岩崎稔・上野千鶴子・成田龍一編『戦後思想の名著50』
 
 
 魅力的な企画の本である。六〇年におよぶ戦後日本の歴史を振り返り、その中で大きな思想的影響力を持った著作を今の時点でどのように位置づけるかを考えながら読み直すという作業は、ものを考えようとする人たちにとって必須の課題といえるだろう。もっとも、「論壇」というものが今でも存在するのかとか、「思想」という言葉自体が今では死語と化しつつあるのではないかといった疑問もありうるが、そうした問題を含めてさまざまな事柄を考えるきっかけとなる本である。そのような興味深い作業を、比較的コンパクトな形で――一冊の本としてはかなり厚いが、対象の広大さを考えれば、これでもコンパクトな方だろうし、収められている一つ一つの文章は短文ばかりである――まとめたという意味で、非常に便利な本でもある。その便利さがかえってあだにならないかという疑問もないではないが、そうした点については追い追い考えていくこととしよう。
 
     一
 
 本書は、第T期「戦後啓蒙の成立と展開(一九四五年‐一九五〇年代)」、第U期「戦後啓蒙の相対化と批判(一九六〇年頃‐一九七〇年代)」、第V期「ポストモダン・ポスト冷戦・ポスト戦後(一九八〇年頃‐一九九〇年代)」という時期区分に対応した三部からなっている。もっとも、第U期と第V期の区別はあまり明瞭でない。対象とされる著作の刊行時期をとってみても、第二部の中で八〇年代以降の著作がとりあげられていたり、第三部で七〇年代の著作がとりあげられていたりする。論評の仕方も、第一部では対象への批判的評価が基調をなすのに対し、第二部と第三部では比較的高い評価が多いということで、後の二つにはかなりの共通性がある。
 編者たちの説明によれば、第三部では「『戦後啓蒙』対『戦後啓蒙批判』という対立図式が失効するような歴史的文脈のもとで、新たな知の地政学をもたらそうとした思想の営為」を取り上げたとのことだが(編者まえがき、五頁)、実際の選択基準は編者たちの独自な好みを反映した結果、右の説明だけで読者を納得させることのできるものにはなっていないように思われる。そのことは編者たちも意識しており、「選書には、わたしたち編者三名の選好や恣意が入っています」、「V期に何を取り上げるかについては、もっとも異論があることでしょう」と断わられている(四‐五頁)。だから、そのこと自体を非難しても始まらないのだが、ともかく私自身はこの構成にかなり疑問を感じたということを先ず言っておかなくてはならない。実際、第三部に収められている著作の多くは、私の眼から見ると、内容的には共感するところが多々あるものの、特に斬新とはいえないという風に思われてならない。これを画期的とするのはある特定の価値判断が背後に前提されているからであり、その判断自体がそれほど新鮮とは思えないというのが私の印象である。
 本書は大勢の執筆者たちによる共著だから、全体が何らかの共通見解によって統一されていたり、同じトーンで書かれているわけではない。にもかかわらず、私の読後感としては、これだけ大勢の人が書いているわりには、比較的共通の要素が多い本だという気がした。そのことにはメリットとデメリットがある。メリットは、てんでんバラバラで散漫な本ではなく、ある種のまとまりと筋書きをもった本として読めるということだが、デメリットとしては、本来多様性のあるテーマに取り組んだ書でありながら、そのわりには一つの筋書きにおさまる――本書に頻出する表現を拝借するなら「回収される」――印象を与えるものになってはいないかという疑問がある。もちろん、これはあくまでもごく大雑把な印象ということに過ぎない。個々の文章を丁寧に見ていけば、そうした筋書きにおさまらない要素もあちこちにあり、多彩さが感得される。にもかかわらず、三つの時期への区分のせいもあって、大きな流れとしてそのように感じさせるところがあるのではないかというのが私の第一印象である。
 論評対象に対する執筆者の姿勢も、個々の文章ごとの差異があることはもちろんだが、ややもすると対象をほめるかけなすかのどちらかに両極分解しがちで、細やかさに欠けるものがわりと目につくような気がした。ほめるにせよけなすにせよ、論者の価値観に照らしての裁断――批判する際には断罪に近い口調、評価する場合には「正典化」という言葉が当てはまりそうな絶賛――という傾向も散見されるように思われる。個々の例にこだわるわけではないので特定の名を挙げるのは避けるが、たとえば、「いまなお読み継がれるべき『戦後思想』の古典」、「本書の現在性は現在までいささかも衰えてはいない」、「パラダイムを根本的に組み換える斬新さ」、「記念碑的記録」、「今後ますますその普遍性を明らかにするだろう」、「なおも色褪せない魅力を放っている」、「以後の議論に決定的な橋頭堡を築いた」等々の言葉を読むと、それはそうかもしれないが、やはり新たな「正典化」とその権威付けという要素が忍び込んではいないだろうかという印象をもってしまう。
 
