TOP > DREAM > 密林に招ずる
密林に招ずる


8月1日11:00


 そこをたまたま通りかかったから、というのがそのまま、私がそこに立ち止まった理由に直結した。
 だってどう考えてもおかしい、あの取り合わせ――比嘉中の三人と、長太郎君?
 彼等が親しげに話すような接点が全く想像もつかなくてじっと目を凝らして見ると、表情などにやっぱり円満さはなく、どうやら不穏な様子だ。
 トラブルが起こっても困るので声をかけようと少し近づくと、はっきりと会話の内容が耳に届いてきた。まずは木手君の冷静ではあるけれどどこか小馬鹿にしたような声。

「――そう思わせるのが作戦だとどうして気付きませんかね。物わかりの悪い人だ」
「そこまで言われちゃ、俺だって黙ってられませんよ!」
「やるってのかよ?」

 珍しく怒っている長太郎君に平古場君が更なる挑発を向けたところで、私は口を挟んだ。

「どうかしたの?」
「あ、先輩…」
「まあ何となく想像はつくけど、これは何の口論?」

 合宿中に問題を起こす事は許さないとばかりに説明を求めて私が双方に視線を向けると、長太郎君は少しだけ罰の悪そうな顔をする。代わりに木手君が状況を説明してくれた。

「簡単な事ですよ。そこのお坊ちゃんが、我々に協力を求めてきた。それに対し、我々はその気がない事を伝えた。それだけの事です」
「……肝心な事が抜けていますよ。我々氷帝学園に対する侮辱が」
「侮辱? 事実でしょうが」
「推測だけで事実がありません!」

 こんなに怒る長太郎君は本当に珍しい。よっぽどな事を言われたんだろうな。
 私は宥めるように長太郎君の肩をポンと叩いて、至って冷静に顔を覗き込む。

「何て言われたの? 氷帝の事なら、私も無関係じゃないと思うんだけど」
「それは……」

 言い淀む長太郎君の代わりにまた木手君が答えた。

「今回の事故は、氷帝が仕組んだ陰謀だという事です」
「……はあ」
「全国大会に出場する有力校を集め、事故に見せかけてこの島に漂着させる……見事な段取りでしたよ」

 そろそろ潮時かとは思ってたけど、ここまで読まれてたのか。
 そうだよなぁ、私から見てもこの島不自然なトコいっぱいあるもんなぁ。真新しい缶詰置いたりとかさ、やり過ぎなんですよ榊監督。
 鬱々とした気分で黙っていると、木手君は勝ち誇った笑みを浮かべた。それにちょっとイラッときた。

「図星を指されて声も出ませんか? 全ては全国大会で氷帝が勝利する為の卑劣な策略です。事故で選手だけが取り残された状況ともなれば、どんなトラブルが起きるか解からない。例えば氷帝にとって目障りな選手をケガさせたとしても、それは不可抗力になる」

 ……あれ? 出だしまでは良い推理だったのに、途中からおかしくなったぞ?
 つまり彼等は、そんな陳腐で幼稚で粗雑な罠を、氷帝が仕掛けていると? そんな事を、本気で信じていると?
 驚いた…すごい、筋金入りだわ。筋金入りの人間不信?

「また貴女は……その、人を憐れむような目は何ですか。言いたい事があるのならハッキリ言いなさい」
「いや、もう、うん…」

 何と言うか、ちょっと言葉が見つからない。
 もお、本当にメンドクサイ人達だなぁ。このまま放っておくと勝手に盛り上がって悪い方向にエスカレートするんだろうなぁ。
 こうなったら、私の独断になるけど比嘉中の人達には全部話しちゃおう。後の事など知った事か。
 私が思考を巡らせ黙っていると、木手君は尚も噛みついてくる。

「違うと言うのなら、納得のいく説明をしてみせなさいよ」
「はいはい解かりました。じゃあ私についてきて下さい」
「…何だと?」

 おお、さすがに毒気を抜かれて興味を示してる。
 そっちは一先ず無視して、私は長太郎君に向き直った。

「長太郎君、跡部に伝言頼んでもいい? 樺地君に言えば伝わるから」
「えっ…あ、はい…?」
「『今から比嘉中の方々を連れて北西の森へ出かけます、詳細の報告は後程』」
「ええっ!? そ、そんな、先輩一人でだなんて…!」
「大丈夫だから。お願いね、長太郎君」

