高牟神社   



  高牟(たかむ)神社  高針字北島にある。 高針地区の氏神。 祭神は応神天皇・産霊神(むすびのかみ)。


 高牟神社   高牟神社の由来


旧来より、通称「八幡さま」と親しまれていた八幡社は、明治5年7月に村社となった。高牟神社と改称したのは、昭和26年5月のこと。

春岱(しゅんたい)師(1802〜1877/瀬戸赤津焼の陶工/本名、加藤宗四郎)作の狛犬(こまいぬ)一対(青磁)が社宝となっている。


    社務所にある狛犬(社宝)の写真


創始は詳(つまび)らかでないが、延喜式内の神社(927年完成の『延喜式神名帳』にその名があるのは2861社で、式内社と呼ぶ)と伝わる。

高針護国社昭和17年11月、境内に敬徳殿を奉斎(ほうさい)し、牧ノ池を掘鑿(くっさく)した勝野太郎左衛門の霊、及び日露戦争以来の殉国の忠霊を祭祀(さいし)した。

しかし、昭和46年3月、敬徳殿に替わって、日露戦争から太平洋戦争までの英霊84柱を祭祀する高針護国社が建立された。

昭和52年3月には、境内に杉桧約1250本が植林された。

平成6年12月、旧社殿は不審火で焼失したが、平成8年12月に再建された。

現在の氏子総代は11名。

「梅森坂」と「山の神(名東本通)」を加えた8島から1名ずつと、責任総代(「西古谷」「東古谷」「新屋敷」「前山」「西山」「北島」の6島からのみ選出され、3年に1回替わる)が3名加わる。



 秋祭りのお知らせ(2013)  高針文化財保存館(「土用干し」日)


境内にある「高針文化財保存館」(写真右)内は、「西古谷」「東古谷」「新屋敷」「前山」「西山」「北島」の6部屋に別れ、各島の棒の手武具・鳥毛・馬具などが収納されており、隣接する高針小学校体育館で、毎年7月(「海の日」)に、「土用干し」が行われる。

10月の例祭(体育の日)に奉納される棒の手の由来は諸説あるが、一般的には「農民が自衛の為にあみだした武術芸能」とされている。

近世後期になると、その伝播(でんぱ)と普及には修験者が大きく関与した。   


 棒の手奉納(2015/10/12)

 高針棒の手保存会連合会と氏子総代  壮観
        鳥居下での口上挨拶                        境内全員集合

 決まった!  いざ!勝負
          鎌田流(前山)                        鷹羽検藤流(東古谷)

 二刀流  傘で槍に
         直心我流(新屋敷)                       鷹羽検藤流(北島)


平成27年度の「棒の手奉納」参加シマは、前山・東古谷・新屋敷・北島の4島だった。

鷹羽検藤流(北島/西古谷/東古谷/新屋敷)・鎌田流(前山/西山)・直心我流(新屋敷)の流派の演舞を一度に見ることができる。

棒の手の盛んな長久手市や日進市に近いこともあるのだろうが、名東区という他から来た住人が多い新興住宅地に、この様な伝統文化(「名古屋市指定無形民俗文化財」)が、この様なスケールで残っているのは驚嘆するしかない。





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