     二
 
 先に、相当多くの執筆者たちが共通の価値基準をもっているように見えるということを示唆したが、その評価の物差しは、敢えて単純化していうと次のようなものである。「西欧近代」を模範とするようなものは駄目、マルクス主義――とりわけ「講座派」系統のそれ――に忠実なものは駄目、アジアの植民地が視野に入っていないものは駄目、男性ばかりを取り上げてジェンダーの視点がないのは駄目、性の問題に触れる際に異性愛を前提しているものは駄目、逆にいえば、こうした限界から自由になっているものほど高く評価される、というのが大まかな共通点のようである。私はそのこと自体に異議を唱えたいわけではない。むしろ結論的には共感するところがかなりある。ただ、過去の思想家の著作を読む際に、ひたすらこういう物差しを当てはめて裁断するやり方がどこまで有効なのだろうかという疑問を抑えがたい。これは極論するなら、コペルニクス以前の人びとはみんな太陽が地球のまわりをまわると考えていたから大馬鹿者だといって批判するようなものではないだろうか(1)
 このような物差しを使うと、第T期の諸著作の多くはいまから見ると問題のあるもので、批判ないし克服の対象と評価されることになる。これに対し、第U期になるとそのことへの批判的意識が出てくるので相対的に評価が高くなり、第V期ではより一層それが明確になるということで、本書の構成は、時代とともに思想が進歩するという図式――もちろん、明示的にそう言われているわけではないが、通読するうちに、何となくそういうイメージが湧いてくる――が暗黙に前提されているような気がする。これは一種の「進歩史観」ではないか、という皮肉な感想も浮かんでくる。
 確かに、第一部の対象として取り上げられている著作の多くは、いまとなってはかなり古く、いま読み返すと違和感を感じさせるところが多々ある。しかし、だから古くて駄目だと決めつけるのでは思想史にならないのではないだろうか。そういう、現在の眼から見て違和感を懐かせるようなものが書かれ、広く読まれ、影響力を及ぼしたのはどのような状況においてだったのかを歴史的に理解する努力が必要なのではないだろうか。
 大塚久雄『近代化の人間的基礎』を取り上げている山之内靖は、本書の執筆者たちのうちでは例外的に年長世代に属する。おそらく彼はかつて大塚史学の強い影響力にとらわれたことがあるのだろうし、その呪縛から自己を解き放つのに多大の努力を要したのだろう。そのこと自体は尊重に値する事実である。だが、本書の大部分の執筆者や想定される読者の大多数は、大塚の強い影響下にあった経験などほとんどなく、それどころか「大塚久雄って誰?」というような感覚の持ち主であることも珍しくないのではなかろうか。大塚の呪縛から抜け出すために必死になっている様を描くのは、大塚を現代にまで生きている人と描くことに通じる。むしろ、大塚史学がほぼ完全に過去のものとなり、若い世代にはそもそも名も知られなくなっているような状況を前提して、それはどういうものだったかを、改めて「歴史として」理解してみようとする作業が必要なのではないかと思う。これは大塚に限らず、柳田国男、丸山眞男、川島武宜など、第一部で取り上げられている多くの著作家に共通に当てはまる――柳田、丸山は大塚、川島に比べれば、今でも知られている度合いが相対的に高いといった差異があるとはいえ――ことではないだろうか。
 