 慌てふためく長太郎君の向きを無理矢理反転させ、トンッと背中を押し出す。
 駆け足! と号令をかけると、条件反射のように前へ駆け出した。少し先で躊躇いがちにこちらを振り向き、足踏みしながら心配そうな顔で見つめてきたので、私は平気だという風に笑って手を振った。
 それでようやく、長太郎君は渋々ながらも走り去っていった。

「――さてさん、我々を森へ連れ出してどうしようというのですか? どんな罠があるとも知れないのに、素直について行くとでも?」
「貴方達に何かして、私に何のメリットがあるの?」
「知れた事、貴女は氷帝のマネージャーでしょうが」
「解からない人ですね。前に言ったでしょう、ここでの私の役割は全員のマネージャーだって。マネージャーが進んで選手をケガさせるなんて馬鹿な事、あるわけがないでしょう。それとも、それにも確かな証明が必要なのかしら?」

 木手君はしばらく言葉の真偽を推し量るように私の目をじっと見つめ、やがて頷いた。

「……いいでしょう、ついて行きます。目的地へ着けば、我々の疑問に真実で答えてくれるのでしょうね?」
「ええ。多分、貴方達は自分の思い込みの激しさに少なからず恥ずかしくなると思います」
「減らず口を…」
「どっちが」

 ギラギラと激しく睨み合う。まるで初日の夜の焼き直しだ。
 お互い同時にフンッと顔を背けて、私は彼等の前に立ち背中越しにちょいちょいと手招きした。
 さて、比嘉中御一行様をご案内ですよと。
 この人達に今回の合宿の真意を理解させるには、言葉だけの説明じゃ足りない。確実な物証が必要だ。それは合宿所の外にしかない。あと、出来るだけ氷帝籍ではない証人――あの人辺りがいてくれるといいんだけど。
 比嘉中の三人を連れ立って、森を道なりに歩く。私はその途中で、木の枝に括りつけてある物にじっと視線を向けておいた。

 私達は目的地に着くまでは何も話す事はない、とお互いに沈黙を守ったままでいたが、ある程度進んだ所で、突如木手君が呟いた。

「この道は――まさか、あの小屋に行こうとしているのか…?」
「あの小屋?」
「この先を進んで少し道を外れた場所に、巧妙に隠された怪しげな小屋がありました。そこの近くで、跡部と手塚が密会をしていた。小屋の前では使えるはずのない携帯電話を使っている姿も見ました。貴女はそこへ行こうとしているのですか?」

 ああ、だから昨日朝のミーティングで携帯がどうのとか言い出したのか。…跡部、現場を見られちゃってたら世話ないよ。深い溜め息が洩れた。
 私は今更誤魔化しもせず、首を縦に振って正直に答えた。

「そう、そこへ行くの。合宿所よりもそこでの方が、より信憑性のある説明をしてあげられるから」

 これ以上の話は全て小屋に着いてからだと言うように私は再び口を閉じて、少しだけ歩調を速める。
 私は、ちょっと苛ついていた。いい加減ストレスが溜まりに溜まってきたのかもしれない。跡部を目撃したその場で取っちめてしまえばおかしな考えに囚われずに済んだのに、と木手君に対して責めるような感情がふつふつと湧き上がる。
 いやいや落ち着け私。騙しているのはこちら側なのだ。それを隠し続けていたって、いつかどこかで必ず綻びが出るもの。木手君があんな疑いを持ってしまうのも仕方がない、ような気がしないでもない。
 とにかく、小屋に着けば全てが終わる。真実を知った彼等は愕然とするだろうか、なんだそんな事だったのかと笑い飛ばすだろうか、それとも私を罵倒するだろうか。
 どうでもいい、と思うのはあまりに投げ遣りで無責任だが、その時にならなければ何も解からないのなら、どうでもいい。何にせよ私は彼等の感情を受け止めなくてはならないというだけだ。
 そうだ、自分で最初に思ったんじゃないか。「ストレスの捌け口でいい」って。巡り巡ってそう結論付いたのなら、何も苛立つ事なんかない。これも私の役目の一端だ。
 開き直ると気分も軽いもので、小屋の前に辿り着いて鍵を取り出す頃には鼻歌混じりだった。彼等は私が小屋の鍵を持っている事について訊ねてこなかった。
 そう、答えは全てこの中。

