mugiさんとの論争2 山本七平の戦友を見る目2

ブログ「一知半解」コメント /2001.6.27

山本七平の戦友を見る目

 mugiさんの『日本人とユダヤ人』評、読まさせていただきました。ご自身の見解を明快に語られており、批評も的確だと思いました。ただし、パレスチナの歴史に関する見解については、私は議論に参加する十分な知識を持ち合わせておりませんので、判断を留保させていただきます。印象としては、「民族自決主義」の観点から批評しておられるように思われましたが、山本の著作としては、その死後刊行された『民族とは何か』がありますので参考までに。

mugiさんは『なぜ日本は敗れるのか』について、mottonさんの「一兵卒の視点から日本(日本軍)の問題を日本人論とからめて書いているのですが、一言『貧すれば鈍す』でほとんど終わる話です…」という評を紹介されていますが、一瞥しただけでこの本の批評が下せるものではありません。

これは、山本七平の死後刊行されたもので、雑誌掲載時(『野生時代』1975.4~1976.4)の原題は『敗因21ヵ条』でした。そして、この「敗因21ヵ条」は山本の言葉ではなくて、戦中陸軍軍属としてガソリンの代用となるブタノールの製造のためフィリピンに送り込まれた化学技術者・小松真一氏の私家版の著書『虜人日記』(s50に筑摩書房より刊行)によったものです。兵士ではなく技術者の見た太平洋戦争の記録、それもレイテの捕虜収容所の中で書いたものを骨壺に入れて持ち帰り、戦後も銀行の金庫に眠らせたままのものを、氏の死後遺族が発見し自家出版したものです。それに山本七平が解説を加えたものが上記雑誌に掲載されました。『なぜ日本は敗れるのか』は、この本の出版に関わった方達が付けたものです。

mugi「敗れたのか」ではなく「敗れるのか」かなんですよね。ということは、その原因から当時の環境(貧しさ)に起因のものは除かないと意味がない。ところが全てを日本人(日本社会)に原因をもってきているように見えました。これは科学的思考ではなくレイシズム的思考でしょう…

tiku おそらく、この時代の日本が置かれた「情況」を捨象して、あの戦争は語れない、という意味でしょうが、山本はこうした思考法を「情況倫理」といい、戦前の共産党のリンチ事件に関して、共産党がそれを「特高と戦前の暗黒政治」という情況を理由に正当化する論理の矛盾を指摘しています。(山本の著作のうち社会学的名著とされる『空気の研究』の主題です。)

「この日本的情況倫理は、実は、そのままでは規範になり得ない。いかなる規範といえども、その支点に固定倫理がなければ、規範とはならないから、情況倫理の一種の極限概念が固定倫理のような形で支点となる。ではその支点であるべき極限としての固定倫理をどこにもとむべきかは、情況倫理を集約した形の中心点に、情況を超越した一人間若しくは一集団乃至はその象徴に求める以外になくなってしまう。西欧が固定倫理の修正を情況倫理に求めたのとちょうど逆の方向をとり、情況倫理の集約を支点的に固定倫理の基準として求め、それを権威としてそれに従うことを、一つの規範とせざるを得ない。」(上掲書p136)

つまり情況倫理の支点的位置にいて、その時点の倫理的判断を下すものがいなくてはならず、共産党リンチ事件の場合はそれが共産党であり、戦後の日本におけるスターリン賛美も毛沢東賛美もこうした思考法から生まれた、というのです。そしてこうした考え方こそ、日本の最も伝統的な考え方で、これが日本的平等主義を支えており、戦前の「一君万民」も戦後の「オール3的平等主義」もここに根ざしており、これに逆らえば「不敬罪」として非難されかねない。

だが問題は、こうした平等主義の評価は誰が行うのかということで、これは否応なく「評価するものの絶対性とそのものによる情況の恣意的創出」という現実を生むことになり、結局、一般の人は、こうして恣意的に創出された情況に対してそれに臨在感的(=空気を読む)に対応するしかなくなってしまう。こうした情況倫理とその結果生まれる「空気」との相互的呪縛からいかに脱却するか、これがこの本の主題です。

mugiさんの上記の言葉が、こうした日本的情況倫理の問題点にお気づきの上でのことなら言うことはありません。科学的思考とは、情況倫理そのものを認めることではなく、このメカニズムを解明することだと思います。

mugi コメントで何度か書きましたが、私が山本を疑問視した最大の理由はユダヤ人として身元を偽ったことです。ならば、その他にも虚偽はないのか、どうも疑わしくなってくる。山本について、wikiに興味深い情報が載っていますので紹介します。この情報が正しいならば意味深です。

tiku 多くの方の山本批判がこの点に論拠を置いていますが、私が不思議なのは、では、今日のネット社会におけるハンドル名での発言はどうなるのでしょうか。発言者の氏素性を気にする論者はむしろ軽蔑の対象となるのではないでしょうか。
wikiの山本評についてはそのうち修正を求めたいと思っていますが、なぜ『空想紀行』を敢えて紹介しているのかよくわかりません。magiさんは「詭弁を駆使して論争に勝利する」論法と関連づけておられますが、確かにハンドル名での議論にはそのような類のものが多いですね。でも、それはすぐ見抜けますよね。確かにそれが世論という空気に膨張すれば一定の政治的効果を持ちますが、それと戦うのも言論の力でしょう。だからネットにハンドル名で自分の意見を書いている!その力を信じるからではないですか。