     三
 
 本書の多くの部分に共通する気分のようなものを単純にまとめるなら、現にある社会のあり方に批判的な――ということは、敢えて伝統的な言葉を使うなら「左翼的な」――気分が基調をなしているといえよう。但し、一昔までなら、「左翼」と言えばあれこれの潮流のマルクス主義を指すのが通り相場だったが、ここではむしろ反マルクス主義的な、いわば「ポストモダン左翼」が主流をなしているように感じられる。一九六〇‐七〇年代の「新左翼」が「反代々木の左翼」だったとしたら、一九九〇年代以降の「新新左翼」は「反マルクス主義的な左翼」だということになるかもしれない。それはそれで理由のあることなのだろうとは思う。ただ、そのような立場を深めるためには、批判対象としての「既存マルクス主義」を戯画化して、安易にやっつけるのではなく、もう少し深く捉えて、格闘する作業が必要だろう。その作業が本書ではあまりなされていないというのが、読み終えての一つの不満である。
 「旧左翼」ともいうべき潮流の著作としては、ただ一点、石母田正の『歴史と民族の発見』が取り上げられている(執筆は磯前順一)。私自身のこの本へのかかわりをいうと、私が歴史研究を志した七〇年代はもうこの本の影響力が低下した後だったので、書名だけは一応知っていたものの、敢えて読もうという気は長く起きなかった。二〇〇二年にこの本が平凡社ライブラリーとして再刊されたときも、なぜいまという疑問を禁じ得なかった。もっとも、「古くさい」というレッテルが確立したものを敢えて新しい眼で読み直し、それを社会思想史の一素材とするという作業は興味深いものになる可能性があるとは思っていたが、なかなか実際に読む機会がなかった。そういう中、偶然だが、たまたま本書(『戦後思想の名著』)とほぼ時を同じくして石母田著も読んでみたので、私自身の感想と磯前による論評とをつきあわせてみたいという気持ちに駆られた(2)
 先ず、次の言葉が眼にとまった。
 
「本書が当時の日本共産党やスターリンの権威を前提に書かれたことは否定しがたい。しかし、『歴史と民族の発見』という言葉に託して、石母田が何を語ろうとしたのか。どのように社会状況に介入しようとしたのか。彼の当時の言動を丁寧に読み解いてゆくならば、そこにステレオタイプ化されたナショナリズムの観念に回収されきることのない思考の襞が見出されるはずである」(一三二頁)。 
 
 これは、後知恵による裁断やレッテル貼りを避けて、歴史内在的に石母田を読み直そうという提言であるようにとることができ、その意味では好感が持てる。だが、問題はそれをどのように遂行するかにある。続く個所では、以下のように述べられている。
 
「石母田にとって、ナショナリズム、彼の表現でいえば『民族』なる言葉とは、何よりも、自己のうちにひそむ不透明さ、知識人のもつ合理性の限界を知らしめるものであった。彼がたびたび指摘している知識人のおちいりがちな陥穽とは、わたしたちが学問という言説に深くかかわってゆく過程で、大文字の歴史に同化されてしまい、『身ぢかな周囲』や『内面的なもの』への感性を喪失してゆくこととされる」(一三二‐一三三頁)
 