「――さあ、篤とご覧下さいな」

 鍵穴に刺した鍵を捻り、扉を開けて彼等に見えるように身体の位置をずらす。
 室内を見て、彼等が息を呑んだのが解かった。

「これは――それに、なぜ、あの人が…」

 稼動している簡易モニターにパソコン、通信機材等々。こんな無人島にあるはずのない物ばかりがこの小屋の中には詰まっていた。
 そして待ち構えていたのか、奥にある椅子から立ち上がって私達を迎える、第三の人物。
 私は呆然としている三人を室内に押し込み扉を閉めてから、その人に笑いかけた。

「よかった。合図に気づいて下さったんですね――伴田先生」
「ええ。貴女が比嘉中の方々を連れてこちらに向かいながら監視カメラを見つめていましたから、我々に何か用があるのだと思いましてね」

 ニマニマと食えない笑みを浮かべながら、山吹中の顧問である伴田先生は「それで?」と、早速本題に入ってくれた。別に急ぐ必要はないんだけど、話が早くて助かる。他の先生が来る可能性もあったけれど、この人が一番私達に深い関わりがない上に解かりやすい説明をしてくれると思っていたので、伴田先生が来てくれる事を私は密かに期待していたのだ。
 取り敢えず私は困惑している様子の比嘉中の三人に振り返り、先に釘を刺しておく。

「これから説明をする前に、一つだけハッキリさせておきたい事があるの」
「……何でしょう」
「貴方達は氷帝が――ううんそれだけじゃなく、多分青学も陰謀に関わっているんだとか思ってるみたいだけれど、良く考えれば解かるはずでしょう。船には山吹と六角の顧問も乗っていた。つまり貴方達の主張から見れば、顧問が同行していた四校全てが陰謀に関わっている可能性が高くなる。そうでしょ。まさか自分の学校の為だからといって、山吹と六角の顧問だけを本当に遭難させるわけにはいかないものね――…ねえ、こんなに共謀者ならぬ共謀校がいて、潰し合いなんて出来ると思う?」

 そんなわけで貴方達の推理は完全に破綻していますよ、と解かりやすく諭してあげると、甲斐君と平古場君は思わずといった感じに「あっ」と納得の声を上げた。木手君は憮然たる面持ちで言葉を失っていた。
 氷帝が黒幕だって思い至るくらいの洞察力があるのなら、もっと根底を見極めればいいのに。だから詰めが甘いというのだ。
 ここまで理解出来たのなら、彼等は説明を黙って聴いてくれるだろう。途中で口を挟まれるのは面倒だ。
 伴田先生は彼等に向けていた私の話を聴き終えると、これまでの経緯に得心がいったようにふむふむと頷いた。

「…なるほど。さんはトラブルが起こる前に予防線を張る事にした、というわけですね。それで彼等をここに連れてきて、第三者に説明を求めたと」
「ご理解が早くて助かります。どなたもいらっしゃらなかったら私が説明しようと思っていたんですけれど、お願い出来ますか?」
「そういう事なら仕方がありません。良い配慮です」

 私は伴田先生の説明の邪魔をしないように横の壁に背をつけて黙って見ている事にした。
 まず、木手君の察しの通りこの遭難は計画されたものである。しかしその目的は選手全員を危機的状況に置き、極限状態での精神力を鍛える事である(それを聴かされた時、木手君は不意を食らったように目を丸くしていた)。先生方が一緒だとどうしてもそこに気の緩みが出来てしまうが、先生方がいなければ、自分達だけで危険な状況を切り抜けられる判断力が身に付く。そのため先生方は身を隠し、監視カメラで陰ながら見守っていた。ちなみに榊グループ所有のこの島の地下にはハイテク装置が張り巡らされていて、大きな事故が起きないように24時間私達の事を監視していたのだ。
 伴田先生の説明を聴き終えた後、しばらく呆然としていた木手君であったが、いつものようにクイッと眼鏡を押し上げると、ぽつりと呟いた。

