山本七平学のすすめ ホームへ戻る

山本七平学を極める

ホーム > 山本七平学を極める(洞富雄の論理を検証する――洞は山本七平を論破したか)

H24.2.9記『ペンの陰謀』本多勝一編所収「南京大虐殺は”まぼろし”か」
洞富雄の論理を検証する――洞は山本七平を論破したか

1、職務がかくされた理由

(洞)
・確かに向井少尉が歩兵砲小隊長であることは秘匿している。
・だが、野田少尉についてはそうは言えない。
・官といえば、すぐさま「副官」だと考えるのが普通ではなかろうか。
・○官という職務を持った歩兵小隊長など聞いたことがない
・「副」を伏字にしたのも、はたして浅海記者自身であったかどうか疑問である。軍の 検閲係かもしくは本社のデスクであったかもしれない。
・だが、歩兵砲小隊長や大隊副官が、終始第一戦の戦闘に参加して百人斬りをする確率は極めて少ないだろう。
・ではなぜ浅海記者はこうした疑わしい記事を書いたのか
・第四記事で野田少尉を○官としたのは「百人斬り」が正当な戦闘行為ではないことを知っていたからではないかと思う。だから向井少尉の職務のほうは曖昧にしたのだろう。
・それで、私的盟約ととられるような記事まで書かざるを得なくなった。もっとももこうでも書かなければ検閲をパスできなかっただろう。

*要するに洞氏は「浅海記者は正当な戦闘行為ではない事を知っていたから、向井少尉が歩兵小隊長であったことを隠し、野田少尉を○官としたのであり、かつ、「私的盟約」ととられかねない記事まで書いた。そのようにして検閲をパスした」といっているのです。

それなら、なぜ浅海記者は、そんな残虐行為がなされていると知りながら、その実行犯である二少尉の職務を隠し、上官の命令に基づかない「私的盟約」による戦闘行為を捏造してまで、軍の検閲をパスさせて新聞報道しようとしたのでしょうか。「特ダネ」記事を書くためには捏造記事を書くことも厭わなかったということになるわけで、これ、記者の行為として弁護できますか。

この洞氏の浅海記者弁護論は、冒頭から浅海記者を「特ダネ」を書くためには残虐行為を武勇伝に書き直すことも厭わない、いわゆる「虚報」を流すトンデモ記者と規定したことになります。

2、淺海記者の証言は偽証か

・浅海記者が「見たままを記事にした」と証言したことについて、山本が身の安全を図るため偽証したと批判したことについて
(洞)向井・野田少尉を救うために「百人斬り」は実は虚報だったと、なぜ偽証してくれなかった、というならまだしも、十分な根拠なしにどうして人に向かって”お前は人殺し”だなどと言えるか。
・山本は浅海記者は「二人の話をフィクションと聞きながらこれを事実として聞いたと証言した」と理解するが、この論理にはついて行けない。

*1.で洞氏は自ら、浅海記者を残虐行為を武勇伝とする「虚報」を書いたとしているわけで、それは残虐行為を見て見ぬふりしただけでなく、それを武勇談に仕立て上げ、その残虐行為を奨励したと言っていることになるわけで、これこそ”お前は人殺し”だと言っていることになります。これなら、浅海記者にとっては「フィクションを事実として聞いた」と非難された方がよほどましです。全く、この論理には”ついて行けません”

3、奇妙な心理分析

(洞)
・山本は、両少尉は浅海氏の書いた台本どおりにおしゃべりしたと断言する。談合は浅海と向井の間で成立、野田が引き立て役、軍隊でいう「オダアゲ」だという。
・私は「オダアゲ」も将校的なものの言い方も皆目知らないが、野田が「百人斬り」の創作に参加すれば新聞に出るわけで、これを上官に報告しなかったとは到底考えられない。野田の言葉は余りに短かすぎて十分な資料とは言えないのに、断固として上記の判断を下せるか。

*両少尉とも「オダアゲ」がどんな記事になるか皆目見当がつかなかったのです(戦場には数週間遅れでしか日本の新聞は届かない)。野田は連隊長に「スポーツ競技じゃないぞ、と叱られた」ようですし、向井は6ヶ月後にこの記事の内容を知り「大変驚き、且つ恥ずかしかった」といい、その後この記事に触れられるのを極度にいやがったと言います。まあ、軍のことは山本七平のほうが詳しいわけで、皆目知らないなら、こうした山本の判断をとりあえず尊重すべきでは。