 おそらく、石母田の「民族」とは、後のナショナリズム論で問題にされる意味での「民族」とは微妙に異なり、むしろ「大衆」「人民」と重ねあわされる部分がかなりある言葉なのだろう。だとするなら、それへの注目は、ここで指摘されているように、「知識人のもつ合理性の限界」やエリート主義への自己批判としての意味をもつということになる。戦後のある時期まで「民族」「ナショナリズム」「愛国」などの言葉が「右翼」の独占物ではなく「左翼」のシンボルでもあったことは、そう考えれば理解できないことではない(3)。だが、問題は、それが現実の民衆そのものというよりも、政治運動の方針に沿ってつくられた観念の中の「人民」「大衆」「民族」に横すべりしがちだったという点にあるのではないだろうか。「生きた現実」とか「生身の人間」とかいった言葉は、往々にして、それ自体がまたもう一つの公式ないしスローガンと化し、「大文字の歴史」に吸収されていってしまう。この点に踏み込むことなく、「『国民のための歴史学』という大文字のスローガンには収まらない筆づかい」といった評価にとどまるのでは、批判的再検討として不十分ではないかという気がする。
 もう一つ気になるのは、「ロシア・マルクス主義」という言葉の濫用である。いわんとするところは分からないわけではないが、このような安易なレッテルの乱発は、この言葉さえ出せばすべての悪は説明されるといった印象を与え、折角の議論が薄手のものになってしまう(4)。たとえば、「当時の石母田が日本共産党やコミンフォルムに忠実でありながらも、実質上、ロシア・マルクス主義にとっては異端ともいえる思想形成を経てきた」(一三六頁)という個所があるが、この文章をやや乱暴にまとめなおすなら、悪いのはみんな外(ロシア)からやってきたもので、それと一線を画して日本国内で蓄積されてきた知的伝統を引き継ぐ部分はプラスだ、という図式になる。そのような側面がありうるということ自体を否定するわけではないが、これはあまりにも安手の図式ではないだろうか(5)
 それはさておき、「旧左翼」はともかくも石母田という一つの例が再検討の対象になっているわけだが、かつての「新左翼」は、ほとんど対象として取り上げられてさえおらず、これは一体どういうことだろうかという疑念を引き起こす。こういうと、吉本隆明『共同幻想論』が取り上げられているではないかと反論されるかもしれない。だが、この本は彼が六〇年安保を境に政治的行動から手を引いた後の著作であり、私の個人的印象では、「新左翼のイデオローグ」だった時期の彼を代表するものではない。この本が広く読まれたのは、「新左翼」運動退潮の中で「挫折」という言葉が流行語化する雰囲気の中だったのではなかろうか。もちろん、こうした印象やイメージには個人差が大きいだろうから、私の個人的印象が正しいと言い張るつもりはない。ともかく、私自身が若かった頃に興奮しながら読んだ――どこまで理解できたかはもちろん怪しいものだし、今では内容もほとんどすっかり忘れてしまったが――吉本の著作といえば、『抒情の論理』『異端と正系』『擬制の終焉』『自立の思想的拠点』など、主に一九五〇‐六〇年代のものであり、『共同幻想論』以降の作品はほとんど読んでいない。吉本のことについては、また後で立ち返ることにして、その他にも、広い意味での「新左翼」に大なり小なり関わりのある論者は本書に何人か登場するが、そのものズバリといった著作は一つもない。廣松渉については単独で取り上げられる代わりに、コラムの中で短い言及があるが(一六七頁)、なぜか索引では漏れている。
 このように新旧左翼のことがあまり正面から論じられていない中で、岩崎稔の二つのコラム「『戦後革命』の挫折」「夭折する青春の自画像」がやや異彩を放っているように感じた。どちらも岩崎自身の結論は明示されておらず、何を考えているのかはよく分からないが、とにかくこうした問題の所在自体が忘れられている状況に対して異を唱えようとしているもののように感じられ、その限りでは、ある種の共感を覚えた。
 
