書評
Mary Elise Sarotte, 1989: The Struggle to Create Post-Cold War Europe, (new and revised edition), Princeton University Press, 2014.
 
 
 ベルリンの壁開放に象徴される1989年の激動を扱った本は山のようにあるが、本書はそれらに比していくつかの顕著な特徴をもっている。その第一は、類書の多くがベルリンの壁開放を「大団円」と見るのに対し、本書はむしろそれを「出発点」として、その後にどのような国際秩序が形成されたかを追うことに主眼をおいているという点である。またアメリカ中心的な冷戦史観を批判して、コール、ミッテラン、サッチャー、ゴルバチョフらの役割を重視しているのももう一つの特徴である(もっとも、アメリカの扱いが軽いわけではないことは後に見るとおり)。こうした特徴が本書を類書から区別していることは明白である*1
 著者によれば、ベルリンの壁開放後にどのような国際秩序をつくりあげるかをめぐっては複数の構想の競合がしばらく続いた。結果的に選び取られた構想は、既存の材料(NATO、ドイツ連邦共和国基本法、ドイツ・マルクなど)をそのまま東に持ち込むという意味で「プレハブ・モデル」と特徴付けられる。このモデルは与えられた時間的制約の中では最も実現可能性が高く、推進者たちの巧妙な戦術もあって勝利を収めた。最大の勝者はコールおよび彼と提携したブッシュであり、彼らはミッテランを味方に引きつけ、サッチャーを孤立させ、そしてゴルバチョフを「買収」することに成功した。この勝利は誇るに値するものだが、一定の代価を伴い、理想的というわけではなかった。端的にそのことを示すのは、拡大ヨーロッパの域外にロシアを取り残したことであり、その後遺症は今日にまで及んでいる、というのが著者の見方である。冷戦終焉が当初は「欧州分断の克服」と想定されたにもかかわらず、結局分断は克服されず、形を変えて(境界線を東に移動させて)再生産されたというのは私のかねてからの持論だが、この点に関する限り、本書の議論は私見を補強するものになっている。
 コールおよびブッシュの勝利ということと関連する一つの重要論点はNATO拡大の起源問題――それはドイツ統一をめぐる交渉時にさかのぼるのかどうかという点自体が論争的である――があり、これは今日なお米ロ対抗の主要論点の一つであり続けている。本書は1990年前半の過程を詳しく跡づけて、次のように論じている。同年2月上旬にベイカー米国務長官、ゲンシャー西独外相、そしてコールが、ゴルバチョフにドイツ統一を認めさせる見返りとして、NATOの管轄は「1インチも東に移動しない」という考えを口頭で提示した(その際、直接的な意味で念頭におかれていたのは東ドイツ領土のことだが、より広い東欧諸国のことも暗黙に意識されていた*2)。ゴルバチョフはこの提案をうけて、ドイツ統一への一里塚としての経済・通貨同盟に承認を与えた。ところが、NATO不拡大方針はその直後から米政権内で強い反対にあって取り下げられ、ベイカーもコールもそれに同調した。ゴルバチョフは2月10日のコールとの会談でNATO不拡大が確認されたかに思い込んだが、それを文書の形で定着させることをしなかったため、後の撤回に対抗できなかった。著者はこのようなゴルバチョフの交渉態度を愚かなものと評している。
 以上、最も目につく個所について紹介したが、それ以外の側面を含めて全体としてみると、本書には優れた個所とそうでもない部分とが混じり合っていて、評価は簡単ではない。
 本書は主要登場人物――大多数は高位の政治家たちだが、一部に東ドイツの異論派活動家たちも含む――の行動を各人のバックグラウンドにさかのぼって説明したり、大まかには近い位置にあるはずの人たちの間での微妙な思惑の食い違いを重視するなど、具体的な事実の叙述において相当細やかであり、これは優れた点だが、そうした事実の解釈においては、ところどころにやや飛躍ではないかと感じられるところがある。特に重要なのは、新たな国際秩序に関する複数の構想として4つのモデルを提出しているのだが、それぞれのモデルに関する説明にはやや乱暴なところがあり、十分説得的ではない(先述の「プレハブ・モデル」というネーミングは面白い発想だが)。
 ベルリンの壁開放を大団円と見るのではなく、むしろその後の複雑な過程の出発点と見るのは面白い観点だが、本書の基本部分の大半は1990年9月(ドイツ統一基本文書調印)までで終わっており、その後、1991年の起伏に富んだ展開(年末にソ連解体)を経て92年以降の本格的な「ポスト冷戦」期へと至る経過については簡略な展望の提示にとどまっている。その意味では、本書は1989年11月から90年9月までという短い時期に集中した歴史書という性格をもっている。他面では、それよりももっと後の(現在にまで至る)時期のことにもあちこちで触れていて、著者が純然たる歴史家というよりは現代政治への強い関心をもつ研究者であることが窺えるが、それはあまり立ち入った考察を伴っていない。本書はある部分では非常に細かく、ある部分では相当大胆な立論をしているという二面性があり、歴史の書としても政治学の書としても読めるが、その両面の接合があまりうまくいっていないのではないかとの印象をいだく。
 特に気になるのはソ連事情への踏み込みの弱さである。著者はゴルバチョフも主要アクターの一人に数えており、ロシア語資料もある程度使っているが、ドイツ・フランス・イギリス・アメリカの内部事情への目配りに比べるならソ連の内部事情への踏み込みは浅い(本書が依拠しているロシア語資料は『ミハイル・ゴルバチョフとドイツ統一』という一冊の資料集だけであり、それ以外の資料に広く当たった形跡はない)。そのため、ソ連の動きに関する著者の説明は図式的かつ一面的な印象を与える。その背後には、かなり単純化されたソ連観・社会主義観があるように感じられる。
 東ヨーロッパ諸国への関心も薄い。東ドイツだけはかなり詳しく論じられているが、ポーランドについてはドイツ統一がポーランドに与えた懸念という側面に限定した扱いであり、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至っては、稀に断片的に言及されるだけである。
 そういう中で異例に、東ドイツの異論派(およびその系譜を引く1990年初頭の市民運動)はかなり詳しく扱われている。それを読むと、彼らとゴルバチョフはある程度共通の志向――国際面ではNATO拡大ではなく東西を超えた全欧的な安全保障体制の構築、国内面では「改革された社会主義」――をいだいていたことが窺える。著者はこれを「ヒロイック・モデル」と名付け、高い理想を掲げたものの現実性を欠き、そのために敗北せざるを得なかったと捉えている。そうした共通性があるにもかかわらず、著者の東ドイツ異論派への視線とゴルバチョフへの視線は大きく異なる。前者がいわば「同情すべき敗者」という感じで描かれているのに対し、後者への視線はずっと冷やかである。これはゴルバチョフおよび彼を取り巻く状況に関する理解が深くないことと関係している。ペレストロイカ期のソ連に登場した各種の社会運動や改革論についてはほとんど全く言及されておらず、まるで当時のソ連に存在したのは一握りのゴルバチョフ側近たちと圧倒的に強力な保守反動派だけだったかの印象を与える記述になっている。ということは、著者は東ドイツについてはまだしも内在的理解の対象としているのに対し、ソ連については内在的理解の必要性自体を感じていないのではないかという気がしてくる。本書基本部分の記述が1990年のドイツ統一で終わっていて91年のソ連解体にまで及んでいないこともそのあらわれではないかと思われる。
 結局のところ、著者はアメリカ中心の冷戦史観に対してヨーロッパからの観点を重視しているとはいっても、そこでいう「ヨーロッパ」とは、西ヨーロッパ諸大国(プラス東ドイツ)にとどまっており、そうした「ヨーロッパ」とアメリカの関係が議論の中心になっているという観がある。ソ連/ロシアが拡大欧州の外に取り残されたことの問題性に着目しているのは興味深い着眼だが、それも「西から」見ての議論にとどまっているといわざるを得ない。
 