4,次は向井少尉の心理分析について

(洞)
・幹部候補生という向井の、職業軍人にはない手柄意識、花嫁候補、ホームシック・・・こういう戦場心理の分析も私には理解できない。常識で考えた場合、「百人斬り」創作が事実として新聞に載れば、日本の軍隊では死ではなかろうか。また私兵を動かしたという「死刑の宣告」のような記事を両少尉が承知したとは理解に苦しむ。

*先に述べた通り、どんな記事になるか判らず、上記のような戦場心理に負けて記者の求めに応じて「オダアゲ」してしまった。山本はその心理を体験上理解できると言っているわけで、これも「戦場心理が理解できない」のであれば、「理解に苦しむ前に」山本の解釈を尊重した方がよろしかろう。

(洞)浅海記者もすぐにネタ割れするインチキ記事を4回も新聞に書き続けたとは到底考えられない。

*冒頭の「虚報」を流すトンデモ記者、という洞氏の浅海記者の規定と矛盾します。

5,向井君の冗談から

(洞)
・浅海と向井・野田両少尉のなれ合いで創られた記事と山本はいうが、それを確証する証拠はあるか。両少尉の手紙に「口は禍の元」とあるが、新聞記事は事実無根であったとしても、新聞記事の根源は同少尉の「大言壮語」にあったことを自ら語るものではないか。

*新聞記事は事実無根であったとしても、どちらが先にその「事実無根」の話を持ちかけたか、両少尉の方ではないか、と洞氏は言っているのですが、浅海記者が誘ったか両少尉が持ちかけたか、それは判りません。だが両者なれ合いで、記者が両少尉に「ヤラセ」をさせることでこの記事が創られたと、山本は言っているわけで、この洞氏の問いは問いになっていません。

(洞)向井「自分は一体何のために殺されるのか判らなくなってきた、生来誰一人手をかけたこともないのに殺人罪とは・・・」これは裁判関係者に見られることを予測して書かれているはずであり、裁判官は心を動かされず客観的証拠に基づいて判決を下したのだろう。

*裁判官が 向井を殺人罪とする客観的証拠を持っていたというのですが、これは判決文が出てきていますので、そんなものはなく、唯一の証拠は浅海記者の書いた「新聞記事」であったことが明らかになっています。

6,アリバイに触れない山本氏

(洞)山本は、野田は大隊副官でありながら「百人斬り」を戦闘詳報に記さず大隊長に知らせず、新聞を見て初めてこの事実を知った、というが、戦闘詳報を読んだのでなければこんな断言は出来ないはずだ。

*野田少尉は第16師団歩兵第19旅団歩兵第9連帯歩兵第3大隊大隊長付き副官です。「百人斬り競争」は洞氏も認める通りの「私的盟約」に基づいたような戦闘として記事に書かれているのですから、それが戦闘詳報に書かれるはずがありません。戦闘詳報を読んだのでなければ断言出来ないというようなものではないのです。洞氏はこれを捕虜虐殺と見ているのですからなおさらでしょう。

(洞)仮に戦闘詳報に記されていなくても別に不思議でない。捕虜に対する残虐行為なら記録しなかったはずである。

*その通り

(洞)佐藤振寿記者と鈴木記者の言葉は誤差があってもその通りだろうと言う山本の判断と、向井・野田両少尉のアリバイの主張は両立し得ない。にもかかわらず向井上申書にいう「浅海記者が創作をなしたる・・」事実を認めようというのか。

*山本は、佐藤が証言した常州の会見と、鈴木が証言した紫氏金周辺での会見は、そこでなされた両少尉の会話等を見て事実だろうと見ています。私もそう思います。だた、本人達は否定している。それは、そこでの会話が裁判で「自白」と見なされたからで、それを「ヤラセ」だったといっても裁判では通用しないので、やむを得ず否定したのだと私は見ています。

なお、「浅海記者が創作をなしたる・・・」というのは、その会見のことではなく、いわゆる「ヤラセ」で「オダアゲ」したことが「百人斬り競争」という武勇談になったと言う事実のことを言っているのです。会見の事実と「ヤラセ」の事実は別であって、ここでは向井は浅海が「ヤラセ」で創作記事を書いたという事実を言っているのです。

