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12 JUNE 2000
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K's Journey
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プノンペンからシアヌークビルへバスで移動した。(13000リエル) シアヌークビルへ移動中の4時間はカンボジアの田園風景をながめながら過ごした。
高床式の家が湿地の中にぽつんぽつんと建っている。電線は道沿いの木に引っ掛けられて、家と家をつないでいる。家の前では牛や鶏、豚が放し飼いにされている。親鶏を追って、ひな鶏が走っているのが見える。時折、古びたバレーボールのコートが現れ、少年達がゲームをしている。
そして、山の向こうに海が見えるとシアヌークビルへ到着である。宿はAPSARAゲストハウスにした。(10ドル) エアコンあり、窓が2つ(風通し良い)、温水シャワーの家庭的な宿であった。場所は街の南にあるソッカービーチ沿いにある。
夕食にコー・ポスで、カニの黒コショウ炒めとごはんを食べる。(3.3ドル)
シアヌークビルは白砂の浜である。砂を鳴らして海へ入ると、海水があたたかい。海水はとてもきれいで、流木なども見当たらない。ビーチにあるレストランも、かや葺きでのんびりした感じだ。日焼け止めを体にぬって、浮き輪に乗り、日が暮れるまで波にゆられていた。
ゲストハウスに戻りシャワーを浴びると、足の甲だけが日に焼けてひりひりする。いつもサンダルで隠れている部分が日に焼けてしまった。日焼け止めをぬり忘れたのだ。ふと、アキレス腱の故事を思い出した。
昼食にミレニアムでエビの黒コショウ炒めとごはんを食べる。(3ドル) ミレニアムはゲストハウスの横にあるレストランである。
夕食にハワイ・レストランで茸のオイスターソース炒めとごはんを食べる。(2ドル) ここの料理はおいしい。
夕食にハワイ・レストランでエビのカシューナッツ炒めと牛肉のグリル、ごはんを食べる。(5ドル)
雨が降る。ゲストハウスで本を読んで過ごす。
昼食にビーチにあるドラゴン・レストランでカニ炒飯を食べる。(2.5ドル)
夜食にミレニアムで魚のチリカレーを食べる。(3ドル)
夜、マーケットの横にある屋台で飲んだ。
夜の19時にPEAKというカジノへ行った。客は誰もいなかった。カジノにはルーレットが1つ、カードのテーブルが4つあった。VIPルームもあり、同じ構成である。シアヌークビルには他に、ホリディというカジノもあるらしい。
ビザが05/02に切れるので、タイへ出国する。
シアヌークビルからパックロンへスピードボートで移動する。(15ドル) スピードボートは乗員が140人ほどの大きさである。12時発の16時着であった。途中、14時頃にコ・スデンに寄った。(スピードボートのチケットは10時から売り出される。)
パックロンからクーロンヤイへモーターボートで移動する。(100バーツ) モーターボートは乗員が6人ほどの大きさであり、16時発の17時着であった。
クーロンヤイにあるカンボジアとタイのイミグレーションオフィスに寄る。そして、タイへ入国した。
タイではコ・サメットに行く予定である。コ・サメットは島全体が国立公園に指定されているアイランド・リゾートである。しかし、コ・サメット方面へのバスは終わっていた。とりあえず17時発の19時着でトラートに乗合バスで行った。(50バーツ)
トラートへの道は走りやすく、バスは快調に目的地へ向かった。バスのスピードに、タイへ入国したことを感じる。宿はTRADホテルにした。(370バーツ) TV・エアコンあり、窓なし、水シャワーの汚れた宿であった。
トラートからコ・チャン行きのバスに乗り、パンペイへ移動する。(50バーツ) 7時30分発の11時着であった。パンペイの港へバイクタクで移動、スピードボートでコ・サメットへ渡った。(バイクタクは自分が20バーツ、荷物が20バーツの計2台で移動した。)
(スピードボートは往復300バーツを払ったが、本当は片道40バーツだった。)
コ・サメットは、ほどよく観光地化された島であった。宿はホワイトサンドバンガローにした。(500バーツ) ファンあり、窓が2つ(風通し良い)、水シャワーの少々汚れた宿であった。
ビーチで遊んでいて、タイ娘のフォンと友達になる。
朝からフォンが友達のルーンを連れて遊びに来た。夜にフォンの家へ呼ばれて、ごはんをごちそうになる。家に電気が来ていないので、ろうそくの灯りで食べた。味わい深く、おいしかった。食事中はフォンのお母さんが世話を焼いてくれた。
宿の予約がいっぱいで、コ・サメットを出る。パンペイの港からレイオンまで乗合バスで移動する。(50バーツ) 13時発の13時30分着であった。
レイオンからバンコクまでバスで移動する。(110バーツ) 14時発の17時着で、バスは東バスターミナルに着いた。ラオス語のテキストがないので、ワールドトレードセンタの紀伊国屋へ買いに行く。BTS(高架電車)に乗って行った。(25バーツ)
