真実の探求者・1
その法廷は無罪判決で幕を閉じた。
青いスーツを身に纏った弁護士は静かな光をその眼に湛え、微かに、しかし満足げな微笑を洩らした。
検事席の男もまた、さしたる動揺も見せず静かに黙礼すると、真っ赤なスーツの裾を翻して法廷を後にした。
審理の中で明らかになった真実を引き連れて……
「ありがとうございました」
午後四時、被告人側控室―――
深々と頭を下げる男の顔には疲労と、それを超える安堵の表情が浮かんでいる。
「顔を上げてください」
青いスーツの男が優しい声で促す。
「僕は当然のことをしただけだし……それに僕だけの力で無罪を勝ち取ったわけではないですし……」
「いいえ! 成歩堂さんが弁護を引き受けてくださったから、私は今こうしていられるのです!」
青いスーツの男――成歩堂龍一の言葉に、元被告人はガバリと頭を上げて思いきり首を振る。
その必死な姿に、成歩堂は困ったような表情をして特徴的なギザギザ頭を掻いた。
「なにはともあれ、おめでとうございます。三日間お疲れ様でした」
「はい……本当にありがとうございました」
お互いにもう一度頭を下げあって、成歩堂は控室を後にした。
控室を出ると、赤いスーツの男が丁度廊下をこちらに向かって歩いてきているのを目にした。
成歩堂の口元に笑みが浮かぶ。
「よ、御剣。お疲れ様。どうしたんだ? こんな所へ」
「うム」
赤いスーツの検事――御剣怜侍は声を掛けられ、同じように微笑を返す。
「君が、もう出てくる頃かと思ってな」
「ああ、今から事務所に戻ろうかと思って……僕に用事?」
「うム、今夜は空いているだろうか?」
「今夜? 空いてると言えば空いてるけど……」
「何か用事でも残っているのか?」
「いや、残務処理だけだよ。今日は真宵ちゃんもいないしね。終わらせたら帰るけど、なんで?」
「久しぶりに飲みにでも行かないか?」
「え、僕は良いけど……御剣こそ仕事は大丈夫なのかよ?」
「心配要らない。私も今日は定時であがれる」
「ならばいいよ」
ニッコリと成歩堂は笑顔を見せると、軽く目で御剣を促し歩き出した。
御剣もそれに従い一緒に歩き出す。
「で、何時にどこで待ち合わせる?」
「終わり次第私が事務所に迎えに行こう。電話をするから待っていたまえ」
「え、でもそれは悪いよ」
「気にするな。今日行こうと思っているレストランが君の事務所の方向なのだ」
「え、レストラン、って……」
「当然だろう? 君は空腹で飲むつもりかね?」
やれやれ、と言わんばかりに御剣が肩を竦める。
「そこで夕食を取ってから、飲みに行くのだよ」
「いやいやいや! そんな事解ってるって!」
成歩堂は法廷並みの大声を出しそうになって慌てて口を閉ざす。
幸い周囲に人影が無かった事に安堵しつつ声のトーンを落とした。
「そうじゃなくて、あまり持ち合わせが無いからさ……」
やや寂しくなっている財布の中身を思い浮かべながら、正直に告白する。
今更御剣に向かって見栄を張ったところで仕方がない。
そんな成歩堂の心情を知っているからこそ、御剣は敢えて皮肉げな表情を崩さずに、
「君の経済状況など確認するまでもなかろう」
そう言下に切って捨てて、反論の隙も与えずに言葉を重ねる。
「私が奢る。君はおとなしく事務所で待っていたまえ」
「待った! それじゃ悪いから……って聞けよ!」
高圧的な態度に尚も何かを反論しかける成歩堂を置き去りにして、御剣はさっさと駐車場の方へと歩を進めた。
味方のいない無実の依頼人を救う……
たったそれだけの為に動く弁護士が経済的に潤うなど考えられない。
ましてやたった三日間しかない序審法廷は、その利の薄さからあまり誰も好んで引き受けたがらないものだ。
特に計算高い連中は尚の事……
清廉潔白であればあるほど弁護士としては困窮していくのかもしれない……
ある意味バカ、とも言える。
だが、そんなバカだからこそ御剣は惹かれるのかもしれない……
成歩堂龍一という弁護士に……
「聞けってば! 御剣!」
怒号を背後に聞きながら、御剣は運転席に滑り込み、無情にドアを閉める。
エンジンをかけパワーウィンドウを少しだけ下げると、ニヤリとした笑みを浮かべて成歩堂を見上げた。
「異議は全て却下する。たまには私に華を持たせたまえ」
「いつだって持ってるじゃないか……って、解ったよ」
さんざん異議を申し立てて徒労に終わった成歩堂はがっくりと肩を落とした。
しかし次の瞬間上げられた顔にははにかむような笑みが浮かんでいた。
「お言葉に甘えるよ……ありがとな、御剣」
「それでいい」
君はやはり笑顔の方が良い……
言葉には出さず、御剣は頷くに留めると、
「では後程」
そう言い残して車を発進させた。