国語科(視点を変えて書こう)

平成19223日実施

授業者YM 教諭

文責  高橋 晋作

【授業の様子】

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【研究協議会での話題】

各グループ(45名)バズセッションから

     支援が必要な子どもにはどんな支援を心がけたか?

     なりきり作文という課題は難しいが、題材は生徒が比較的楽しそうにスムーズに決めていた。(その後江間教授より、全然決められなかったYのことが紹介される)ただ、作文は難航していた生徒が多かった。

     作文は、何かフォーマットがあるのか?

→教科書に例が載っているので、それを参考にするといいと思った。半分くらいの生徒は教科書を参考に書いていた。

     この授業は、なりきり作文を通して、自分を見つめ直すという授業。それならば、なりきるのは、自分にとって身近なものの方がよかったのでは。そこの意識が生徒にはなかった。

バズセッションから、全体で話し合いたい柱が2つでた。「迷っている生徒への支援」と「自分を客観視する手立て」である。

よって、話し合いは、この2つの柱を通して、行っていった。

途中、本時のビデオターゲットである、Kの様子を、画像を通しながら、撮影者であるS教諭からの解説で一同視聴した。Kは、ほとんど題材が決まらず、思考がフリーズしている場面もあったものの、周辺の席の生徒たちが、題材を決め、教師に見せにいくようになると、K自身、周りの生徒に話し掛けて、題材を決めようとしていた。話し合いでは、このクラスの社会を受け持つT教諭から、全体での交流が難しいクラスなので、小学生のようだが、課題を一人ひとり点検する点検活動を取り入れていること。そうすると、並んで順番を待っている時間に、生徒同士が学びの交流を始めていること様子などがでた。生徒が活動的になると、その裏で、Kのような生徒の体も軽くなるようだ。

この授業の導入で行った、トリックアートやキーワードを3つ連想する連想ゲーム(白+冷たい+振る=雪)そして、なりきり作文と、3つの活動があって、そのどの活動も生徒たちは楽しそうに行っていた。だが、その3つの活動の関連性がはっきりしなかった。連想ゲームを取り入れた意味は、何なのか、授業者に聞いた後、前時に行った“雪”からきているのか、なりきり作文を行わせるために行っうのかという吟味が必要だという話になった。連想ゲームは、ひとつのものや現象を、いろんな目で捉えることで、なりきり作文は、いわば幽体離脱して、そちらから自分をみるためのものなので、ちょっと関連性が難しいという話題に発展。もっと、自分を振り返るというのが目的だというような授業者の投げかけが合った方がよかったという議論になった。

(江間教授より)

     個々の活動のパーツ、パーツは面白いが、活動の位置付けをしっかりした方がよい。

     生徒に配った原稿用紙の288字のマス目は多すぎるのでは、自分は大学生に200字で書かせている。そのくらいの次数で、数多くやった方がよかった。この授業は、書くトレーニングの授業だと思う。質より量の授業。だから、2テーマぐらいで、たくさん書かせたい。

     導入で使用した、トリックアート(角度によって若い女性や老婆に見える絵)は、視点を考えさせるときによく使われる、良い教材である。授業者が話したように。若い女性で見るのか、老婆でみるのか、どっちでみるのか、同時に2つは見ることができない。それが視点。とすると、素材を限定、共通にして、どんな視点でみるのか、それを書かせる授業でもよかった。

     女子生徒Eは、ホルンを題材になりきり作文を書いている“わたしはホルンです。Eさんといっしょに練習しています。放課後になると、真っ暗な倉庫から、Eさんはわたしを出してくれます。きれいな音を出そうとがんばりますが、Eさんは息づきが長くできません・・・”(Eの作文の紹介)いい線いっている。ホルンを通して、自分を見ていた例。

     どの生徒も書くのに集中していた。

     授業が終わった後も、思いを残して書き続けていた生徒がいた。ああいうのがいい。

A指導主事より)

     ねらいだったはずの、自分を見つめて書いている生徒が少なかった。書かせる前に、どうして書くのか。何のために書くのか、理由を説明するとよかった。なりきる=自分を客観視できる。

     連想ゲームなどでは、本校の研究テーマである柔らかい交流やオーケストレーションが垣間見られた。あの場面を、授業の核である、なりきり作文の活動のときに、あの柔らかい交流場面が欲しかった。

 

 

 

 

 

 

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