第1願


第1願
 「弥陀の48願の内の第一願」についてここで考えてみたいと思います。親鸞聖人は仏の教えとは「仏説無量寿経(大無量寿経)」であるといわれました。さらに「大無量寿経というは四十八願を説きたまへる経なり」ともいわれました。つまりたくさんの尊いお経がありますが、阿弥陀如来の本願こそが、お経の全てということになります。厳密にいうと、弥陀の本願というのは、お釈迦様がお生まれになられるずっとずっと昔の事ですが、法蔵菩薩という方がおられました。この方が仏 如来様になられるために、何千何万年もの修行をされて、理想の国を建立したいと思われるのです。つまり法蔵菩薩がこういう国を造りたいという願いから、何万年もの修行をされて成就されたのが、極楽浄土という国です。ですからここの国王は、法蔵菩薩が印位されて阿弥陀如来となられましたので、阿弥陀如来となります。
 その極楽浄土を建立するにあたり、48もの願いがあったのですが、いったいどういう願いだったのでしょうか。第1願から第48願まで、順番に紹介していきたいと思っています。ということで今回は初回の第一願です。原文をそのまま読むとこうなります。
「設我得佛.國有地獄.餓鬼畜生者.不取正覺」読み下し文にしますと、
「たとひわれ仏を得たらんに、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ。」となります。現代風に直しますと、「たとえ、私が仏となっても、私の国に、地獄・餓鬼・畜生があるならば、私は正覚を取りません。」となります。
 48の願い全てに共通して最初に設我得佛、最後に不取正覺があります。これは、最初に私がもしも仏にならせていただけるならばという意味で、途中にいろいろな条件をあげ、最後にはそうでなければ、仏にはなりません。といわれるのです。つまり第一願では、お浄土の国には地獄や餓鬼道、畜生道といった三種類の悪い世界、三悪道というのですが、そんな悪いところが微塵もないといわれるのです。「往生要集」によりますと地獄には八種類あるとされています。それは等活・黒縄・衆合・叫喚・焦熱・大焦熱・無間の八種類です。例えば、等活地獄とは人間の住むこの世界の地下7,400kmにあって、殺生を犯した者が堕ちるといわれます。ここに住む者は、互いに害心をいだいて殺しあいます。死ぬと獄卒がその骨や肉を粉々にして、風が吹くとまた生きかえって同じことを繰り返すといわれます。この等活地獄にはさらに十六種類もの付属の小地獄もついています。次に餓鬼道ですが、餓鬼とはいわゆる鬼のことをいいます。常に飢え、のどの渇きに苦しむ世界だそうです。そして畜生道とは、鳥や獣、虫、魚などのすべての動物をいいます。その動物同士は智恵が無く、常にお互いを殺しあうような苦しみの世界だそうです。
もちろんお浄土という国は法蔵菩薩の理想郷ですので、地獄のような世界がその中にそもそもあるはずがないのですが、私はお浄土にすむ人たちの心がみんな清らかで美しく、鬼のような心や、他を傷つけるような心のまったく無い澄みきった心の持ち主だけが住んでいる国だといえると思います。
正善寺 熊原得也