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連弾 後編





「――あんた、バッカじゃないの!?」
 ああ姉ちゃん、俺がバカだってのはよく解かってるからさ、高い声でキンキン怒鳴らないでくれよ。腫れに響く。

 が帰った直後に俺の部屋に現れた姉貴は、今までこの部屋で何があったのか話せと詰め寄ってきた。姉貴の部屋は隣なので、怒鳴り合いを始めた時からの会話は何となく聴き取れていたらしいけれど、事の詳細を知りたいらしい。俺と同じで可愛い女の子が好きな姉貴は、昔から可愛いが大好きで妹みたいに思っている。姉弟揃ってが大好きなんだ。だから俺がを泣かせたこと(と言われるのは不本意だが)にかなりご立腹の様子で、話せと迫ってくる笑顔は吹雪のように寒かった。
 そして先ほどまでのとのやり取りをしぶしぶ話したら話したでこの罵倒。一体俺が何をしたって言うんだ。むしろファーストキス奪われたあげくにビンタ喰らって、何かされたのは俺の方だよ。
 姉貴はさっきまでのと同じように俺のベッドに腰掛け、床に正座させた俺を見下ろして首を横に振りながら、「はぁ〜っ」とあからさまに呆れた溜め息を吐き、口惜しそうにぶつぶつ呟いた。
「…ちゃん、だからあの頃から私と一緒にいればよかったのに。そしたらこんなバカに泣かされることなんかなかったわ」
「バカバカ言わないでよ…何が悪かったのさ」
 俺が小さくなって訊ねると、姉貴は見下した目を向け俺に指を突きつけた。
「いい?あんたはちゃんの言う『親友』って言葉を、そのままの意味に受け取ったでしょ?」
「…違うの?」
 がそんな小細工できるとは思えないけど…
「多分、ちゃん自身もそう思ってる。でも違う」
「…?」

 姉貴は察しが悪いと言いたげにふんっと鼻で息をつき、腕と足を組んだ。
「あんた達、何年一緒にいた?ちゃんはどれだけの男の子と過ごした?普通に女の子といるより、男の子と一緒にいることの方が確実に多かったし、長かった。小学校に上がったらちゃんとした女の子の友達ができるかと思ってたけど、それでも一緒にいるのはあんたや男の子達ばかりだった。それが当たり前で、ちゃんは結果的に男の世界に片足を突っ込んでしまってる状態よ――ここまでは解かる?」
「まぁ…何となく」
 それって半分は、とべったりだった俺のせいだしね。
「『男の子』にどっぷり浸かったちゃんは、まともに女の子と遊んだこともないんだから、女の子と恋愛の話もしたことないんじゃないかしら、今のあんたに抱く感情が、『恋』なのか『友情』なのか解からないのよ。ちゃんの言う『親友』は、今あの子が表現できる『自分にとって最上級の存在』って意味なわけ」
「…まさか」
 ハハッと乾いた笑いが洩れた。そんなバカな。が俺に恋してるって?あれのどこが?
 姉貴は冗談か勘違いだと受け取っている俺を冷めた目で見下ろした。
ちゃんが言いかけた言葉の続きを当てましょうか?――「いつあたしがキヨを」…だったわね?」
「う、うん」
「「いつあたしがキヨを…親友以上に思ってないと言った?」――これが答えよ。「あたしもアンタも納得できない」っていうのはそういうこと。ちゃんは自分がそんなことを言いかけたことに自分でも驚いたし、その意味を自覚できない。あろうことか清純、あんたみたいなバカを好きだってことを」
「…何でそんなことが解かるのさ」
 所詮は憶測でしかないじゃないか。それのどこにも、の言葉はないじゃないか。俺がふてくされてみせると、姉貴はそれこそ心外だと言うように大憤慨した。
「私が何年あんた達を見てきたと思ってんの!ちゃんがうちに嫁に来て私の妹になってくれればいいなと思ってたから、あんた達が一緒にいることに何の文句も言わなかったけど、もう黙ってらんないわ。清純、ちゃんを泣かせた責任を取りなさい。ちゃんがどうして泣いたか解からない?あんたは殴られればよかったのよ。殴られてでも、キスしてあげればよかった。そうしたら、少なくともちゃんは二度も泣かなかった」
 キスして殴られるのと、キスされて殴られるのとの違いは何だ?それに、どうして俺はにキスされなければならなかった?
「まだ解かんないの?どこまでバカなのあんたは!ちゃんはあんたが殴られてもいいと覚悟してキスしてくれるだろうと思ってたのに、あんたが怖気づいて変な言い訳並べるから、腹が立ったし悲しかったのよ!あんたのことを「最後まで見捨てないでいてくれる」って信じてたのに!」
「っあ…!」

