三徳龍神社


 三徳龍神社(さんとくりゅうじんじゃ)   名東本通3丁目にある。


  三徳龍神社  安良霊神の石碑(本殿裏)

三徳とは、「天の徳」「地の徳」「人の徳」をいう。

昔々、ここの沼に三徳竜神が住んでいたという。

ある日、安良霊神(やすながれいじん/御嶽教先達/出来町の人)の枕元に立つと、「私を祀れ。さすれば、この地を繁栄させん」と告げた。

安良霊神は、お告げの地を探し当て、高針の地主30数名に掛け合い、この地を提供してもらった。

最初は、マムシとの格闘だった。

そして沼地を埋め(沼が窒息しないようコンクリートのフタには、息抜き穴がある)、社を建てた。

その後、区画整理によって周囲が土盛りし、狭い道路(高針街道)も広く高くなったので、相対的に周囲より一段低くなってしまった。

かつては、はるかかなたの田んぼまで見渡すことができた三徳龍神社の敷地こそが、昔の面影を今に伝える。

裏手の楠のご神木には、「木に触ってから、自分の悪い所をさすると良くなる」とのいわれがある。

また、赤白の幟(80本)は、信者によって半年に一回(お彼岸から、次のお彼岸まで)交換されている。



 拝殿に掲示されている神社の由来は、以下の通り。

  三徳龍神社の起元

この地域には古来より御威徳灼(あらた)かなる龍神が鎮座されてゐると伝えられていた。

昭和初期のころ大先達安良(ヤスナガ)霊神は龍神の御神意を拝伺せる結果、霊感によりこの地に龍神の鎮座する祠(ほこら)の建立が得らるゝなれば龍神の力を以って将来この地域一帯を繁栄させるとの御神告(オツゲ)があった。

大先達安良霊神は村内有力者各位にその旨を伝えた。

結果有力者各位より是非龍神の鎮(しず)まります祠の建立の懇請(こんせい)を受け、現在地の提供を得た。

然(しか)しながらこの地は當時(とうじ)足の踏入れも不可能の荒地であったが、霊神は独力を以って日夜営々と荒地を切開きここに神鎮まります祠を建立しました。

尚、御神告(オツゲ)により三徳龍神社と敬称し、有力者各位の奉賛(ほうさん)を得て今日の隆盛を見るに至った。

ここに大先達安良霊神の御鎮(ミタマ)を偲(しの)び、以って顕彰の詞(ことば)とする。

 大先達安良霊神(故水谷与太郎先生)                    三徳龍神社奉賛会


原文のママ。カタカナルビは原文付帯のもの、ひらがなルビは執筆者による。
最後の文章の「顕彰」の「彰」は、原文では言偏(ごんべん)に彡旁(さんづくり)であり、印字(いんじ)出来ない。






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