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擬似関係―真意編―





あいつとこの関係になってから、解った事がいくつかある。
意外と色んな表情を見せる。笑うだけじゃない、少し拗ねて見せたり、たまに怒ったりだってする。
そして今あいつは確実に―『恋』― をしているだろう。






恋をしていると言っても、それは俺にじゃない、多分違う誰かにだ。
一体いつからだ?そして誰に……?
数日前に告ったという隣のクラスの奴じゃないことは確かだ。その事を聞いたときにはハッキリと「違う」と言った。はそういった事では嘘はつかないだろう。
…どうして気がつかなかったのか。あいつが他の誰かをとっくに見つめていた事を。
心から綺麗だと思った、あの表情。思わず見とれてしまうほどの…。
それが俺じゃなく、他の誰かのものになってしまうなんて、冗談じゃないってのに。

もしがそいつを好きになる前に、無理矢理にでもあいつを抱いていたなら、は俺を好きになってくれていただろうか――?
素直に、一片の嘘なんて付かずに、俺がに対しての想いをに言えてたならは俺だけを見てくれていたのだろうか――?

俺から別れを切り出すなんて事は出来ないのはもう解りきっていることだ。しかし、近いうちにのほうから別れを言ってくるのは解っていた。俺かのどちらかに好きな奴ができるまでの期限付きって約束だったからな。ただそれまでに俺が目的を達成出来なかっただけのこと。反対に俺があいつにハマってしまった、ただそれだけの事なんだ。
は俺に別れを告げた後、俺の事なんて気にもしないでそいつに全ての気持ちを向けるんだろう。そう、一途に、真っ直ぐに。俺と付き合ったことなんて、すぐに忘れてしまうんだろうな。
目的を達成できるという、あの時の自信がバカみたいに思った。
たとえ擬似関係でも構わない、ずっとこのままの時間が続けばいいなんて、普段の俺なら考えられないことを本気で思うくらい俺はあいつに惚れていた。




放課後の人気のいない図書室。
今日はグラウンド整備だとか何だかで運動部の部活は無い。今はとてもじゃないが、部活なんてできる気持ちじゃないから助かった。
はーっと溜め息をついて本棚を背もたれにして、ペタッっと床に座り込む。
眼を閉じて浮かんでくるのは、やはりと過ごした日々。
最初に見えてくるのは、あいつの綺麗な顔。笑って、怒って、拗ねて、薄く笑うのが癖だっけか。
今まで本気で人を好きになった事がないから、こんな時どうしていいのか解らない。
彼氏がいるやつを好きになってしまったような、片想い。失恋確実の片想いか…。
の事を考えながら自分の世界に浸っていたときに、いきなりガラッとドアが開いて現実に引き戻された。反射的にドアのほうを向いた。

「あれ?仁王じゃない。なにしてるの、こんなとこで」

そう声をかけてきたのは、どこか見覚えのある女。薄く茶の入った長い髪。美人だが、とは対照的な美しさ。
記憶をさかのぼり……ああそうだ、以前に何回か関係を持った女だ。お互いに本気じゃなかったから、身体だけの軽い付き合いだった。まあ、いつの間にか自然消滅してたけどな。

「お前こそ図書室なんて似合わないとこに何の用だよ」
「何って…借りてた本を返しに来たんだけど、委員の人、不在みたいね」
「お前が本?ものすごく意外な一面知ったな」

本当に似合わないと、クッと小さく笑ったら、少し怒った声を出した。

「私だって本くらい読むわよ。意外といったら、仁王のほうだと思うけどね」
「……何がだよ」
さんの事。さんがアンタと付き合う事もそうだけど、ああいう子が好みだったなんて、ホント意外。ふふ、よほどアッチの相性がいいのかしら?」

まるで俺が本気で人を好きになるなんて奇跡だとでも言いたそうだな、オイ。なんて失礼でヤな女なんじゃ。
その明らかに馬鹿にしたような言い方に少しばかりカチンときて、冷たく言い返した。