     四
 
 本書の中で上野千鶴子がどの章を担当するかは、読む前にかなり関心の引かれるところだった。読んでみると、見方によって意外とも当然ともいえるが――私自身の感覚としては、「予想通り」である――、フェミニズムやジェンダー関係の著作は他の執筆者に任せ、自分自身は違う種類の著作の論評に取り組んでいる(コラム「主婦の思想」だけは適任者を探せなかったのか、自らの執筆だが)。そこまでは予想通りだが、吉本隆明『共同幻想論』、山口昌男『文化と両義性』という二冊を敢えて選んだ――編者だから、自分で名乗りを上げたのだろう――のには虚を衝かれる思いがした。というのも、両著とも、私自身にとって「相性が悪い」と感じさせる著作だったからである。
 吉本については先にもちょっと触れた。私の吉本読書歴はかなり特異なものなので、あまり普遍性を主張するつもりはないが、とにかく『共同幻想論』は、ああ彼は自分とは違う世界の人なんだな、と感じるきっかけになった本である。いまから思うと、民俗学も人類学も全く知らず、柳田国男を読んだこともなければ、古事記も中学の教科書以来ご無沙汰という私に歯が立たなかったのも無理はない。同時代的に私の同世代の人たちがかなり熱中しているらしいのは知っていたので、一応覗いては見たものの、彼らも一体これを本当に分かって読んでいるのだろうかという疑問しか残らなかった(6)。今回、上野の解説を読んで、なるほどこういうことを書いた本だったのかということがようやくある程度分かってきたような気がして、それはそれでありがたい経験ではあった。「恋愛を『対幻想する』と呼び換えるのは、同時代の女子学生の風俗とすらなった」という個所(三五六頁)などは、ああそうだったのか、という思いをさせられた。そういう恩恵はあるが、それでもなお、本書がそれほどの衝撃力を持つというのは依然としてよく飲み込めないところが残る。
 国家は共同幻想であると喝破したのが同書の衝撃の源泉だとはよく言われるところであり、上野もそう書いている(三五五頁)。しかし、「幻想の共同体」という概念だけでいえば、それはマルクスにさかのぼるものであり、それ自体として驚くべき発想とはいえないのではないだろうか。もっとも、マルクスの場合には「幻想に過ぎない」というところに力点があったのに対して、吉本はむしろ幻想に意味があることを強調したという点で独自性があったように思われる。それはそれでよいのだが、そういう指摘に陶酔するタイプの人とあまり酔えないタイプの人とがいるのではないだろうか。私のように散文的な人間は、「それはそうでしょうが、それでどうしましたか」という感想をどうしてもぬぐえない。ついでにいうと、よく似た表現を使ったベネディクト・アンダソンの場合、「想像の共同体」という言葉ばかりがむやみと有名になったが、彼の著作をよく読めば、ネーションが想像の共同体だというのは一つの出発点――それも比較的当たり前の出発点――に過ぎず、重点はネーションが他の「想像の共同体」とどのように違うのか、またそれはどのようにして形成されたかの分析におかれている。そして、その点に関していえば、アンダソンは「出版資本主義」とか官僚のキャリアにおける「巡礼の旅」とかを重視していて、「幻想」どころか物質的な要素を重視するタイプの発想であり、その意味で吉本よりもマルクスの方に近いように思われる。
