてしまって困る……
どちらも御剣の本音だ。

しかし成歩堂には教えない。

一通り話を聞き終わり、書類を纏めながら御剣は高速でこの後の捜査の段取りを計算した。
公判までまだ間があるのが救いだ。
スケジュールは無理なく組める。

ある程度計算をし終えると、御剣は書類をデスクの隅に置いた。
と同時に成歩堂が立ち上がる。

「さて……と、後は何か無い?」
「うム、とりあえずはこんな所だな……また何かあったら連絡しても?」
「いつでも良いよ……まだやる事は有るんだろ?」
「そうだな……だが、そこまで多くは無い。今日は定時であがれる」

そして御剣はデスクに座ることもせず、

「もう昼だな……今日は本当に助かった。お礼に昼をどうだろうか?」
「……良いのか? ……奢り?」
「当然。お礼だからな」
「ならば付き合うよ」
「では、下の喫茶店にでも」

促され、肩を並べて歩き出す。

執務室を出ようとした時、思い出したように成歩堂が声を上げた。

「あ、さっきのチョコだけどさ」
「うム?」

急に声を上げた成歩堂に驚いて、御剣は思わず足を止め振り返る。
見えたのは成歩堂の悪戯っぽい笑みだった。

「千尋さんのだけは、仕事中に食べちゃダメだよ」
「……勿論、君と共に貰ったのだからそのつもりだが?」

どう言う事だろうか……?

訝しげにそう反すと成歩堂の笑みがますます深くなった。

「あれさ、大人のチョコレートだから、食べたら飲酒運転になるんだって」
「……なるほど」

合点がいき御剣は同じようにニヤッと笑うと、

「では、今日はアルコールは無しでも良いな」

成歩堂を引き寄せ、その耳に向かって直接囁いた。

「今晩が楽しみだ」
「バッ……! み、御剣!」

慌てふためいて抗議する成歩堂を尻目に、御剣は執務室の扉を開けた。
 
そして……

再び検事局の職員たちが軽いパニックに陥ったのは……言うまでも……無い……

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