岡崎久彦と山本七平の不思議な符合2

2008年6月30日

 前回、岡崎久彦氏の歴史を書く場合の基本的態度について紹介しました。要するに「特定の価値観、とくに現在われわれの生きている時代だけに特有な、しかもそれが政治の道具になっているような価値観にとらわれることなく、客観的に真実のみを求めることである」ということです。

 より具体的にいうと、「現在の概念では帝国主義が悪であることは誰も異論はないが、帝国主義の時代の人を帝国主義者といって非難するのは、中世の人を「中世的」「前近代的」と非難するのと同じで、別に間違いではないが、中世を理解しようという努力にとってマイナスにこそなれ、何のプラスにもならない。」

 しかし、「歴史の真実を追究するにあたって一番難しいのは、真実と真実の間の軽重、大小のバランスである。一つ一つの事実は真実であっても、自分の考え方に都合の良い真実だけを集めたのではバランスを失する。一部の事実だけをことさらに強調して歴史の本当の流れを見ていない。あるいは故意に曲解する歴史書が少なくない。」

 そこで、岡崎氏がこの「その時代シリーズ」を書くにあたってとった手法は、「草稿を三章ごとにまとめて数名の学識あり洞察力のある歴史の専門家の方々に読んでいただいて、セミナーを開き、『そこまでいえないのではないか』『それにはこういう反対の資料もある』というようなコメントをいただいて、『まあ、そのあたりが本当のところだろう』と言われるまで書き直す」ということでした。(以上『重光・東郷とその時代』p31~32)

 従って、このシリーズの目的は、「すでに多くの優れた学者先生たちによって研究し尽くされている」「そうした正確な事実と事実との間の軽重なバランスを見極めて、最も真実に近い歴史の流れを見いだすことにある。」「その目的を妨げる落とし穴は数多いが、木を見て森を見ないのもそのもっとも戒心すべき落とし穴の一つ」といっています。

 といっても、この本を書いた岡崎氏には、その動機となった一つの「思い入れ」がありました。それは「昭和前期に少年時代を過ごした世代として、われわれの父や祖父の世代であるこの時代の当事者たちが、逆らいようのない歴史の流れの中にあって、いかに国民と国家のために真摯に生きてきたかということをできるかぎり正確にありのままに後世に伝えるよう努力してみたい」というものでした。(前掲書p36)

 そして次の言葉は、おそらくこのシリーズを通しての岡崎氏の感想であろうかと思いますが、私もこのシリーズを読み終わって、同じような共感と感慨を新たにすることができました。

 「客観的に見て、われわれの父や祖父の世代の人びとはことごとく悲劇の人びとである。日本人としての教育を受けてその矜持と節操を守りつつ、大日本帝国の栄光の中に育ち、また大正デモクラシーの自由をも謳歌しながら、壮年以降戦争の辛酸を嘗め、戦後、それまでその中で生まれ育った社会環境や価値観が足元から崩れ落ちるのを見ながら、誇りを失ったなかで家族の生活を守るために戦わなければならなかった世代である。」(前掲書p38)

 もちろん、こうした共感と感慨を共有し得たとして、ではそこからどういう反省を導き出し有効な対策を立てるかと言うことが問題になります。私は、本稿の表題を「岡崎久彦と山本七平の不思議な符合」としましたが、その意味は、岡崎氏のこの本に述べられた、従来人口に膾炙している見方と異なる部分、例えば「大正デモクラシー」が戦後民主主義のパイロットプラントであるという評価や、「塘沽(タンク-)協定」(s8.5.31)以降「支那事変」(s12.7.7)までの四年間に経済成長の時代があった、つまり、中国との間で満州問題を解決するチャンスがまだ残っていた、とする部分など、山本七平がすでに30年前に指摘していたことを紹介するためでした。

 なぜ、山本七平がこのような今日の歴史研究の成果を先取りするような「とらわれない」見方ができたかと言うことですが、それは氏が、日本人的思考法とは別の、もう一つのユダヤ・キリスト教的伝統に基づく「対立概念で物事の実相を把握する」思考法を身につけていたと言うことと、歴史を思想史と見、その「連続の背後にあるものをいかに把握するかがその主題」(『受容と排除の奇跡』p183)と考えていたからだと思います。

 つまり、歴史を思想(=言葉)の連続、あるいは弁証法的展開(マルクスの歴史観と同じですね)と見る見方です。言うまでもなく岡崎氏も明治以降の歴史をそうした連続性の内にとらえ継承しようとしているのです。その連続性の糸を、氏は、「その時代シリーズ」で取り上げた外交官たちの情報分析と判断の連続の中に見ているのです。同時にそうすることによって、この連続性からはみ出した部分も見えてきます。

 では、この連続性から「はみ出した部分」の正体は何か、実は、この部分も含めて、それを日本の歴史つまり思想史の連続性の内にとらえようとしたのが、山本七平でした。

 「明治も過去を消そうとした。当時の学生は『われわれには歴史がない』といってベルツを驚かした。戦後も戦前を消そうとした。そしてベルツを驚かした学生が前記の言葉につづけたように『われわれに歴史があるとすれば、消すべき恥ずべき歴史しかない』と考えた。・・・だが、こういう状態、劣等史観やその裏返しの優越史観、万邦無比的な超国家史観やその裏返しの罪悪史観、いわば同根の表と裏のような状態を離れてみれば、われわれは貴重な遺産を継承しているが、同時に欠けた点があることもまた認めねばならない。どの民族の履歴書も完璧なものはあるまい。諸民族の中の一民族である日本人もまた同じであって、貴重な遺産もあれば、欠けた点もあって当然なのである。要はそれを明確に自覚して、遺産はできうる限り活用し、欠けた点を補ってそれを自らの伝統に加え、次代に手わたせばそれでよいのであろう。」(『1990年の日本』p270)

 従って、私が本カテゴリー「日本近現代史をどう教えるか」で扱うテーマは、その「はみ出した部分」に焦点を当てることになります。