TOP > DREAM > 連弾 前編
連弾 前編





「ねね、。俺昨日さ、すっごく可愛い女の子見かけちゃったんだ!もう笑顔がホント激可愛くてさあ!」
「ふーんあっそ。あたしは可愛い女になんて興味ねェから、ちょっと黙ってて」
「…もしかして嫉妬した?」
「シット…?――ああ、『クソったれ』って思ったかって?はいはい思ったよ」

 俺の部屋に来て俺のベッドの上で悠々とあぐらをかき俺の買ったジャンプに読み耽りながら顔も上げず面倒臭そうに受け答えするは、俺が五才の時にお隣りに引っ越してきた俺と同い年の女の子で、いわゆる幼馴染みというやつだ。
 は小さな頃から、男勝りで、口が悪く、無愛想、と三拍子揃った変わった子で、顔も頭もいいのに性格でかなりツケが回っている。
 ある程度成長すれば女らしくなるのだろうかと淡い期待を抱いていた俺は、中学三年になった現在でも昔のまま変わらないに、どこか安堵するもガックリと肩を落としたものだ。
 そして今も、俺は言い知れないほどのショックを受けていた。

「お、女の子が『クソったれ』なんて言っちゃダメだよっ!」
 床からベッドに詰め寄る俺に、はやっと顔を上げてウザそうな顔をした。
「はァ?男なら自由に『クソったれ』って言っていいわけ?キヨ、女に夢見んのやめたら?――それから、ジャンプ読んでんだから話しかけないでくれる?」
 俺のジャンプ、しかも俺まだ読んでないんだけど…――と喉まで出かかった言葉を飲み込む。俺ってば、こんな傍若無人なに文句の一つも言えないんだ。
 惚れた弱み――俺は昔からずっと、いろんな意味でが好きだった。

 初めて逢った時のは短すぎるくらいのショートヘアで、俺は最初男の子かと思ったけど、女の子だと知った時には幼心に感動した。こんなカッコイイ女の子は見たことがない、と。
 お隣りのよしみで俺たちは一緒に遊ぶようになると、不思議と自然に男の子の友達とするように駆け回ったり、キャッチボールやサッカーをしたり、家でゲームをやったりした。近所の男の子が一緒になる時もあったけれど、誰もが女の子だからと仲間外れにすることはなかった――そう言ってをハブこうとした奴にがブチ切れて(「テメェ今なんつったゴラ!」)、泣いて謝るまでボコボコに叩きのめしたからだ。それからは男の子達に一目置かれる存在になった。
 それに反して俺の姉貴が、何とかを女の子らしくしようと考えたのかに自分のお古の可愛い服を与えようとしたり女の子達の遊びに誘ったりしたが、は口を引き結んで顔を少し赤くし、首を横に振るばかりだった。
 俺が、どうしてそんな頑なに女の子らしいことを嫌がるのかと訊くと、はこう答えた。
「別に嫌じゃない。合わないだけ――あたしがヒラヒラフリフリのスカートとか穿いてんの想像出来るか?」
 出来ない。でも似合わないことはないんじゃないかとも思ったけど、言わなかった。
 幼い頃は遊び相手が同性の方が楽しいに決まってる。だから一番近しいが男っぽいのは俺としては大歓迎なのだ。
「女の子らしくなきゃいけないのか?」
 ううん。俺はそうは思わないよ。のままでいい。
「そっか…キヨ、ありがと」
 だって――たまに見せるの笑顔はすごく可愛くて、まぎれもなく女の子だったから。中身がどんなでも、君は女の子なんだって、俺には最初から解かってたんだ。
 俺は、男友達としてのが好きだったし、女の子としてのはもっと好きなんだ。
 それから小学校に上がり、とはタイプの違いすぎる女の子がたくさんいることに驚いた俺は、いつしか女の子という存在に興味を持つようになった。一人一人が可愛くて、世の中の女の子は全て可愛いものなんだと理解した。見た目が可愛い子はそのままで可愛いし、どんなにブサイクだと思われている女の子でも、仕種や性格の端々に可愛い部分を持っている。皆それぞれ可愛い。
 ただ、以上に笑顔の可愛い子はいないと思う。悪戯っぽいやんちゃな笑みも、俺だけにたまに見せる穏やかな微笑みも、全部可愛い。
 中学校へ上がるとは制服のスカートを穿くようになって、が自分で言うよりずっと似合ってて、また可愛いかった。
「私服の中学が近くにあれば迷わずそっちに行ったんだけどな…」
 なんて憂鬱そうには溜め息つくけど、俺にはラッキー。制服でもなければはスカートなんか穿かないだろうからね。貴重貴重。
 それによくよく見れば、の膝とかには幼い頃のケガの痕が残ってたりするけど脚自体はスラッとしててすごく綺麗だし、身体も柔らかな曲線を描き始めていて、やっぱり女の子なんだなあと俺はドキドキしたり、それに気づいたのが俺だけじゃなかったらどうしようなんて妙に不安になったりもした。の可愛さは、俺だけが知っていればいい。
 その祈りが通じたのか、誰かがにちょっかいを出したなんて話は今まで聞かなかった。でも悲しいことに、は色恋沙汰に全く興味がない。どんなに俺が好き好きアピールをしても、友達の域を脱してないと思ってるのか、の対応は冷たいものだ。まぁ、軽く言っちゃう俺にも問題があるんだろうけどね。
 どうしたらこの長年の恋は実るだろう?