(洞)山本は崔培均弁護人を高く評価しているが、弁護人が両被告の無実を信じていたということにはならない。弁護人の仕事は、例え、被告に不利な点があっても被告を無罪に持ち込むため全力を尽くすものである。

*「上訴申弁書」が「判決書」の判決文に挙げられた各証拠に対して、完璧な反証を行い両少尉の無罪を立証していることは事実であって、それだけで弁護士としては十分な評価に値すると思います。物的証拠もなしに両少尉を捕虜虐殺犯と決めつける洞氏のような弁護士もいくらでもいるわけで、法定弁護士であった崔氏は誠に立派であったと思います。

7,捕虜虐殺の告白はとりつくろいか

(洞)志々目証言、野田少尉の母校での発言「白兵戦の中で斬ったもの四、五人しかいない」の山本の解釈は、百人斬りは虚報の証明というが、これは捕虜虐殺の証明だ。

*100人斬りのヒーローと紹介されて、子供の前に「白兵戦で斬ったのは五、六人」というのは、「百人斬り」虚報の証明か、それとも「捕虜虐殺」の証明か、常識的判断では子供の前で嘘はつきたくなかったが全部嘘というわけにはいかないので五、六人と言ったのでは?「ニーライライというと、シナ兵はバカだからぞろぞろと出てくる、それを片っ端から……」というような言い方は、当時の兵隊支那語だったらしく、戦後生まれの私も、この言葉が子供の間で「支那兵を馬鹿にした言葉」として使われていたことをかすかに憶えています。

そういった観念が当時の日本人の頭にあった事は事実だと思う。野田少尉はそういう世間に流布した表現を判りやすくするため使ったのではないだろうか。と言っても志々目は小学6年生頃の記憶であって、実際の表現がどのようなものであったかは判らない。ただ、これを「捕虜虐殺」の証明というのは無理で、この言葉は「虐殺の証明」ではなく、単に「日本兵が支那兵を馬鹿にしていた事の証明」と見るべきではないか。

(洞)山本は定説が出来てしまうと「とりつくろう」しかないというが、子供の前で、英雄のイメージをぶち壊すような残虐な話につくりかえて「とりつくろう」必要がどこにあるか。おおらかな、事の真相の告白とみるべき。

*上に述べた通り、そうした「中国兵のイメージ」が少しも残虐な話としてではなく、子供の世界にも通用していた、ということです。ご高齢の洞氏の記憶にもあるはずだと思いますが・・・。

8,向井少尉の長広舌と負傷後の心理

(洞)
・山本は「向井少尉の長広舌」は戦場の軍人の感情が出ているので談話そのものという。
・山本は、向井少尉の「担送」のアリバイがあったから戦犯法廷に出張していった、と言うが、ここで戦犯法廷とは極東軍事裁判であって、警官による有無をいわさぬ拘引だったはずである。躊躇する暇などなかったはず。

*向井を拘引に来た警察官は暗に逃亡を勧めたと言います。しかし向井は「僕は悪いことはしてないから、出頭します」「珍しいものをのぞいてくるのも経験の一つ。それに、このことで困っている人がいるかも知れない。大丈夫だよ.連合軍の裁判は公平だから」といい、奥さんが虫の知らせもあって、「もしや、百人斬りのことが問題になるのでは・・・?」と彼に聞くと、彼は、「あんなことは、ホラさ」と、事もなげにいった、と言います。

また、弟の猛さんにも22年の4月頃市ヶ谷の軍事法廷の検事局に出頭したとき、猛が「危なければ逃げたほうがいいんじゃないか」と念を押したが、「百人斬りが本当でないぐらいのことは、子供でもわかるさ」と楽観していたといいます。実は、山本七平は、この戦犯裁判の実態についてフィリピンの捕虜収容所に収容されていたときの経験からこの戦犯裁判のデタラメさをよく知っていて、戦後帰国後も一年数ヶ月熊野に逃げていました。少しでも危険が感じられれば、皆そうしたそうです。

そうした経験に照らして、この向井少尉の態度を見ると、よほど無罪証明に自信があったからだろうと山本は言っています。それが丹陽郊外から紫金山の部隊に復帰するまで負傷療養した事実がアリバイとしてあったからだろうと、山本は見ています。