 ああ…そうか――非日常なことが立て続けに起こったもんだから、頭が混乱してたんだ。こんなに簡単なことだったのに――…俺は結果的に、の信頼をことごとく裏切ってしまったんだ。それだけのことだ。
 は俺を親友だと思ってた、なのに俺はを女の子として好きで、それを真剣に言葉にした時点でそれはにとっては裏切りで、それでもは最後に俺の気持ちが本物なのかを試そうとしたのに、俺はそれすらも裏切ってしまったんだ。姉貴の言うようにもしかしたら、は俺にほんの少しでも恋心を抱いていたのかもしれないのに、俺は自らの手でその芽すら摘み取ってしまったんだ。さっきのからのキスが、さよならのキスに思えた。
 気づいたら、今度はやりきれないほどの焦燥感が襲ってきた。はもう来ないと言った。どうしようもないのか。はもう一度俺にチャンスをくれないだろうか。今度は絶対に裏切らないから。だから、傍にいさせて、

「……ちゃんに謝りたくなった?」
 姉貴が少し同情するように訊ねてきた。全てを理解して愕然とし悔やんでいる俺を、これ以上責めてくれるつもりはないらしい。
「会ってくれるかな」
「今は無理でしょうね」
 慰めるつもりがあるのかないのか、俺の希望はスッパリと否定された。
「家にいる間は完全にシャットアウトされるんじゃない?会えても今日は冷静な話し合いなんて無理でしょうし、きちんと話したいなら明日学校での方がいいと思うけど。同じクラスなんでしょ?」
「それまで俺にこの胸の燻りを抑えていろって…?」
「そうよ。絶対に家の前で待ち伏せとかしちゃ駄目だからね、家に閉じこもっちゃうかもしれないから。確実にちゃんが学校に来ている時を押さえるのよ」
 閉じこもっちゃうって……ってそんなに繊細だったかな。むしろ俺の顔を見た瞬間無言で殴ってから無視しそうだけど――と考えていると、姉貴が目を据わらせた。
「…あんた今余計なこと考えたでしょ。いいから言うことを聞きなさい。あんた今日だけでどれだけ予想外のことが起こったか本当に理解してんの?あんたの思い込みなんて役に立たないのよ」
 ウッ…そう言われると何も言い返せない。俺ってこんなに鈍感だったかな。のことなら何でも解かってるつもりでいたのに、全然、一つも理解してなかったのかな。それこそ『親友』失格じゃないか。の方がずっと俺を知ってた。

 姉貴が部屋を出ていき、俺も一度部屋を出て頬にシップを貼った。鏡で見るとモロにヒットした部分が赤黒くなって腫れていて、結構重傷に見えた。手形が残ってなかったら平手で殴られたとはとても思えないな。ちょっと触るだけで超痛いし。
 部屋に戻ると、俺はぼーっと窓の外を眺めていた。夕陽が沈みかけているのか、紅く染まっていた空の上辺りが薄暗い。俺の部屋側にの家があるけれど、アンラッキーなことにの部屋と窓が向かい合ってる、なんてマンガみたいなことはなかった。向かいは物置だ。これがの部屋だったなら、向こうの窓に向かって叫んでやるのに――…何て叫ぼうか?「ごめん」?「会いたい」?「好きだ」?……どれもダメな気がする。絶対無視される。て言うか、明日会ったとして、何て話そう?――考えても仕方ないかな。せめてまともに話し合えるシチュエーションが訪れるように、俺の幸運に賭けておこう。言おうと考えてたことをその通りに話せるなんて保証はどこにもないんだから。
 忘れちゃいけないのは、俺はを好きだってこと、大切に思ってるんだってこと。これが基盤になっていれば、きっと大丈夫。…本当はすぐにでも会いたいんだけどね。





