貴船社 東一社の貴船2丁目にある。 写真右の「村社貴船社舊址」の標柱は、末社の計6社(「山の神」2社/「皇大神宮」/「富士浅間社」/「津島社」/「秋葉社」)が祀られている建物(写真の右上方)を下った場所に建っている。 『猪高村物語』に、「昭和6年まで、貴船社の本殿が北西(上社四丁目の猪高保育園のあたりにあった「貴船大明神」の方角)を向いて建っていた」とある。 貴船社の氏子総代は計6名で、3年任期制(毎年2人ずつ交替)になっている。 社頭にある由緒書を記す。 由緒 祭神罔象女神(みずはのめがみ/水の神)寛文貳年九月(三二○年前)、五穀豊穣祈願の為水の神を祭る。 尓来(爾来/じらい)氏神と称え奉り、生活の心のよりどころとして信仰極めて深いものがある。 昭和二十一年宗教法人となる。昭和五十三年氏子の奉賛により建物の新改築、境内整備等を行い、神社の面目を一新する。 氏子鎮護 貴船社 忠魂碑 写真左側の「殉国之碑」は、太平洋戦争の戦死者を祀ったもの。 右側の「忠魂碑」は、日露戦争の戦死者を祀ったもので、十王堂の旧地(明徳寺北西の字「荒幡」)に、十王堂と一緒に並んでいたが、進駐軍の命により現在地に移設した。 貴船社周辺の字名は、「的場」であるが、戦前まで、この忠魂碑の位置に「弓矢場=的場」があったからと伝わる。 棒の手奉納(2015/10/12) 2015年10月12日(体育の日)、午後3時から、貴船社で「棒の手(鷹羽検藤流)奉納」があった。 子ども会が参加していないので、奉納者は大人7人(一昨年から1人増える)しかいない。 この人数で、午後4時の「餅投げ」時間近くまで演舞しなければならず、1人が何度も演じることになる。演舞者は、「死ぬ!」ともらす程、青息吐息になっている。 餅投げが済むと、「張子の馬」と「高針の大鳥毛」より立派に見える「東一社の小鳥毛」は、「忠魂碑」西の「名古屋市指定 文化財保管庫」に、そのまま収納される。 トップページにもどる 下社村に戻る |