「俺が誰と付き合おうが、お前には関係ないね。少し相手にしてやっただけで彼女気取りか?…お前…ウザイんだよ」

感じた不快を少しも隠そうとせず、きつく睨みつけて、しかし冷たく言い放った言葉も気にしないように話してくる。

「ふーん、大事にしてるんだ。だからそんなに欲求不満な顔してるんだね。彼女、ヤラせてくれないの?」

…抱くどころか、今は関係続行さえも難しい状態なんだよっ!
確かに以前俺なら自分より大事なものなんて無かったから、たとえが傷つこうとも無理矢理にでも抱いていたかもしれない。
が、今はそんなこと出来やしない。できれば傷ついたあいつは見たくない。
…これが惚れた弱みってやつか…?

「ねぇ、どうなのよ。もしかして図星?一ヶ月近く付き合って、まだ手ぇ出してないの?今時こんなカップル珍しい。仁王が手出さないなんて奇跡に近いね」
「うるせぇな。あいつは今までの女とは違うんじゃ」
「ふぅん…でもそろそろ限界なんじゃない?」

女の声がねっとりと色気を含んだものに変わり、意味ありげにそう言ってきたと思ったら、俺の隣に静かに座って、細い指が俺の頬に触れたその瞬間に素早くキスをされた。
とは違う甘い匂い。どこか香水めいたきつい匂いに吐き気がする。だって少しの香水くらいつけてはいるんだろうが、もっと清潔感があるいい匂いだ。

「……離せよ」

唇を離して、わざとらしく唇をぐいっと拭いて女の身体を押し返した。女はそんな俺の態度に驚いた表情をした。
俺が今まで、来るもの拒まず去るもの追わずだったから、意外な行動だったのだろう。

「…仁王らしくないね。でも…」

そう言った瞬間に、俺の身体はダンッと押し倒された。
…いってぇ〜…。背中、思いっきりうっちまった…。
その痛みにクラクラしてると、上からまた再び女のキスが降ってきた。触れるだけの軽いキスじゃなくて、深く深く唇を重ねあうキス。
唇を離し、微笑んで俺を上から見下ろしながら言った。

「抵抗はしないんだね。…したいんでしょ、相手になってあげるよ」
「…………」

ハッキリ言って、が好きなんだと自覚してからは他の女とは寝る事なんて考えたことなかった。しかし、欲求不満だったのは確かで深いキスで火照った身体を静める術をそのときの俺は知らず…一回くらいならなんて、魔が差した。
身体を起こし、乱暴に女の頭を引き寄せ、キスをした。
そして深く口付けられる。舌を絡め合い、くちゅ、ちゅっ、という音がする。
その時だった。
無遠慮にドアがガラッと開けられた。二人とも反射的に開けられたドアの方を見た。


……最悪だった。俺にとって、こんな最悪な事態に陥ったことはない。
つまりそこにいたのは、俺の現彼女の、だったわけで…。

は俺達二人を見て、きょとんとした顔をしていた。
俺はというと、ああ鍵閉めときゃよかったとか、場所変えればよかったとか、そんな考えが頭をよぎったのだが、多分そのときの俺は状況を把握していなかったのだろう。
頭が冷静になってきたときに、さっきまでの火照っていた身体は一体どこへ行ったのか、冷や汗がドッとあふれ出てきた。血の気が引いたという状態を、本日初体験――。
テニスの試合でどんなにピンチになろうと、負けそうになってもこんな最悪の事態は初めてだ。
しかも、この状況で言い訳なんて出来ない…。言い訳出来る状況だったら、どんなに良かっただろうか。嘘なんて得意中の得意だというのに、混乱してて何も考えられない。
おそらくキスをしているところを見られただろう。
ああ、どうしよう…。

「あ……」

は眼をそらさずにジッと俺を見てる。何故だかその視線が痛く感じられ、けれどそらすことも出来ずに俺は何も言えず固まっていた。こんなときは何を言えばいいのだろう。
以前の俺ならきっと「邪魔すんな」の一言くらい簡単に言ってたはずじゃ、なのに。
に『俺が』そんなこと言えるわけもない。
女もさすがにビックリしたらしく、何も言えずにただ黙っていた。
先に沈黙を破いたのはだった。まるで何もなかったように、にっこりと笑って。