 さて運がいいのか悪いのか、いつもは俺ももそれぞれの部活の朝練があって同じ時間のバスに乗るんだけど、今日はテニス部は朝練がなくて俺たちはまだ顔を合わせることはなかった。姉貴的に言えば、ここで会わなかったのはいいことなんだろう。不本意だけど。
「……千石、お前どうしたんだその頬」
 教室に入ってきた俺を見た南の第一声は、朝の挨拶ではなくそれだった。やっぱり目立つか、このシップ。腫れは引いたし赤みも昨日に比べれば大分良くなったんだけどな。俺は苦笑して頬を撫で、「何でもないよ」とだけ答えた。
「まさか、誰かとケンカしたわけじゃないよな?」
 『ケンカ』という単語にギクッとして頬が引きつってしまったけれど、笑みは消さなかった。多分南は、暴力沙汰でテニス部の大会出場取り消し、とか、そういう事態を危惧しているだろうからね。
「南が心配するようなことじゃないんだ。大丈夫だよ」
「本当か?」
 南は半信半疑でケガの状態も探るように俺の顔を覗き込んでくる。そんなに俺は信用ないかい南クン。

 何と言って南を納得させようか考えていると、ガラッと音を立てて教室の扉が開いた。俺が反射的にそちらを見ると、教室に入ってきたと目が合った。はふいっと視線を逸らし、俺の隣にいる南の方を見た。
「おはよー南――と隣の人」
 南に声かける時は普通だったのに、は再び俺に視線を向けた瞬間ものすごく憎々しげに一睨みして、俺の席から少しだけ離れた後ろの自分の席に乱暴に荷物を置き、どかっと豪快に腰掛けた。
「お、おはよう…」
 南は戸惑いながらに挨拶を返し、怪訝そうに俺を見て遠慮がちにシップの貼られた頬を指差し、こそっと訊いてきた。
「――…まさか、それって、その…」
「アハハハ…」
 乾いた笑いしか出てこない。
「…そう、なのか……何て言うか…珍しいな」
 痴話ゲンカに対してかけるべき言葉が見つからないのか、南は変にしどろもどろだった。そうだよなぁ、中学上がってからとマジでケンカなんてしたことなかったし、珍しいと言われるのも仕方ない。

 ――さあ、どうしよう。これからと二人で話せる機会があるかな。今日は移動授業がないからどさくさに紛れて空き教室とかに引っ張っていくのは難しそうだけど、必ず一日に一度はが一人で席を離れるタイミングがあるのを俺は知っている。昼休み、食事を終えて食堂を出る時だ。昼休みの数十分の間、は日によっている場所が違う。ある日はが所属している剣道部が使う武道館で精神統一をしていたり、ある日は昼休みにも練習をする陸上部員と一緒になって走っていたり、ある日は男子たちとサッカーやバスケをやっていたり(その時はもちろん俺もいる)、ある日は職員室で伴爺とお茶飲んで談笑してたり(テニス部員でもないのに何でだ!?)、ある日は校庭や屋上や図書室で昼寝をしていたりと、実に様々だ。目的地が解かってればそこに先回りすることもできるんだけど、の行動は法則性がないのでまず無理。が食堂を出ていってから捜すのはさすがに骨が折れるので、が食堂を出るところを俺は待ち伏せすることにした。食堂の一番近くにあって二人になれるところといったら、武道館か。出入り口が一つだけの屋内だから逃げられにくそうだし、そこに引っ張っていくのがいいかな。
 と、誰かが聞けば不穏に思うかもしれないことをああだこうだと考えていて、午前の授業は上の空だった。先生がテスト範囲がどうのとか言っていたような気がするけど、今はそれどころじゃない。俺にはこれからもっと重要なテストが待ってるんだ――正しく言えば追試か。こればっかりは赤点取るわけにはいかないからな。今度こそ合格ラインにいかなきゃ。