「…女の子に夢見てるわけじゃないよ――」
 静かになった部屋にぽそりと呟くけど、は聞いてるのか聞いてないのか、表情を変えずジャンプに目を落としたままだ。俺は構わず続けた。
「――だって見てたら…夢から覚めちゃうし…」
「フッ、言うね」
 がページをめくりながら不敵に笑って合いの手を入れた。俺もちらっと苦笑いを浮かべた。
「ま、「女の子が」って言っちゃったのは謝るけどさ、綺麗な日本語使ってほしいかな〜…なんて」
「今時の若モン代表格が何言ってんだか。アンタだって「激可愛い」とか変な言葉使ってるだろ」
「あ、それもそうか――じゃなくて!えっとほら、はせっかく綺麗な声してるのになーって」
「よくそんな歯の浮くようなこと言えるな――ハハッ…なぁなぁボーボボ面白いよ、キヨ読んだ?」
 読んでねぇよ。ていうか、は俺の言葉を何一つ真面目に受け取る気ないだろ。

 はぁ…俺、よく我慢してるよなぁ…
 押し倒してやろうか、なんて黒い感情が芽生えたけど、無駄だって解かってるんだ――やったことあるからね。その時も俺は今みたいにの態度にちょっとイラッときて、後先考えずにの腕を掴んで押し倒したら、「あァ?」ってものすごく不快な顔したに、俺の大事な所をしこたま蹴飛ばされたんだ。あれは本気でツラかったー…再起不能になるかと思ったし。あんな反撃はもう二度と食らいたくない。トラウマになってるかも。
 でもは俺にあんなことをされても、こうやってまた俺の部屋に上がり込むんだから、一応は信用されてるのかな。それとも俺なんて怖くもないのかな。解からん。
 ただこんなだからこそ、ちょっとした心配事もある。俺だからこうして多少のことは許してるけど、他人に対してもこんな感じだったら、いらぬ敵を作ってしまうんじゃないかとか、シャレにならない事態になっちゃうかもとか――まぁ、なぜか女子には人気あるんだけどね。背ぇ高くてカッコイイし、男の俺よかずっと男らしいからかな。羨ましい話だ…――ああいやいや、の敵になり得るのは女よりも男の可能性が高いってことが本当に心配なんだ。性別の差なんてほとんどなかった子供の時とは違うんだって、ちゃんと理解してるのか。は女の子なんだぞ。何かの腹いせに大人数でマワされたりしたらどうするんだ。
 ああ心配でイライラする。
「…ねえ、
「ぁン?まだ何かあんの?」
「俺のこと、何だと思ってる?」
 「どう思ってる?」じゃなく「何だと思ってる?」と訊ねるのは、にとって俺は友達以上じゃないって解かってるからだ。でも、自分がどの辺りのポジションにいるのかくらいは知りたい。俺はの傍にいて守ることが許されているんだろうか。