 吉本の場合には、こういった違和感が残るにしてもまだしも納得のいくところがあり、特に上野の解説は鮮やかと思えるのだが、山口昌男になると、もっと私には相性が悪い。本書で取り上げられている五〇冊の著作のうち、私が以前にざっとでも読んだことがあるのは二〇冊弱程度だが、その中で最も印象が悪かったのがこの本である。むやみやたらと外国の著作家の名前を列挙し、これが最新流行の知のあり方ですと解説してみせるという山口のスタイルは、流行を嫌い、衒学趣味を嫌う私にとっては、どうにも受けいれられないものだった。今回、上野の解説を読んでも、「綺羅星のごとく勢揃い」とか「西欧思想の万華鏡」とかいう言葉(五四五頁)をほめ言葉とする神経が私には理解できない。「学問や評論とは、『他人のコトバで自分を語る』迂遠な知の作法だが」という指摘は、日本では往々にしてそうなりがちだという批判的な指摘としてなら理解できなくはない(「横のものを縦にする」とは言い古された言葉である)。だが、そうあってはならない、自分の考えは自分の言葉で語らねばならない、と考え続けてきた私としては、上野のような人にそう簡単にこういうことを言ってほしくなかったと思う。「知の権威主義」という指摘も一応あるのだが、「山口はその権威主義を利用することで、『現代思想』ブームという知のブームを準備することができたのである」と肯定的文脈で語っているのは(五四八頁)、なんとしても理解できない。そうだ、まさしく権威主義じゃないか、「現代思想」をありがたがっていた人たちは、口先では反権威を叫んでも、実際にはまさしく「知の権威主義」を地で行っていただけじゃないか、と私などは言いたい気がする(7)
 こういうわけで違和感が非常に大きいのだが、末尾近くまで来て、オヤと思わされるところがあった。「『文化』と『消費』がキーワードとなった時代に、山口とその周辺の知識人たちはイデオローグとして登場し、同時にみずからがメディアの消費財となる学者文化人となっていった」(五五一頁)。これは批判的要素を含んだ冷静な指摘である。しかも、その後にこう続く。「私自身もその一人であったことを告白しなければならない。/山口を論じることは、レイトカマーがクールに距離をおいて裁断するようには、私にはできない。私は彼の同時代者であり、山口組の一員でもあったからだ」(同右)。ここには、上野の肉声のようなものを聞きとることができるように思う。
 常々思うことだが、ちょうど丸山眞男にとって「丸山眞男」というレッテルないし看板が窮屈で重荷だったのと同じように、上野千鶴子にとっても「上野千鶴子」というレッテルないし看板は窮屈で重荷なのではないかという気がする。その上で感心するのは、上野がその看板をきちんと背負いながらも、ときとしてその看板の陰から素顔のようなものをのぞかせたり、肉声を響かせたりする感性を失っていないという点である。上野の文章を読んでいると、「女性的な」性格の私は、ときおりその戦闘精神――「マッチョ的」とさえいいたくなる――に辟易させられることがあるが(8)、それだけにとどまらない肉声を聞き取ることのできるような個所にぶつかると、ああやはり上野の感性はまだ枯れていないのだなと思って、心が温まる思いがする。いま引いた個所などもその一つである。
 考えてみれば、上野が最初期に書いた論文に「カオス・コスモス・ノモス」――私が最初に読んだ彼女の論文でもある――があり、最初の論文集は『構造主義の冒険』だったから(9)、その上野がこういう風に吉本の『共同幻想論』と山口の『文化と両義性』を取り上げるのは、まさに彼女の原点を確認するような意味があるのではないだろうか。構造主義からポスト構造主義へ、そしてマルクス主義フェミニズムから構築主義へ、更に最近の脱アイデンティティ論へと、次から次へと息つぐ暇もなく衣装を取り替えているように見える上野だが、その原点は構造主義と人類学にあったのだと考えると、どことなく納得できるような気がしてくる。
 