(洞)担送の事実、「上申書」では15と、6日となっているのを、10日復帰としているが、どう辻褄を合わせたのか説明がない。

*山本は、11日の記事にある向井少尉の会話をその内容から向井少尉の会話だとみています。このあたり稲田朋美さん等が起こした裁判では、両少尉の申し立て通り否定していますが、私は、山本の見方の方が正しいと思います。向井が舞台復帰の日を15,6日としているのは、山本も推測する通り、10日の会話が自白と見なされそれで死刑求刑されているのですから、記事にある10、11日から少しでも遠く離れたかった、そういう心理が働いたものと思われます。

9,日本刀神話の「実態」

(洞)山本は、「日本刀で鉄兜唐竹割り・・・大新聞がこんなばかげたことを・・・信憑性があるから記事にした・・・断固として伝説だと主張しますか・・・全く何といってよいやら言葉に苦しむ・・」という。ご説ごもっとものようだが、部分的な過ちを犯したからといって、全体が駄目だというに等しい説き方は論理が短絡過ぎる。

*部分的な過ちを指摘しているだけでしょう。一方、洞氏は一方的に、「百人斬り競争」全体を「捕虜虐殺」と決めつけ、部分的な過ちがあることをもって全体が駄目だと言うのは短絡的すぎる、と言っているわけですが、全体像が明らかでないから部分的な検証を積み重ねているのであって、そんな検証なしに全体を「捕虜虐殺」と決めつける洞氏こそ短絡的です。

10,日本刀ははたして軟弱か

(洞)日本刀の威力を証明するのに、鵜野晋太郎が捕虜虐殺に日本刀を使った例を挙げている。

*私が、いわゆる虐殺派の人たちがどうしても理解できないのは、鵜野晋太郎というとんでもない捕虜虐殺事件を引き起こした人間を引き合いに出し、かつ、それが自らの犯行を自白したことをもって高く評価している点です。普通なら、国内で裁判をやり直してでも極刑に値する人物です。そんな異常な殺人鬼のような人物のやったことを、なぜ、普通の日本軍兵士にあてはめ一般化しようとするのでしょうか

(洞)百人は大言壮語だったとしても二人の場合捕虜虐殺は全くやっていないとか「殺人競争」は事実無根の創作だったとかいうことにはならない。

*これも大言壮語と認めつつ、捕虜虐殺は全くやっていない・・・ことにはならない、という訳の判らない論理です。「百人斬り競争」を「百人捕虜斬り競争」とすることの無理を、「捕虜斬りを全くやっていないはずはない」という論理に転換しているわけで、このあたり、自分の主張に無理を感じ始めたのでしょうね。

11,戦闘行為と戦闘中の行為

(洞)山本はなぜ東京の軍事法廷が二人を不起訴にし、南京軍事法廷が二人を死刑にしたか調べよという。また、近代戦において「百人斬り競争」と言う戦闘行為がありうるとは誰も信じないという。

*その違いは前者は伝聞を証拠としなかった、後者はその伝聞証拠の中の自白を証拠としたことです。なお、洞氏自身も近代戦に「百人斬り」が可能と信じていないから「捕虜虐殺」と言っているのでは。

(洞)また、山本は、新聞記事では斬った相手が戦闘員なのか非戦闘員なのか判らない。そこでは「戦闘行為」としてではなく「戦闘中の行為」と書いている。これは戦闘中の非戦闘員虐殺と読める、という。この解釈はこじつけである。

*「戦闘中の行為」には「戦闘中の非戦闘員虐殺」も含まれるとを言っているのです。

(洞)目的語を省くのは、日本語の文章としては何回も同じ事を書かない方がむしろ気が利いている。

*敵について「銃や機関銃で武装した敵」ということを一カ所でも記事の中に書いていれば、それを繰り返さなくてもかまいませんが、どこにも書かず、「戦闘中の行為」を描写しているから、こう言っているのです。

(洞)「百人斬り競争」の記事を読んで捕虜の虐殺ではなかろうかと疑うのがむしろ自然。

*戦時中の日本人はこれを武勇談として読むということが記者に判っているから記者はこの記事を書いたのです。これに対して、中国人はこの記者や日本人よりリアルなものの見方をするから、これを捕虜虐殺と読んで、これを反日プロパガンダに利用したのです。