 は読み終わりに近いのかパラパラと捲っていたジャンプから再び顔を上げて、不思議そうに俺を見、片眉を器用にヒョイと持ち上げた。
「は?――何って、親友だろ」
「…………はい?」
 当たり前のことだろ何訊いてんだお前、と言うようには答えたが、が俺を『親友』と思ってただなんて寝耳に水だ。そしてその答えが、「好き」と言われるよりずっと嬉しいように感じてしまって、変な気分だった。
「あたしが気ィ許してんのはアンタだけだよ。じゃなかったらあたしの足下にエロ本隠してる男のベッドに上がるわけねーだろ」
「ななな何でそれをッ!?」
 目立たないよう他の物と一緒にしてカムフラージュしてたのにッ!
「男は皆エロ本をベッドの下に隠してるモンなのかなーと思って、キヨがいない時に漁ってみた」
 は少し伸びてしまった前髪を邪魔そうに横に掻き上げながら、悪びれもせず不法捜索を認めた。
「…中見たの?」
 俺は言いようのない恥ずかしさと情けなさを抱きつつ、恐れも入り混じらせて訊いた。
 は肩を軽くきゅっと竦め、こともなげに頷いた。
「見た。所々ページに折り目入ってたけど、そこの女が好みなの?アンタちょっと趣味悪いと思うよ」
 ぎゃあ!中まで見たのかよ!ていうか折り目入れたページの子は、ちょっとに似てたんだよ!自分で趣味悪いとか言うなよ!むしろ気づけ!
 頭の中だけでのツっこみはやたら疲れるということを、俺は身を以って良く知っている。軽口は得意な俺が、言いたいことも言えないって結構ツラいよ。

 …で、何の話してたんだっけ?……『親友』…?
 今さらだが、エロ本を隠していたのがバレていたことよりも、の『親友』発言の方が恥ずかしくて、俺は瞬時に顔がかあっと熱くなるのが解かった。俺はに見られないように口元を手で隠す。
「…、俺のこと親友だと思ってるの?」
「そ。ま、アンタが嫌なら何でもいいよ、『一番仲がいい男友達』とかでも。あたしが勝手にそう思ってるだけだから。肩書きなんて関係ないし」
「それって、俺を信用してるってこと?」
「信用してるし、信頼もしてる。あたしがこんなでも、最後まで見捨てないでいてくれるのはキヨだけだろ?」
 はニッと男らしく笑って、話しながら読み終わったジャンプを俺に投げ寄越してきた。それが不意打ちで俺はジャンプを受け取り損ない、本の背表紙が胸の真ん中にモロにヒットして、「ウッ」と身を屈めて呻いた。それを見ては噴き出し、布団をバンバン叩いてケタケタ笑う。
「あっは!自慢の動体視力はどうしたよ!」
「いや〜…に見とれててね」

「あたしに見とれてるヒマなんかないんじゃないの?アンタにゃ、他にやらなきゃいけないことが山ほどあるはずだ」
 俺の口説き文句はには全然通じなかった。はニヤッと笑ってベッドの上から俺に人差し指を突きつける。俺はちょっと怯み、それをごまかすように眉を顰めて痛む胸を撫でさすりながら「…たとえば?」と訊ねた。
「あたし以外の女のケツを追っかけること――」
 俺の気持ちを知っててそれを言ってるんだったら、はなんて残酷なんだろうと思う。でも以外の女の子のお尻も追いかけてるっていう事実は否定できなかったり…
 俺が何も言い返せないでいると、は笑顔で続けた。
「――それにあたしは、あたしに見とれるキヨよりも、テニスやってるキヨの方が好きだよ。ボールを追っかけるのも――女のケツを追っかけるのも――まぁ一生懸命に見えるからね。だから、あたしに好かれたいと思うなら一生懸命何か追っかけてろよ、キヨ」
「それは……………………」
 長い長い俺の沈黙。それもそうだ、だって、は、俺がを女の子として好きだってこと、知っていたんだから。知っていて、こんな、ガッカリするような、嬉しいような、頭が混乱するような命令を、してくるんだから。
 違うよ、、複雑なんだ。俺が追いかけたいのは、俺は、俺は――
じゃダメなの?」
「追っかける対象?ダメダメ、あたしなんか追っかけても、つまんないだろ。どうせならドーンとデカいモンにしなよ」
「デカいよ!ドーンだよ!は――!」
「……」
 強くて、堂々としてて、弱音なんて絶対に吐かない、誰にも負けやしない。俺の憧れ。俺の未来。
「――俺…にはいつだって、追いつけないんだ…」
「…だからつまんないって言ってんだろ」
 話し疲れたのか、が「ふーっ」と重苦しい溜め息をついた。確かに、今日のはやけに饒舌だ。どうしてだろう、もしかしては、これを機に自分のことを諦めろって俺に言ってるのかな。
 そんなに…そんなに、俺は恋愛対象に見られない?10年という決して短くない年月で培った信頼は、恋愛への道にはならないの?

