生徒指導通信 30

 

もやしの心

 運良く自分の入りたい高校に入学したのは、今から20年近く前のことだった。入学して、いわゆる担任という先生から話しを頂いた。

 「俺は英語の教師だ。俺もこの学校最初なんだ。たぶん3年間、君らと一緒だろう。俺は妥協しないからな。」こっちも、入学したばかりで緊張していたこともありましたが、なんとなくとっつきにくい人だった。年は、31、2歳の青年教師。その後、わたしにとって、この人が3年間ずっと自分の担任になるとは思っていもいなかった。

 最初の英語の授業。ほとんど予習をしていかなかった。クラスのほぼ全員が同じである。その状況を知って、青年教師は烈火のごとく激怒したんです。もう一人ひとりに、鬼のように怒って回ったんです。その後の英語の授業前の休み時間は、戦場です。隣のクラスに行き、どこを質問されたかを教えてもらい授業に望む。ちょっと異常なほど、緊張感のある英語の授業だった。だから、時に、出張で休みなんて

聞くとクラスの全員が手と手を取り合って喜んだもんです。はっきり言って、好かれてなかったんですね。最初のうちは。

 高校には、道徳や学活なんて時間はありませんでした。LHR(ロングホームルーム)なんて呼ばれる、学級裁量の時間があるんです。進学校である我が母校は、ほとんどのクラスはこの時間を、何らかの学習時間に割かれていました。時に、学期に1回、テスト終了後ぐらいに、体育館で遊ばせてもらえるのが、担任として好かれる尺度になるんです。しかし、我が担任は、学習にも遊びにもこのLHRの時間を使いませんでした。ただの一回もです。何に使ったかというと、まあ小中学校で考えると道徳の時間でしょうか。でも、やっぱり違いますね−。そう、人生論を語る時間なんです。まあ、だいたいは、担任の講話が主なんですけど。

 高校入学直後は、人生や生き方なんてものに全然興味なかったんですね。わたしだけでなく、ほとんど全員そうだと思いますよ。

 まあ、中学校の時、そこそこ勉強してきて、「この成績だからあの学校に入れ。」って言われて受験して、合格した。そんなもんで生きてきたんです。ただそんなもんです。少々勉強ができる人が多いこの高校に合格して、天狗になって気持ちよかった時代です。

 「お前らな、偉くなれ。でも、勉強だけできても人間はクズだぞ。偉い人間ってやつは、頭じゃないんだぞ。東大、京大にいっても、偉くなんかないんだぞ。お前らなんかのような、もやし人間なんてたいしたことないんだぞ。」人をもやし呼ばわりする点で、またも好感度はダウンです。でも、一見、先生達の中でも、一番“勉強できれば何でもいいんだ。”みたいな信念を持っていると思っていた人が

こんな事言うなんて意外でもありました。

 数々のLHRの時間に、彼はいろいろな人間の生き方を語ってくれました。最初は、隣のクラスが体育館でバスケットで遊ぶと聞くとうらやましく思っていたんですが、だんだんみんなあきらめがついてきましたね。

 この高校に来る前は、宮城の水産高校で教鞭をとっていたこと。勉強なんて海の男には、何にも関係ないから授業中寝てるやつがいっぱいいたこと。でも、彼らは命がけで海に出る事をしっかり知って生きていたということ。だから、海に出るとき、生きて帰ってきたとき

は、いつも報告に訪れたこと。だから、もやしのお前らより偉いんだと必ず一言。

 自分の父についても語ったことがありました。父は実は豚箱《刑務所》に入ったことがあるということ。それがきっかけで、相当いじめられたこと。勉強は、働きながらやったこと。金も無かったが、生きがいはあったこと。だから、もやしのお前らより偉いんだと必ず一言。

 こんな話を毎週のように聞いていくと、何くそ!俺の人生だって偉いんだ!!と思いたく

なるんですね。

 高校も3年目だったか、ある日『お前らの真情を言ってみろ。』なんてむちゃくちゃな質問をLHRで出されたことがあった。「信念や信条なんてものは無いです。」とほとんど全員答える中、3年間、この青年教師と付き合ってきた私は、この質問に負けたくなくてこう答えたことを憶えていますよ。「期待されたら、例え泥棒であってもその期待にこたえようと全力をだす人間です。」と。例え泥棒であってもというところに、何くそ負けへんでという若さがありますが、基本的に信条は、20年経った今でも変わりません。そしてこう答えたとき、にっこり笑顔を浮かべた担任の顔を思い出すんです。やっぱり、相手は上だったのでしょうか。

 でも、確かにこの世に生を受けて、どんな生き方をするのか真剣に考えさせてくれたのは、この人だった。同級生の中には、東大や京大なんていうエリートコースに進んだやつもいる。少なくとも、勉強だけで合格した奴とはちょっと違ったエリートになるんだろう。そう信じているんです。

 

 生き方を粗末にしてはいけない。そう教えてくれる人間が必要です。生き方ッて奴は、毎日、陽が昇って、沈むまでの、暮らしの積み重ねです。

 2日前、ある生徒の椅子に“バカ”“死ね”“くっせー”とかいてあった。授業時間を変更して

「君らね、勉強なんかより大切なものがあるんだぞ。」と数時間説いた。

 苦手な授業が始まると、文句言いながら保健室に行く生徒や授業に遅れてくる生徒もいる。やっぱり、勉強なんかより大切なものがるんだ。

 

 “むかついて、すぐきれる”という非行は、今の中学生の感情表現の一つとなっていますと評論家の人がテレビで語る。だから、注意されてむしゃくしゃしたからその感情表現で、人を殺したんだそうです。黒磯北中の事件は。亡くなった腰塚先生の信念は、暴力的な感情に屈したのでしょうか?いいえ、信念のほうが強かったからこそナイフに屈しなかったんです。

 感情のまま生きつづける愚かさから、自分の信念、信条を持って生きる高い価値を教えないといけないんです。今は、まさにその時なんじゃないですか。それには、大人が信念を持って偉く生きないといけないんです。感情のままに物欲に走った外務官僚のエリート達には、もう生きる信念なんてものはみじんもありません。本当の偉さを、大人が実行し教えないといけないんじゃ

ないでしょうか。

 人は、本当に偉くなくっちゃいけないんです。もやじじゃダメなんです。
わたしのもやしの心に火をつけた人は、もういません。

 

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