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擬似関係―真実編―





人の気持ちを見抜くなんて簡単な事じゃない。
あいつはどんな気持ちでこの想いを隠していたんだろう。
どんな気持ちで「さよなら」を言ったんだろう。

俺はあいつの事も想いも、本当に何にも解っちゃいなかったんだ。






あいつが別れを告げたとき、足に根が生えたように俺は一歩も動く事が出来なかった。
自分の失敗と、後悔した気持ちで動けなくなるなんてことがあるんだな・・・。
「期限付き」だなんて言わなきゃよかった。

そして次の日、あいつは何にもなかったかのように、笑って「おはよう」と声を掛けてきた。そんなに対して、俺は気まずさから挨拶を返す事はできなかった。
そんな事など全く気にしないように俺の横をすっと通り抜けて、友達などに声を掛ける。
笑ってるを見て思う。
俺達は本当に終わってしまったんだと。
友達に向ける笑顔と、俺に「おはよう」と向ける笑顔はまったく同じだ。
たとえ嘘っぱちの関係でも、昨日までは俺に見せる笑顔は、どこか特別のような気がしてたのに。
今のからはそんなものは感じない。「普通のただの友達」に向ける笑顔だ。


いつかはこんな日が来る事は初めから解っていたはずだ。だけど、あの時と今では気持ちが違いすぎる。
好きな奴の眼に映らないと言うことは思っていたより結構…キツイ――。
そうだと解っていても、がどこにいてもあの姿を捜してしまう。
ああ、綺麗な笑顔だと思いながら、嘘っぱちの幸せな日々が思い出される。
そして、「さよなら」を告げられて、今の白黒の現実に引き戻されると失望と絶望が襲ってくる。まるで朝が来ない暗い森の中にいるみたいに。
あいつの綺麗な笑顔が俺の胸に突き刺さる。綺麗だと思いながらもその痛さに泣けてくる。
だけどどんなに痛くてもその傷口から血が流れても、その笑顔から眼を逸らしたくない。
そうしてずっと見つめ続けていれば、もう一度俺を見てくれるだろうか?
……俺は何を考えているんだろう。
一度だって、は俺を本気で見てくれた事があっただろうか?

そんなことを思っていたら、バチッとと眼が合った。は笑うどころか、一瞬その笑顔を消して俺からフィッと顔を逸らした。
あんなにあからさまに避けられると…さすがに傷つくっていうか…なぁ…。
ガタッと席を立つと、教室を出るときに先公に見つかったが、「ちょっと気分が悪いんで」と適当な理由をつけて屋上に駆け込んだ。乱暴にドアを閉めて日陰になる場所を見つけて、そこにゴロンと寝転んだ。
俺の中は嵐、でもこの世界の空は真っ青で、今日も文句無しの快晴だ。暑くなりそうだが思ったよりも風が冷たくて、気持ちがいい。そのちょうどいい気温に、眠気が襲ってきた。
昨日はあまりのショックにあんまり寝ていない。
どうせ今日は授業なんかに集中なんて出来やしないだろうから、今日一日はここで寝て過ごそう。
睡魔が襲ってくるのに逆らいはせずにそのまま身を任せて眼を閉じた。




「――…おうくん、仁王君、仁王君っ!起きてください、仁王君!」
「う、ん…んぁー?……おう、柳生」

自分の名を呼ぶ声にぼんやりと眼を開けると、そこには見慣れた親友の顔があった。
柳生は呆れたように、はぁと小さく溜め息をついた。

「もう、「おう柳生」じゃありませんよ。お昼休みももう終わりますよ。熟睡していたようですけど、まさか朝からずっとここで寝ていたんですか?」
「ん?…ああ、まぁな……」

昨日眠れなくてなと、覚醒したばかりの重たい身体をよっと起こし、頭をガシガシと乱暴に掻いた。

「…仁王君、どうかしましたか?何だか元気がないですね」

さすが親友だ。瞬時に俺の状態に気付き、心配そうに訊いてきた。

「何か…あったんですか?」
「……振られた」
「……え?振られたって…さんにですか…?」

こっくりと頷く。
今までは俺から女を振ることのほうが多かったから、その反対のことにさすがの柳生も驚いたのか、それとも掛ける言葉が見つからなかったのか、しばらく言葉を失っていた。
そしてなぜか柳生のほうがショックを受けてるように口を開いた。