「…あたしがさ――」
 はベッドの端に座って身を乗り出し、床にいる俺と目線を合わせた――俺の大好きな笑顔で。
「――結婚適齢期過ぎても独身だったら、キヨ、もらってくれよ。あ、キヨも独身だったらの話だけど」
「……っえ!?な、な…に?」
 今の、俺の聞き間違いってことないよな!?
「あたしを嫁にもらおうなんて奇特な奴、なかなかいないだろうからね。でも年取って独りぼっちってのも淋しいだろ?アンタが結婚してたら、今みたいに友達続けてやってよ」
 …正直嬉しい。がそんなことを頼むのはきっと俺だけなんだろう。けど、そんなのってない。ないよ。
「嫌だ」
 俺がキッパリそう答えると、は失望するでもなく、何でもなさそうに身体を上げて「あ、そ」と呟いた。その態度がまたイラついた。俺はの足を挟むように両手をベッドに付き、の顔をキッと睨み上げた。
「俺はおこぼれが欲しいわけじゃない!俺は全部実力で手に入れたいんだ!俺を親友だって言うくせに、そんなことも解かんないのかよ!?」
 俺の剣幕に、は珍しく驚いたように目を見開いた。俺、に怒鳴ったのなんて初めてかもしれない。て言うか、普段誰かに怒ることすらない。だからか、言いたいこと言った後に、小さな震えがきた。心臓がドクンドクンと速く鳴り出す。ああ俺ってばなんてチキンハート…いや平和主義者なんだろう。
 睨みながら俺がこんなことを考えてるなんて、は想像もしてないだろう。は眉をぎゅっと寄せて、俺から目を逸らしもしない。俺の方が目を逸らしたいくらいだ。

 突然の手のひらが、俺を落ち着かせるようにぽんと俺の頭の上に降ってきて、力を入れていた俺の目元の緊張が自然と解けた。
「…ごめん、キヨ」
 少し申し訳なさそうに呟いて、不器用にガシガシと俺の頭を撫でる。うん、ちょっと力こもってて痛いよ。地味に怒ってるだろ。なあ、おい、いい加減ハゲるよ俺。
「…あたし、もうここに来ない方がいいか?」
 がぽつりととんでもないことを零した。
「へっ?」
「それとももう馴れ馴れしく話しかけない方がいい?」
「な、何を…っ!?」
 先ほどの憤りなんてどこかへ行ってしまった。ひどい動揺だけが頭を支配している。とこんな風に会えなくなる?話せなくなる?そんなの考えたこともない。
「だってあたし、アンタの友達失格なんだろ?この長い幼馴染み関係にピリオドを打ちたいのかと思って」
 は笑いも怒りもしていないかった。淡々と喋り、無表情だ。
「そ、そりゃまあ打ちたいよ。でもと離れたいわけじゃな――」
「あたしがいつまでもここに来てたら、何も変わらないと思うよ」
 またイライラが再発してきた。どうしてはここまで俺の気持ち、何も解かってくれないんだ。
「――ああもうッ!何だかんだ言って結局、は俺なんか眼中にないんだろ!」
「他の男よりは目ン中入ってるよ。て言うか、アンタは今のところあたしの視界に入ってる唯一の男だろ」
「……」
 多分、俺の言葉はに通じてない。噛み合ってない上に平行線なんだ。俺がまた睨んで黙っていると、の口調もイライラしてきた。
「さっきの嫁にもらえって話もだけどさあ、あたしがあんなことを他の男にも言うと思ってンのか!あァ?そんなことも解からねぇんだったら、もうアンタを親友だなんて思わねぇよ!」
「俺は、に親友だと思われたいわけじゃない!こそなんか勘違いしてるんじゃないのか!?」
「勘違いィ!?それはテメェだろ!!いつあたしがキヨを――……ッ!」
 は怒鳴る途中でハッとして、何か自分の失言に気づいたように慌てて手のひらで口を塞いだ。

