共同戦線・後編

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御剣は宣言通り12時の時報が鳴る前に事務所を訪れた。

いつものようにドアをノックすると、中から真宵が出迎え奥へと通す。

「ミツルギ検事、お疲れ様です」
「うム、お邪魔する。……成歩堂は?」

片手に提げていた紙の袋を真宵に手渡しながら御剣が問いかける。

「まだ、所長室から出てきてません……書類書くって言って」
「そうか……昨日も終わるのがかなり遅くなってしまったからな。様子を見に行きたかったのだが……」
「仕方無いですよ」

眉間の皺が3割増しになった御剣に真宵は軽やかに笑う。

「なんかあったんでしょう?」

昨日の法廷は被告人の無罪で幕を閉じた。
しかし真犯人であった証人が中々にしぶとく、結局全てが終わった頃には夜の八時を超えていた。

そのあとすぐに御剣は検察局に呼び戻され、移動中に成歩堂に電話を一本入れただけで局へ戻らざるを得なかった。

「何も私がいなくても良かったのだが……」

御剣が苦虫を噛み潰したような顔をする。
実際帰ってみれば、用件というのが実にくだらないもので……
別の検事が扱っている案件への協力要請だった。

無能な検事を叱り飛ばしながら真実を突き止めるのにさほど時間は掛からなかった。
しかし、さすがに時間が遅くなり過ぎてしまったために会うことを断念したのだ。

黒いオーラが滲み出そうな雰囲気までしそうで、真宵は空気を変えるように御剣から受け取った袋を覗き込むと、

「うわーっ、高菱屋の高級弁当だ! すぐなるほどくん呼びますね! 座って待ってて下さい!」

そう言って元気良く所長室に向かって声を上げた。

「なるほどくーん! ミツルギ検事さんがお弁当持って来てくれたよ!」
「……はーい」

奥でパタパタと物音がして、所長室から成歩堂が顔を出した。
すぐに御剣の姿を認めるとニッコリと笑って真宵に眼で合図をする。
真宵はその合図を受けると、軽い足取りで給湯室に入っていった。

「いらっしゃい。早かったんだな」
「ああ、お邪魔している」

挨拶を交わすと御剣の前の席に陣取る。

その動きが少し鈍い事に御剣はすぐに気付いた。
しかし敢えて何も言わず、注意深い視線をそれとなく成歩堂に注ぐ。

法廷では証人の小さな矛盾を決して見逃す事の無い成歩堂は、
しかし己に注がれる視線に気づく様子も無く殆ど無意識に肩を回す。

そして軽く首も回しながら御剣に向かって微笑みかけた。

「昨日はお疲れ様」
「ム、君もな……残務処理でもしていたのか?」
「いや、裁判の記録を纏めてたんだ。ちょっと溜まっちゃってね……お、何か高級そうなお弁当だな……どれが大盛り?」
「うム、この赤い輪ゴムが巻いてあるのがそうだ」
「ああ、これね……うひゃ、重いな」
「そうだな。私も驚いた」
「何弁当?」
「幕の内だ。当たり外れが少なそうだしな」
「お茶、入ったよ~」
「ありがと、真宵ちゃん」
「うム、ありがとう」

テーブルの上に弁当を並べると、真宵がお茶のセットを運んできた。
湯呑をそれぞれの前に置き、成歩堂の隣に腰掛ける。

「じゃ、戴こうか」

成歩堂の言葉に全員が手を合わせて一斉に「戴きます」を唱和した。

「うん……美味しいね~」

満足げな笑みを浮かべながら真宵が言う。
箸が止まる気配は全く無い。
基本好き嫌いをしないその食べっぷりは見ていて小気味良いくらいだ。

(けど、ほんと、よく入るよな……)

怒涛の勢いで饅頭を食していた光景を思い出して、成歩堂は心の中でこっそりと思う。

小柄な身体のどこにあれだけのものが入って行くのだろうか……

まるでブラックホールでも覗き込んだかの様な気分に陥りかけて、成歩堂は慌てて考えるのを止めると自分も箸を進めた。

「ほんと、美味いな。高かっただろ、これ」

いくらくらいの出費になるのか計算しつつ御剣に話を向ける。御剣は違和感なく箸を操りながらうっすらと笑った。

「そうでもない。まあ、そこそこだな」
「そこそこ、ね……僕と真宵ちゃんの分は払うよ」
「その必要は無い。私の奢りだ」
「でも、買って来て貰ったんだし」
「それも、気にする事は無い。今日の研修は高菱屋であったのだよ。その時に注文をしたのでな……私はただ受け取りに行っただけだ。まあ、昨日の勝訴祝いとでも思ってくれたまえ」
「そうか……悪いな。ありがとう。じゃあお言葉に甘えることにするよ」
「うム……」

