ハンバーガー・後編
意外に近くに丁度空いたテーブルを見つけ、御剣はカウンターを振り返った。
長蛇の列の中にあっても、恋人の姿はすぐに見つけられる。
それは欲目だけではないだろう……
身長も確かに高い部類には入るが……
窓際の二人用のテーブルに着きながら少しばかり御剣の眉間に皺が寄る。
通りすがる者たちがちらちらと彼を見ていくのだ。
それどころかじっと注視している者もいる。
法廷で身に付いたものか、或いは舞台経験の賜物か……
すらりと立つ姿は無理が無く、彼を堂々と魅せている。
「うム……」
恋人が注目されるのは若干なりとも誇らしくはあるが……
正直なところ不安の方が大きい。
見られていることに、ではない。
それだけならば自分自身も人の眼を集めている。
無自覚なのではない。頓着しないだけだ。
法廷では勿論の事、プライベートでも人の視線を感じることは多々ある。
ただし、遠巻きに……
だが、成歩堂に向けられる視線は御剣に対するそれと違い、もう少し近いものを感じるのだ。
(まあ、本人が全く気付いていないのが幸いだが……)
気付かぬ振りをしているのかと、一度それとなく水を向けてみたら、
「御剣、僕の事どう見えてんの」
と、あっさりと気のせいにされてしまった。
「な~に眉間に皺寄せてるの」
コトリとトレーが置かれる音と共にからかうような声がして、御剣はふと物思いから覚めた。
顔を上げるといつの間にかやってきた成歩堂が、苦笑しながら椅子に座るところだった。
「う、ム……」
返答に詰まっていると、成歩堂の眉根が微かに寄せられる。
「もしかして、ハンバーガー以外が良かった?」
「いや、そんな事は無い」
しゅんとしそうになる成歩堂に、慌てて弁明する。
「あまりに君が人に見られているものでな……つい」
そういった意味では、この場所は気に食わない。
しかしそれを言えばまた笑い飛ばされるのは目に見えている。
御剣は苦笑を浮かべ、
「いつもの事だ。気にするな」
とだけ言った。
「何、それ。有り得ないって」
……結局笑われてしまったが。
しかしどこかホッとしたようにも見える笑顔に、御剣も内心ほっとする。
「さ、食べよ。せっかく出来立てだから」
言いながら成歩堂が手際良く食べやすいように並べ替えていく。
そしてハンバーガーを一つ、御剣に手渡した。
期間限定だがオーソドックスなそれは、しかし意外にもずっしりとくる。
成歩堂は包みを半分剝がし、大口を開けてかぶりついた。
それに倣い、御剣もまた包みを剝がす。
しかし、たっぷりとのった野菜が滑り、成歩堂の様にうまく手に持つことが出来ない。
「……貸して」
しばらく黙って様子を見ていた成歩堂が、見かねて御剣の手からハンバーガーを取り上げる。
そしてうまく包み直すとそれを御剣に手渡した。
「ム……すまない」
大人しく受け取り、少しばかりばつが悪そうに苦笑する。
「やっぱり、普通のが良かったかな。あれなら持ちやすいし……」
御剣の不器用さを笑うでもなく、成歩堂が小さく苦笑する。
その顔にからかいと言ったものは無い。
ただ単純で、純粋な気遣いなのだ。
それが判るからこそ、嬉しくもあり、同時に己の不器用さに辟易してしまう。
しかしそれを表に出せば、成歩堂に更に気を遣わせてしまうのは目に見えている。
御剣は笑みを返しながら、成歩堂に首を振って見せた。
「構わない。これでも小さい頃には食べていた記憶もある」
「そんなに長い事食べてなかったの?」
「そうだな……好んで食べてはいなかったか……」
成歩堂に倣いハンバーガーを齧りながらポテトに手を伸ばす。
そう言えば、こんな食事を最後にしたのはいつの事だったか……
狩魔に師事していた時から殆ど記憶が無いように思う。
他愛も無い話をしながら同年代の者と食事をするのでさえ、成歩堂と再会し、和解してから以降、頻繁になったくらいなのだ。
それも殆ど成歩堂限定で、時折もう一人の悪友や助手が紛れ込んでくる程度だ。
一方、成歩堂自身はむしろこういった場所に慣れている感がある。
「……ム」
食べている内にハンバーガーが崩れ、レタスが一枚ポロリと落ちた。
「難しいな……」
テーブルに落ちてしまったレタスをどうすべきか逡巡していると、
「これ、良く落ちるんだよね」
笑いながら成歩堂がひょいとレタスを摘み上げトレーに乗せた。
殆ど残っていない成歩堂のハンバーガーはキレイに食べられている。
「君は上手く食べるのだな」
半ば本気で感心して言うと、成歩堂は肩を竦めてくすくすと笑った。
その表情があまりに可愛くて思わず手を伸ばし、成歩堂の唇の端に付いたソースを指で拭った。
御剣の思わぬ行動に成歩堂が思わず赤面してしまう。
御剣はお構いなく長い指に付いたソースを赤い舌で拭った。
そしてにやりと笑うと、
「いつもながら詰めが甘いな……」
それを見た成歩堂は更に真っ赤になり思わず大声で、
「待った!」
「何だろうか」
涼しい顔で御剣が訊き返すと、途端に俯き小さな声でぼそぼそと呟く。
「御剣、恥ずかしいって……」
こんな公衆の面前で……
誰が見てるか分からないのに……
確かに成歩堂と御剣は恋人の関係にある。
しかし男女のカップルではないのだ。
(……いやいやいや! いまどき男女のカップルだってこんな事しないだろ!?)