「そんな…どうしてですか?昨日はそんな素振りなんて全然……」
「まぁ…俺が悪いんじゃけどな、自業自得って奴じゃな。そんで今日は授業に出る気になれんかったんでな、心配かけて悪かったのう」
「……仁王君」

俺のに対する気持ちが本物だと解っていた柳生は(まぁ俺も柳生に言われて初めて気付いたんじゃが)、心底落ち込んでいる俺を見て、何も言えずにいた。下手な慰めは相手を傷つけるだけだと知っているんだろう。口だけの慰めをしない、その優しさが嬉しかった。
教室から逃げ出して親友をこんなに心配させて…一体俺は何がしたいんだろう。
何がしたいかなんて、自分自身も解らない。何がしたいんだろう、俺は一体どこへ行きたいんだろう。
今はどんなに考えても答えなんて出そうにない。
ああ、身体がだるい。何もしたくない。大事なテニスでさえ、今はする気になれない。

「…柳生、悪いけど、今日部活は…」
「あ、そうでした。部活の事で仁王君に伝える事が…」
「……?」




夕方になると冷たい風がひゅう…と吹き抜けた。今は学校ではなくて、幸村のいる病院の屋上だ。
柳生の話はこうだった。
『今日は皆で幸村君のお見舞いに行くので、部活はお見舞いから帰ってきてからだそうです』
とは言っても皆で仲良くお見舞いって気分じゃなかったんで、皆が帰った後にこっそり一人で見舞いに行こうと思った。部活も今日は行くつもりもなかった。どうせ今日行っても足手まといにしかならない。この後の部活については、柳生が真田たちに上手く言ってくれるらしい。
んー、でも少し寒くなってきたな…。早くあいつら帰らんかな。そう思っていたら、病院を出て行く皆の姿が見えた。
おー、よしよし、やっと帰るか。よっとベンチから立ち上がって、屋上を後にして幸村の病室に向かう。
「幸村精市」の札が掛けてあるドアを軽くコンコンとノックする。
すると、中から「どうぞ」という声が返ってきた。ドアを開けて、「調子はどうじゃ」と声を掛けて中に入る。

「しかし、びっくりしたな。柳生が今日は仁王は具合が悪いと聞いていたから…。もう大丈夫なのかい?」
「あー…ん、まぁな…」

上手く笑えただろうか、自信はない。
幸村は部の事も心配だろうに、俺の事なんかで心配を掛けてはいけない。しかし、幸村は人の気持ちに敏感なのだということを俺はすっかり忘れていた。

「何だか元気がないな、仁王。何かあったのか?」
「……っ!」

そう幸村が優しく訊いてくるのにギクッとして顔を上げた。幸村はいつもの穏やかな顔で微笑んでいた。

「あ…ああ、いや何も……」
「ないわけじゃないだろう?顔を見ればそれくらいは解るさ」

「何があったかは解らないけどね」という幸村の笑顔がからっぽなこの身に染みる。
幸村に嘘をついて騙しきれたことなんて一度もない事から、俺はあっさりと認めた。

「はは…やっぱし幸村には敵わんなぁ…」
「そんな無理して笑わなくていい、仁王。俺でよければ話を聴くよ?」

多分今俺はとんでもなく情けないツラをしてるんだろうな。そんな顔を見られたくなくて、頭を垂れた。

「……少し、長くなるかもしれんけど…」
「うん」
「――…あんな…」

のろのろと俺は今回のとのことを全て話した。
擬似関係を始めた理由、いつの間にかに惚れてたこと、欲求不満に負けて元カノに手を出した事、それをに目撃されたこと、別れを告げられた事・・・全てを洗いざらい話した。
幸村は何も言わないで、黙って話を聴いてくれた。話し終わったときに、幸村はゆっくりと言った。

「…それで終わり?」
「…ああ、終わりじゃ…」

話し終わった後、静かな沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは幸村だった。

「――で?仁王はどうしたいんだ?」

優しい笑みを浮かべて、いつもの落ち着いた穏やかな声でそう訊いてきた。
責めるでもなく、慰めるでもなく、そう訊いてきた。

「どうしたい…って?」

解らない、そんなこと。どうしたいかなんて。でも幸村の言葉を聴くたびに何かが胸の奥がざわめいているのは確かで。
『何か』をしなくてはいけない…でも何を?

