日吉神社



 日吉神社    上社2丁目45にある。

日吉神社写真左から、宝物殿・拝殿・社務所。

宝物殿は旧社務所で、現在は馬の塔の飾りが、大きな箱に入れられ保管されている。

これらは、氏子総代の人達によって、7月末に虫干しされる。

氏子総代は、6人。3年任期だが、毎年2人ずつ替わる。

1年目は、掃除係。2年目は、会計(お賽銭係)。3年目はお祭り係(役員)。

  宝物殿入口の上





 社頭の由緒を記す。

   由緒

当神社は、創建年代詳(つまびら)かでないが、祭神(さいじん)   大山咋神(おおやまくいかみ)  大巳貴神(おおなむちかみ) 元官幣(かんぺい)大社日吉神社の分霊を勧請(かんじょう)して、土地開拓守護神とした。

元禄七年(1694)五月、上社村覚に「氏神山王権現森村ヨリ西北ニ当リ云々」とあり、既に鎮座のこと明かである。

又、祭神罔象女神(みずはのめかみ)は、もと官幣中社貴船神社の分霊を当村八郎(字名)に鎮座のところ、明治四十四年八月、本社に合祀した。

昭和二十一年三月、宗教法人となる。

昭和四十年、氏子の奉賛により社殿改造を行い、社頭の面目(めんぼく)を一新する。

古来よりこの地域の氏神と尊崇せられ、「日吉山王さん」と親(し)まれ、広く農工商の恵(み)の神として神徳あらたかである。

       上社鎮護(ちんご)  日吉神社              ※( )内は、執筆者による。


 大山咋神(おおやまくいのかみ)

名前の「くい」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味する。

比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、天台宗および延暦寺の守護神ともされた。

比叡山の王という意味で山王(さんのう)とも呼ばれる。

比叡山の麓の日吉大社(滋賀県大津市)が、大山咋神を祀る全国の日吉神社の総本社である。

 大己貴神(おおなむちのかみ)

出雲に祀られる国造りの神、大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名。

大国が「だいこく」と読めるので、大黒様として「福の神」の信仰も受けている。

  官幣大社(かんぺいたいしゃ)

日本において官(朝廷、国)から、幣帛(へいはく/神に奉献する物)または幣帛料を支弁される神社。

官社には、官幣社と国幣社とがあるが、官幣社には、皇室の崇敬を受けた神社、あるいは天皇・皇室を祭神とする神社が選ばれ、大社、中社、小社の序列が存在した。



 鍬(くわ)神社       日吉神社裏山にある。


鍬神社姫若の田んぼの中に塚と松の木があり、そこにあった「御神体」。

区画整理で、日吉神社裏山に移設された。

鍬は、農民にとって大変重要なもので、それは信仰に近いものがあり、「お鍬祭り」が、どこの農村でも行われた。

お鍬祭りは、伊勢神宮の御師(おし)が小型のお鍬を村々に配ったことによって広まった。

祭礼は、村送り、掛け踊りの形式で周辺に伝播(でんぱ)していった。

明治以降、伊勢の御師によるお鍬の配布はなくなるが、氏神の神木などからお鍬を作る(作り方は、枝の根元をナイフやナタで抉[えぐ]るようにして切り取る)などして、お鍬祭りは継続し、60年周期で流行した。 





御嶽教大先達の石碑群 御嶽教大先達の石碑群

日吉神社裏山にある。

御嶽教は神道十三派の一つで、御嶽山を信仰の根本道場としている。

祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)の三柱。

修験道を起源としているが仏教色は薄く、祭祀も神道に準じている。









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