第3願


第3の願い
 「弥陀の48願の内の第三願」についてここで考えてみたいと思います。親鸞聖人は仏の教えとは「仏説無量寿経(大無量寿経)」であるといわれました。さらに「大無量寿経というは四十八願を説きたまへる経なり」ともいわれました。つまりたくさんの尊いお経がありますが、阿弥陀如来の本願こそが、お経の全てということになります。厳密にいうと、弥陀の本願というのは、お釈迦様がお生まれになられるずっとずっと昔の事ですが、法蔵菩薩という方がおられました。この方が仏 如来様になられるために、何千何万年もの修行をされて、理想の国を建立したいと思われるのです。つまり法蔵菩薩がこういう国を造りたいという願いから、何万年もの修行をされて成就されたのが、極楽浄土という国です。ですからここの国王は、法蔵菩薩が印位されて阿弥陀如来となられましたので、阿弥陀如来となります。
 その極楽浄土を建立するにあたり、48もの願いがあったのですが、いったいどういう願いだったのでしょうか。第1願から第48願まで、順番に紹介していきたいと思っています。ということで今回は第三願です。原文ですと、「設我得佛.國中人天.不悉真金色者.不取正覺」読み下し文にしますと、「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、ことごとく真金色ならずば、正覚を取らじ。」となります。現代風に直しますと、「たとえ、私が仏となっても、私の国の中の人々がことごとく本当の金色でなかったならば、私は仏にはなりません。」となります。
 私たちの住むこの世界を見渡してみますと、たくさんの人種がいます。大きくわけると白色人種、黒色人種、黄色人種といった具合です。単に肌の色だけではなく、髪の色や目の色などたくさんの違いがありますし、実際その違いから争いが起こったりもしています。極楽浄土に生まれる者は、肌が何色とか何の人種とかそういったものが争いの種になることをきらい、全ての命が尊く金色に輝いていること願われています。ですからこの第三願を別名「悉皆金色の願」ともいいます。この願の世界と私の身の周りに照らして考えてみますと、肌の色や人種によって差別してはならないことはとてもよく理解できます。しかしこれは人の世界のみで考えた場合です。この世界には動物もいますし、植物もいます。その全てが尊く、金色に輝く命であり、大切に感じていかなければならないと思うのですが、なかなかそうは至らない自分がいます。みんな金色の命といいながら、蚊はどうでしょう。。 思わずパチッと殺してしまいませんか。。 ではゴキブリはどうでしょうわざわざ殺虫剤で、隅々までおいかけまわしてシュッ と殺虫剤をかけて殺してしまいます。ムカデやカメムシはどうでしょう? 食べられる動物や植物はまだ、命をいただくという罪を感じることがあるかもしれませんが、先ほど例にだした虫たちは、殺されて当前の立場として軽い命として扱われています。
 また自分を中心に、家族、親戚といった近親者があった小さな不幸にと、どこか遠い国で起こった縁の遠い人の大きな不幸では、より近親者の方に思いが強くなることもよくあることです。
 悉皆金色の世界はこの私の住む世界ではなかなか実現できないでしょうし、そんな私を救って下さるのは悉皆金色の願を成就された阿弥陀様に他ならないと思います。

熊原得也