日本寺  back3002.gif (1132 バイト)back to homepage
          

 鋸山日本寺は正しくは乾坤山日本寺と称し、
約千三百年前の神亀元年(724年)6月聖武天皇の
勅詔と光明皇后の令旨を受け「日本国の平和と繁栄を
祈る寺」として高僧行基菩薩が開創された関東最古の勅願所で
あります。
初め法相宗に属し次いで天台、真言宗を経て徳川三代将軍
家光公治世の時、曹洞禅宗となって今日に及ぶ、然るに昭和
十四年十一月、登山者の失火によって惜しくも堂字悉くと、
貴重な国宝、仏像等の総てを鳥有に帰し、更に日華事変に
続く大戦の勃発は当寺を要塞と化しここに復興の気運を遅らせ
今も焼残の野に空しく鳥虫を嘆かしめる惨状にあります。

                 

 
 
阿羅漢の鉢の中より雲雀かな
作者小林一茶は、江戸後期葛飾派の俳人。
信濃柏原の人、十四歳で江戸へ出、俳諧を二六庵竹阿に学んだ。
一茶は、いわゆる「一茶調」の独特の句を詠み、俳句を、庶民の親しめるものにしたことで有名である。
この「阿羅漢」の句は、一茶の「七番日記」と題する句帖の中の、日本寺と前書きのある句の最初のものである

  


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