 全校生徒が一堂に会する時間、昼休み。学年、クラス関係なく食堂に生徒達が集まるから、この時間俺は可愛い子ウォッチに余念がない。だけど今日はそれどこじゃないんだってば。普段は大抵と一緒に昼食を摂るけれど、先に教室を出たは見当たらない。六百数十人の生徒の中からたった一人を見つけるのは大変だ。も俺みたいに髪染めてれば良かったのに。こんな時こそ俺のラッキーが役に立つといいんだけどなぁ。
 俺は周囲をキョロキョロ見回しながら、とりあえず出入り口で待っていればいいんだと大急ぎでB定食を口の中にかっ込む。そんな俺を向かいに座っている南が箸を持ったまま気分の悪そうな顔で見ていたけど無視。
 ――…あ、見つけちゃった、ラッキー。ずっと向こうのテーブルで、同じクラスの女の子数人と一緒にいる。が女の子と一緒にいるのは珍しいと思うけど、多分先に一人でいたの周りに女の子たちが集まってきたんだろう。は結構付き合いがいいので、相手が男だろうと女だろうと自分がヒマならよほど嫌じゃない限り断りはしない。
 ……って女の子とどういう話するんだろ?あんまり聞いたことないな。仲直りできたら、訊いてみようかな。
「――よしっ、ごちそうさま!」
 俺は周りの誰よりも早く食事を食べ終え、パチンと手を合わせてからトレイを持って立ち上がった。
「んじゃ南、お先っ」
「早っ!お前よく噛んだか?胃がもたれても知らねぇぞ、今日も部活あるんだからな!?」
 お母さんみたいな南の物言いに、俺は「ぷっ」と噴き出した。
「わーかってるって南クン、大丈夫。俺はこれからとっても大事な用事があるのだよ」
 ひらひらと手を振ってその場を去り、食器回収の棚にトレイを置いて食堂を出る。その前にの様子を見たけれど、もう少しかかりそうかな。うん、余裕を持って行動するのはいいことだ。

 俺は食堂の外の壁にもたれかかり、数人ずつ食堂を出てくる生徒達を眺めていた。…あ、今の子可愛いかも。うわーあの子スカート短っ。自分でも鼻の下が伸びているのを自覚しつつ女の子達を眺めていると、よりによってそんな時にが一人で食堂を出てきた。やばっ、ちょうどの死角に立ってたから気づかれなかったけど、今の顔を見られてたら終わりだったかも。
 俺は頬を叩いて気合いを入れ(シップの方も叩いてしまって痛かった)、歩き去っていこうとするに小走りで近づいて手首を掴んだ。
!」
 はビクッと震え、目を見開いて俺を振り返った。その時のの表情の変化と言ったらたまらない――まるで親の仇かゴキブリでも見るような不快そうな目で俺を睨んできた。
「…放せよ」
「放さないよ――今日はどこに行くつもりだった?」
「どこでもいいだろ」
「よくないよ。武道館にしてもらわないとね」
 そう言って俺はを引っ張っろうとした。でもの抵抗はすごくて、空いていた手で危うくまた殴られそうになるのを見切ってその手も掴んだ。
「放せコラ!あたしはテメェに用なんかねぇ!」
になくても俺にはあるんだ。そうだな、そんなに嫌なら――」
 パッとの両手を放し、それと同時にヒョイッとの身体を抱き上げた。お姫様だっこね。は背が高いけど軽かった。俺がテニスで腕を鍛えてるってのもあるんだろうけど、やっぱ女の子だなぁ。
「うわっ、下ろせよバカ!」
「ジタバタすると落っこちちゃうよー。ちゃんと掴まっててねー」
 が暴れようとするので俺は一気に走り出した。これなら落ちたら危ないから下手に動けないだろ。案の定は大人しくなってグッと俺の肩に掴まった。うわ、これいいかも。すっごい可愛いし柔らかいし風に乗っていい匂いがする。また顔が緩んできそうになるのを俺は必死に抑えた。

 武道館はすぐそこだ。食堂を離れる時には周囲の視線を感じたけれど、武道館の周りには誰もいない。入り口に着くとをゆっくり下ろしてあげた。あー名残惜しい。
 は少し息を乱して、俺の胸倉をガッと掴んできた。
「こんなとこに連れてきやがって…武道館に入るには鍵がいるだろうが、あたしは持ってきてねぇんだよ」
「鍵だったら――…ほら、ここにあるよ」
 俺はポケットから『武道館』と書かれた札のついた鍵をチャラッと音を立てて取り出しに見せた。そう、俺はあらかじめ職員室からここの鍵を借りていたんだ。抜かりはないぞ。
「ハッ、随分と用意周到なこったな」
 は俺の手から鍵を奪い取ると、武道館の鍵穴に挿し込んだ。おや、逃げないんだ。一応俺の話を聴くつもりはあるってことかな。
 扉を開くと閑散とした景色が広がった。合気道部と空手部が使う畳の空間に、剣道部が使う板張りの床の空間、それが半々に分かれて存在している。は上履きを脱ぎ迷わず剣道部の場所へ向かったので、俺も扉を閉めてからそれに倣った。ここに来るとの剣道着姿を思い出すなあ、凛々しいんだこれが。