     五
 
 最後になるが、本書の中で特に感銘の深かったものとして、天野正子の担当した二つの章――松田道雄論(『育児の百科』)と花森安治論(『一戔五厘の旗』)――がある(10)。本書で取り上げられている書物の多くは、たとえ正面から「天下国家」を論じるわけでないにしても、いわばそれへの反逆を通して、裏から「天下国家」に迫るようなところがあり、エリートと対抗エリートとの抗争という印象がなくもない。これに対して、松田も花森も、対抗エリートがややもすれば陥りがちな観念性を避け、日常性にしっかりと根を下ろしている点が特徴的である。といっても、もちろん単純に日常性に埋没するわけでもなく、日々の生活の場こそ「民主主義を根付かせる」最大の拠点だという戦略があり、ある意味では「戦後民主主義」――本書の編者流にいえば「戦後啓蒙」――の流れの中にある(松田は一九〇八年生まれ、花森は一九一一年生まれで、「戦後啓蒙」の代表的論者たちと大体同世代)。啓蒙主義者というと、ややもすれば、「知識と教養を持ったインテリが大衆にそれを押し広めていく」というエリート臭が漂い、その点がよく批判の対象とされるが、松田も花森も、そういう高みから見下ろすような恩着せがましさがなく、いま読んでもすがすがしさを漂わせていて、すんなり入ってくる。こういう地に足をつけた議論が、むしろその後には少なくなってはいないだろうかという気さえする(11)
 松田著の対象である育児とか、花森が『暮しの手帖』で主戦場とした家事(暮し)は、伝統的に女性の領域とされてきた。松田著の場合、念頭におかれている読者は明示的に「母親」とされているし、『暮しの手帖』も「女性雑誌」をつくるというところから出発している。この点は、性別分業を批判的に捉える後世の見地からは、当然批判の余地がある。そのことは確かに確認しておくべき点だが、その上で、家事・育児・ケアを「女性の領域」と決めつける通念から離れて、むしろジェンダーに関わりなくあらゆる人がそこに関与すべき領域として捉えなおすことを通して、松田の育児論や花森の「暮し」重視の姿勢を今日に生かす余地もあるのではないだろうか。松田や花森が生きていた時代に比べ、今日では女性の社会進出が曲がりなりにもかなり進んでいるが、そのことは男性の家事・育児・ケア参加の向上を伴うのではなく――ここには男性の意識の遅れももちろん関係しているが、それだけでなく、企業・官庁における労働の組織化のあり方全体が関係しているだろう――家事・育児・ケアの公的セクターや市場への依存度を高めているように思われる。家庭内で、両性の協力によって、家事・育児・ケアが丁寧に営まれていくという展望はあまり開けているようには見えないが、それは「生活者」としての力の低下、「生活民主主義」の敗退につながっていくおそれさえあるのではないだろうか。
 こういう風に考えると、上野千鶴子がコラム「主婦の思想」の末尾で、「専業主婦そのものがもはや歴史的に成り立たない時代となった」、「主婦の思想は、その担い手ごと、歴史的に一過性の存在となりつつある」と締めくくっているのは(四五八頁)、やや性急ではないかという気がする。確かに、「専業主婦」のみを念頭において考えるなら、その通りだろう。しかし、純粋の「専業主婦」が少なくなっても、家事・育児・ケアという営みそのものがなくなるわけではない。それらは公的サーヴィスや民間企業に外部化されもするが、家庭内に残っている部分もまだあるし、外部化されたものをどのように利用するかはやはり家庭内の決定事項である。そうした事柄を担当する人々――兼業主婦あるいは兼業主夫(12)――はいなくなったわけではなく、むしろ専業主婦が減ればその分、兼業主婦あるいは兼業主夫が増えるはずである。「生活者の思想」とはそのような部分も含んで成り立つ概念なのではないだろうか。
 個別に興味を引かれた例はこれ以外にもたくさんあるが、それらを一々書いていてもとりとめなくおそれがある。とりあえず、この辺で打ち切っておきたい。いろいろと不満も述べたが、そうしたことを考える契機を与えてくれたという意味では、やはりありがたい本だというべきだろう。
 
