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再会に熟する


8月5日13:00


 すっかり馴染み深くなった潮風が、私の髪を巻き上げ頬を強く叩いていく。
 合宿所のあったあの島から出港して一時間ほどが経つ。甲板に立って見えるものは、360度どこまでも続く水平線だ。天気が良く波もそこそこ穏やかで、変化と言えば時折水上に跳ね上がる魚くらいか。
 昼食時の今、船内の大広間では大人数の男子中学生が空腹を満たす為に一堂に会している。
 賑やかで騒がしくて楽しいそこにいるのも良かったのだけれど、たまの静寂を求めて一人で大広間を抜け出してみたらさあどうしよう、もう既にちょっと淋しいかもしれない、なんて思って、今日まで自分がどれだけ多くの人と関わってきたのかを改めて知る。
 そろそろ戻ろうかなと考えていると、波音に混じり人一人の足音が聴こえてきた。
 それに気づいて振り向くのと、声を掛けられるのは同時だった。

「キミは昼食を食べないんですか?」

 落ち着いた低めの声と眼鏡の奥の鋭い眼光。やって来たのは意外にもあの木手君で、私は目を見張る。

「少しだけ頂いたよ。そっちこそ、食べ終わるには時間が早いんじゃない?」
「俺は……キミが早々と広間を出るところを見たので、捜していたんです」
「おや、私に何か用があったの?」
「ええ、まぁ……」

 そう答えたきり、木手君は口を噤んでしまった。何か言い難い事なんだろうか。
 相手が話し易い空気になるまで待とうと、私は雑談ついでにこちらから少し気になっていた事を問いかける。

「ね、一つ訊きたかったんだけど、あの時私が真実を教えようと貴方達を連れ出さなかったら、どうするつもりだった?」
「救命ボートの一つを使って、三人だけで島から脱出するつもりでしたよ」
「あー……それなら、間に合って良かった」
「どういう意味です?」
「あの島周辺は海流が複雑らしいから、一歩間違ったら潮に流されてもみくちゃにされてたかも」

 それを聴いて木手君は片方の眉を器用に持ち上げ、少し居心地悪そうに目を逸らす。

「そうでしたか。なら俺達はキミのお陰で、二つ掻くはずだった恥を一つ減らせたわけですね」
「……何だか含みのある言い方じゃない?」
「いいえ何も。キミには感謝していますよ」

 何もないとはとても思えないけれど、皮肉は自分達へも向かっているようだったから、それ以上は追求しない事にした。反省はしているのだろう、多分。
 そこで一旦会話が途切れ、ややして木手君が神妙に口を開いた。

「……俺達は、出逢ってまだ一週間程度ですよね」
「うん、そうだね。この一週間は毎日が濃くて、何だか皆とは長い事一緒に過ごしたような気がするけど、本当はすごく短い期間だったんだよなぁ……」

 一週間どころか一ヶ月は一緒にいたような、そんな濃密な毎日だったな。
 色んな個性を持つ何人もの人達と話してぶつかって仲良くなって、振り返ればあっという間だ。
 私が思わず遠い目をしてしまっていると、木手君は独り言のように呟いた。

「そう……だから、結論を出すにはまだ早いと思っている」
「え、何の?」

 本当に独り言なのかと思うくらい話が唐突で、聞き返さずにいられない。

「――さん。全国大会が終わった後、キミと話す機会が欲しい」
「うん、それは是非。私も、こうしてまた木手君と話せたら嬉しいよ」
「時間を置いても尚、この気持ちが消えないのなら、俺は――」

 その時、びゅうっと強い風が私達に吹きつけて、木手君の最後の言葉は聴き取れなかった。
 しかも風に運ばれた塵か何かが左目に入ってきて、私は異物の痛みに咄嗟に目を覆う。

「痛ッ……!」
「目に何か入ったんですか? 触らないで、ちょっと見せてみなさい」

 木手君が目を庇う私の手を掴んで離させ、顔を覗き込む。
 瞼を閉じても開いても感じる痛みに左目からは涙が溢れ、釣られて右目にも涙が滲んだ。
 ぼやけた視界に映る木手君はハッと息を飲んで、すぐに私を労るような表情をしたけれど、その直前、一瞬だけ苦悩に歪んだように見えたのは気の所為だったろうか。

「……どうやら涙で流れ落ちたようですね。もう大丈夫だと思いますよ」

 そう言いながら、木手君は顔を離してポケットからハンカチを取り出し、私の手に握らせた。
 それを有り難く使わせてもらっていると、木手君が呆れた様子で笑う。

「こんな時にこそ、キミの万能ポーチが役に立ったんじゃないですか」
「あははっ確かに。目薬も入ってた」

 私が合宿中付けていたウエストポーチを、まるで某四次元に繋がったポケットのように表現されて思わず笑ってしまう。
 こんな風に木手君と軽口を交わし合う時が来るなんて、最初の頃には考えられなかったなぁ。
 目にはまだ痛痒い感覚はあるけれど涙は止まったので、私は木手君のハンカチをポケットに仕舞って礼を言う。

「ハンカチありがとう。洗って返すね」
「……そうですね。それを次に逢う為の約束にしましょうか」
「約束なんてしなくても、ちゃんと返すのに」
「そんな事はどうでもいいんですよ。重要なのは……約束そのもの、です」

 えーっとそれは率直に言うと、私と約束をしたかっただけって事? ていうかその前の「次に逢う為の」って言葉を思い返すとハンカチは二の次で、逢う方が第一だって聴こえるんだけれども。
 ……何だか告白でもされてるような気分になってきて落ち着かない。
 いやいやさすがに違うよね勘違いも甚だしいって鼻で笑われちゃうレベルの自惚れよね。
 私はもう恥ずかしくなってそわそわ目を泳がせつつ、「うんわかった約束ね」とか何とか返答した。

 最終的に顔を伏せてしまった私の視界に、つと差し出された木手君の左手が映り込んでくる。
 平常ならば握手を求められているのだと解かっただろう、しかしこの時私は動揺していた。
 だから、差し出された手の中から、わざわざ小指を選んで、自分のそれと絡めてしまう。
 指切りの形になってハッと気づいた時には既に遅し、恐る恐る木手君の顔を窺うと、木手君は正しく虚を突かれたという驚きの表情をしていた。

 私は咄嗟に謝ろうと口を開いたが、すぐに言葉を失ってしまう。
 木手君の表情が、まるで手のかかる親しい相手に「仕様のない人だ」とでも言うような、眉を少し下げた柔らかな微笑みに変わったから。
 行動不能に陥った私に、木手君は小指を絡め返しながらそっと囁く。

「また、逢いましょう」





END





update : 2014.10.07
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