真実の探求者 3
月も出ていないのに、見上げる夜空に星影はほとんど見えない。
繁華街のネオンに、その幽かな光は遮られてしまっている。
「明日は晴れるかなあ……」
晴れているのかもどうかも判らない空を見上げながら成歩堂はポツリと呟いた。
「予定でもあるのか?」
「うん、ちょっとね。って言っても仕事じゃないんだけど」
「ほう?」
「真宵ちゃんが明日倉院の里でさ、お祭りみたいなのが有るから絶対に来いって」
クスクス笑いを漏らしながら、成歩堂は肩を竦める。
「行かないと何言われるか分からないからね。特に晴美ちゃんから……」
「ム、晴美君か……」
幼い少女の姿を思い出し、御剣もまた複雑な笑みを見せる。
同情して良いのか悪いのか、と言った顔は珍しく滑稽で、成歩堂は更に笑う。
「そ、『真宵様のお誘いを断る気ですか! なるほどくん!!』って感じで」
「君も彼女たちには形無しだな」
「まあね」
「では、このところ君が一人だったのは……」
「その準備とかが忙しかったらしくてね……
もともと彼女たちにはただ手伝ってもらってるだけだから無理も言えないし」
「ふム……君は、このままずっとやって行くつもりか?」
「何を?」
「このまま、彼女たちに手伝ってもらいながら、一人で事務所をやって行くつもりなのだろうか?」
「多分、もう、彼女たちには甘えられないと思う」
いきなり踏み込んだ話題に、しかし成歩堂はさほど動じもせずに答える。
「彼女たちには彼女たちの生活が有るし、もうこれ以上悲しい思いはさせたくないから」
足元に視線を落としながら淡々と紡がれる言葉に、御剣の眉間に皺が寄る。
真宵と晴美は綾里家の悲劇の渦中にあった少女たちだ。
それぞれに「大切な人」を失ってしまっている……
真宵は、姉の千尋を……
晴美は、母を……
「君が彼女たちに悲しい思いをさせた訳ではないだろう?
むしろ君は彼女たちを救った、私にはそう見えるが?」
法廷の時のように雄弁に語る御剣に、成歩堂は弱く笑った。
「ありがとな、御剣……でも……」
視線を外し、星の見えない空を見上げる。
その眼がどこか遠くを見つめるように眇められた。
「僕の手伝いをするってことは、色んな事件と関わると言う事だ。
それは、時にあの子たちの傷に触れてしまう事になりかねない……」
「だが、彼女たちは強い」
「うん、あの子たちは強い……
でも、だからこそもうこれ以上事件に関わらせたくないんだ」
恐らくはもうずっと以前から思っていた事だったのだろう。
成歩堂の声には全く動揺が見受けられなかった。
「一人でやって行くつもりか……」
御剣は呟き、小さく溜息を吐いた。
「まあ、あまり無理をしない事だな。君の身は一つしかないのだから」
「仕事の鬼の検事殿には言われたくないなぁ」
わざとからかうように言って、成歩堂はニッと笑った。
「でもまあ、サンキュ。肝に銘じておくよ」
「ぜひ、そうしてくれたまえ。法廷でへたばっていようが容赦はしないからな」
からかわれた意趣返しのようにわざとらしい冷笑を浮かべ、御剣は足を止めた。
成歩堂もまた足を止めると苦笑いした。
「ハハッ、恐いな……お手柔らかに頼むよ」
「君相手にか? それは出来ない相談だな」
「だろうね。僕も一緒だから」
そう言って二人は右の手のひら同士を打ち合わせる。
乾いた音が夜の街にこだました。
「今日はサンキュ、御剣」
「ああ、気を付けて戻りたまえ」
「解ってるって。じゃ、またな」
そのまま手を上げ、成歩堂は駅の中へと消えた。
それを見送りながら、御剣の眉間に厳しい皺が寄る。
その身体が音も無く動き、成歩堂の後を付けるように駅に入ろうとした男の腕を捕まえた。
「今日はもう、そこまでにして貰おうか……」
冷たい声音で低く囁く。
男は初めの方こそびくりとなって振り返ったものの、御剣の顔を見て、何故か不敵に笑った。
御剣がまだ若いからと油断している……そんな様子ではない。
壮年らしいしわが刻まれた顔には、ふてぶてしいまでの余裕が有った。
「何の話ですかねえ」
その余裕の笑みのまま御剣を睨みあげてくる男に、御剣も冷笑を持って応える。
先ほど成歩堂に見せたような、ふざけの入ったものではない。
「惚けるのも大概にして貰おう。成歩堂を付けていたことは既に分かっている」
冷たい声音のまま、酷薄にも見える笑みを刷く。
「私が何も調べていないとでも思っていたのかね?」
「やれやれ、やっぱりばれてたんですかい」
悪びれもせず、男は肩をすくめる。
怖気づいた様子は全くない。
(相当に場数を踏んできているようだな……)
しかもかなり危ない橋を渡ってきているかのようだ。
「一つ忠告しておこう……」
静かに腕を離し、御剣は男から視線を逸らさずに低く言った。
「あの記事を書いたこと……遠からず、絶対に後悔することになる……」
覚悟しておくことだ……
酷薄な笑みを浮かべたまま、御剣はそう結んだ。
歳は若くても、御剣もくぐった修羅場の質では負けるつもりはない。
若さゆえの傲慢は、親友である男によって既にへし折られてしまっている。
それが御剣に歳に似合わぬ貫録を身につけさせていた。
「……」
男は怖気づくことこそしなかったが、不愉快そうに唇をゆがめると、
「さあ、どっちが後悔することになるんでしょうかね……御剣上級検事殿?」
そう吐き捨て、踵を返し街の中に姿を消した。
どちらにせよ、件の弁護士の姿は見失ってしまっている。
今夜はもう追うこともないだろう……
(だが……)
このまま引き下がるとは思えない……
憎悪にも似た男の眼の色を思い出し、御剣は深くため息をつくと星の無い空を見上げた。
「成歩堂……」
あるいは余計な心配かもしれないが……
眉を顰めもう一度大きく息を吐くと、御剣はタクシーを拾うべく通りに向かって歩き始めた。
<<前へ 次へ>>