もうひとつの

1学年だより 6

 

月曜日になると、心身の疲れで学校を欠席するという生徒が出てくるようになりました。週末の部活動の激しさに、疲れもたまってきているようです。こんな時こそ、きちんとした食事ときちんとした睡眠を、ご家庭では保障してあげなくてはいけません。まして、小学校の頃、スポーツ活動を行ってきた経験のないお子さんにとっては、慣れないリズムで大変なものです。これは、運動部に限ってのことではありません。音楽部だってそうなのです。

「がんばれ!がんばれ!」という掛け声は、とても簡単に発っしてしまうものです。子どもを前に前に進めさせようという気持ちが表れた言葉なのでしょう。でも、時に、「がんばれ!」は子どもにブレーキを掛ける言葉になることさえあることを知っておく必要があります。心身がエネルギーで満ち溢れている状態のときにだけ「がんばれ!」は、威力を発揮するのです。

 

 

シドニー五輪50m自由形金メダリストである、黒人系スイマー:アンソニーアービン選手が、日本に来て、子ども達の水泳指導をしているうちに、子ども達の楽しげに練習をしている姿に感動して、もう一度北京オリンピックを目指すと誓ったことが新聞に書いてありました。きっと、アービン選手は、子ども達の姿から、自分が水泳を始めたきっかけを思い出したのでしょう。原点の大切さについて、今回は書いて見ます。教員何年目かで、学級経営をはじめ、仕事に関する何もかもがうまくいかなかった時、ある先輩から、「教師になろうと思った原点に帰れ!」と言われて、はっとしたことがあります。大人も子どももありません。

 

 「原点に帰れ!」

 

 心と身体のバランスは、思春期を迎えている子どもにとって、大変難しい点です。

 3年生になると、最後の地区総体になんとか最高の結果を出そうと必死です。そう、まさに必死なんです。身体はくたびれていても、心はそれを許しません。そして、必死だからこそ、周りが見えなくなっていきます。そうすると、周りとのトラブルが発生して、その結果また苦しくなる。そんなこと、毎年、今の時期になると出てきます。

 実は、今の時期に大切なのは、原点に帰ることなのだと思っています。

 わたしが受け持っているテニス部でも、必死になった結果、心が疲れちゃうなんてことは、いつもあります。

 「先生、わたし団体戦のメンバーから外してください。」ある日、キャプテンが私のところにやってきて懇願したことがありました。この生徒は、運動能力が高くて、地区だけでなく、県内でも活躍しそうな選手と呼び声があがるほどでした。そんな彼女が、涙流して、自分をチーム戦から外して欲しいと言うのです。理由を聞くと、チームの勝利のことを必死に考え、仲間にも厳しくあたっていった結果、仲間との関係にトラブルを招いてしまったようでした。地区総体2週間前でしたが、まるまる一週間活動を休みました。

 子ども達は、「仲直りするから活動させてください。」と言って、活動の再開を求めます。でも、活動はしませんでした。

活動休止に入って1週間後、1年生の練習を、3年生全員に見せます。ラケットを持って、まだ1ヶ月くらいの1年生達。まだまだラケットにボールが当りません。それでも、10球のうち、1球当っただけで、大騒ぎ。満面の笑みを浮かべます。そうすると、それをみていた別の子も手をたたいて喜んであげる。そこにあるのは、「勝ちたい」とか「絶対勝つ」なんていう意識とは違う、「楽しさ」の原点でした。

そんな1年生の練習を強制的に見学させたわたしは、3年生に向かってこう言いました。

「みんな、1年生の頃はこうだったんだよ。」って。

すると、その当時の3年生みんな、泣き出しちゃったんです。

 

何をやるにも、原点って大事なんですね。“どうして、毎日こんなことするのか”とか、“どうしてこんな苦しいこと耐えなくちