7月30日19:30
炊事場の近くを通り掛かると、立海の丸井君が水場の隅に向かってしゃがんでいるのを見かけた。
私はちょっとした悪戯心を抱いて彼にそっと忍び寄り、屈んで背後から声をかける。
「丸井君、何やってるの?」
「うおっ!? びっくりした! いきなり声掛けるなっての」
「ごめんごめん。それで、何やってるの?」
「おう、まあ見てくれ」
「あ、キノコ」
丸井君が身体を横にずらして、影になっていた場所を見せてくれる。
するとそこには白くて小さい、記憶にあるキノコが三本ほど固まって生えていた。
「こんなトコにも生えんだな、キノコ」
「そうだねー……」
暢気な口調の丸井君に、私は乾いた返事を返す。
うわあ、この人が次に何を言い出すのか予想が出来てしまった。
「こいつ、食えっかな?」
「それはシロタマゴテングタケ」
期待たっぷりな予想通りのセリフに、私は食い気味に答える。
しかしその名前の意味するところが解からないのか、丸井君は喜色を浮かべた。
「お、玉子みたいな味がすんのか?」
「猛毒だから間違っても食べたらダメだよ」
「げっ、毒キノコかよ!」
「毒キノコが炊事場に生えてるなんて、何かあったら大変だね。採って穴にでも埋めておきましょうか」
即座にウエストポーチから畳んで仕舞っていたビニール袋を取り出し、広げて手に被せると、恐ろしき毒キノコを毟り取り袋を裏返して口元を掴む。
丸井君はその様子を眺めながら、残念そうに呟いた。
「折角見つけたのに……」
「大事に至る前に見つけられて良かったね、丸井君」
「ちっともよくねぇ」
実に不満そうに口を尖らせている。毒キノコでも食べたいと思うほどに空腹なのだろうか。
危険な思想に一瞬背筋が冷え、それを振り払うように手を振って丸井君を宥める。
「まあまあ、機嫌直して。お腹が空いてるなら、私が持ってきたお菓子あげるから」
「本当か? 何くれるんだ?」
変わり身も早く、丸井君はパッと花が咲いたような明るい顔をこちらに向けた。
そう期待されると、何だかこちらまで嬉しくなってしまうではないか。
私は得意気に手を広げ、演説家のように高らかに告げる。
「ポテチでもクッキーでも飴でも、何でもござれ」
「よし、ぜん――」
「ちなみにどれか一つね」
「ケチ!」
「……いらないならそれでもいいけど」
「嘘うそ冗談! 量が多いやつなら何でもいいですっ!」
慌てて取り繕いながら、量が多いの、と然り気なく希望を付け加えるのを忘れない正直さが憎めない。
丸井君をその場に待たせ、私は管理小屋に戻り、お菓子を大量に入れてきたバッグからビッグサイズのポテチ(うす塩味)を取り出して、食堂に戻る。
「はい、これでいい?」
「おおー! サンキュー!」
差し出したポテチに飛びつき、いそいそと袋を開ける丸井君。
食べる姿は実に幸せそうで、私はニコニコとその様子を眺めていた。
丸井君は一頻り揚げ芋の菓子を腹に収めると、こちらを向き首を傾げた。
「つーか、何でそんなにたくさんお菓子持ってきてんだ? ま、まさか全部一人で食べるつもりで……?」
自分の食欲を棚に上げ、恐ろしいものでも見るかのような(若干わざとらしい)表情でそんな事を仰る。
そんなわけないでしょ、と溜め息混じりに返して、私は説明した。
「ご飯が足りないって言う人がいるだろうから、少しずつあげようと思って。栄養補助食品もあるんだけどね、それだけじゃ味気無いかと思っていくつかお菓子も」
「自分のじゃないのか」
「私は足りてるから」
「自分は食べないのに、他人の為に大量に持ってきたってのか!?」
「マネージャーなので」
私が事も無げに言うと、丸井君はふと真顔になり、袋の口をこちらに向けてポテチをずいと押し出してきた。
「……お前、少し食え」
「え」
「いいから、食え!」
拒否は許されないような雰囲気に感じられて、私は反抗せず袋に手を伸ばしポテチを一枚取って口に含んだ。
……美味しい。しょっぱい。
私が食べたのを確認すると、丸井君は再び口を開いた。
「お前なあ、『誰かの為』なんて志しは、空っぽで何の支えにもならん。いつだって『自分の為』に動け。そんなんじゃいつかぶっ倒れるぞ」
……驚いた。
失礼かもしれないけど、丸井君からこんな――胸に迫る説教を頂戴するとは。想像もしなかった。
いや、丸井君だから、なのかもしれない。
食欲には特に忠実で、試合では相方の桑原君を振り回して、でも素晴らしい結果を出してる。きっと後悔などないんだろう。
それが、『自分の為』に頑張るって事なんだろうか。
「……うん、そうする」
「おう、そうしろィ」
「自己満足の為に」
その答えが些か不満だったのか、丸井君は一瞬黙った後、呆れたように言う。
「……ま、それでもいいよ。お前、不健康な生き方してるなあ」
「性分なもので」
丸井君はふう、と息を吐くと、ポテチの袋を手に取り立ち上がる。
「の自己満足に付き合ってやるよ。っつー事で、いつでも俺んトコにお菓子持ってこいよな!」
二カッと晴れやかな笑顔を残して、丸井君はそそくさとこの場を去った。
後ろを振り返ってみると、真田君が近くを歩いていて。ああ、見つかって小言を言われる前に逃げたんだな、と思い至った。
去り際がすごく格好良かったのに裏腹な事実が何だか滑稽で、腹の奥からふつふつと可笑しさが込み上げてくる。
丸井君の欲望に忠実な思い遣りを噛み締めながら、私は顔を伏せクツクツと笑った。
END