「お、甲斐、ちょうど良いところにいたな」
五限が終わって廊下に出た途端、隣のクラスで授業をしていた社会科担任の早乙女監督に見つかったのが運の尽き。自分は職員室に用事があって急いでいるから頼むと前の授業で使った資料を押しつけられ、資料室まで戻しに行く羽目になった。
つーか、急いでるんなら最初っから授業やったクラスの奴に頼めよな。ホントは急いでなんかなくて、面倒くせーなと思ってたところに手ぶらの俺が現れたもんだからこれ幸いとばかりに頼んだだけだろ。職権濫用じゃねーのかこれ。
次から次へと浮かぶ不満をぶつぶつ洩らしながら、階段を上がる。
「…あい、裕次郎だ」
ふと、頭上から降ってきた声に顔を上げると、来るはずのない方向から俺を見下ろすがいた。だっては俺と同じクラスで、さっきまで教室に――…って、そういやいなかったな。
「、授業サボってどこ行ってたばぁ?」
踊り場まで上がって、同じようにそこまで下りてきたと向かい合う。はぽや〜っとした表情で、なぜかプリントの束を持っていた。
「…あらん。昼休みに図書室で日向ぼっこしてたら、うっかり寝過ごしちゃっただけ」
「はいそれサボりって言うからな。で、そのプリントはぬーやが」
「これ? 戻ってくる途中で担任と会っちゃってよー」
次の授業で使うから先に持ってって配っておいてくれ、ってところか。俺もも、今日はお互いにツイてないらしい。
しかし、の持つそのプリントの量は結構多くねぇか。あにひゃー、女子に持たせる量じゃねーだろ。
「重くねーか? 半分くらい持ってやるよ」
「ううん、もうすぐそこだし、裕次郎も両手塞がってるあんに。しかもあたしと進行方向逆っぽい」
あ、と思わずマヌケな声が出た。そうだ、今さっき俺達は同類だって思ったばっかだっけ。上から来たと下から来た俺の目的地が同じなワケがない。
ただこれは自分の荷物の存在を忘れるほどのことを気にしてるって意味になるんだけど、気づいてねーんだろうな本人は。つーか知る由もないのか。
俺がちょっと居心地悪い気分でいると、はにへらと緩く笑った。
「気持ちはありがたーく貰っておく。あんしぇ、またやーさい」
振れない手の代わりに抱えたプリントを小さく左右に揺らして、は俺の横をするっと通り抜けて階段を下りていく。
が横切る一瞬、ふわりと良い香りが頬を掠めて。俺はつられて振り返り、立ち止まったままの後ろ姿を目で追った。
角の向こう側に消えていく横顔。踵。スカートの裾。全て見えなくなって――俺は迷わず階段を駆け下りていた。
角を曲がって、すぐ先をのんびり歩くの背中に呼びかけながら、当然のように横に並んで歩く。はきょとんと首を傾げて俺を見てきた。
「…やっぱり、教室までついてく」
教室まで、とは言っても本当に一分もかからないほどすぐそこだ。けどその一分にも満たない時間でさえも、と一緒に過ごしたいって思ったっていいだろ。
そんな風に今の自分の衝動を振り返ってみたら耳が熱くなって、何となくから顔を背ける。
すると何やら、隣からくすくす笑い声が聴こえてきた。ええいうるさいうるさい。
重かったら俺の荷物の上にプリント乗っけたっていいからな、なんてぶっきらぼうに告げて、俺は教室までの数歩を大切に踏み締めた。
ああ、俺はどうかしてる。こんな些細なことで、たまらなく幸せ感じちまってるんだ。
END
「あらん」=「違う」
「〜よー」=その後に来るべき言葉がこの一言に集約されている。らしい。
「あんしぇ、またやーさい」=「それじゃ、またね」