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’00/03/26(前回の記述もれ)

キエンスバイという行楽地へ行った。キエンスバイはプノンペンから車で南へ30分ほどの距離にある。そこにはメコン川の上に小屋が作ってあり、プノンペンの人々が涼みに来る。

小屋では舟でやって来る物売りからつまみを買い、ビールをたらふく飲んだ。つまみは、ゆでピーナツや小海老、貝を煮たものである。ビールを飲みながら、バイクタクの兄ちゃんにカンボジアのカードを教わった。カンボジアのカードは4人でやる。ルールはポーカーに似たゲームである。街を歩くとカードをしているのをよく見かける。

昼食には鶏の醤油漬けを揚げたものとごはんを食べた。それから、メコン川を渡る風に吹かれて昼寝をした。のんびりとした1日であった。

’00/03/29

朝6時にバイクタクで迎えに来てもらい、シェムリアプへボートで移動した。ボート乗り場で、かりかりに焼いた豚肉をごはんに乗せた弁当を買った。弁当を食べたり、小説を読んでいるとトンレサップ湖の北側にある水上集落へ着いた。ここからは水深が浅いので、小舟に乗り換えて湖北岸へ向かう。

小舟で一緒になったイスラエルから来た女性は、日本にも行ったことがあるらしい。日本は物価が高いと言っていた。自分もそう思う。

湖北岸からでこぼこな道を車に乗って、昼の2時にシェムリアプへ着いた。ホテルで一休みしてから、街を散歩した。夕方、メイン・ストリートであるシヴォタ・ストリートの屋台で飲んだ。

’00/03/30

夜、ホテルの前にある屋台で飲んだ。

’00/03/31

今日から、アンコール遺跡を見に行く。アンコール遺跡はアンコール王朝期に作られた遺跡群である。遺跡見学のチケットは1週間のものを60ドルで手に入れた。

初日は有名なアンコール・ワット遺跡を見に行った。長い西参堂を歩き、外側にある西塔門をくぐり、さらに参堂を歩く。経蔵を越え、聖池を越えて中央祠堂を目指して歩く。参堂から階段を上り、西塔門テラスへ到着する。テラスから中央祠堂を見上げて深呼吸し、また歩く。

内側の西塔門をくぐり、レリーフを見ながら、第一回廊を一周する。十字回廊をくまなく歩いて回り、階段を上って第二回廊へ到着する。第二回廊を一周し、中央祠堂への急で長い階段を上る。階段を上り終わると、アンコール・ワット遺跡の最頂部だ。第三回廊を景色を楽しみながら一周する。

強い日差しを避けて、窓に座ると石がひんやりしている。汗ばんだ体を風が通ると、大変涼しい。しばらく、その場所を動きたくなくなり寝転がった。少し、うとうとした。遺跡で昼寝するのは気持ちいい。

昼寝の後、次の遺跡を見て歩いた。

夜、ホテルの前にある屋台で飲んだ。

’00/04/01

アンコール・トム遺跡を見に行く。昼前に砂糖きびジュースを飲んで休んでいると、店の娘が話しかけてきた。どうやら、日本にいる友達が4月下旬にシェムリアプへ来るらしい。その友達に手紙を届けて欲しいそうだ。日本に帰るのは5月くらいになる。と言うと、がっかりしていた。

話をしている最中にあくびをすると、寝るか?と聞かれ、寝かせてもらった。みやげ売り場の奥にあるハンモックに寝かせてもらった。子供達の遊ぶ声とみやげ売りのかけ声を聞きながら、ゆっくりと休んだ。

夕食はピザハウスでピザを食べた。

’00/04/02

再びアンコール・ワット遺跡を見て歩いた。遺跡の西側にハングル語で焼肉の看板が出ていたので、のぞいて見た。韓国の人らしき客もいたので入ってみた。そして、朝食にカルビ焼肉を食べた。骨付きカルビと本格的なキムチが出てきた。こってりしたものが食べたかったので、満足した。

遺跡の南側にある、お坊さんが生活している場所も歩いた。

アンコール・ワット遺跡の次にタ・プローム遺跡を見た。タ・プローム遺跡の東門の外に、遺跡の石を無造作に積んでいる所があった。ちょうど木陰になっていて、そこで一服した。みやげ売りの子供達が休憩する場所が隣にあり、遊んでいるのを見ながら昼寝をし た。

最後はアンコール・ワット遺跡に戻り、夕日を見た。夕食にシェムリアプ・スペシャル・スープで牛の土鍋を食べた。(5.5ドル)