「本当はもう解ってるんじゃないのか?何をしなくちゃいけないのか」
「…でも、あいつは…は好きな奴がいるって言ったんじゃ。だから終わりにしようと…確かに言ったんじゃ」
「違うよ、仁王」

幸村はゆっくりと首を横に振った。
俺の眼をしっかりと見てハッキリと言った。

さんの事じゃない。今俺が訊いてるのは、「仁王が」どうしたいのかだよ」
「俺が……?」
「そうだよ」

幸村は頷き返し、変わらず穏やかに優しく話し続ける。まるで小さい子供を宥めるかのように、ゆっくりと。

「仁王はどうも自分の事より人の気持ちに対して敏感だからな。まず、自分がどうしたいのか考えるのも大切なんじゃないか?」
「――自分が…。でも…」
「フフ、案外馬鹿だな仁王は。何がそんなに難しいんだ?――仁王にとってさんが大切なのか、そうじゃないのかって…それだけのことだろう?」
「――――――!!」
「まずはその気持ちを思いっきり素直にぶつけてみたらどうだ?そうしなきゃ何も始まらないぞ?」

嘘偽りなく、素直に…。
自分がまず何をしたいのか。胸の奥でざわめいていた何かがわかったような気がした。
そして何かが弾けた。

「そうだな、まずは俺が動かなくちゃってことじゃな。…サンキュ、幸村」
「俺は役に立ったのかな」
「この事を話したのが幸村で良かった。じゃあまた見舞いに来るぜよ」
「ああ、待ってるよ」

最後まで変わらない幸村の優しい声を背に、俺は病室を出た。
朝の来ない夜の森に光を与え背中を押してくれたのは、我らが部長・幸村精市だった。

そうだ、俺が動かなくてはなにも状況は変わりはしない。
そんなこと解りきってることなのに、当たり前のことなのに。受身になって何かを待っているなんて、俺らしくない。
攻めて、お前が俺なしなんて考えられなくなるくらい惚れさせてやる。
――そう、どんな手を使っても、だ。

これから俺は一つ嘘を付く。お前に付く、最後の嘘。
そして嘘の後には俺の気持ちの真実をお前に――。



―――次の日、俺は学校を休んだ。もちろん風邪なんかじゃないし、体調が悪いわけでもない。
をここに呼び出す為に。

携帯での番号を呼び出す。本当はまだ少し怖かったりするが、昨日のように表情のない顔で無視をされるよりはまだマシじゃろう。
この時間は休み時間。時間を確認して、に電話を掛けた。
プルルル・・・プルルル・・・。
二回コールして三回目がコールされるかと思った時に、掛けた持ち主にそれは止められた。

『……もしもし』
「もしもし…?良かったわ、出てくれて」
『…何か用?』
…今から俺んちに来てくれんか?今…家誰もおらんくて…でも俺熱があってな、何も出来ん状態なんじゃ。頼む…お前に今会いたい」
『無理よ…。これから授業もあるのよ』
「頼む…。俺はお前に会いたいんじゃ……、待っとるから」

風邪っぽくだるさを声に表した。それだけ言って、返事も聞かずに電話を切る。電源も全て。
…あいつは来てくれるのだろうか?来てくれるように、もっと色んな事を言いたかったのに、言えたのはあれだけだった。
電話に出たときのは、普段のとは思えないほどの聴いた事のない、冷たい声だった。それが気がかりだった。
もしや、本当に嫌われてしまったのだろうかと…悪い考えばかりが浮かんでは消える。
……刻一刻と時間は過ぎていく。少しの時間が長く感じて、時計のコチコチという音がやけに気になる。
が絶対に来てくれるという確信なんてないが、せめて今の俺の気持ちを伝えたい。たとえ届かなくても、簡単に諦められる気持ちじゃないということは、俺が一番解っていることだ。

――どれくらい時間が経ったのだろうか、チャイムが鳴った。
テニスの試合のときの瞬発力なんて問題にならないくらいに素早く玄関に向かった。ガチャッと勢いよくドアを開けると、俺の望んでいた人がそこに立っていた。
急いで走ってきたんだろう、頬を赤くして、ハァハァと息を切らして、肩で大きく息をして…ひどく心配そうな顔をして。
来て、くれたんだな…。良かった。
その事実に安心して、はーっと溜め息をついて思わずその場にしゃがみこんだ。その俺を見ては慌てた声を出した。

