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温泉に解れる


7月30日21:00


「――なぜわざわざ俺達と行こうとするのか、理解出来ませんね。氷帝の方達と行けばいいでしょう」
「いいじゃない。貴方達、滅多に合宿所の方に顔を見せないんだもの。こっちから動かないと」

 日頃の疲れを取る為に学校ごとに分かれて温泉へ行くぞ、と言い出した跡部は、もちろんお前は俺達と行くんだろうな?と私に訊いてきたが、私は敢えて首を横に振った。
 そして選んだのが、比嘉中メンバーだ。彼等(特に木手君)は私が一緒に行く事になったと聴くなり、揃ってうんざりした顔を見せてくれた。

「放っておいてくれれば良いものを……まあ、目的地まで送るだけならば害もないでしょうけどね」
「でね、一緒に入ろうと思って中に水着を着てきたの」
「は? 貴女はちゃんと説明されなかったのですか? 混浴ではなく、離れた所にもう一つ温泉があるというのは聴いているでしょう?」
「うん…でもね、一人で温泉に浸かるのって、きっと淋しいと思うの。貴方達の楽しそうな声が聴こえちゃったりしたら、淋しさのあまり泣くかもしれない…」

 わざと目を伏せて悲しげな顔を作ると、木手君は珍しく戸惑ったような反応をした。

「し、知りませんよそんな事…」
「まあまあ永四郎。俺は別に構わないぜ?」
「俺も。水着着て一緒に入るくらい、平気だろ?」

 平古場君、甲斐君、ナイスフォロー! さあさあどうする木手サンよ。
 私が窺うように上目遣いでちらっと木手君を見ると、木手君はものすごく渋い顔をして大きな溜め息を吐いた。

「……解かりました。では、我々も水着を着てきますので、少しお待ちなさい」

 私は心の中で「勝った!」とガッツポーズをした。いや、勝ち負けとかいう問題じゃないけど、木手君を遣り込められたと思うと何だか嬉しい。
 そんな私の腹の内を知ってか知らずか、平古場君と甲斐君は二人でこっそりと笑い合っていた。あの二人も私と同じ心中なのかもしれない。苦労してるのね。

 水着を着込んできた比嘉中メンバーと再集合して温泉に着くと、ほかほかした湯気の誘惑に耐え切れず私は真っ先に服を脱ぎ去った。
 水着を着ているとはいえ恥じらいも何もない私の行動にギョッと目を剥いて動きを停止させる三人を無視して、温泉に足を入れる。心地好い熱が爪先から天辺までぞくぞくっと駆け上った。

「うー、気持ちいい! 君達もほら、入りなよー!」

 全身浸かって三人を手招きすると、ようやく我に返った彼等はキビキビと服を脱ぎ出した。
 飛び込むように入ってきた平古場君と甲斐君に続いて、最後に木手君が眼鏡を外して入ってきたのを、私はじっと見上げる。

「へぇ…眼鏡を外すとそんな感じなんだ」
「そんな感じとはどんな感じですか」
「どう答えてほしい?」
「……どうでもいいです」

 あら怒っちゃった。訊かなきゃ良かったと後悔してるんだろう。
 でも実は意外と格好良いなと思ったのは秘密だ。

 三人から少し離れて温泉に浸かっていた私は、会話を始めた三人を黙って眺めていた。
 木手君は温泉好きだとか、今回合宿に参加していない仲間がいたら潜りそうとか溢れそうとか、すっかり寛いだ様子で話している。これが普段の彼等か。いいな。

「――何笑ってんだ?」

 しばらくしてから甲斐君に声をかけられて、私はハッと我に返った。
 笑っていただろうかと意味もなく口の端を擦りながら、先程まで考えていた事を口にする。

「えっと…楽しそうだなーと思って」
「仲間に入りてぇの?」

 平古場君が揶揄するように言ったが、私は肩を竦めて淡々と答えた。

「ううん、見てるだけで充分。水入らずのところを邪魔してるのは解かってるから」
「解かっているのなら遠慮して下さいよ」

 容赦のない木手君の言葉にムッとくる。私がいたって構わず三人で喋ってたくせに。
 …ってあれ、やっぱり仲間に入れてもらいたかったのかしら?
 だが言われっ放しなのは癪だったので、私は言葉を返した。

