高帝龍王神


 高帝龍王神(こうていりゅうおうじん)    高牟神社の隣にある。

 高帝龍王神  高帝龍王龍神本殿と狛犬

石川家が個人的に祭祀している。

石川家の先祖は、東勝寺の御用瓦師として三河の高浜から当地へ招聘(しょうへい)されて瓦製造を営み、昭和45年まで同家は瓦師として生計をたててきた。

※瓦の製造は、木節(きぶし)と呼ばれる、亜炭層の下にあって炭化した植物を含む上質粘土を仕上げに使った。瓦の黒褐色は、炭素の粒子である。


 故石川幸代さんの話                   ※ ( )内は、執筆者による。

本当の名前は、高帝龍王神ではなく、高帝龍王龍神。幟(のぼり)は2009年に作らせたが、龍の字が抜けていた。

夫の晃が亡くなってから、私が独りで守している。

私が子どもの頃のこと、猪高小学校(現高針小学校の前身の南部分教場は2年生までだった)から4キロ歩いた帰り道に寄ると蛇がいっぱい居て、いつも人だかりができていた。まさかこの家に(西山から)嫁ぐことになるとは思ってもいなかった。

本殿の狛犬については、(春岱さんのような)偉い人のものではなく、瀬戸で土を貰(もら)って来て抹茶茶碗を作り皆さんにあげていたから、(夫が)高牟神社の(社宝の)狛犬を見て真似して作ったんだと思う。

(狛犬底裏の「高針 高石造」の銘については)「高石」は晃の号で、「高針の石川」という意味です。  


奉祭誌



 由緒(石碑の写し) ※句読点は執筆者による。

当高帝龍王神様は、現在の御社の裏に樹齢三百余年、樹廻り五米の黒松の大木が生えていて、其の木が枯れて朽ちて穴が出来て、其の中に龍王神様を始め子孫の蛇が住みつかれ、祭年の春には幹や枝に沢山の蛇が出て居られたので、近在近郷から見物客で大賑わいになったのでございました。

そこで祭主が、皆様方の御賛同御協力を賜り、昭和拾五年四月、御奉祭しました。

其の後は不思議な事に、龍王神様始め子孫の蛇の御姿は見え無く成りました。

以後、無病息災、商売繁昌、一切の厄除け心願成就の守護神として、皆様方が御参拝に御見えに成られる様に成って現在に至っております。             祭主
                                                        











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