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斜陽に癒える


7月31日18:30


 夕食を終え、ミーティングも、まあちょっと気になる事はあったけれど無事に終わって、食堂の片付けの手伝いもそこそこに夜の自由時間の使い道を模索しに静かな場所へ足を向ける。
 皆ここの生活にも徐々に慣れてきて、私が何か手伝ったり教えたり出来る事も少なくなってきた。それが淋しいとまでは思わない、でも変な焦燥感はある。もっと頑張って役に立たなきゃとか、強迫観念めいた思いに囚われそうになる。
 疲れの所為かそんな暗い事を考えながら歩いて、自然と辿り着いたのは海岸だった。

 空と海原がオレンジ色に染まってて、綺麗。
 没しようとしている太陽の姿を追いかけて西の方を見ると少し先に、山側にいるはずのヒヨ君がいた。
 わざわざ海側へ来て何をしているのかと様子を窺ってみれば、どうやら古武術の鍛練のようだ。なるほど、砂浜で足腰も鍛えられて効果アップなわけですね。
 以前ここで亜久津君が鍛練しているところを見かけた事があるけど、武術家というのはなかなかマメだ。きっと比嘉中の人達もあの小屋の周りでこっそりやってるんだろうな。
 邪魔しちゃいけないと思いつつその場で眺めていると、やはりと言うべきか、ヒヨ君の方が痺れを切らした。

「……何か用ですか先輩」

 相手の存在を認めてしまえば離れている必要もないので、私は砂に足を取られながらヒヨ君の近くへヨタヨタ歩み寄る。
 ヒヨ君が自分から歩み寄ってこないのは相変わらずとして、私が向かうその間は何もせずに黙って待っていてくれるところは、何と言うか、優しい子だなぁと思う。

「こんばんはヒヨ君。精が出るね」
「日課ですから」

 簡潔で無愛想なご返答。まあ私とヒヨ君の会話はいつもこんなものだ。邪魔だからあっち行けと言われずに済んでいるのは、偏に私が先輩だからだというだけの事である。
 何だか苦手意識を持たれてるみたいだけど、私はヒヨ君嫌いじゃないんだよなぁ。

「はい、お水あげる」

 自分用に持ってきていたボトルを押しつけると、ヒヨ君はありがとうございますと言って躊躇いがちに受け取った。うん、今はきっと私よりヒヨ君の方が必要だろうからそれで正解。
 ヒヨ君は何気なく手の中でボトルを弄び、その手元を見ながらぽつりと呟いた。

「…先輩、疲れてませんか?」

 あらやだ。ヒヨ君に心配されるほど疲れた顔してるのかな私。
 ヒヨ君は私の答えの真否を探るようにじっと見据えてくる。私は曖昧に笑って肩を竦めた。

「そりゃ、多少はね。でも皆ほどじゃないよ」
「そんな訳ないでしょう。先輩が一日中合宿所内を駆け回ってるのを見かけますよ。数時間ごとに全員に水を配って、食事当番の奴が料理が苦手だったら手伝って、作業も手伝って、アンタ、俺らよりもよっぽど働いてるはずだ」
「…………」

 意外な人の意外な目撃証言と、それに含まれるあたたかな気遣いが嬉しくて、胸が熱くなった。
 何だか少し泣けてきてしまって、目に涙が浮かぶのを誤魔化すようにヒヨ君の頭をくしゃくしゃ撫でる。
 やめろともがこうとするヒヨ君の頭を両手でガッと捕まえニコッと微笑みかけると、抵抗がぴたりと止んだ。

「ありがとう。見ていてくれたんだ」
「ちっ、違いますよ! アンタでっかい麦わら帽子被ってるから目立つんだよ!」

 赤くなっちゃって、素直じゃないなぁ。
 理由が何だろうと嬉しいのに変わりはないのに。

「ありがとうヒヨ君」
「ッ…礼なんて、言われる覚えはありません…」
「そう? 私は、嬉しかったよ」
「それでも、礼を言わなきゃならないのは、きっと…――」
「ねえヒヨ君。皆はテニスの合宿の為にここに来たんでしょう? 私はそんな皆のサポートをする為にここにいるの。だから私が皆より働いてるように見えるのは当たり前なんだよ。それが私の仕事なの」
「……」

 ヒヨ君は黙り込むと、頭を掴んだままでいた私の両手をそっと剥がして、片手ずつ自分の左右の手に取った。
 私はそれに抗わず、ヒヨ君の物憂げに伏せられた睫毛をただ静かな気持ちで見つめる。

「…ちゃんと、休んでますか?」
「うん、今」
「今?」
「こうして立ち止まって、ヒヨ君と休んでる。今すごいリラックスしてるよ私」
「ッ! こ、こんなの、休んでるなんて言いません」

 握られていた手が慌ててパッと放される。
 からかわないで下さい、なんて言ってヒヨ君はまた赤くなった。からかってなんかないのになぁ。
 慣れ親しんだ後輩との他愛ない触れ合いは、それだけで心休まり温まる。荒みかけていた感情が和らいでいく。
 私はわざとらしく伸びをしてみせた。

「んーっ、癒された癒された」
「ですから…」
「可愛い後輩に気遣ってもらえたんだもん。疲れも吹き飛ぶし、頑張らなきゃって思うよ」
「アンタ何も解かってないな!」

 突然怒鳴られて、私はちょっと驚いてビクッとなった。
 ヒヨ君も自分の言動にハッとし、所在なげに目を逸らしてボソボソと呟く。

「…先輩は充分に働いてくれてるからこれ以上頑張らなくてもいい。無理するなって言ってるんですよ」
「……うん」

 やっぱり、「ありがとう」と言いたくなる心遣いだ。
 そして、ちょっと複雑。
 普段の部活の中ではそれほど労わられる事もなかったのに、この島に来てからは皆が何かしら私を気遣う。それって私が女だからと言うよりも、私が無理をしているように見えるからなのかもしれない。
 自分の限界くらいはちゃんと解かってるつもりなんだけどな。一人でするには大変な事があったら手の空いてる人に頼みもしてる。
 それでも確かに、私はほとんどの事を一人でこなしてしまっていて、それは傍目には『無理』に映るのかもしれない。うーん、難しい。

先輩。アンタが何と言って突っ撥ねようと、俺は――俺達は、アンタに感謝しなきゃいけない」

 決然とした声に、俯きかけた顔を上げる。
 ――あ。いつの間にやら、太陽はこんなにも傾いてたんだ。
 オレンジ色の太陽はヒヨ君の真後ろに来て、彼の輪郭を黒く濃く浮かび上がらせている。

「いつも…ありがとうございます」

 …嬉しい、嬉しいよ。ありがとう。

 逆光の眩しさに涙が滲んで、輪郭もぼやけるほどその姿ははっきりとしないのだけれど。
 その顔が、なぜか夕陽とは違う朱い色に染まっているのだけは、何となく解かってしまった。

 お礼と称してほっぺにチューでもしたら、この予想は確実になるだろうか。ふふ、またからかうなって怒られそうだ。
 試してみたい欲求を抑え込んで、その代わりに私はもう一度、ヒヨ君の頭をくしゃくしゃに撫で回すべく腕を伸ばしたのだった。





END





update : 2007.03.19
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