「…何だか私、邪魔しちゃったみたいね、ごめんなさい。ここに鍵、置いておくから、帰るときは戸締りお願いね。じゃあ」

そう言って鍵を机の上に置くと、図書室から出て行った。
パタパタと小走りに去っていく足音が聴こえた。

「…びっくりしたぁー。まさかこんなとこ見られちゃうなんてね。…仁王?どしたの?」
「……くそっ…!」
「ちょっと、仁王っ!?」

俺は急いで図書室を飛び出した。女が呼び止める声なんて聴こえちゃいなかっただろう、急いでの後を追った。今、に会って俺は一体何を言うつもりなんだろう。
……解らない、何を言えばいいのか解らない、だけど。

ガラッと教室のドアを開けたが、すでにカバンも無かった。どこに行ったんだろう…もう帰ったのか?
はぁ、と乱れた息を整えながら、ふと外を見た。そこには今門を出て行くの姿が見えた。思わず俺は窓を開けて思いっきり声の限りに叫んだ。

「…っ!!」

運動部がいないグラウンドは静かで、俺の声はハッキリと届いただろう、はくるっと振り返り俺の方を見た。そしていつものように薄く笑い、「バイバイ」と手を振った。再び門のほうに歩き出しそうなを、また呼び止める。

「ちょっと待て!えっと…さっきのは…その…。〜ああ、ったく、もう!いいか、俺が行くまでそこで待ってろ!いいか、絶対待ってろよ!!解ったな!?」

の了解の返事を聞く前に、開けた窓も閉めずに俺はすぐに教室を飛び出して、の元へと全速力で向かった。
は俺が言った通り、門の前で待っていた。

「…っ!」
「仁王君…大丈夫?」
「…っちょ、ちょい待ってっ…」

ぜーぜーと息が切れて、上手く話せない。
額から落ちてきた汗を軽く拭うと、が白いハンカチを「どうぞ」と差し出してきた。「サンキュ」と一言礼を言って、そのハンカチを受け取った。
はぁはぁと、俺の息が落ち着いてきたのが解ったんだろう、が口を開いた。

「で…何?」
「はい?」
「はい?…って。何か話したい事があるんでしょ?何?」
「あー…そのな…」

いざとなると何を話していいのか全く解らず、頭をガシガシとかいて、俯いて地面を睨む。
一度は引っ込んだかと思った嫌な冷や汗がジワリとまた出てきた。数十秒の沈黙が何十分にも感じられ、俺が何も話せずに俯いていると、から小さい溜め息が聴こえた。
そして先に口を開いたのも、まただった。

「さっきのことだったら…私は気にしてないよ」
「気にしてないって…?」
「それに、そろそろ潮時かなって思ってたところだしね。ちょうどいいかも」

「気にしてない」、「潮時」、「ちょうどいい」・・・?
のこれらの言葉にドクンと心臓が高鳴る。でもこの高鳴りは決してときめきの高鳴りじゃない。
お願いだ、待ってくれ。俺はお前から離れたくない。偽物の関係じゃなくて、本当の恋人としてお前の傍にいたいんだ。俺が本当に好きなんは、お前なんだ。解って欲しいのは、たったこれだけなんだ。
でもずっと嘘をついてきた俺には、本当の気持ちをどうやって伝えていいのか解らなかった。の言葉を黙って聴いていることしか出来なかった。

「私達の擬似関係は、ここで終わり。ここでさよならしよう」
「…………!!」

が普通にさらっと言った「終わりの言葉」。
それは今の俺が一番聞きたくない言葉だった。
目の前が真っ暗になったとはこういうことを言うんだろう、ショックで頭がぐらぐらする。何か硬いもので思い切り頭を殴られたような感じがする。
身体がカタカタと小刻みに震えている気がする。俺はちゃんと呼吸が出来ているか?何だか息苦しい……。
本日二度目の冷や汗が身体を濡らしていく。額から伝った汗がポタッと一粒、地面に落ちた音さえ嫌に響いたように聴こえた。