(洞)山本は戦闘中の非戦闘員の殺害は処罰の対象になる、という。

*そりゃそうでしょう。

(洞)浅海氏の証言は「住民・捕虜に対する虐殺行為ではない」であって「戦闘中の行為」とはいっていない。

*浅海記者の証言を信用したいなら、素直に「百人斬り競争」は「住民・捕虜に対する虐殺行為ではない」と言うべきです。

12,東京では「不起訴」、南京では「死刑」

(洞)東京裁判で無罪放免になったというが、「B・C級裁判の向井・野田少尉を東京裁判の被告とみるのはおかしい。」浅海氏は極東軍事裁判の証人として出廷したのか。私は見落としていたが、新聞記事は証拠としないということではないか。しかし、これは「不起訴」にしたとか「無罪」にしたとかを意味するものではない。極東軍事裁判はA級だから、南京に送っただけ。

*東京裁判で処刑された松井石根はB級で死刑判決を受けました。まあ、この極東軍事裁判での検察の証人調べは「百人斬り裁判」で資料が出ましたから、言う事はありません。伝聞証言は証拠にならなかったと言うだけです。

(洞)山本は、戦闘中の非戦闘員殺害を武勇伝として大々的に報道する民族=残虐民族説も成り立つと言うが、こういったまか不思議な論理は理解できない。捕虜虐殺と見た人ならいたかもしれない。

*この「捕虜虐殺」と見られかねない記事を武勇伝として、世界が見ているにもかかわらず平気で報道する日本人を見て、欧米人はそう見たというのです。これ、まか不思議な論理ですかね。中国もこれを捕虜虐殺記事として宣伝価値があると見たから、これが本多記者の聞いてきたような捕虜「百人斬り競争」として伝わったのです。

(洞)山本は、この記事だけが証拠なら有罪宣告は不可能だろうという。新聞記事以外に、なにかのがれられぬ証拠があったのではないか。例えば、母校における講演の筆記とか、両少尉の手記とか。
・上訴申弁書は被告側の一方的資料にすぎない。裁判に関する全記録を検討した上でなければならない。
・鈴木明氏は起訴状や判決書を公開すべき

*起訴状や判決書は公開されています。その結果、この記事だけが証拠となり死刑宣告がなされたことが明らかになりました。

13,十二月十日の会見記事

〔洞〕週刊新潮の第四報の解釈、山本の間違い

*その通り、これは山本の間違いです。

(洞)山本は、浅海記者が10日の正午と11日午後3時以降、鈴木特派員と一緒に「中山稜を眼下に見下ろす紫金山で」向井少尉と会って、その長広舌を聞いていたという印象を与える体裁に書かれている、と見ている。
だた私にはそうは考えられない。「百人斬りドロンゲーム」の顛末を語ってのち云々」とあるのは、明らかに、浅海記者が紫金山で向井少尉に会った11日昼で、このときはじめて”ドロンゲーム”の顛末を聞いた事を示しているのではないか。つまり浅海記者が資金山で向井少尉に会ったのは11日の昼1回きりで、その時、前日の昼頃両少尉が対面して、たがいに「百人斬り」のレコードを誇り合い、明11日からは、目標を更新して「150人斬り」・・・を誓ったことを聞き、12日の記事で、10日の両少尉の対談を現場で見聞きしたように生き生きと書いた、ということであろう。
この記事から、10日両少尉会談、浅海記者立ち会いを詮索するのはむしろこじつけではないか。この記事が12日に書かれたものだとすれば、「11日からいよいよ150人斬りがはじまった」と書いてあるからといって、別におかしくない。山本のいう作為などない。

*要するに、10日の会談は両少尉だけの会談と言いたいのでしょうが、この会話は、数を決めて時間を争う競技を、時間を決めて数を争う競技に転換するための巧妙な会話で、こんな芸当が戦闘中の両少尉に出来るはずもなく、第一、両少尉は常州で佐藤記者に審判を当番兵と言い、第二報の記事には「東日新聞の記者に審判をしてもらう」といい、審判を誰がやるかもはっきりしてなくて、ルールの確認どころの話ではなかったのではないですか。故に、この会話はこのルールの矛盾に途中で気づいた浅海記者がその修正のために創作した会話ではないかと見ているのです。私もこの見方に同意します。