 は真ん中らへんで立ち止まると、くるっと俺の方に振り向いて腕を組んだ。
「――…で?何の用だよ。昨日の弁明か?それとも殴られた文句か?ま、どっちも聴きたかねぇしあたしは謝らねぇけどな」
 ハン、とふてぶてしく鼻で笑う。
「…いや、言い訳はしないし文句もないよ。ただ、俺はのこと何も解かってなかったんだなと思って…謝りたかったんだ」
「は?」
を泣かせたこと、姉ちゃんに怒られちゃったんだ。「あんたはどこまでバカなの」ってね。とずっと一緒にいた俺よりも、姉ちゃんの方がのこと解かってた」
「…姉ちゃんが…?」
 は姉貴が話題に出てきたことに不意を突かれたようで、ちょっと話を聴きたそうになった。そこに食いつくのかよ。ちょっとジェラシーだわ。
「うん――まあ、お姉サマのお言葉は後回しにするとしてね」
 俺は一歩、また一歩とに歩み寄る。
「俺はまずやらなきゃならないことがあるんだ」
「…何だよ――おい、あんまり近づくな」
 目の前まで近づくと、はぎょっとして一歩後退った。俺はそんなの腕を掴み、じっと目を合わせる。
「後でいくらでも俺を殴ってもいいよ。でも今は、お願いだからじっとしてて」
「はぁ?ちょっ…――」
 身をよじって俺を振り払おうとするを無視して、俺はと唇を重ね合わせた。

 ――思うんだ、には何を言っても伝わらない気がする、というか、伝わらない。ならば行動で示すしかない。これが俺の覚悟。俺の、への想いだ。同じ過ちは繰り返さない。これで今度こそ絶交されても、俺は悔いはない。こんなに好きなのに、その気持ちだけでも受け取ってくれないが悪いんだ。これが最後かもしれないと思うと、自然とキスを深めたくなった。
「ん…っ」
 の鼻にかかるような息が洩れたのが聴こえて、俺はふと我に返る。ヤバい、これ以上やると何かヤバい気がする。俺はいつ殴られてもいいように、歯を食いしばりながら顔をゆっくりと離した。
 はキスする前の不機嫌なまま表情は変わってなかったけれど、俺がぐっと歯を食いしばっていても、殴りかかってくる様子はなかった。俺は恐る恐る口を開いた。
「……殴んないの?」
 首を傾げる俺に合わせても反対に首を傾げて、俺の目をじっと見つめてきた。深い瞳にすごくドキッとする。
「…んー…何か…――なあ、ちょっといいか?一つだけ確認したいことがあるんだ」
 俺の頬のシップにそっと触れ、その手を首に移し引き寄せて、は顔を近づけてきた。
「え――…?」
 気づいた時には、またに唇を奪われていた。今度は乱暴な感じじゃなくて、静かで穏やかな感じ。一瞬だったのに感触を味わう余裕があって、昨日とのそのギャップが妙に不思議だった。
「――…?」
「あたしは…嫌じゃないんだ――なあ、キヨ、これってどういう意味だと思う?」
 顔を離したの瞳は不安げに揺れていて、困惑した様子だった。どうしてこんなことをしたんだろうって、自分でも理解しかねているようで――だから俺は、安心させるようにを抱きしめてあげた。は抱き返しはしなかったものの抵抗もしなかった。

「…姉ちゃんが言ってたんだ、の言う『親友』は、『最上級の存在』って意味だって」
「……そうだけど?」
「…………」
 一瞬気が遠くなりそうになった。ああそうだそうだ、にとって『親友』は『親友』のままなんだった。無自覚なんだよな。うん。
「でさ、それって、俺に恋してるって意味だって。は気づいてないだけだって」
「はァ?」
 おいおい素っ頓狂な声出さないでくれよ、俺がバカみたいじゃないか。
「えっとー、さっき、俺がキスしても殴らなかったろ?本当は嫌じゃないってことじゃん――て言うか、嫌だった?」
 そこが肝心だ。これで不快だったと言われたら一巻の終わりのような気がするけどね。自分からしてくるくらいだから嫌ではないだろ。
 が俺の腕の中で首をひねったので、顔に髪がこすれてこそばゆかった。
「…んん…?別に…嫌だったら本気で殴ってたしな、自分からするわけもないし…変だな」
 変なのはだよ。どうしてそこまで考えて答えに行き着かないんだ?男に染まらせた俺が悪いのか?俺はこんなにも男の子で、はこんなにも女の子なのに。
 俺はを抱きしめる力を少し強めて、首筋に顔を埋めた。
「――…好きだよ……もう、いいから。ゆっくり考えてくれていいから、俺にはを好きでいさせて」
 押しつけでもいい。俺がずっとを好きでいた時間をなかったことになんてしたくないし、してほしくないんだ。それだけでも、許してほしい。