 
(1)コペルニクスを引き合いに出したついでの脱線。ひところ、「言語論的転回」という言葉が流行したことがあった。その後、それに倣って、「文化論的転回」をはじめ、「○○的転回」という流行語が次々と量産されているようである。私はおよそ流行語にはすべて反撥を感じる天の邪鬼なのだが、その点はさておくとして、この種の「○○的転回」の元祖といえば、なんといっても「コペルニクス的転回」だろう。しかし、この例を思い出すならすぐ分かることだが、今日ではどんな小学生でも地動説を習うのであって、だからコペルニクス以前の人たちより偉いなどといって威張ることはできないはずである。私は科学史には全くの素人だが、おそらく科学史・天文学史の課題は、コペルニクス以前の人たちがいかに馬鹿だったかを論証することにあるのではなく、むしろ今日では一見不可解に見えるコペルニクス以前の天文学がどういうものだったかを理解しようとする点にあるのではないだろうか。今日流行の「○○的転回」にしても、一刻も早く「転回後」の知のあり方をファッションとして身にまとおうとするだけが能ではなく、むしろ「転回前」の知のあり方を、それがいまから見ればどんなに古くさく見えようとも、内在的に理解しようと試みることが、思想史の観点からは重要なのではないだろうか。
(2)但し、私は石母田の本領とする古代史・中世史研究に通じておらず、内在的な石母田理解はできないことを断わっておかねばならない。
(3)この点は、小熊英二『《民主》と《愛国》』新曜社、二〇〇二年の指摘するところである。
(4)この点につき、塩川伸明『現存した社会主義』勁草書房、一九九九年、序章の注6参照。
(5)石母田著を読みなおす上で一つの大きな問題点は、スターリンの一九一三年以来の民族論および一九五〇年言語学論文に対する石母田の受容を今日の観点からどう位置づけるかという点にあるだろう。すべての悪をスターリンと単線的に結びつける通説に逆らってスターリン言語・民族論を新しい観点から再評価する必要性を指摘したのは田中克彦の『言語からみた民族と国家』(何種類かの版があるが、最初のものは、岩波現代選書、一九七八年)をはじめとする先駆的な業績だが、その後、この観点を深める作業はなされていない。私自身は、数年前の著作で、スターリン民族論について既成のイメージから多少離れる像を提示しようと試みたが(塩川『民族と言語――多民族国家ソ連の興亡T』岩波書店、二〇〇四年)、まだ簡略なスケッチにとどまっており、言語学論文についての再検討もできていない。今後の課題としたい。
(6)ついでに長年の疑問を記しておくと、「逆立」という独自の用語は、「ぎゃくりつ」と読むのだろうか、「さかだち」と読むのだろうか。読み方さえ分からない単語の意味など分かりようもないと思えたし、いまでもその感覚は残る。
(7)その数頁先に、「もっとも権威主義的でない」「権威主義ほど、山口自身から遠いものはない」という特徴づけが出てくる(五五一頁)。だが、これはいったん「権威主義を利用」と書いてしまったことを必死で打ち消すための無理な弁護論ではないかと思われてならない。こういう弁護をわざわざしなければならないという潜在意識がはたらくのだろうか。
(8)いわずもがなのことだが、女性が戦闘的だから特に辟易するのではない。戦闘的な男性も全く同様にまっぴらご免である。
(9)「カオス・コスモス・ノモス」は『思想』一九七七年一一月号掲載、後に、『構造主義の冒険』勁草書房、一九八五年に収録。
(10)ただ、残念なのは、松田道雄がロシア史研究者でもあったということに天野が触れていない点である。松田は大学に籍を置かない在野のロシア史研究者だったが、ある時期までの日本のロシア史研究はそうした在野の研究者がかなりの位置を占めていたし、松田は関西地域の研究者によって組織されたロシア・東欧研究会の精神的支柱ともいうべき存在だった。日本のロシア史研究の歩みについて、塩川伸明「日本におけるロシア史研究の五〇年」『ロシア史研究』第七九号、二〇〇六年近刊参照。関西のロシア・東欧研究会については、同会の作成したパンフレットがある。ソ連というと、レーニン的前衛主義とか、スターリン型の教条的な理論と中央集権的組織化ばかりが思い浮かべられやすいが、そうした現実を熟知するからこそ、地に足のついた自由への希求を松田が鍛えていったという面もあるのではないかと思われる。
(11)脱線するが、ポストモダン系統の論者の文章を読んでいて何となく違和感を感じさせられるのは、普通の読者には分かりそうにない「難解さ」と「高級感」を漂わせたジャーゴンをちりばめるエリート主義、地に足がつかない高踏趣味といったものを感じるからである。松田道雄の文章はそれとは正反対の性格のもののように感じる。
(12)もう少し細かくいえば、第一種兼業主婦/主夫と第二種種兼業主婦/主夫に分けて考えるべきではないかというのが私見である。ギリガン『もうひとつの声』についての読書ノート注36参照。なお、ここでとりあえず「家庭」という言葉を使ったが、この言葉にとらわれる必要はなく、この言葉で思い浮かべられがちな特定の型――異性愛とか、単婚制とか、いわゆる「近代家族」のさまざまな性質――に縛られる必要はなおさらない。ただともかく、公的セクターにも市場にも取り込まれないある領域があるというだけのことである。その領域はうるわしくなることもあれば、疎ましくなることもあり、生き生きとして豊かであることもあれば、索漠としていることもありうるから、それを安易に美化すべきではない。ただとにかくそういう領域が現にある以上は、それを少しでも疎ましくなく、索漠としていないものにするべく努める必要はあるだろう。自己流の解釈だが、「生活者の思想」とはそういうものではないだろうか。
 
 
*岩崎稔・上野千鶴子・成田龍一編『戦後思想の名著50』平凡社、二〇〇六年。
 
(二〇〇六年八‐九月)
 
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