(洞)向井上申書「10日紫金山で野田少尉とも新聞記者とも会っているはずがない」というのは、帰隊は15,6日といっているのだから、山本の11日会合を認める山本の証言にはならない。

*この点は先述した通りで、私も山本の見解に同意します。

(洞)鈴木証言では、紫金山での会見は一回だけ11日か12日だろうと言っていることで、「両少尉による10日正午の会談が虚偽である」という判断を導くことは出来ない。

*鈴木記者は一回しか両少尉に会っていないと言うだけのことです。10日の両少尉の会談の内容は、先ほど述べた通りルールの変更のためでしたが、鈴木記者は、10日の会談の意味を全く理解していません。簡単に「ドロンゲーム」に出来る問題ではないのです。つまり、不可能なルールで紫金山まで「百人斬り競争」をやっていたことになるわけで、一体誰が両少尉と同時に走りつつ死者を数えたのですか。こんなことはあり得ないわけで、そこで、それを修正するため浅海記者は10日の両少尉の会話を創作したのではないかと、山本は判断したのです。私もそう思います。

(洞)山本は10日会見でっち上げの理由を、「11日は敗残兵狩りの真っ最中」としたため、二少尉の会見を10日に持っていった。決定的なのは、数を限定して時間を争っても時間を限定して数をあらそってっもどちらも破綻しない模範的回答を腹案として持っていて、10日の会見としたのだろうという。
・だがこれだけで10日の両少尉会談を否定することは出来ない。他に確証がなければ裁判官に耳を傾けさせることは不可能であろう。

*これだけではないことは前に説明した通り

(洞)「敗残兵狩り」「敗残兵掃討」と言う軍事行動は日本軍全体に見られた常套的手段であり将兵の戦犯の責任を問われるものではなかった

*「敗残兵狩り」と「敗残兵掃討」は違うのでは。

14,真実のアリバイか偽証か

(洞)山本は、向井少尉の15,6日帰隊の主張の解釈、死刑宣告されており少しでも死から遠ざかりたかったというが、向井は富山大隊長の証明書を見ないうちに上申書を書いた。それが15,6日で一致しているのは、向井が南京に送られる前にアリバイ工作があったからだ。

*そうかもしれませんね。ただ、自白と見なされた会見、それは「ヤラセ」であって事実ではないのだから、何としてもこれを否定したかった。しかし裁判ではこの説明で裁判官を納得させることは困難だから――この事実は日本の「百人斬り競争」裁判でも両少尉の自白が証拠とされています。――この会見自体を否定するほかなかった。私はそう推測しています。

(洞)向井負傷の証言は二、三あるが程度場所は不明、だが負傷した事実はあると見てよい。もし負傷が丹陽攻撃であったとすれば、第二、第三報は虚報となり、立派なアリバイとなるが山本はこれをアリバイにしようという考えが全然ない。

*この負傷の証明ができれば無罪は勝ち取れたと思います。大体、向井の歩兵砲小隊は句容を通っていないのですから、これだけでも第三報は虚報であることが判ります。向井が丹陽攻撃で負傷したという事実を認めるなら、なぜ、この記事全体を虚報としないのか。山本はこのアリバイを認めているから、向井の酔っ払ったような長広舌の解釈を自分の体験に基づいてしたのです。人を非難している場合ですか。

(洞)私は「百人斬り競争」の話を「軍人精神を純粋培養された典型的な日本軍人である」若手将校に見られた残虐性の一例として紹介し・・・斬られたものの大半は捕虜であると考えたのである。二将校は日本の軍隊教育の気の毒な犠牲者・・・個人の残忍性を攻めるのではなくその根源の責任が問われなければならない。

*このあたり、二少尉を捕虜虐殺犯と決めつけていることに、言い訳をしてその責任を問われることから逃げようとしているのです。罪を憎んで人を憎まず風に・・・。何の物的証拠もなく、自分もこの記事は虚報で、向井にはアリバイがあると感じているのに、何としてでも両少尉を「捕虜虐殺犯」にせねばならない、一体どういう精神構造をしていれば、こんな無責任な人権意識の欠如した考え方が出来るのでしょうか。これが大学教授というのですから、恐ろしくなります。


ホームへ戻る