独りでボケとツッコミを繰り返す成歩堂を尻目に、御剣は食事を続ける。
「ぶつぶつ言ってないで早く食べたまえ」
いつまでも立ち直れない成歩堂を見かねて声を掛ければ、
「わかってるよ!!」
無駄に大声を出して成歩堂が荒っぽく残りを口に放り込んだ。
御剣のペースに巻き込まれて成歩堂は気付いていない……
それはもう、周囲から思いっきり注目を集めきっていることに……
いや、視線そのものは感じている。
しかしそれは目の前の男のせいだと信じて疑っていない。
慣れていないなりに、時折はみ出たレタスをつまんで口に入れる様さえ絵になってしまうのだ。
ズルいな、と思う。
何もかもが完璧すぎる……
何となく落ち込みそうになって、ふと視線を逸らしそうになった時、
「……う! くふッ!!」
コーラを飲んでいた御剣が急に咽た。
「! ミツルギ!?」
思わず立ち上がり、隣に飛んでいくとその背を擦る。
吹き溢しこそしなかったが、激しく咽ている。
「全く、飲み慣れないコーラなんか頼むから……」
紙ナプキンでは間に合わないと判断し、ポケットからハンカチを取り出すと御剣に手渡す。
「ちょっと、水貰って来るから」
「いや……いい。もう大丈夫だ」
何とか咳も収まり、ハンカチをやんわりと押し戻して御剣が顔を上げた。
「服にこぼれてない?」
ざっと見渡して確認するが、幸運にもどこにも零してはいないようだった。
ホッと安堵の溜息を吐いて、成歩堂は両手を腰に当てて御剣を軽く睨みつけた。
「無理しないでアイスティー辺りにしとけばよかったのに」
「ム……そうだな」
苦笑しながら御剣が紙ナプキンを取り、口元を拭う。
落ち着いた様子にもう一度溜息を吐いて、成歩堂は席に戻った。
「何でコーラにしたの?」
咽ることなく少し氷が解けて薄くなったコーラを飲みながら成歩堂が尋ねる。
「君の好みを把握しておきたかったのだよ」
さらりと、極上の笑みでそう返され、今度は成歩堂自身が咽そうになる。
しかしそこは何とか堪えた。
「よくそんな恥ずかしいセリフが言えるよな……」
顔から火が出るとはまさにこのことだろう。
「今度来るときには、無理せずアイスティー頼めよな。ここのはわりと美味しって言うからさ」
照れ隠しにつっけんどんとも取れる口調でそう言うと、
「考慮しよう」
御剣は冷静にそう返し、両腕を組んだ。
「ところで成歩堂、ここは『お持ち帰り』が出来るのだろうか」
「うん? 出来るよ。どうして?」
唐突な問いに要領を得ず、不思議そうに成歩堂が訊き返す。
その鳩が豆鉄砲を喰らった様な大きな黒い瞳を見つめ……
周囲を軽く一瞥してから、御剣は薄く笑みを浮かべた。
「これからは君が食べたいときには持ち帰ることにしよう。どうにも外は落ち着かないからな」
「……異議……ないかも」
法廷とは打って変わった弱々しい声で、成歩堂は同意を示した。
成歩堂はとうとう最後まで気付かなかった。
自分もまた、かなり恥ずかしい恋人バカぶりを発揮していたことに……
御剣を気遣う言動が出る度に微かに起こっていた嬌声が、彼の耳に届くことは無かった。
しかし、それでいい……
御剣は思う。
この分では、成歩堂に向けられる視線に気付く度に、御剣が嫉妬で苛立っていた事に気付くことも無いだろう。
また笑われるのは癪だから言いはしないが……
(何はともあれ、『お持ち帰り』に限るな……)
ハンバーガーも、そして勿論、成歩堂も……
言ったら思いっきり『異議あり!』を突きつけられる事請け合いな事を考えつつ、
「さあ、もうそろそろ帰るとしようか」
もう一つのものを『お持ち帰り』すべく、御剣はトレーを持って立ち上がった。