御剣は頷きながら成歩堂の弁当に目を向けた。
自分たちと比べてかなりペースが遅い。

そんなに不味そうにしているようにも見えないが……

「あまり箸が進んでいないようだが、口に合わなかったか?」

一応確認してみると、成歩堂はあからさまに驚いたように首を振る。

「そんなことないよ! とても美味しいって!」

妙に力を入れて言い切り、直後照れたように頭を掻く。

「さっき、おやつに食べた饅頭がかなり重かったからちょっとペースが落ちてるだけだよ」
「え~、なるほどくん、2個しか食べてないじゃない」
「でもかなり甘かったろ……って、真宵ちゃん、さっきと言ってる事が違ってない?」
「違ってるって?」
「さっきは〈2個も〉って言ってたじゃないか」
「そんな過去の事は忘れたもん」

見事に言い切って真宵はプッと頬を膨らませる。
その表情のままさらに言葉を続けた。

「たったあれだけでお腹一杯になるなんて、なるほどくん、ヒンジャクだよね」
「いやいやいや、そんなこと言われても……」
「それになるほどくん、ここんとこ殆ど食べてないじゃない。公判中なんか……」
「わ~~っ! ストップ!」

言い募ろうとする真宵を成歩堂が慌てて止める。
しかし時すでに遅く、二人のやり取りを黙って見ていた御剣の眼が、すっと冷たく眇められていた。

「真宵君……証言をお願いできるだろうか?」

低温の声に成歩堂の首がびくりと竦められる。
そんな成歩堂を横目で見ながら真宵は一つ頷き証言を開始した。

「公判中は裁判の時なんか全然お昼食べなかったんです。私にはお弁当買ってくれても自分はおにぎり一つでも食べれば良い方で……大抵食べないかカ〇リー〇イト1個だけとかばっかりだったし……」

「待った! だけ、じゃなくてゼリーとかも……」
「却下だ、弁護人。証人、続けてくれたまえ」
「うええ……」

「……お昼だけじゃないよね。昨日なんて前の日の食べ残しのおにぎりを朝食べただけだったし、終わってからラーメン食べに行った時も、餃子とビールだけだったよね」
「証人、それは間違いのない事実だろうか」
「はい、間違いないです。今朝は知らないけど……」

「弁護人……弁明は?」
「いや……今朝は起きるのが遅くって……」

滝のような汗を流しつつ成歩堂が言葉に詰まる。
完全に追い詰められている証拠だ。

眼がうろうろと彷徨っていることを確認した御剣は皮肉をたっぷり込めた笑みを浮かべた。

「結局、食事を摂っていなかった……ということで良いのだな」
「ううう……」
「他に言いたいことがあるならば、5文字で表したまえ」
「…………スミマセン」

がっくりと項垂れて成歩堂が負けを認めた。
御剣と真宵はお互いに視線を交わして勝ち誇った笑みを同時に浮かべた。

「では、有罪確定だな」
「おいおいおい……」
「認めるのであれば他の罪状については不問にしてやろう」

微妙に不穏な言い回しに、成歩堂はまだ何かあるのかとうんざりした顏をする。

「他って……何の事だよ」
「そうだな……極端に睡眠が取れていない事とか……」
「うっ!」
「一昨日現場で立ち眩みを起こした事とか……」
「ぐっ!……何でそれを……」
「極め付きは今朝、居眠りしかけて危うく提出書類の上にお茶を零しそうになった事だな……こんなところだ」
「…………」

これで情報の出所が分かった。

成歩堂は、素知らぬ顔をして食後のお茶を啜る真宵に恨めしげな視線を向ける。
いかに疲労で少々頭が呆けていても、ここまであからさまになれば気付かぬはずがない。

あとの二人も特別に隠し立てするつもりもなく、かと言ってわざわざ教える気も無い様子だ。
下手にそこを突っ込んだところで
「それが何か?」
とあっさり受け流される事は目に見えている。

「……はぁ」

成歩堂は反論を諦め、溜息とともに苦笑を漏らした。

表に浮かぶ疲労の色は仕事のせいか、さんざん追い詰められた為のものか……

おそらく両方だろう……二人は思う。
しかしながら罪悪感はない。

仕事になると我を忘れ、あまりに真剣になり過ぎて歯止めがいつも効かなくなる。
全てが終わった後に倒れようと一切気にも留めない。
そして更に厄介なことに、それを自分では当たり前の事としてしか認識していない。

