東山公園より東にあるのに西山というのは、高針の中心・古谷から見て西にあるからである。 デッチョウ池 デッチョウ池は、西山の神丘公園内にある(というより、池の周りが公園)。 「デッチョウ」の由来であるが、「実際に神丘公園のある丘陵が出っ張っていたから」といわれている。 また、「牧ノ池の補助池なので、出張(しゅっちょう)の湯桶(ゆとう/訓・音)読みから」ともいわれている。 池の形が本を開いた形に見えるので、「粘葉装(でっちょうそう)から」という説もあるが、「後付解釈」であろう。 ※粘葉装は、和装本の製本方式の一つ。胡蝶が羽を広げたような感じとなるので、胡蝶装(こちょうそう)ともいう。 そんな誰も知らないような言葉から、地名(池の名)が出来たりはしない。 西山では牧ノ池の水が最後に来るので、田植えが遅れた。 そこで、戦時中、米の増産を図るため、谷間の湿田に堤防を築いて池を造り始めたが、昭和36年にようやく完成した。 また、この池の東の坂道を登っていくと頂上部がロータリーになっていて(神丘東公園)、昭和35年頃まで高針の共同火葬場があった。 開墾記念碑 代万公園東南角にある。 区画整理の時、代万公園の西にあった山(畑)から移設された。 高針では、開墾することをシンキリ(新切り)といった。 シンキリを行う場所は、シマの領域の外で、この地域が開墾されたのは、昭和14年(1939)のことであった。 開墾記念碑の裏に、「昭和十四年一月建之有志一同」とある。 区制40周年記念銘板(虹ヶ丘公園) 2015年、区制40周年記念事業の一環として名東区役所が区内6ヶ所に銘板を設置した。 その6ヶ所目に選ばれたのが虹ヶ丘公園。 西山在住の加藤氏から提供された2枚(銘板設置付近から撮影された昭和34年の西山交差点付近/同公園内の遊具「海の幻想(原型 安永良徳)」の設置工事の様子)の写真が掲示されている。 まだ舗装されていない西山本通や、家屋の少ない交差点付近も写っている。 銘板には、 「虹ヶ丘公園は、猪高西山土地区画整理事業により整備され、公園の面積は約0.92ヘクタールあり昭和35年6月に開園しました。 猪高西山土地区画整理事業は、日本住宅公団の依頼による名古屋市長施行の土地区画整理事業として昭和31年3月に都市計画決定され、昭和36年4月に事業完了しました」と説明されている。 また、この公園は麦池という溜池を埋め立てて造られている。 猪高町西山地区は、名東区で最も早く(名東区誕生以前から)区画整理が行われた場所である。 地下鉄は星ヶ丘駅までしかなく、完成した虹ヶ丘団地の住人は、市中心部への足として市バスと名鉄バスに頼るしかなかった。 トップページにもどる 高針村へ戻る |