猪高小学校 丁田町32番地にある。 明治45年(1912)2月1日、猪高村の中央地点の丁田山の位置に、猪高尋常高等小学校開校。 大正3年(1914)11月1日、校旗と徽章(きしょう)制定。 徽章(校章)は柴田勝家の家紋「(丸に)二つ雁金(かりがね)」を図案化し、「猪高」の文字(篆書/てんしょ)は、かめ割り柴田の故事に因(ちな)んで、甕(瓶)の形を輪郭とした。 昭和30年(1955)4月5日、名古屋市に合併され、名古屋市立猪高小学校と改称(写真下の旧門柱は、その時のもの)。 2012年2月1日に、創立100周年を迎えた。 二宮金次郎像 猪高小学校校庭西端にあるビオトープ「青いせせらぎ」内に、旧門柱等と共に保存されている。 二宮 尊徳(たかのり/そんとく)は、江戸時代後期の農政家・思想家。 薪を背負いながら本を読んで歩く像が、各地の小学校などに多く建てられた。 学校教育に「金次郎」が利用された経緯には、国家に献身・奉公する国民の育成を目的とした政策があった。 だが、戦時中に政府が愛国心を植え付ける目的で全国に金次郎像を建てたことによる反動や、児童が像の真似をすると交通安全上問題があることから、1970年代以降、校舎の立替時などに徐々に撤去され、像の数は減少傾向にある。 猪高村役場跡とジエサ文房具店 猪高小学校東側にある。 猪高村役場本庁舎は、大正2年(1913)4月、上社字丁田に新築された。 昭和30年4月5日、名古屋市と合併して、千種区役所猪高支所となった。 この役場跡の記念碑の南隣に、ジエサ文房具店があった。 この文房具店の開店年は定かではないが、猪高小学校の100年の歴史に近いものがある。 文房具が買えなくて困っている児童のために、初代の加藤治右エ門(じえもん)氏が、校門前で店開きをしたのが始まり。 初代の名前から「ジエサ」と呼ばれた。店は4代続いたが、現在は閉店している。 「平成27年2月 名東区制40周年」猪高小学校前銘板 ~この写真は、猪高小学校前から上社駅東方面の眺めです。~ (以下、銘文) 明治39年(1906)4月に、猪子石村と高社村が合併して、愛知郡猪高村となりました。 緑豊かな丘陵地とため池に囲まれた猪高村が名古屋市に合併したのは、昭和30年(1955)4月です。当時の千種区に編入され、猪高町となりました。 その後、区画整理が施行されるとともに、昭和44年(1969)4月に、地下鉄の星ヶ丘・藤が丘間が開通し、昭和50年(1975)2月に、千種区が分区独立して、名東区が誕生しました。 区画整理と、地下鉄の延長開通が、今日の名東区の発展の基礎となっています。 「平成27年2月 名東区制40周年」上社駅前銘板 [ 昭和46年頃 右端は上社駅、左は本郷駅方面 ] (以下、銘文) 明治39年(1906)4月に、猪子石村と高社村が合併して、愛知郡猪高村となりました。 緑豊かな丘陵地とため池に囲まれた猪高村が名古屋市に合併したのは、昭和30年(1955)4月です。当時の千種区に編入され、猪高町となりました。 その後、区画整理が施行されるとともに、昭和44年(1969)4月に、地下鉄の星ヶ丘・藤が丘間が開通しました。 上社駅開業は、開通翌年の昭和45年(1970)12月です。 現在は上社ターミナルビルとなっている駅前は、当時は舗装されておらず、雨の日は泥がはねたそうです。 名東区は、昭和50年(1975)2月に、千種区が分区独立し、同時に昭和区から一部の地域が編入されて誕生しました。 トップページにもどる 上社村にもどる |