「冷たいよねぇ。沖縄には『いちゃりばちょーでー』って言葉もあるくらいなのにさ」
「…そんな言葉、よく知っていますね」
「たまたま目にしてね、素敵な言葉だから覚えたんだよ。『一度出逢えば皆兄弟』なんて、何かいいよね。それに沖縄の諺とかって、こういう人間関係についてのものが多くなかった? 君達のその精神はどこに行っちゃったの?」
「人それぞれです。我々もそうだと思わないで頂きたい。求めもしないで下さい。馴れ合うつもりはないと言ったでしょう」
「でも甲斐君なんかは、結構フレンドリーに話してくれるけど?」
「――何…?」

 私の何気ない一言にすかさず反応した木手君は、甲斐君(がいる辺り)をキッと睨み据えた。眼鏡をかけてなくて良く見えない所為か、射殺しそうなほど目つきが悪い。
 それとは反対に平古場君は、ニヤニヤと笑いながら甲斐君を肘で小突いた。

「裕次郎抜け駆けかー?」
「戻ったらゴーヤーですね」

 ちょっとちょっと、何で私と話した程度で罰与えるわけ?
 それに平古場君、「抜け駆け」って、言葉のチョイスおかしくない?
 と、私が口を挟む暇もなく、甲斐君が焦って弁解を始めた。

「ちっ、違う! コイツ、俺しかいない時に限って食料とか渡しに来るんだよ! それで必然的に、俺が相手をしなきゃなんなくて…!」
「何だ、の方が裕次郎に気があるんばぁ? わざと俺と永四郎がいない時を狙って来てるんじゃねーの?」
「…平古場君、小学生みたいな囃し立てはやめてくれる?」
「同感です」

 私と木手君の冷ややかな切り返しに、平古場君はウッと縮み上がり口を噤んだ。やっぱり木手君に窘められれば言う事聞くんだなぁ。

「――しかし甲斐クン、敵と親しく話すのは褒められた事ではありませんね」
「あ、またそんな事言うー。別に私、甲斐君の秘密を探ったりなんてしてないよ?」
「さあ、どうだか」
「知ってるのはゴーヤーが苦手だとか、そんな事くらいだよ。別に秘密でも何でもないでしょ?」

 実は左利きだと知ってしまった事は誰にも言わないと甲斐君と約束したので、比嘉中の人にも言わないでおく。というか木手君に知れたら多分ゴーヤー地獄だ、甲斐君が。
 甲斐君はハラハラした様子で私達の遣り取りを見ていたが、私が秘密をバラすつもりがないと知るやこっそり安堵したように息をついて胸を撫で下ろしていた。
 と、そこに平古場君が口を挟んでくる。

「裕次郎狙いでもスパイでもねーってんなら訊くけどよ、
「なに?」
「俺達の中で一番好みのタイプって誰よ?」

 場違いとも言える唐突な質問に、その場にいた平古場君以外の全員が「は?」と不審げな声を上げた。

「いきなり何ですか平古場クン」
「凛、お前どういう流れでそうなるんだよ」
「ただの好奇心。こんな男だらけのムッサイ場所にせっかく女がいるんだからさ、訊いてみたいじゃん」
「たった三人の内からでは、好みも何もないでしょう」

 血迷った事を口走るなと木手君は言外に咎めるが、私は平然と言った。

「別に答えてもいいよ」
「おっ、誰だれ?」
「そりゃあ、木手君」

 と本人を見ながら私が即答すると、意表を突かれたのか木手君は軽く目を逸らし、聴こえるか聴こえないかくらいの小さな咳払いをした。更に眼鏡を上げる時の独特な仕種をしたけれど、今は眼鏡をかけていないので空振りした。もしかして、動揺してる?
 平古場君と甲斐君は私の答えに心底意外そうに目を見開いていた。
 私はそれらを見届けてから、続きを口にした。

「では、まずない」

 場がぴきりと凍りついた。特に木手君の周囲の温度が急激に下がったような気がする。しかし私は気にしない。

「だって印象最悪だもん。ね、木手君?」

 ニッコリ笑顔で投げ掛けると、長い沈黙の後、

「……ええそうですね」

 地の底から発せられたような、おどろおどろしい声で返事をしてきた。わあ、怒ってる。

「あはは、嘘うそ冗談。三人共それぞれに魅力があるよ。平古場君は明るく気ままなところがいいなと思うし、甲斐君は結構素直で優しいと思うし、木手君はそこまで敵愾心が強くなければ知的で格好良いと思うしね」
「…………」

 フン何を今更、とでも言ってくるかと思ったけれど、木手君は目を少し眇めて私をじっと見つめてきた。
 何だか拍子抜けしてしまって、きょとんと首を傾げる。

「木手君、どうかした?」
「ああ、いえ……キミは良く見ているのですね」
「見てるって、何を?」
「人を、です。俺の事は置いても、こんな短期間しか接していない他人の長所を的確に挙げられるとは」
「そうかな、勝手な印象だよ?」
「…というか、俺達に対してそれだけ好意的な印象を抱ける神経がある意味すごいと思いますね」
「ねえ、それって褒めてるの? 貶してるの?」