「仁王君っ!ちょ…っ大丈夫!?仁王君っ?」
「あ…ああ、何とかな。大丈夫じゃ…。とりあえず上がれ」
「あ、う、うん。お邪魔します…」

玄関で話すのもなんだということで、を二階の俺の部屋へと案内した。大人しく俺の後をついては来るものの、心配そうな感じは相変わらずだ。

「ちょっと待っとれな。今、茶でも出すから」
「え…い、いいよ。それより熱あるんでしょ、ちゃんと寝てなくちゃ…」

くるりとの方に振り返って、ニヤリと笑って見せた。その俺を見て、ハッと気付いた顔をした。

「え…あの…ちょっと待って。まさか……嘘?」
「…プリ」

その言葉では完全に騙されたと言う事が解ったらしい。授業をサボらせて、心配までして走ってきて…その結果がこれだもんな。
これはさすがに怒られるだろうと思って、の怒声を覚悟していたが、意外には「あーもう、なんだぁ…」と呟いて、心底安心した表情を見せた。今度はがその場にしゃがみこんだ。顔を膝の上にのせて、顔を伏せた。

「…良かった…。ホントに…何ともなくて、良かった…」

その声は震えてるように、そして泣いてるようにも聴こえた。よく見れば手は拳を作っていて、ギュッときつく握っていた。
俺はの向かいに膝を折って、声を掛けた。自然に伸びた手は、の頭を撫でて。

「悪かったな…騙して。こうしなきゃ話もさせてもらえんと思ってな。でも…こんな風に騙して悪かった」

俯いたまま俺の手を振り払うこともせずに、俺の謝罪の言葉に力なく、ふるふると首を横に振った。その時床にポタッと落ちたのは、確かに涙で。先程の言葉が泣き声だと思ったのは、決して聴き間違いではなかった。
思わず抱きしめたら、一瞬が身体を硬くしたのが伝わった。だけど抱きしめてる腕は解くことはしない。俺の腕から聴こえるのは、とてもとても小さな嗚咽。

「…泣くなよ」

抱きしめても抵抗らしき抵抗はない。
そのほんの可能性に賭けて、今……お前に俺の真実を話そうと思う。
正直言うと、まだ少し怖かったりするんだが。

『まずはその気持ちを思いっきり素直にぶつけてみたらどうだ?そうしなきゃ何も始まらないぞ?』

背中を押したのは、幸村の優しい助言だった。
そうだ、まずはこの状況からの第一歩が大事だ。踏み出さなければ、何も動かんし何も変わらない。

心の中でゆっくりと深呼吸をして。

、そのままでいいから聴いてくれるか?俺、お前に伝えなきゃいけない事がある」
「……何?」
「最初に言っとくが、今から言う事は嘘でもなんでもない、本当の気持ちじゃ。ええな?」
「はぁ…」

気のない返事だが、とりあえずは聞いてくれるらしい。
素直に、偽りのない言葉で。そう、素直に。

「俺、本気でお前の事…好きじゃ」
「…………はい?」

素直に…素直すぎたかっ!?
何を言おうか、一応は考えてはいたんだが…口を出た言葉はあまりにも素直すぎた告白だった。告白された本人のは一瞬何を言われたか解らないという感じだ。
…ああ、何て間抜けなんじゃ、俺…。
地味に落ち込んでたら、は俺の胸をぐいっと押し返した。少し赤くなった眼でキッと俺を睨みつけた。

「何言ってるのよ。何が本当の気持ちよ、今更そんなの信じると思ってるの?今だって誰かさんに騙されてここにいるのに」
「それについては謝ったじゃろ。それに本当の気持ちを言うと言ったはずだ。今はお前に嘘なんかつける余裕なんてあるか……」

