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赤花に添える


7月31日11:30


 あと一人なのに――そう思いながら私は、合宿所から少し離れた木々の間を歩いていた。
 私の手には竹籠が下げられていて、中には水の入ったペットボトルが一本。あと一人にこれを渡せられれば、午前の水配りは終わるのだ。
 大抵の人は予め決められた指示通りに行動しているので見つけやすいのだけれど、その予定に組み込まれていない人間が三人だけいる。言わずもがな、比嘉中メンバーだ。
 離れロッジには木手君だけがいて、その木手君から他の二人の居所を教えてもらい、海で魚を捕っていた甲斐君には簡単に会えた。しかし林の方へ食料を探しに行ったという平古場君は範囲が広過ぎてなかなか見つからない。
 まあ、平古場君を捜すついでに私も食料を探す事が出来るからいいんだけどね。
 お昼までに平古場君が見つからなかったら戻ればいい、と考えながら、その場に見つけた山菜を採って籠に入れる。
 他にもないだろうかと地面に落としていた目線を何気なく進行方向に向けると、数十メートル先を尋ね人が横切るのが見えた。

「ひらこ――」

 私が思わず呼びかけようと大きめの声を上げたのと同時に、平古場君もふと振り返って私の存在に気がつく。

「――ばく…」
「おー! ちょうど良かった!」

 平古場君は大声で私の声を遮り、何やら機嫌が良さそうに近づいてきた。私は何となく身構えてしまう。

「な、何がちょうど良いの?」
「いいモン見せてやるから、ついて来いよ」
「え、何、いいものって…?」
「いーからいーから」

 突然の事に戸惑う私などお構いなしに、平古場君は私の手から竹籠を奪い、元来た方向へズンズン歩いていく。人質ならぬ籠質をとられてしまった私は、慌ててその後を追いかけた。
 いいものとは何だろう?とワクワクする気持ちよりも、なぜ私に?という疑念の方が遥かに大きい。特に悪意は感じられないけど、一体どういうつもりなんだろう。

 真意が掴めないまま黙って平古場君について歩く事数分。意外に目的地は近かったようで、平古場君は少し先にある木の辺りを指差して、「あれあれ」と私に示した。
 近づいていくと、木の向こう側に隠れていたそれが見えた――赤くて鮮やかな、一輪のハイビスカス。

「……わあ」

 花の正面まで行って、私は感嘆の声を上げた。
 太陽へ向かって大きく花弁を広げる様は、何とも健気で愛らしい。
 私は顔を綻ばせてそれを眺めていたが、不意にまた疑問が頭を過ぎり、今度はそれをちゃんと口にした。

「で、どうして私にこれを?」
「どうしてって、女が喜びそうなモンがあったから見せたかっただけ」
「…なかなかキザだね」
「キザかぁ? あそこにお前が通りがからなかったら、わざわざ見せに連れてくつもりなんて全然なかったけど」

 それは多分本心だろう。気紛れで面倒臭がりっぽいものね、この人。
 じゃあこのハイビスカスを見られた私は、たまたま運が良かったんだろう。そんな風に納得する。
 しかし平古場君の言い開きはまだ終わっていなかった。

「ただ、お前に似合うなとは思った」

 その言葉に驚いて、平古場君に返してもらった籠を危うく取り落とすところだった。や…やっぱキザだわ…
 赤面しそうな頬を押さえていると、平古場君が徐にハイビスカスの茎に手を伸ばした。

「なあ、このアカバナー摘んでもいいよな?」

 私は一瞬、『アカバナー』って何だろう?と思ったのだけれど、彼のその行動で瞬時に理解した。

「だ、だめッ!」

 私は慌てて平古場君の腕を掴み、ぶんぶんと首を横に振る。
 平古場君はきょとんとしながら、取り敢えず手を引っ込めてくれた。

「何で? せっかくお前にやろうと思ったのに」
「何でって…綺麗に咲いてるのに、勿体無い」

 萎れにくい花とはいえ、摘んでしまうのはあまりに忍びないではないか。
 花の代わりに籠の中のペットボトルを彼の手に握らせ、私は複雑な気分で花を見下ろした。

「…それに、私にはこんな可愛い花、似合わないと思う」
「そんなことないんじゃねぇの? 似合わないと思い込んでるだけだろ」

 またあっさりとそんな事を言い放ち、平古場君はボトルの蓋を開けくぴりと一口飲んで「ぬるい」と呟く。
 その淡泊な様子はいっそ清々しい。今は私のどんな言葉も感情も、柳のように緩やかに受け流してしまいそうだ。
 だからだろうか。どんな答えが返ってくるのか興味が湧いて、こんな質問をしようと思ったのは。