’00/04/03

プリア・カン遺跡でいい昼寝場所が見つからず、東門の外にある木陰で一服していた。すると少年に水浴びをしないか?と声をかけられた。見ると井戸から水を汲み、3人の少年が水浴びをしていた。気持ちよさそうなので水浴びをさせてもらった。冷たい水が心地いい。

スカーフで体を拭き、話をすると、みやげ売りの少年であった。アンコール遺跡のガイドブックを勧められたが断り、代わりにビールを買った。ビールを飲みながら話をしていると少年の仲間がわらわらと集まってきた。

1人が自分の左腕のすり傷を見て、どうした?と聞いた。遺跡を登っていて、ずり落ちた仕草をすると、おれもおれもと生傷自慢が始まった。みやげ売りの子供達は、遺跡内を雀のように身軽に移動する。遺跡がなわばりなので、傷などないと思ったが、けっこう生傷が絶えないようだ。

そのうちに、フットボールをぼくらにプレゼントしてくれ。と言ってきた。フットボールとはどうやらサッカーボールのことらしい。値段を聞くと3、4ドルするらしく、明日持ってきてあげると約束すると喜んでいた。

ビールを飲み終えると、いい昼寝場所があるのでついて来い。と言う。行くと、プリア・カン遺跡の北門にある屋根付きのみやげ売り場に案内された。昼食を取ったか?と聞かれ、まだだ。と答えると即席ラーメンをごちそうしてくれた。かなり辛く、熱く、汗をかきながら食べた。うまかった。そして、みやげ売り場のハンモックに寝かせてもらった。眠りにつくまで、少年にうちわで風を送ってもらい、寝た。

目がさめた後、ニャック・ポアン遺跡とタ・ソム遺跡、プノン・バケン遺跡を見た。タ・ソム遺跡内のみやげ売りの少女にCDウォークマンを聴かせてあげた。ビートの効いた曲が好きみたいで、きゃーきゃー笑いながら聴いていた。そして、プノン・バケン遺跡で夕日を見た。

夕食はバイヨンIIレストランでカンボジア風ココナツカレーを食べた。(2.2ドル)

’00/04/04

アンコール・ワット遺跡で朝日を見た。その後、シェムリアプで一番大きなマーケットであるプサー・ルーへ行った。5ドルする大きなサッカーボールを買い、プリア・カン遺跡へ向かった。プリア・カン遺跡で子供達にサッカーボールを渡し、次の遺跡を見て歩いた。

子供達は早速、サッカーボールを追って走っていた。

夕食にシェムリアプ・スペシャル・スープで牛の土鍋を食べた。(6ドル)

’00/04/05

バンテアイ・スレイ遺跡を見た。夕食にシェムリアプ・スペシャル・スープで牛の土鍋を食べた。(4.8ドル)

’00/04/06

ロリュオス遺跡群を見た後、再びアンコール・トム遺跡を見た。昼食にホテルのレストランでスパゲティを食べ、コーヒを2杯飲んだ。(4.5ド ル)

’00/04/08

昼食にハワイ・レストランでカルボナーラを食べ、ビールを飲んだ。(5.5ドル) 夕食はホテルから少し離れたレストランで海鮮チャーハンを食べた。(3ドル)

’00/04/09

昼食に新加坡亜洲天台花園で干し魚とごはんを食べ、ビールを飲んだ。(4.3ドル)

’00/04/11

マティーニというディスコへ行った。(7.2ドル) カンボジアの音楽がかかると、みんなカンボジアの踊りを踊っていた。踊りは感動的だった。なまめかしい手の動きは、恥ずかしがるような媚を持って胸にせまる。ゆっくりと進んでゆく、足の運びは優雅である。

若者達が楽しんでいる踊りに、息を呑むほどの美しさを感じた。

’00/04/13

今日から3日間(04/13〜04/15)はカンボジアの正月である。シェムリアプでは家の前に、星の形をした幸運のシンボルを飾っている。そして、ベビーパウダーを顔に塗り合って、きゃーきゃーいってはしゃいでいる。

’00/04/15

シェムリアプからプノンペンへボートで移動した。プノンペンでは、水かけ祭りをしていた。水かけ祭りは、道を行く誰にでも水をかけていい乱暴な祭りである。タイの影響で最近はじまったそうだ。ベビーパウダーで顔を白くし、水でびしょびしょになりながら、街を歩いた。

プノンペンでは星の形をした飾りは見かけなかった。

’00/04/17

04/18にバスでシアヌークビルへ移動する予定である。(12000リエル) シアヌークビルはビーチリゾートの街である。宿は現地に着いてから手配する予定。

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