「…嫌だ。キヨ、泣くなよ」
「え…?」
 の声が震えて泣いてるように聴こえて、俺は思わずを離した。俺とはきょとんとした顔を見合わせて、数秒沈黙した。泣いてないじゃないか、俺もも。
「…俺のどこが泣いてるの?」
「…泣いてるように聴こえたんだ。泣いてたろ?」
「どう見たって違うだろ。泣いてないよ」
「……」
「……」
 お互い怪訝そうにしかめっ面をしてしばらく無言だったけれど、俺はふと、おやっ?とひらめいた。
「……、俺が泣くと嫌なの?」
 俺がのセリフの中で気になった部分をツっこむと、はぐっと眉を顰めた。でも次の行動に移るのが男らしくて潔い。ずいっと俺に顔を近づけ(またキスされるかとちょっと期待した)真っ直ぐに目を見据え、こう言ったのだ。
「嫌だね」
「…ど、うして?」
 気圧されながら俺が訊き返すと、は顔を離し腕を組んで察しが悪いと言いたげに爪先をトン、と鳴らした。こういうところ、俺の姉貴と似てるよなー。
「あたしが泣くのはいい。キヨが泣くのは嫌だ。当たり前だろ?親友に泣いてほしいと思う奴がいるか?」
 グッとくること言うじゃないか。でも、もういいと思ったはずなのに『親友』とか言われると口元がヒクッと引きつる。うーん、は真っ直ぐなだけなんだよな。はこういう子なんだ。傍若無人だけど情には厚いというか、仁義の人というか…と自分に言い聞かせてみる。
「俺だってに泣かれるの嫌だよ。好きな子に泣かれて平気な奴いないだろ」
 昨日はいきなり泣かれて本ッ当に参ったしね。
「まだそんなことを――…ハァ、あたしももういいや。いいよ、アンタがそこまで言うんなら、あたしが折れてやる」
 え?「折れてやる」って何?どれのこと?ケンカ?それとも…――?

「あたしの傍にいてくれるんだろう?それとも、もう嫌になったか?」
 予想だにしなかったの言葉に不意を突かれて、俺は一瞬頭が真っ白になった。
「え…いっ、い嫌じゃない嫌じゃない!え、何、それってその、俺と付き合ってくれるっていう――」
「好きに受け取ればいいよ。姉ちゃんが言うには、あたしはキヨを好きなんだろ?じゃあそうなんじゃないのか、と、思ってもいい」
 俺がどんなに好きだと言っても頑なに拒絶してたのに…何か姉貴に負けた気分…
「キスしてもいいの?」
「思ったより嫌じゃないからいいよ」
 何だそれ。喜ばしいことのはずなのにあんまり嬉しくないニュアンスだな…
「…その先もしていい?」
 健全な男子中学生としてはそこ大事だぞ。を抱くシチュエーションって想像できないけど。
「…………あたしを裏切らないならな」
 やや間があって、からは結構肯定的な答えが返ってきた。
「裏切るって、浮気とか?しないよ。俺がどれだけ一途かが一番解かってるでしょ」
「手に入れた途端飽きて捨てる奴もいる」
「ないないないない。ていうか全然手に入った気しないもん。多分ずっとそうだよ。何て言うか、俺、一生の尻に敷かれそうだと自分でも思うし…」
「それはそうだな」
 あれ、そこキッパリ認めちゃうんだ。うわぁー、半永久的にかかあ天下決定だぁー。まあ、確かにずっと頭は上がらないとも思うけど。いいのか俺。