「ねえ。どうせ一緒に生活するなら、もっと可愛げのある女の子の方が良かったでしょ?」
「は? 可愛げのある女に氷帝のマネージャーなんて勤まるのかよ?」

 …それは言えてるかもしれない。あの俺様な上に頭の良い跡部に意見するなんて事、私くらいふてぶてしい女じゃないと出来ないだろうな。
 でも平古場君、ここは氷帝のマネージャーとかは抜きに考えて、「そうだな」って肯定するところじゃないの? 先程から少し、違和感がある。
 だって、そうだ――敵意が全く無い。

「平古場君は私を、その…避けたり追い払ったり、会って嫌な顔したりしないの?」

 敵と味方を区別しないのか。木手君のように。
 私がじっと顔を見つめると、平古場君は気怠げに頭を掻いた。その明るい髪にこそこの赤のハイビスカスが映えるんじゃないかなと、ぼんやり思う。

「あー…別にどーでもいい」
「どうでもいい?」
「永四郎は徹底してっけど、嫌いでもないお前とまで敵だとか味方だとか、正直めんどくせーよ」

 木手君が聴いたら確実に怒りそうな事をポンポンと吐き出す。例え二人きりでいても甲斐君はここまで言わない、彼ならもっと濁すだろう。
 今確信した。平古場君って、かなりの自由人だ。

「それにさっきの質問だけどな、俺はここにいたのがで良かったと思ってるぜ」
「えー…?」

 それはどうだろう。もっとこう、テニス部とは一切関係のない、偶然船に乗り合わせた素直で可愛い女の子と一夏のアバンチュールとかの方がいいんじゃないの?
 私が軽く疑いの眼差しを向けていると、平古場君はニヤッと笑った。

「永四郎も裕次郎も、お前と話してる時は楽しそうだし」
「ええー? どの辺が?」
「永四郎はあれでも、に一目置いてる。裕次郎に至っては…」

 と、そこまで言って、平古場君は言葉を止めた。そしてチラッと私の持つ竹籠に目を落とし、ぷくく…と噛み殺した笑い声を洩らす。何だか嫌な感じで、私はジトッと目を据わらせた。

「……甲斐君が何?」
「うんにゃ、何でもねー」

 答えを誤魔化し、平古場君はボトルの水を含んで口を塞いだ。そしてすかさず、「帰るかー」なんて言って、さっさと踵を返してしまう。
 冷やかす為だけに甲斐君の名前を出したのだと思うと、一体何なんだと詰め寄る気も失せた。

 帰る方向は一緒なので私は特に急いで追いかける事もせず、彼の後方をのんびり歩き出す。
 しかし何歩か歩いてすぐ、平古場君は急に立ち止まった。何となく私も足を止め、平古場君の動きを待つ。

「…やっぱ、摘んじまおうぜ!」

 そう言って振り返り小走りで私の横を通り過ぎると、平古場君は躊躇わずにハイビスカスの茎を手でブチッと千切ってしまった。
 ああっ!と思わず驚愕の声を上げた私の麦わら帽子を取り上げ鬢(びん)に素早くそのハイビスカスを挿して、平古場君は満足げに笑う。

「これでよぅーしっ」
「よ、良くないッ! どうして摘んじゃったの!?」
「んだよ。似合う奴につけてもらったんだから、アカバナーも無駄死にじゃないさー」
「でも…」
「こんな所でひっそり咲いてるよりも、の髪に飾ってやった方がアカバナーにとっていいかもしれねーだろー?」

 何ですか、その理屈は。
 あーあ…後で水につけてあげれば少しは長生きするかなぁ――と考えながら、耳許の花弁にそっと触れる。
 折角綺麗に咲いていたのに何て事を。そんな風に私が軽く憤っていても平古場君はどこ吹く風で、ニコニコ笑っていた。

「うん、やっぱ似合う」

 平古場君の行動って、理屈じゃないんだなぁ。今はハイビスカスが私に似合うかどうかしか考えてないっぽい。それはそれで嬉しいけど。
 でもやっぱり――そうやって無邪気に笑う平古場君の方が、私よりよっぽどこの鮮やかな赤い花が似合うと思った。





END





update : 2008.01.09
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