たとえ這いずり回ることになるとしても、それでも彼は動くことを止めはしないだろう。

ただ一つの目的……
依頼人の無罪の為に……

それが二人の共通の見解だった。

誰かが止めなければいけない、と……

「さて、有罪が確定したからには求刑をせねばな」

厳か、とも言える口調で御剣が口を開く。
疲れを感じながらも、今度は何を言われるのかと、成歩堂は上目づかいで御剣と視線を合わせた。

その視線を受け止めながら、表情を変えることなく御剣が口を開く。

「検察側は成歩堂弁護士へ、今から復調するまで数日間の休養を求刑する。執行猶予は無し、だ」
「情状酌量の余地も無しかよ……求刑するって言ったって、誰が判決を言い渡すんだ?」

余りにも真面目くさった物言いに、成歩堂が呆れを含んだ笑いを漏らす。
法廷でもあるまいし誰がジャッジを下すというのか……

しかしその思考はあっさりと覆される。

「え~、おほん……では、検察側の求刑どおりにします。決定だよ!」
「ま、真宵ちゃん……」
「適正な判決痛み入る」

御剣は鉄面皮を崩すことなく冷笑し、そして小憎らしくなるくらいの仕草で優雅に一礼する。

「以上……だ」

再び顔を上げた時、御剣の顔に検事としての色は消えていた。

替わりに浮かぶのはやさしい微笑……
相手を思う心が滲み出るような笑みだった。

思わず見惚れそうになって、成歩堂は一度視線をあさっての方向に向けなければならなかった。
しかしこのままやり込められたままでいるのは癪に障る。

「もう、二人とも悪ふざけが過ぎるよ……いったい何の権限があってそんなこと……」

ぼそぼそと拗ねたような口調で異議を唱えると、いつの間にか傍に移動してきていた御剣の大きな腕にふわりと肩を抱き込まれた。

「勿論、恋人としての権限だが?」

御剣が何の含む響きも無く、甘い声で囁く。

「それに影の所長としての権限だよ」

成歩堂の以外の弁当ガラを片付けながら真宵がニャッと笑う。

「……ほんと、過保護過ぎるよな、二人とも」

成歩堂は完全なる敗北を悟り、降参したように御剣の胸に頭を凭せ掛けた。

弁当は半分ほど残ったままだが、もう食べる気も失せていた。
決して口に合わなかったわけではないが、もともと食欲も無かったのだと改めて思い知る。

「ごめん、やっぱりお弁当全部は無理みたいだ」

振る舞われたものを残すのは心苦しい……
ましてやせっかく御剣が買って来てくれたのに……

「無理はしなくていい」

御剣は成歩堂の体を抱き込んだまま、諭すようなやさしい声でそう囁いた。

「うん、残りは帰ってから食べるよ」
「いや、弱った体にはもっと消化の良いものが良いだろう」
「でも、これ、勿体ないし……」

なおも逡巡していると、給湯室から戻ってきた真宵が、

「あ、ならば私が食べちゃってもいい?」

と、返事も聞かずに弁当を取り上げた。

一切の躊躇いも無い鮮やかさに思わず成歩堂は突っ込んでしまった。

「まだ入るの!? って言うかそれ残り物だし!?」
「気にしない、気にしない! このくらい楽勝だよ!」

ニッと笑うと嬉しそうに座り直し、第2ラウンドに取り掛かる。

「あ、そうだ。私これ食べ終わったら帰るからね」

突然思い出したように言った真宵の言葉に御剣は一つ頷くと、

「ならばそれまでにこちらも上がる準備をしよう」

成歩堂を開放して腕を取り直すと、優しく、しかし有無を言わせず所長室へと連行して行った。

(お願いしますね。ミツルギ検事さん)

おそらく真宵がすべてを片付け終える頃には、準備も出来てしまうだろう。

普段頑張りが行き過ぎないようにセーブするのが真宵の役目とするならば、御剣の役目は彼を止めること……

力不足を痛感している真宵と、ずっと傍についていて上げることが出来ない御剣がひそかに結んだ協定……
それが、二人で大事な人を守る、というものだ。

公判のある間は厳しい、或いは辛辣なほどの態度を取っているとしても、
ひとたび終わってしまえば甘やかすくらいで丁度良い。
それでも甘え過ぎたりはしない、絶対の信用があるから……

