TOP > DREAM > 青嵐に戯れる
青嵐に戯れる


7月28日20:00


 さわさわと、風が小道を吹き抜けていく。
 木々の間を通って運ばれてくる風は嘘みたいに涼しかった。

 正直、このロッジの位置って羨ましい。木に囲まれてて涼しいし、静かだし、奥まってるから秘密基地って感じでカッコイイ。
 まあ今みたいに、夜は暗くて結構怖いけど。
 でも怖いのはきっと、夜の所為ってだけじゃなくて。
 私が向かい合っている、今合宿における問題児達の所為だ。

「氷帝のマネージャーさんが、一体何しに来たんです?」

 真っ正面から私に対峙するのは、沖縄比嘉中の部長木手君。その両脇には甲斐君と平古場君がいる。合宿参加者の顔と名前と学年はこの島へ来る前に暗記してきた。
 彼等の事はよく知らないけれど、三人に共通して確実に言える事は、私を敵視しているという事だ。
 さて、どう切り込もうか。
 私は腕を組み、考え込むように首を思い切り傾げた。

「うーん…偵察?」
「ほう、スパイしに来たとあっさり認めるのですか」
「私がどう主張しようと、貴方達はそうとしか思わないでしょう? もうメンドクサイからそれでいいです」
「うわ、言い切った!」

 私の投げ遣りな態度に、甲斐君が大袈裟に驚いてくれた。良いリアクションをありがとう。
 しかし木手君の反応はにべもない。

「帰りなさい。俺達は貴女と話をするつもりはありません」
「ああ、別に話さなくてもいいです。勝手に見てますから」

 否定するように手をひらひらと振ってそう言うと、木手君の眼差しが一層不審に満ちた。

「何…?」
「言ったでしょう、「偵察」だって。貴方達はこういう状況に強いみたいだから、役に立つ事は少しでも吸収したいんです。訊いても教えてくれるつもりはなさそうだし、見てるだけならいいでしょう?」

 サバイバル合宿だっていうのはあらかじめ知っていたので、食べられる山菜やキノコや魚介類にその調理法、島で過ごすのに必要な知識や危険なども粗方勉強してきた。けれど経験に敵うものはない。
 そこで、この比嘉中だ。彼等は昼間、自分達がいかにこういった状況に慣れているかを散々ぶち上げてくれた。しかし周りに知識を分ける気はさらさらないときている。ならば見て盗むまでだ。

「敵が傍にいて良い訳がない。目障りです」
「敵? ふーん…」
「…何ですか」
「木手君は、この合宿の目的は何だと思ってるのかな?」
「差し当たって考えられるのは、全国大会で当たる可能性のある我々の手の内を探る事でしょう」

 まあそこは否定出来ないし、その辺は他の人も考えてはいるだろう。他校を交えたこんな合宿を企画して、氷帝のメリットがあるとすればそのくらいだ。共に高め合おうだなんて詭弁もいいところで、恥ずかしくて口にも出来やしない。
 けどだからって、この人達がテニス以外のところでこちら側と別行動をとる意図は…?

「――…ああ、なるほどね」
「下手な芝居はやめなさい。氷帝のマネージャーである貴女が何も知らない訳がないでしょう」
「違う違う、そうじゃなくて。だから他校の人達と一緒に行動しないのかーって、その警戒の徹底っぷりに感心しただけ」

 本当に、ただ干渉されたくないだけなんだ。それならまだ可愛らしいけど。

「感心? おかしな人ですね。当然の措置でしょう」
「そうかな? ライバルとはいえこれだけ他校生がいたら普通、他所の学校の事聴いてみたいなぁとか思ったり、テニスの事にしたって、意見を交わしたりラケット交えて色々参考にしたいとか思うものじゃない?」
「他所の事に興味はありませんし、軟弱な本土の人間と馴れ合いたいなどとは微塵も思いません」

 あ、今のちょっとカチンときましたよ。冬の寒さも知らないくせに、と言ってやりたい。言われたらムカつくでしょう? 自分がされて嫌な事は人にもしちゃいけませんって教わらなかったのか君はっ?
 ようし、そっちがそういう態度なら、こっちにも考えがある。
 私は聴こえよがしに「ぷっ」と噴き出し、冷笑を浮かべてみせた。
 木手君は不快げに眉をぎゅっと寄せる。

「さっきから何なんです貴女は」
「いえいえ、おかしな事を言うなと思って。馴れ合いもしてない本土の人間が軟弱だなんてよくお解りになるな、と。そういう偏見を持っていると、ここぞという時に痛い目を見るんじゃないかしら」
「ッ…」
「…何だお前、俺達にケンカ売ってんのか?」

 グッと奥歯を噛んで表情を歪ませる木手君を押し退けんばかりに、平古場君がこちらに詰め寄って凄んできた。
 あら怖い。平気なフリしてるけど、実は私本気で怖い。ちょっとカツアゲされてる気分。言葉に対して威圧を返してくる人間は苦手だ。立派な口があるというのに。
 ところで「ぬーがやー」ってどういう意味だろ。多分非難だと思うけど、そんなのでも聴き慣れない沖縄言葉はなかなか素敵な響きだ。
 って私、案外図太いかも。ああいや、結構ぐるぐるしてる。
 頭の中が混乱し始めた私に気づいたのかそうでもないのか、木手君が片手を伸ばし平古場君を押さえ込んだ。

「やめなさい平古場クン――いいでしょうマネージャーさん。では偏見に埋もれた我々に意見を下さいますか?」
「え、いいの?」
「どうぞ。ただし、一つだけです。それ以上の干渉は一切しないで頂きたい」