「フン……結局俺達はずっと騙されていたという訳ですか」
「結果、そういう事になりますね。申し訳ない」

 穏やかに謝る伴田先生を見て木手君は渋面を作ったが、それ以上は何も文句を言わなかった。多分、この人に何を言っても柳に風だと思ったのだろう。ここに来てくれたのが伴田先生で本当に良かった。

「ともかく、全てを明かしたからには跡部くんや手塚くんにも報せておかないといけません。さん、先に戻って二人に伝えておいてもらえますか? 私は他の先生方に連絡を入れてからそちらに行きます」
「はい、解かりました」

 先生に頷きかけてから扉を開けて、比嘉中の三人も外に出るように促す。三人共、無言で私の前を横切っていった。私は静かに扉を閉めて、彼等の後を追う。
 来る前よりも踏み掠める土と草の音や鳥の声などがやたらと五月蝿く聴こえて、沈黙が刺すように痛くて、私は、先程の開き直りはどこへやら、自分が意外と緊張している事に気がついた。
 彼等が黙っているのは、怒っているからだろうか、まだ混乱しているからだろうか。まさか恥じてなんかはいないだろうな、なんて思いながら、先頭を歩く木手君の後頭部をじぃっと見つめる。
 何か、言えばいいのに。いつものように冷たい言葉で罵ればいいのに。
 そんなネガティブな念を込めた眼差しに彼が気づかないわけもなく、木手君は小さな溜め息を吐き出してから、立ち止まって私を振り返った。

「何か、言いたそうですね」

 ピタリ、全員が立ち止まる。
 今度はこちらが三人からの注目を受ける事になって、私は一段と居心地悪い気分になりながら口を開いた。

「……責めないの?」
「責められたいんですか? 我々に責められてスッキリしたい、と?」

 フン、と嘲るように鼻を鳴らし腕を組む木手君。

「――御免ですね。我々に責められたところで、キミは大したダメージを受けないでしょう」

 そんな事ない、と反論したくても、何故だか嘘になってしまいそうで言えなかった。

「キミが最も辛いのは、善人と、氷帝のお仲間に失望される事です。我々に、ではない。自己満足がしたいのならそちらでおやりなさい」

 そう言われ、この島で私を信用してくれているであろう人達の顔を思い浮かべたらズキリと胸が痛んだ。
 …性格悪いなあ。ええええ、木手君は善人ではないんでしょうよ。胸も痛みませんよっ。
 なのに涙が浮かんでくるのは、どうして。

「それに……キミは既に充分反省している。そんな相手を責めたところで何の意味もありません」

 泣くのをぐっと堪えていたところに、そんな救いの(同時に突き落とす)言葉を与えられて。一粒だけ、零れた。
 赦されてるわけじゃない。でも――少しだけ楽になる。

「…ありが、とう」
「っ…礼など要りません。気味が悪いです」

 私が弱々しく礼を言うと、木手君は憎まれ口を叩いてプイッとそっぽを向いてしまう。
 そこで静観に徹していた平古場君が、からかい口調でニヤニヤと木手君をつついた。

「とか言って、がしおらしいと張り合いがなくてつまんねーんだろ永四郎?」
「五月蠅いですよ平古場クン」

 そんな遣り取りを複雑な心地で眺めていると、甲斐君が横から小声で話しかけてきた。

もさ、別に俺達はお前に対して怒ってないから、その……あんまり気にすんなよ」

 いつも通りでいいのだと、自分達はそれくらいがちょうど良いのだと、言う。
 ――どうしよう。またちょっと泣きそうだ。

 悪ぶってるけど本当は優しくて、ちゃんと、私の事を見てくれている。
 突っ撥ねるフリをしながらその実、受け入れてくれている。
 そんな君達を、どうして好きにならずにいられようか。

「あぁ――私、君達の事…好きだなあ…」

 溢れ出す感情のままに呟き、困ったように微笑うと、三人は目を見開き頬を赤らめて止まってしまった。
 あれ? そういう意味で言ったんじゃないんだけど、なー……なんて言い訳めいた事を思いながら、私まで釣られて頬が熱くなった。
 ええと、もしかして私、今すごい恥ずかしい事言った?
 でも、嫌いじゃないと思っていた君達を、ここにきて素直に好きだと思えた事が、とても嬉しかったんだよ。

 最初に秘密を打ち明けられたのが、君達でよかった。





END





update : 2008.04.29
ドリームメニューへトップページへ