![]() 貴船神社 一社3丁目にある。 ![]() 高靇神(たかおかみのかみ/龍神)とともに、日本における代表的な水の神である。 ※『猪高村誌』は、貴船神社の祭神を「高靇神」としているが、『(大正7年版)猪高村誌』は「祭神 罔象女神」としている。 また貴船神社は、昭和27年の宗教法人設立の際の「規則承認申請書」に、祭神を「罔象女神」として届け出ている。 『猪高村誌』に俗伝として、 「柴田勝家の領地の川には橋がなく、勝家の定めによって造られたられた舟橋で通行していた。 舟橋というのは、川に舟を並べて繋ぎ、その上に板を渡した仮の橋を言う。その貴い舟を神の名にしたというのが、貴船の名の由来」と紹介されている。 末社(まっしゃ) ![]() 末社手前の灯籠は「元文四己未・」と彫られているので、江戸中期(1739年)のもの。 ![]() ![]() ![]() 役行者(えんのぎょうじゃ)石像(写真左)は、台座に「宝暦十一年辛巳年十一月一色村同行中」と彫られているので、1761年のもの。 一社橋西の旧道沿いに行者堂(村絵図にも記載)があったが、区画整理で壊され石像のみが貴船神社に祀られた。 山ノ神社(写真中)は、神蔵寺南方(村絵図参照)から移設。 金刀比羅宮(ことひらぐう/写真右)は、現在の打越交差点付近に「開墾記念碑」と共に祀られていたが、区画整理で一緒に貴船神社境内に移設された。 西一社土地区画整理組合完了記念碑 ![]() 貴船神社境内にある。以下、碑文。 名古屋市西一社土地区画整理組合完了記念碑 古来この地は一色村と称され、明治になって猪高村一社と改称された。 父祖伝来の緑の山や、豊かな田畑も昭和30年4月名古屋市に合併し、一大転換期を迎へ、郷土の近代化を推進するため村人の総意にもとづき、昭和37年、名古屋市西一社土地区画整理組合を設立した。 以来組合員一致協力のもとに、苦節16年有余の歳月と、莫大な費用を費やして大事業を完了せり。 ここに悠久不滅の街として、後世におくる。 組合設立認可 昭和37年 4月16日 組 合 設 立 昭和37年 5月 3日 換地処分告示 昭和51年10月 2日 組 合 解 散 昭和53年 8月 8日 施行地区面積 98271907平方米 総 工 費 2689719102円 組 合 員 数 798名 精 算 完 了 昭和55年11月13日 トップページにもどる 一色村に戻る |