文句を言いながらも帰ろうとしないを素早くまた抱きしめた。今度はすぐに抵抗が返ってきた。

「何…すんのよっ!離して!」

だけど、どんなに抵抗されても何を言われても、ここで俺だって引くことは絶対に出来やしない。抵抗するを無視して俺は話し始めた。

「…信じられなくても無理はないかもな。あの時に付き合ってくれって言った理由も嘘なんじゃからな。それぐらいは気付いてただろ?」
「…………」

抵抗しても無駄なのが解ったのか、抵抗は止んで、または大人しくなった。
そしてそれが嘘だと気付いていたという肯定の沈黙。

「始めはちょっとからかうだけのつもりだった。退屈しとったから、暇潰しになるかと思って手を出した。あまりにも綺麗な顔しとるから、ふと思ったんじゃ」
「……何を?」
「この綺麗な顔が…壊れたら、乱れたら…どんな風になるんだろうってな。気になって、どうしても見てみたくて、それで俺と付き合おうって提案を出した。お前を俺にハメさせて、俺が一番近くでその顔を見てやろうと思った」

そうだ、初めはそれだけだった。特別な感情なんて無くて、クラスメートとしての感情だって薄かった。
いつから…なんて覚えていない。柳生に言われて気付いたくらいだから。
俺はを絶対好きにはならないという根拠の無い自信が、自分の気持ちを隠してたのだろうと、今気が付いた。

「それがいつの間にか、反対に俺がお前にハマってたんじゃ。でも情けないことに、本気で人を好きになった事なんて初めてじゃったからな、どうやって伝えたらいいか解らんくて、結局こんな形になってしもうた」

俺はの首筋に顔を埋めて呟いた。さっきよりも抱きしめてる腕に力を込めて。

「誰にも渡したくないと思うのはいけないことか?…愛しとう、…」
「…………」

俺の告白には黙ったまま何も答えてはくれない。
下を向いて、はーと息をついて小さくふふ、と笑った声が聴こえた。

「あーあ、やだなぁもう。こんな形で認めさせられるなんて」

はおかしそうにくすくすと笑いながら言った。
俺が視線を合わせると、はニッと少し意地悪く笑って見せた。まるで先程の俺みたいに。

「仁王君は何も解ってないんだね」
「何を?」
「私が何で自分からさよならを言ったか…その本当の意味が解らない?」
「だって好きなやつが出来たって、お前がそう言ったんじゃろ…?」

…ん?ちょっと待てよ。
さよならを言った『本当の意味』?ってことは…何か別の理由があるってことか?

「好きな人ができたのは本当」
「…、悪いが、お前が一体何を言いたいのか俺にはさっぱりじゃ」
「甘いなぁ。だからね、仁王君と嘘の関係を続けるのが辛くなったの。だからさよならを言った。好きな人が仁王君じゃないなんて…私一言も言ってないよ?」

呆気にとられた俺を見て、「してやったり」といった顔で楽しそうに笑った。でもそれからすぐに拗ねたような、悔しそうな顔で話を続けた。

「私も仁王君と同じで、いつの間にか本気で好きになってたんだよね。悔しいなぁ、絶対に好きにならない自信はあったのに。さよならを言った時、仁王君は何も言わなくて「私の事は何とも想ってないんだな」って思ったから、諦めようとしたよ。あの時は泣かないように耐えるのに精一杯だったんだから」

何てこった。
もいつの間にか、俺と同じ気持ちになっていただなんて。も俺を見ていてくれていただなんて、全然気が付かなかった。
元カノとの行為を見たときは、俺はきっとをひどく傷つけたんだろう。
…あの時、さよならをどんな気持ちで言ったんだろう。俺は何にもの事を解っちゃいなかったんだ。
幸村が言った。
『仁王はどうも自分の事より人の気持ちに対して敏感だ』と。
そんなことはないよ、幸村。俺は大事なやつの事を何一つ、解っていなかったんだから。

「仁王君の告白…今更って思うよ。でもね、好きだって言われたときは正直嬉しかった。諦めようと思っていたのに、やっぱり私も好きなんだって認めさせられちゃった」

綺麗な顔を少し赤く染めながら、眼を細めて笑った。

「好きな人に告白されて、嬉しくない人なんていないよ、きっと。だって私は今すごく嬉しいもん」

その言葉を聴いてから、俺の中の時間はしばらく止まった。の言った言葉が本心なのかどうか信じるのに時間がかかった。でもは冗談でこんな事を言うやつじゃないし、の眼を見れば、その綺麗な眼にしっかりと俺を映していた。
俺はゆっくりとに手を伸ばした。すべての時間がスローモーションに感じられるみたいにゆっくりと。はそれを逃げる事もしないで俺の腕を素直に受け止めた。
今日、何度か抱きしめた細い身体に、特有の甘い清潔感のある香り。
今、俺の腕の中にいるのはだと確認して、はーっと息を吐く。
抱きしめてる腕に力を込めることは出来なかった。強く抱きしめてしまったら、泡のように消えてしまうかもしれないと思ったからだ。
そんな俺の思いに何かを感じ取ったのか、は優しく言った。