 こういうわけで、いくつかの疑問はあるが、とにかくベルリンの壁開放からドイツ統一に至る時期の錯綜した国際政治史を東西両ドイツ、アメリカ、フランス、イギリスなどのからみあいに力点をおいて描き出し、その後の経過についてもある程度の示唆を出している点で興味深い書物だというのが全体的感想である。
 
(2018年3月)
(追記)その後、邦訳書が出たので、邦訳に関する検討を別のノートとしてアップロードした。2020年4月。

*1若干例示するなら、Victor Sebestyen, Revolution 1989: The Fall of the Soviet Empire, London, 2009(『東欧革命1989――ソ連帝国の崩壊』白水社、2009)年は、冒頭で「本書はハッピーエンドの物語りである」と宣言して、「大団円」史観を明白にしている。また、サーヴィスの浩瀚な冷戦終焉論は時期的には1988年頃まで、主要アクターとしては米ソ両国の政治家たちを最重要視する点でサロッテと対照的である。Robert Service, The End of the Cold War, 1985-1991, Macmillan, 2015.これらに対し、M. Meyer, 1989: The Year That Changed the World: The Untold Story Behind the Fall of the Berlin Wall, Pocket Books, 2009 (『1989 世界を変えた年』作品社、2010年)はアメリカ勝利史観を批判して独自な観点を打ち出している点で意義があるが、時期的対象はやはり1989年に限られている。マイヤー著については塩川伸明ホームページの「2012年までの電子ディスカッション・ペーパー:短評集」の欄に簡単な紹介文を載せてある。サーヴィス著についてはフェイスブック上に簡単な感想を書いたが、近く再論を予定している。
*2この点に関する本文の記述にはやや不明瞭なところがあるが、再版時に付された長大なあとがきで補足されている。このあとがきと同趣旨の論文として、Mary Elise Sarotte, "A Broken Promise? What the West Really Told Moscow About NATO Expansion," Foreign Affairs, vol. 93, no. 5 (September-October 2014)がある。