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夜陰に涙する


7月31日20:30


「すごく驚いたんですけど」

 私が腰に手を当てて見下ろすは、我等が部長、跡部様。顔色も悪くベッドで横になって、何とも情けない姿ではないか。

 私は長太郎君から跡部が毒蛇に咬まれたと聴かされ、とても驚愕し心配になった。当然様子を見に行こうとする私に、長太郎君もついて行くと言い出したが、ロッジにいた樺地君に面会謝絶だと断られた。心底心配げに表情を曇らせる長太郎君を置いて、私は平然と樺地君の横を通り抜けロッジの中に入り込む。私が特に引き止められもしなかったという事は、本当はそれほど重態ではないんだろうと思った。
 そして待ち受けていたのは、ベッドの中から気怠げな眼差しをこちらへ向ける跡部。驚いたと顰蹙して告げる私を笑って、「よう」なんて気楽に言いながら身体を起き上がらせベッドの縁に腰掛けた。

「跡部、大丈夫なの?」
「ああ。蛇はヤマカガシだったが、深くは咬まれてねぇから平気だ…少し休んだら大分気分も良くなった」

 ヤマカガシの毒は遅効性なのだが、毒を持つ奥歯で咬まれていないのは不幸中の幸いか。今のところ多量の出血はしてないようだけれど、あまり安心は出来ない。
 すごく驚いた。でも、すごく心配したなんて言ってやらない。
 だって、平気だとか言いながら面会謝絶だなんて大袈裟に言うって事は、これからも体調不良のフリを続けるって事じゃないの。どういう腹なのか訝しくて仕方ない。

「…で、面会謝絶なんてどういうつもり?」
「どうも比嘉中の奴等が気になる。アイツ等、俺の事を変な風に勘繰ってやがるみたいだ」
「うん、まあ、それは最初からだけどね」
「俺が何かを企んでると誤解してるんなら、俺が表に出なきゃいい。そうすりゃ、アイツ等も変な勘繰りは止めるだろ」
「どうかなあ…私の見立てでは、どうあろうと跡部を疑ってかかると思うんだけど」

 跡部のこの事が噂になり始めている今も、彼等は怪しい怪しいと相談でもしてそうだ。
 悲しい事に、私を含めた全てを信用してないからなぁ、あの人達。

「フン、お前はそう言うだろうと思ったぜ。でもそれはそれでしょうがねぇ。このままの状態じゃ、アイツ等何をしでかすか解からねぇしな。こちらが先に行動を起こす事で主導権を握らねぇと、アイツ等に振り回されっ放しになる」
「…なぁんだ。他人に主導権奪われたくないだけなの?」

 子供みたい、と思いながら私が暗に笑うと、うるせぇ笑うな、と不機嫌そうに返された。

「樺地だけじゃ手が足りねぇからお前にも比嘉中の動向を探ってもらいたいが、ここでお前が動くと逆に怪しまれるだろうな」
「ええ、確実に怪しまれるでしょうね」
「仕方がねえ。とりあえず、山側の奴等にも俺の事が広まっちまうだろうから、手塚に話をつけといてもらえるか」
「ん、了解」

 お大事に、と気遣いの挨拶もそこそこに、跡部のロッジを後にする。
 完全に噂が広がっているであろう海側で話しかけられないように暗い場所を選んで小走りに進み、山側へ急いだ。

 幸いな事に、手塚君は橋を越えてすぐそこにある炊事場にいて、一目で見つける事が出来た。一緒にいるのは、大石君かな。
 私は小走りのまま二人に近寄り、遠慮がちに声をかける。

「二人共こんばんは。手塚君、少しいいかな? 大事な話があるんだけど…」

 私が大事な話と言えばそれはこの合宿についての事でしかない。それを手塚君も心得てくれていて、私の様子を見るなりすぐに頷いた。

「解かった――大石、すまないが…」
「ああ、いいよ」

 快く首肯する大石君に、うむと頷き返してみせる手塚君。信頼し合っているのが窺える良いコンビだ。私も大石君にごめんなさいとありがとうを言った。
 その場を少し離れてから、私は手塚君の袖を軽く引いて行き先を促す。

「ちょっと緊急だから、管理小屋に来て」
「…何かあったんだな?」

 神妙な顔つきで訊ねる手塚君。彼はまだ跡部の状態を知らないようだ。こちらではまだそれほど話は広まってはいないという事か。

「うん。取り敢えず歩きながら話せるのは、跡部が蛇に手を咬まれたって事」
「蛇? それで、跡部は大丈夫なのか?」
「命に別状はないみたい。詳しい事は、中で」
「ああ、解かった」

 手塚君を伴い、この合宿での私の居住空間、管理小屋に入る。コソコソしていたら周りから色々と怪しまれてしまうので、ここは堂々と中へ招いた。
 ランタンを点けて室内を灯し、ソファに掛けるようにと手塚君に手で示す。私はもう一つのソファに腰掛けて、手塚君と斜めに向かい合った。