「私ね、少し前から好きな人ができたの。誰かは教えられないけど…でもすごく好きな人。どちらかに好きな人ができたら…って話だったよね。…仁王君?聴いてる?」

短く「ああ」と相槌を打つのがやっとだった。

「仁王君と一緒にいるの楽しかったよ、今までありがとう」

その言葉にハッと顔を上げた。
の言葉が一つ一つ発せられる度に、俺達の関係が、俺達が過ごした日々が消されていく気がした。
見上げたの表情は今までの顔と違った。正確に言えば、俺と付き合ってた時の顔じゃなかった。誰かを『本気』で想ってる、そんな顔だった。
…俺の前じゃ絶対にしなかった表情。俺のものにしたかったその表情。それが、こんな時に見る事になるなんて。

「それじゃあ、さよなら。…仁王君」
「…ああ、さよならじゃな」

ああ、違うのに。こんな事を言いたいんじゃないのに。
だけど今の俺には、お前を引き止める術が解らない。

「うん。…バイバイ」

そう言って、は踵を返して、振り返りもしないで走り去って行った。小さくなっていくの後姿を夕陽に映しながら見つめていた。オレンジの夕陽がをさらって行くように見えた。
角を曲がり、の姿は完全に見えなくなった。その瞬間、ガックリとその場に膝をついた。
立ち上がり地面に張り付いたような足を動かして、あいつを追いかけて抱きしめてこの気持ちを素直に言えたなら、受け止めてくれるだろうか。少しでも俺のことを好きだと思ってくれているなら…なんて思って、「ハハッ」と自嘲的な笑みを洩らし頭をふった。
そんなはずはない、あいつは確かに言ったんだ。「好きな人がいる」と。のあんな綺麗な顔を引き出す男とは、一体どんな奴なんだろう。
俺は見た事もないその男が憎く、そして羨ましくてたまらない。
「バイバイ」という言葉が出たときに、俺達の関係はプチッという音で切れた。
まるで今までの関係が、細い糸で出来ていたかのように。その関係が切れた今、俺達二人の間に通う物は何もなくなってしまった。

嘘をつき続けてきた日々。
その罰なのだろうか、本当の気持ちを口に出して言う事すら出来なくなっていただなんて。
本当に伝えなければいけないことが言えなかった。
頭の中に「後悔」という言葉が浮かんだ。後で悔やむなんて、昔の人もうまい事を考えるもんだと納得する。
今の俺ほどこの言葉が似合う奴なんていないだろうな。
そして、今の俺ほど無様な奴もいないことだろう。


明日はきっと、いつも通りの毎日が始まるんだろうな。太陽が昇り沈んで、何も起きない退屈な毎日がまた始まる。
そしていつも通りのがいる。何も変わらない日常。ただ、俺達が付き合う前の二人に戻っただけのこと。

そうなんだ、俺達が付き合う前の日常…って、ん?
俺の隣にがいない、いつもの日常って…一体どんなものだっけか?
思い出せない。思い返す日々に一番最初に出てくるのは、のいつもの薄く笑った綺麗な顔だ。呆れた顔、怒った顔……とても綺麗な、あいつの顔。
思い出そうとすると、その度に思い知る。という存在が俺にとってどれだけ大きかったかを。
すでに俺の世界の一部になっていたってことを。
は俺の世界の一部を持っていってしまった。

たった一ヶ月の関係がここまで世界を変えるなんて。
今まで当たり前に色づいていたものが、あいつがいなくなっただけで何もかもがシラけたように白黒になって見える。あいつが持っていった俺の世界の一部は、ポッカリと穴が空いたまま色を無くした。その部分にだけ風邪が吹き抜ける。


俺は案外人を見る眼があると思っていた。嘘をつくのが得意だから、他人の嘘を見抜くのも簡単な事だった。直感的に「ああ、こいつは嘘をついているな」と感じるほどに。
でもの気持ちなんて、全く見抜けなかった。
あいつが俺に別れを言った、本当の理由を見抜く事が出来なかった。





真意編・完
update : 2006.02.06
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