なお、この件に関しては、イザヤ・ベンダサンが『家畜人ヤプー』の書評で述べていますので参考までに。

mugi もちろん山本を貴方が全面支持するのはご自由ですが、いささか山本教徒じみてきますね(笑)。山本への崇拝のあまり、「山本絶対化」に陥らないことを願いたいものですが、ファンの方には難しいでしょう。

tiku あくまで自分は今そう理解している、ということに過ぎません。注意しなければいけないのは「山本絶対化」(これは無害)ではなく「自己絶対化」に陥らないことです。magiさんは中東情勢に関する研究者のようですが、論文、著書を紹介いただきたいと思います。自分なりに勉強してみたいと思います。

>そうした民族の失敗の責任を問う権利は、民族の遺産の内、負債部分も引き請けるものだけに許される、債権だけ受け取り負債は拒否する、そんな態度は許されない

mugi 真っ当な正論ですが、そんな姿勢を取った民族などいたでしょうか?・・・この意見は実現不可能な理想を日本人に強制する傲慢さを感じますね。

tiku 傲慢だとは思いませんよ。よその国がどのような思惑で日本を批判するかは別にして、日本人が自分の国の直近の歴史に対して、その負債と思われる部分について責任を負おうとするのは当然のことでしょう。ただし、どの部分が負債であるか、あるいは資産であるかの評定は、自ら歴史的事実を点検した上で、判断すべきことと思っています(特に南方戦線における100万を超える餓死者を出したという負債は大きい)。その中で山本七平の判断の誤りを見つけることもあるでしょう。当然ですよね。その後、新資料や研究が続々出ているのですから。尊敬するということは、その人を無謬とすることではありません。そんなことをしたら、世の中に尊敬する人はいなくなってしまいますよ。

mugiしかし、私はかつてのキリシタンや欧米の植民地でキリスト教に改宗した現地人の歴史から、常に警戒の目で見てしまう。戦前の日本もそうでしたが、欧米列強は植民地で現地人を支援、支配に協力する層を養成しました。それは当り前のことだし、現代も続いている。

tiku 歴史的事象の評価をするとき、その時代の条件や通念を無視したら意味をなしません。NHKのジャパンデビュー「アジアの一等国」がバランスを失していると批判を浴びていますが、確かに日本による台湾統治を「漢民族のプライド」を傷つけたという視点で批判しており、現在の台湾の親中国政策の影響を受けているんだろうな、という印象を持ちました。そうだとすれば情けない限りです。山本七平の軍隊論、日本人に厳しい?私の感想は「自らを凝視した」ですね。一読すれば判ることです。

mugi貴方は山本が「言葉の力」を信じたと言われますが、同時に言葉の力とは相手のそれを封殺することも可能なのです。言葉の限りを尽くし、情報を洪水のように浴びせる。これは例の国の十八番ですよ。

tiku この点は「一知半解」さんも山本の所説を紹介されていますが、私も氏のおかげで「言葉に隠蔽機能」があることを知ることができました。数十年前のことです。

追記(6/28) 
mugiさんは『日本人とユダヤ人』の評の中で、キリスト教徒のユダヤ教徒に対する感情、偽物の本物に対する感情について触れた箇所にも言及していますね。このあたりは敬虔なクリスチャンである山本の言葉とは考えられなくて、関根正雄(日本聖書学の泰斗)も次のように言っています。
「・・・誡命の問題は日本人には本当にはなかなか分からないもので、その点の指摘だけでも、ベンダサンの著書は一読の価値がある。ベンダサンは『信仰のみ』ということについて書いているが、日本のキリスト教の機微にふれたこういう観念は全く驚きである』と評価し、ついで『この書は日本人が偽名で書いたのではないかという噂があるそうで、先日もある新聞社からそのことについて問い合わせがあった。。もちろんそんなことがあるわけがない」

これを受けて山本は次のように言っています。
「私の出版の動機も実はこの点にあった。ベンダサン氏は『日本人は聖書は理解できない』とはっきり断定している。私は聖書図書の専門出版社だから、これを肯定するわけにはいかない。そして氏の論証の前にタジタジとなったのは私であった。」(「イザヤベンダサン氏と私」『諸君』S46)