 跡部の状態、命に別状はなかったが体調不良の芝居を続ける事、それで比嘉中の動向を探りたいという事、などを私が説明していくと、手塚君の表情はどんどん厳しくなっていった。同意しかねる、とか、あまりいい手とは思えない、とでも言いたげだ。しかし海側の問題に口を挟むつもりもないらしく、難しい顔つきのまま別の質問をしてきた。

「それで、こちらではどうすればいいんだ?」
「跡部の事をあまり広めないでほしいかな。誰かに訊かれても、具合が悪いだけでそんなに心配はないって言っておいてくれれば助かります。山側にも氷帝の人がいるし、お見舞いに行く、とか言われても困るから」

 とは言っても山側の忍足とがっくんは、跡部のお見舞いに行こうぜとか勇んで言うタイプじゃないと思うけどね。
 その要請に手塚君は了解したと言ってまた頷いたが、それを見て私は一気に気持ちが沈んでしまった。
 嫌だなぁ…自分だけならまだしも、他人にまで嘘を強要するなんて。しなくてはいけないなんて――

 腕を上げてんーっと背中を伸ばし、脱力して背もたれに深く背中をつけ、疲れと憂いを吐き出すように大きく溜め息を吐く。
 そんな私の様子に何か思うところでもあったのか、手塚君が労るような声をかけてきた。

、どうかしたのか?」
「え? うーん……皆に嘘をついたり、知ってる事を黙っているのにもすっかり慣れちゃったけど、いい気分ではないよなぁ…って」
「ああ…そうだな」
「だから、こう落ち込んだ時に手塚君みたいな、秘密を共有してる人と話せるのは、助かる」
「そうか」

 助かる、んだけど、それを素直に喜べないのは、それが良い事なのか悪い事なのか自分でも解からないからだ。意図的な嘘や隠匿というのは、自らに負担を与えるものなんだろうか。それとも単に私が嘘をつくのに向いていないという事なんだろうか。

「ごめんね、別に手塚君に愚痴を零すつもりはないんだけど…」
「いや、構わない」
「手塚君は、平気?」
「全く平気という訳ではないが…必要な事だと、思っているからな」
「必要な事、か…」

 必要な事――青学の部長であり山側のリーダーである手塚君は、そう思っているんだね。きっと跡部も同じように思っているんだ。…とても強い人達。

「辛いなら、俺にでも跡部にでも、吐き出せばいい」
「…優しいね、手塚君」
「溜め込むのは良くない」
「ちゃんと息抜きはしてるし、溜め込んでるわけじゃないよ。ただ夜とか、独りになるとね…あれこれ考えちゃって」
「……ああ…そうだな…」

 同じ立場だからこそ言える感慨深げなその応えに、どこか安心する。
 私はぽつりと、一つの懸念を吐き出してみた。

「きっと皆、気づき始めてる」
「…ああ、時間の問題だろう」
「でもね私、ホッとしてるの。あともう少しすれば嘘つかなくて済むようになるのが」

 不謹慎な事を言っているとは思うけど、吐き出していいって言ってくれたから、少しだけいいよね?
 すると手塚君はふっ、と力なく笑い、呟くように言った。

「……俺もだ」

 ああこの人は仲間を大切に思っているんだなぁ、と感じた。私なんかより、ずっとずっと。
 見習わなくちゃいけない。こういう強さを持てるように。

 話を終えて手塚君を見送ろうとドアの所までついて行くと、ドアの手前で手塚君が振り返り、確とした声で私に言った。

。辛い事もあるだろうが、決して独りではないという事を忘れないでほしい」
「……え」
「先程も言ったが、俺にでも跡部にでも吐き出せばいいんだ。何も我慢する必要はない」

 女子なのだから、とは手塚君は言わない。仲間なのだから、と。言ってくれている。
 もしかしたら、比嘉中の人達以上に誰も信用していなかったのは、私なのかもしれない。そんな事に突然気づかされた。

 ――涙が出た。一気に溢れた。気づいた時には滝のように流れていた。止める術が解からなくて、次から次へと出てくる涙を慌てて何度も拭って手で押さえた。
 ごめんなさい、ごめんね、ありがとう、ごめんね。涙声で繰り返す私の向かいで、手塚君の困惑したような気配がする。
 このまま手塚君の胸にでも縋りつけば可愛らしい女なのかもしれないが、そんな浅ましい事は出来ないと頭のどこかで拒絶する自分は本当に可愛くない。
 だから手塚君の方が痺れを切らしてしまったようで、躊躇いがちに後ろ頭をぐいっと引き寄せられた。よろけた自重を支える為に手塚君のジャージに掴まると、額が肩口にぶつかる。
 手塚君は無駄に私を抱きしめたりはせず、ただ頭に片手を添えて、時折撫でたり宥めるようにぽんぽんと叩いてくれていた。そんな優しさが本当にありがたくて、切ない。

 ありがとう、ありがとう。ごめんなさい。
 こんな風に、自分の為に泣くのはこれっきりにしよう。
 せめてここにいる間だけは強く在りたいと思う私の我が侭を、どうか許して下さい。





END





update : 2007.12.16
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