「もっと強くしても大丈夫だよ?」
「うん、解っとる」
「……本当だよ?心配性だなぁ」

は小さい子供をあやすように、俺の背中をポンポンと優しく叩く。
くすくすとが笑ってるのが胸の中で感じる。その顔が見たくなって、そっと身体を離すと、は少し小動物めいた仕草で、上目遣いで俺を見上げる。
…ああ、そうだ。が俺を見るときは、いつもこんな風に見上げてた。

それから俺たちはどちらからともなくキスを交わした。そんなに深いキスじゃなくて、角度を変えてただ触れあうだけのキスだった。
そのまま後ろにあったベッドに倒れこむ。俺がに覆い被さる体勢で。ベッドに倒れこんでもキスはずっと続けていた。
続いていくうちにキスはどんどん深くなっていく。ギシッとベッドのスプリングが軋む。

「ン…ふ、はぁ、ンン…」

こんな深く激しいキスなんては初めてだろう。それでも答えたいと思ってくれているのだろうか、俺の服をぎゅっと掴んでも抵抗なんてそぶりは見せない。そんな必死な姿に胸がつまるが、とても嬉しかった。
慣れていないキスの間に漏れる息も声も、今までに無いくらい綺麗だった。

唇を離すと、は息を整えながらうっすらとその眼を開く。開かれた眼はどこか熱を帯びていた。多分、俺もそうなんだろうけど。
この想いが叶ったのはついさっきなんやけど…だけど呆れるほど望みは尽きない。こんなに俺は浅ましかっただろうか。でもが欲しいという気持ちに嘘は無い。
の頬にそっと触れ、熱を帯びた眼を見つめて告げた。

「…お前が欲しい」
「…………っ!」

の顔がさあっと赤く染まった。みるみるうちに赤くなっていって、耳まで真っ赤になった。…可愛いのう。
そして小さく頷いて、「その…優しく…お願いします」と、小鳥が鳴くような、とても小さな声で了承を得た。

「…了解」

何が了解なんだかよく解らんが、フッと笑ってもう一度その唇に軽く口付けた。
今度は唇だけじゃなくて色々な所にキスを落としていった。耳の後ろや耳たぶを甘噛みする。

「やっ……」

首筋に舌を通わせたときに、は眼をぎゅっと閉じて俺の服を強く掴んで少し怯えたような声を出した。
仕方ない事だと思う。知識がない訳じゃないだろうが、にとって男に抱かれる事は初体験だ。
安心させるように「大丈夫じゃ」と呟き、そっと頬を撫でる。

「怖かったら俺のことだけ考えとけ。…気持ち良くさせてやるから」
「……うん」

そう言うと、ほっとしたような顔して、俺の首に腕を回してきた。

少しでも怖がらせないように、大事に大事に抱いた。
途中に何度か辛そうな表情を見せたが、最後には嬉しそうに笑ってくれた。
行為が終わって、穏やかに眠るを見て、やっとが本当に俺のものになったんだと実感した。



付き合うきっかけは、の「壊れ、乱れたところをみたい」と思ったから。
だけど今は、壊れたことでがもし泣くのならば、そんなことはしたくないと思う。
そして先程、は俺の腕の中で可愛く綺麗に乱れたくれたわけじゃが…。
そんな顔に何度も煽られ、我を忘れそうになったことは黙っておこう。

この「擬似関係」を始めた当初とは明らかに何もかもが違う。
お互いの気持ちも関係も何もかも。
あの時は単に暇をしていたから持ちかけた提案で、まさかこんな関係になるなんて思ってもみなかった。

に「さよなら」と言われたときの絶望感。
が隣にいないときの、色のない世界。
あんな思いはもう二度としたくない。
もう二度と失いたくはない。

あんな事を繰り返さない為に、俺は俺に出来る限りを守っていきたいと思う。
そしてもう一度気持ちを告げよう。
嘘偽りのない、真実の気持ちを……。


そして、この日……俺達の「擬似関係」は終わりを告げた。





真実編・完
update : 2010.02.26
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