助けを求める声が成歩堂を呼ぶ限り、彼は何度でも立ち上がる。

だから真宵は姉の代わりに……
そして御剣は恋人として……

二人で彼を見守っていく……

弁当を完璧に片付け、戸締りを終える頃、帰る準備を終えた成歩堂たちが出てきた。

「あ、なるほどくん終わった? こっちは戸締り終わったよ」

二人の姿を目に止めて、真宵が声を掛ける。

「ありがと、真宵ちゃん。じゃあ、今日はもうあがろうか」

答える成歩堂は、体調の悪化か、それ以外の理由か、ほんのりと熱っぽそうな顔色になっている。
これならばどちらにせよ帰ってから仕事を続ける事は出来ないだろう。

真宵がちらりと御剣に視線を向けると、御剣は彼にしては珍しいくらいに悪戯っぽい笑みを返してきた。
それでほとんど了解する。

真宵はニヤリと笑うと成歩堂に視線を戻して確認をするような口調で、

「じゃあ、明日は事務所お休みだね」
「うん、明日はね……」

成歩堂はそう言いながらちらりと伺うような眼で御剣に視線を向け……
温度の低くなった瞳にびくりと肩を竦めると、慌てて言い繕うように、

「い、いや、あの……無事釈放されたら連絡するから……」
「よろしい」

尊大に見えるほどの態度で御剣が頷く。

これで完全に確定だ。
成歩堂は御剣に保護された。

しっかり休養してくれるはず。

「りょ~かい!」
真宵は元気いっぱいに返事をするとビシッと敬礼して見せた。

その仕草に二人は顔を見合わせて笑いあい……

午後からのそれぞれの休暇を楽しむべく、三人は事務所を後にした。
 
 



 
     おまけ~~チャーリーは見ていた(所長室にて)~~
 
「君は何をするつもりなのだ?」

「何って、帰る準備してるんだけど……?」

「……仕事を持ち帰るつもりか?」

「あはは……そんなに多くはないよ」

「それは急ぎでしなければならない物なのか?」

「いや、そうでもないけどね……依頼重なってたから、残務処理がさ……このあたりならば持ってかえって出来るから」

「君は……まさか自分の家に帰るつもりなのか?」

「そうだよ。だって今日はまだ平日だし、御剣だって明日は仕事なんだろ? 迷惑は掛けられないからね」

「心配は要らない。明日まで有給を取ってある。それに……」

「それに……? っ!?」
「……………………」
「…………ン、……う」
「…………」
「……っは、……み、御剣?」

「……それに君は現在、刑の執行中だ。勿論、私の監視の下でな……だから君は今から私の家に連行する」

「……はぁ……ズルいよ……こんな時に……」

「何を言う。君こそつれないではないか。久しぶりの逢瀬も望んではくれないのか?」

「そんなこと……今週末逢いに行こうって……」

「ならば、問題あるまい? 体調も余り良くないようだしな……やはり少し熱があるぞ」

「え……いつ計ったんだよ」

「たった今……な。いつもよりかなり熱いキスだったぞ」

「……も、マジで疲れてきたかも」

「座っていたまえ。これを入れれば良いのだな……」

「……うん」

「…………良し。ム……? 何か不満そうだな?」

「そんなんじゃないけど……強引だよな。本当にいいのかよ」

「まだ言ってるのか……相変わらず往生際が悪いな。
あまり強情を張るならば、キスで落としてから連れ帰っても構わないが……どうする?」

「うっ……、い、言う通りにします……」

「そうだ……素直に従いたまえ」

「うん……って言うか、御剣、僕に仕事させるつもり、ある?」

「当然、全く無い」

「うわぁ……言い切った」

「君を止める手段はいくらでもあるからな……観念したまえ」

「全く……敵わないな。わかりました……従います」

「ああ、ゆっくり休むといい。後は私に任せてな」

「御剣……」

「さ、行くとしよう。帰りに何か消化に良いものでも買って行くか? 結局君は殆ど食べてないからな」

「お手数掛けます……」

「君の為だ……このくらい何という事は無い。さあ、そろそろ行かないと、真宵君が待ちくたびれてしまうぞ」

「あはは……そうだね。じゃあ帰ろうか」

「ああ」

「なぁ、御剣……」

「何だろうか」

「……ありがとう」
「…………フッ、どういたしまして」
 
おまけの一コマでした((笑))

END

 

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