 この人に感心されるなんて珍しい事もあるものだと少し照れ臭い気分で聴いていたら、いきなり落とされた。
 私は不満げな視線を送るが、木手君は言いたい事を言うとふいっとそっぽを向いてしまう。

「さあ、そろそろ出ましょうか」

 更に湯から上がって、ぶっきらぼうにそんな事を言った。

 帰り道、懐中電灯を持って先頭を行く木手君から離れて歩いていると、私と並んでいた平古場君がそっと耳打ちしてきた。

「さっきの永四郎な、あれ絶対照れてたんだぜ」
「えっ!」
「「知的でカッコイー」なんて、正面切って女子から言われた事ないだろうからなぁ」
「そうなの? ああ…怖そうで近寄り難いから?」

 一般女子が木手君に抱きそうな印象をそのまま挙げてみると平古場君は、まさにそれ、と答えながらクックッと声を噛み殺して笑った。平古場君のこの様子を見ると、木手君は決してモテないわけではないんだろう。ただ、遠くから見つめる子が多いというだけで。損な性分だこと。
 しかし、あれが照れてたねぇ……怒ってたの間違いじゃないだろうか。
 先程の遣り取りを思い返しながら、私はぽつりと、「でも…」と呟く。

「さっき…誰が一番好みのタイプかって訊かれた時、最初に木手君って答えたのは半分本気だよ」

 今度は平古場君が「えっ!」と驚きの声を上げた。ついでに私達の少し前を歩いていた甲斐君にも聴こえていたのか、ギョッと振り向かれた。

「出逢ったのがこういう状況じゃなければ、うん、きっと一番好みだったのにね」

 そう、例えばそれが全国大会であったなら、大分印象も違っていただろうと思う。良い方にか悪い方にかは解からないが、今だって彼を決して嫌いではないのだ。
 隣では平古場君が「いや、アイツはどこでも変わんねーと思うぞ」とかコソコソ言って、それに甲斐君がウンウンと頷いていた。

「――キミ達、全部聴こえていますよ」

 先頭の木手君が突如、前を向いたまま怒気を孕んだ声を出した。ビクゥッと震え上がる平古場君と甲斐君。
 まあ、こんな静かな夜道で喋っていれば、多少離れていたって声が聴こえても仕方ない。

「平古場クン、沖縄に帰ったらゴーヤーですね」

 勘弁してくれと必死に懇願する平古場君を無視し、木手君はさあどう料理してやろうか(ゴーヤーと平古場君両方の意味だろう)、と怪しげに冷笑した。
 甲斐君の名前も挙げなかったのは、先程の温泉で既に決定を下しているからかな。結局二人共ゴーヤーの刑か、気の毒に。
 私は悪くないもんね先に話しかけてきたの平古場君だもんね、なんて他人事のように彼等を眺めていると、木手君は軽くこちらを振り返って私に言った。

さんも、我々をあまりからかわないで下さい」
「からかってるだなんて思ってるの?」

 私が本気で心外だという顔をしてみせると木手君は眉を顰め、またそっぽを向いてしまった。

「……本当に、キミはおかしな人だな」

 最後の小さな小さな呟きは、向かい風が運んできた。
 その声が、怒っているようにも照れているようにも呆れているようにも焦れているようにも聴こえて、私はこっそりと笑う。

 自分で気づいてるのかな、温泉に浸かってから木手君の私を呼ぶ時の二人称が、『貴女』から『キミ』に変わっている事。
 『貴女』っていうのは何か本当に他人みたいな呼び方だけど、『キミ』っていうのは、どこか近しく感じる。
 心を許されたなんて思わないけど、少しは打ち解けられたと思ってもいいかな。
 君達と、何かを通わせ合う事は出来たかな。
 温泉で疲れは取れた? その邪魔をしていたならごめんなさい。私は楽しかったよ。

 訊きたい事言いたい事が山程ある。溢れてくる。でも今は、何も言わない方がいい。
 そうだな、それはこの合宿の秘密を全て明かした後か、日本へ帰る時でもいい。彼等と一度のんびり他愛もない話をしてみたい。

 温泉で火照った身体を、夜気が冷ましていく。
 ここからは、お互いに解れた気持ちを引き締めていこうか。





END





update : 2007.11.12
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