「…俺を…何だよ…?」
 途中で言葉を止めるなんて、言いたいことはズバズバ言うらしくない。てことは、知られたくない重要なこと…?
 は突然立ち上がり、俺の脇をすり抜けてドアの方へズカズカと歩いた。
「何でもない。帰る、もう来ない」
 俺も慌てて立ち上がり、がノブに手をかける前に腕を掴んでこちらを向かせた。
「待てよ!言いたいことがあるなら言えよ!」
「もういいって。ケンカ別れ、上等じゃないか」
 突然冷静になってしまったようで、こういう時のは本当に取りつく島がない。誘導なんかが効くとは思わないけど…
「…まさか、実は俺を好きだとか言わないよね?」
「言わねぇよバカ。手ェ放せ」
「放さない。気になるだろ、ちゃんと最後まで言えよ」
「言ったところで、あたしもアンタも納得なんて出来ないだろうよ」
 何で俺だけじゃなくも納得できないんだよ。言ってることおかしいぞ。
「…何それ、どういう意味?今だって何も納得なんかしてない、言わなきゃ何も解かんないよ」
「……あたしは、今までみたいにアンタと一緒にいられればそれでよかったんだ。もう何も訊くなよ。あたしはもうワケの解かんない押し問答なんかしたくないんだっ」
 そりゃこっちのセリフだ。と言いたかったけれど、俺は言葉を発するための息を吐き出さずに呑み込んだ。
 ――…なに…泣いてんの…?

 ボロボロ零れる涙をゴシゴシ乱暴に拭って、子供みたいに無防備な顔して…こんな、俺は知らない。俺はこれ以上ないくらい驚いて動揺した。
「キヨが悪いんだ!あたしとの関係を変えたいなんて言うから、壊れた!あ、あたしは、あたしは、ただキヨといられれば、それでよかったんだ!」
 横隔膜に変な癖がついて、言葉の所々でヒックヒックとしゃくり上げてしまっている。言ってることがワガママで支離滅裂だしヒステリーを起こしてて、本当に、まるで子供みたいだ。俺はとりあえず、ついにワァワァと泣きわめき始めてしまったを抱き寄せて背中を軽く叩いたり撫でさすってやった。ああクソ、泣きたいのはこっちだよ――…って、こんなに肩細かったんだ。
「泣かないで、ねぇ、…頼むよ」
 女の子に泣かれるのが苦手じゃない奴なんていないだろうけど、これは格別だ。10年も一緒にいて涙一つ見せたことのなかった女の子が、今になって俺の目の前で泣きわめくだなんて誰が想像する?何で泣くんだよ。
「あ、あた、しを、女扱いするな!」
 が拳でドンッと俺の胸を叩いたので、俺はその手を掴んだ。
は女の子だろ」
 いまだかつてこんなにが女の子に見えたことがあっただろうか。弱々しい表情、声、力、細い手首、身体。どこから見ても女の子だろ。
「女じゃ、なくたっていい!」
が女の子じゃなかったら、俺ホモになっちゃうよ」
「あたしなんかやめとけっつってんだろ!」
「嫌だ。仕方ないだろ、好きになっちゃったんだから。諦めてよ」
「ぅう、うーっ!」
 今にも噛みついてきそうに唸る。まるで手負いの獣だ。