テキストを買った後は、ミャンマーとの国境の町であるメーサイへ向かう。ワールドトレードセンタから北バスターミナルへタクシーで移動する。(300バーツ) 北バスターミナルから19時30分発のメーサイ行きに乗った。(440バーツ)
夜明けに山間へ重く雲がかかって、バスを出迎えた。朝の8時にメーサイへ着いた。宿はKING KOBRAゲストハウスにする。(300バーツ) エアコンあり、窓が1つ、温水シャワーのきれいな宿であった。宿の窓からはミャンマーの山並みが見える。
ミャンマーのタチレクへ日帰り入国する。(ビザ 5ドル) 国境はメーサイ川でイミグレーションオフィス横の橋を渡って入国する。タチレクにはタイとは違った活気があり、興味深かった。また、MORNING STARというゴルフ場があり1日600バーツだった。
宿の予約がいっぱいで、メーサイを出る。
メーサイからチェンライへバスで移動する。(18バーツ) 12時45分発の14時30分着であった。宿はMAEKOK VILLAにした。(200バーツ) ファンあり、窓が3つ(風通し悪い)、温水シャワーの古びた宿であった。
宿をBOONBUNDANアパートに変えた。(300バーツ) TV・エアコンあり、窓なし(風通し悪い)、温水シャワーの比較的きれいな宿であった。
体調を崩す。1日中寝て過ごす。
中耳炎も併発して、バックパックを背負って歩けなくなる。荷物はアパートに置いたままにして、病院へ行き入院する。問診し、採血、薬を飲み、点滴を受けて寝る。少し楽になる。
かなり良くなった。しかし、まだ、体を起こすと具合が悪くなる。
点滴付きだが、歩けるようになった。退院する。入院先はOVERBROOK病院である。(日本語は通じない。) 治療費はクレジット・カードの海外旅行保険を使った。
体調を崩したときの悪夢を思い出すので、宿を変える。BAN KHUN YOMホテルに移った。(500バーツ) TV・エアコンと冷蔵庫あり、窓が2つ(風通し良い)、温水シャワーの清潔な宿であった。建物の作りが木造で凝った宿である。
リハビリで日帰りトレッキングをする。象に乗ったり、メーコック・ビーチという行楽地で涼んだりした。トレッキング中のチェンライ郊外の風景は、いい田舎振りであった。自分が子供のころの田舎を思い起こし、もう存在しない風景と重ね合わせた。
まだ、体調は完全に復活していない。
今日でタイのビザが切れる。体調が復活するまでオーバーステイすることにする。
なかなか体調がいいので、ラオスへ向かう。
チェンライからチェンコンまでバスで移動する。(37バーツ) 9時20分発の11時40分着であった。チェンコンのANN TOUR旅行代理店でビザを申請する。(1900バーツ) 13時頃にイミグレーションオフィスへ行き、タイを出国する。オーバーステイが1日で、200バーツの罰金を払う。
国境がメコン川のため、ラオスのフェイサイに渡し舟で入国する。(20バーツ) ルアンパバン行きのスピードボートが終わっていたため、フェイサイに宿泊する。フェイサイの宿はTHAVEESINHホテルである。(200バーツ) ファンあり、窓が2つ、温水シャワーの新しい宿であった。
朝8時30分にスピードボート乗り場へ行く。客が6人集まるか、6人分の運賃を払うとスピードボートは出発する。11時にパクベンまでの客が6人集まり出発した。(500バーツ) 緑深い山々が続くメコン川を下り、15時にパクベンへ着いた。
ルアンパバン行きの客がいないので、パクベンで宿泊しようとする。しかし、船頭さんが追加料金でルアンパバンに行くというので払う。(500バーツのところ、1100バーツ払う) 16時発で雨に降られたり、ボートが故障したりして20時30分にルアンパバンへ到着する。
宿はRAMAホテルにした。(15000キップ) ファンあり、窓が1つ、水シャワーの不潔な宿であった。しかもRAMAホテルだけ断水で、シャワーもトイレも使えなかった。他のホテルはもう閉まっているので、しかたなく寝た。
宿をHEUANG PA SEUTHゲストハウスに変えた。(10ドル) エアコンあり、窓が2つ(風通し良い)、温水シャワーの清潔な宿であった。窓からのながめがいい宿である。
クワンシーの滝とバン・パノン村を見た。 バン・パノン村は織物が有名で、機織のようすなどを見て歩いた。
パクオーの洞窟に行った。
ルアンパバンからビエンチャンにトラック・バスで移動した。(40000キップ) 11時30分発の21時30分着であった。宿はSISAVADゲストハウスにした。(13ドル) エアコンあり、窓が1つ、温水シャワーの湿った宿であった。
宿をPANG KHAMゲストハウスに変えた。(12ドル) エアコンあり、大きな窓が1つ、温水シャワーの清潔な宿であった。
次の4つのマーケットを見て歩いた。
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