「なあ……付き合うって、具体的には何をするんだ?キスとそれ以上のことと、他は?」
 その質問に、はたと我に返る。と付き合ってどうなるか――……うん?なんか昨日も同じことを考えさせられた気がするぞ?
「えー…っと、デートしたり?」
「ヒマな時はしょっちゅう遊びに行ってるだろうが」
 そうでした。普通に二人で話題のアクション映画とか観に行ったりもするし、なぜかテニス部の連中と一緒に遊ぶって時もがいたりいなかったりするんだよなぁ。これが何の違和感もなくて不思議なんだよ。壇くんなんかワイルドな人が好みらしいからあっさりに懐いちゃってもう…
「うぅん……あー、いや、だから、昨日も言ったけど、俺は変化が欲しいわけじゃなくって、と一緒にいられればそれでいいよ。今まで通りでいいんだ――時々、キスやそれ以上のことができればね」
 俺がちゃっかり都合のいいことを付け加えたのにも気に留めず、は「ふーん」と納得したように軽く頷いた。そして拍子抜けしたように、あさっての方に視線を向けて呟いた。
「本当に今までと変わらないんだな…」
「…は変化が欲しかったの?」
「新しいことを始めるなら、何かあってもよかったよ」
 本当は自分が一番変化を怖がっていたくせによく言うよ、あまのじゃくだな。

 俺はの肩に手を置き、子供に言い聞かせるようにゆっくりしっかりと告げる。
「ね、これだけは忘れないでいて。は俺にとって大事な女の子だけど、一番の友達でもあるんだ。今までも、これからも」
「キヨはあたしにとっても大事な男で、一番の友達だ。それでいいのか?」
「うん」
「キヨが好きだよ。でも、好きだってことがキヨより大事だとはどうしても思えないんだ」
 思わず苦笑が洩れる。の中では、『好き』と『キヨ』が密接してないんだ。『キヨが大事』で、それ以上でも以下でもない。俺を傷つけてしまうくらいなら、自分が傷つく方を選ぶんだろう。もし俺が「他に好きな子ができたから別れてくれ」なんて言ったら、は俺を一殴りして、次の日にはそれまでの関係をなかったことにしてしまうんだろう。してくれるんだろう。だから俺はもう絶対にを裏切らないんだ。絶対に。
「うん…俺もだよ。俺も自分の気持ちより、の方が大事だ」
 そう言って、俺は再びを抱きしめた。
 『自分の気持ちしか見えてない状態は恋でしかなくて、相手の気持ちを思い遣れるようになったらそれは愛だ』って誰かが言ってた。は無意識にそれをやっていた。俺を傷つけてしまうかもしれない関係になるのを拒絶して、ただ俺の傍にいられればいいなんて言って、それ以上のことを望みはしていなかった。まるで聖職者のようじゃないか。俺はこれから先、自分の気持ちを押しつけるだけじゃなく、を思い遣っていけるだろうか。

「それじゃあ…――」
 俺の腕の中で、が顔を上げた。ものすごい至近距離で、は無邪気にニッコリと微笑んでいた。思いがけず顔が熱くなる。やべ…すっげ可愛い。俺は自分の平常心を保たせて「ん?」と聴き返した。
「――あたしとキヨは両想いだよ。おんなじこと思ってる」
 それが聴きたかったんだ、それが欲しかったんだ、と言うように、は嬉しそうに笑っていた。

 ――なんだよ。そんな、簡単なことだったのか。の気持ちを姉貴に聴かされた時みたいに、答えは至極単純だったってことなのか。俺はつくづくバカなんだと思い知らされてしまった。
 は、俺と同じでいたかった。俺と同じ場所に立って、同じものを見ていたかったんだ。だから今でも男のように振る舞って、俺にくっついていた。やっぱり、が完全に男らしく育ってしまったのは俺のせいだったんだ。――でも正直、それがすごく嬉しいんだと言ってしまったら、姉貴あたりが怒るだろうか。は何と答えるだろうか。俺の中の独占欲ってやつが、溢れんばかりに満たされていくのを感じる。

「――…あそうだ、に訊きたいことがあるんだった」
 が「何だ?」と訊き返したところで予鈴が鳴ったけれど、俺は構わず続けた。
「さっき、食堂で女の子たちと何話してたの?」

 何はともあれまずは、相互理解をもっと深めようじゃないか。





END





********************

後書き
 オリジナル色が濃くて申し訳無。
 お姉さんとか出しちゃいました。キヨのお姉さんは大学生希望。
 この小説のために山吹についてめちゃくちゃ勉強しました。
 食堂と武道館の位置関係については20.5巻をご参照下さい。

 連弾=一台のピアノで二人が演奏する事。





update : 2005.05.22
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