「ねぇ、もうやめてよ、俺の気持ち否定するの――どうして俺がを好きでいちゃいけないの?」
「あたしは誰も好きにならない!好きって何だ!?そんな大層なモンなのか!?あたしと両想いになったからって、一体何が変わるって言うんだ!」
「それは…――」
 と付き合ったとして、何が変わるだろう…………うわー、なんか、今と何も変わらないような気がする。愛を囁き合うことはおろか、キスもろくにできないんじゃなかろうか。でも、だからってそれが無意味だってことにはならないだろ。愛が神聖で崇高なものだとまでは言わないけど、俺にとっては唯一無二の大切なものだ。
「――俺は、変化が欲しいわけじゃない。これから先も、とずっと一緒にいられるっていう約束みたいなものが欲しいって言うか、一番傍にいられる権利が欲しいって言うか…上手く言えないんだけど…」
「じゃあ最初っから何も言わなきゃよかったんだ。放っときゃ勝手に傍にいたのにさ」
 は完全にふてくさて、忌々しそうに俺の腕をバッと振り払った。
「いやいや、キスだってそれ以上のことだってしたいよ」
「勝手にすりゃいいだろ!」
「…え、していいの?」
「したきゃすればいい。ブン殴られる覚悟があるならな」
 あ、やっぱ殴るんだ。パンチングマシンで100kg出したに……キスできるなら殴られてもいいな――…っていいのか俺!?よくないよくない!
「いやだから俺はー、ムリヤリとかじゃなくて、ちゃんとね、好き合って、殴る殴らないの心配がなぃ――ッ!?」
 俺の最後の言葉は、の唇によって閉じ込められた。キスされたのだと気づいたのは、すぐに離れたに思いっ切りビンタをされてからだった。俺の目は確実にの手のひらの形を捉えたのに、動けなかった。バヂーンとひどく乾いた音が響いたけれど、それが自分の頬が作った音だとはとても思えなかった。顔だけでなく身体も横を向いて傾き、そのまま倒れ込みそうになるのを、辛うじて足に力を入れて踏み留めた。止まってから、ジンジンと頬が熱を持って痛み疼き始めた。目がチカチカする。『星が飛ぶ』って表現が本当に的を射ていたんだって初めて知った。
 呆然として視線だけをに向けると、はまた新しい涙をボロボロ零して、憎しみのこもった眼差しで俺を睨んでいた。
「殴られる覚悟もねぇくせに、あたしとキスしたいなんて言うんじゃねぇボケッ!!グーじゃなかっただけありがたいと思え!」

 ――ガチャッ!バン!ドシンドシン…!「お邪魔しましたっ!」ガチャッ、バタン…

 ……やりたいことやって、言いたいこと言って帰りやがった。俺が何したって言うんだ。「殴られる覚悟」って、普通付き合ってたらいらないだろ?俺はそういうことを言おうとしたのに、一般論も通じないのか?ホント、泣きたいのはこっちだ。頬っぺた腫れてきてマジで痛い。
 ああ…俺のファーストキス奪われた。直後の平手打ちの方が強烈で、感触も思い出せない。ちくしょう、ずっと好きだった女の子との初めてのキスが、こんな形になろうとは。
 どうして泣くんだ。どうして怒るんだ。どうして最後まで言いたいことを言わなかった。俺は、もっとはっきりしたの気持ちを聞けるなら、もう一回殴られたってよかったのに。
 …ああクソったれ。俺は理不尽に殴られても、まだこんなにのことが好きなんだ。染み込んで、納得するまで、殴られても何度でも好きだと言ってやりたかった。俺はバカだ、もバカだ。バカ同士お似合いじゃないか。

 とりあえず氷か何かで頬を冷やそうと、俺はノブに手をかけようとした。が、先に向こう側から勢いよくドアが開かれ、俺の手は空を掴んだ。顔を上げると、開かれたドアの向こうにいたのは俺の姉貴だった。般若のような恐ろしい形相をしている。
「…あんた、なにちゃん泣かしてんの?」

 ――もう女とのバトルはうんざりだ。





update : 2005.04.24
ドリームメニューへ後編へトップページへ