 なるほど、交換条件というわけね。
 …しかし、助かった。フリーズしかけた思考が再び回転を始める。

「じゃあ…ミーティングには参加した方がいい、かな。まあ協力し合わないなら議決権はないでしょうけど、この島の情報を得るには充分じゃないかと」
「なるほど、オブザーバーですか……いいでしょう、聞き入れます」
「ほら、一個言う事聞いてやるんだから、とっとと帰れよ」

 追い払うポーズは見せるけど、一定の距離は保ったままの甲斐君。まるで自分より高い位置にいる敵を威嚇する猫みたいだ。
 もしかしたらこの人達も、知らない人ばかりのこんな島に三人きりで放り出されて、内心は不安なのかもしれない。まったく平気なんて事はないと思う。
 それならやっぱり、私までここで彼等を放置してしまうのは良い判断とはとても言えない。
 架け橋なんて大層なものじゃなくていい。潤滑油、ストレスの捌け口とかでいい。

「じゃあ今日はこの辺で」
「もう来なくて結構」
「いいえ、また来ます。言うのを忘れていたけど、この合宿での私の役割は氷帝のマネージャーじゃなくて、全員のマネージャーなんです。その為に来たの」
「我々には必要ありません」
「貴方達に必要なくても、私に必要なんです」

 誰の為でもない、私がここにいる理由を得る為に。
 反乱分子がいたとしても譲らない、一つの妥協も許さない。

「…それに、元々この合宿所には貴方達が参加する事も計算して支給品が用意されているから、お米やら調味料やら包丁やら懐中電灯やらの一部は、誰が何と言おうと貴方達の物なんですよ。それを渡しにまた来ます。マネージャーですから、時々水だって配りに来ます」

 退いてなどやるものか。強い意志を込めて木手君を睨み上げる。
 これだけは引き下がるつもりがないのだという事が伝わったのか、木手君は腕を組んで呆れたように深い溜め息をついた。

「……解かりました、好きになさい」
「おい永四郎、いいのかよ」
「どうせ何を言っても聞かないのでしょう。手伝いがある分には困りません。もうメンドクサイからそれでいいです」

 あ、真似された。自分で言っておいてなんだけど、結構腹立つなーこれ。
 ――けど、何でかな。何だか今、木手君とほんのちょっとだけ通じ合えたような気がしないでもない。
 だってほら、私と木手君、今同じ顔してる。不敵な笑みして睨み合ってる。……嫌な通じ合い方だわ。

「来たければ来なさい、『マネージャー』」
「ええまた来ます、『木手部長』」

 同じ部内の部長とマネージャーのような小芝居を交わして、私は彼等に背を向けた。
 と、すぐに後ろから声をかけられる。

「――ああさん、一つだけ言いたい事があります」
「何か?」

 くるりと反転して再び向き直ってみると、木手君が悪っそーな顔で笑っていた。さすが、『殺し屋』とかいう物騒な異名を持つだけはある。

「貴女にスパイは向いていませんね。終始冷静を装っていたつもりのようですが、途中で少し感情的になっていました。もっと巧くおやりなさい」

 ……コノヤロウ。ケンカ売ってるな? おうおう買ってやろうじゃあないか。
 私はいい笑顔で反撃を繰り出した。

「ご忠告痛み入ります。そちらこそ、私と話す気はないとか言いながら一々返事をして下さいましたけれど、ひたすら無視すれば私も諦めたかもしれないのに結局こっちの言う事聞く羽目になっちゃって、詰めが甘いですね」
「…………」

 おお、すっごい睨んでる。向こうもきっと「このアマ」とか思ってるんだろうな。私達、実は結構似た者同士かもしれない。出逢う場所が違えば良い友人になれたやもしれぬ。非常に残念だ。
 甲斐君と平古場君は私達の殺伐とした睨み合いに入り込めないようで、顔を引きつらせながら一歩下がってこちらの成り行きを見守っている。
 木手君は手の甲で眼鏡を押し上げ、少し目を伏せた。

「…ええ確かにそうですね。気に障る事ばかりでしたが、我々を欺こうという意思が貴女には感じられなかった。だから少しだけ――付き合ってあげても良いかと思ったんです」

 あ、嘘だ。木手君は今一瞬の間に言葉をすり替えた。
 多分…いや、確実に、木手君は「少しだけ信用してやっても良いかと思った」と言おうとした。似た者同士故に、解かってしまう。
 本当に、詰めの甘い人。…嫌いじゃない。

「何を笑っているんです。もう帰りなさい」
「はーい。明日の朝一番にお米と調味料を持ってきますね」

 ハイハイいいから早く帰りなさい、と木手君はもう一度言う。シッシッと払う手の振りまでつけて。
 私は半身になって三人におやすみなさいと手を振り、パーカーのポケットに両手を突っ込むと、軽い足取りで小道を引き返した。

 取り敢えず跡部に報告かな。
 これで万事解決、なんて思わないけど、ちょっとでもわだかまりがなくなればいい。
 私の役割はこの合宿を円滑に進める為の手伝いだ。それが出来るのなら憎まれ役の一つや二つ、何でもない。
 本格的な監視は樺地君がやってくれるしね。

 それに、明日からの彼等の対応が楽しみでもある。
 歓迎はまずしてくれないだろう(優しかったら逆に気持ち悪い)、いきなりケンカ腰なんて事もあるかもしれない。無視してくれたら最高だ。その程度じゃ私はめげないし、張り合いもある。

 ああ、不謹慎だけど、急にこの合宿が楽しくなってきた。
 気分が昂揚し、きゅーっと口角が自然に持ち上がると、奮い立つ私を宥めるように青嵐が頬を撫でていった。
 その絶妙なタイミングが心地好く、誰かさんを思い出して、私は立ち止まり背後の仄明かりに目を凝らした。





END





update : 2007.02.11
ドリームメニューへトップページへ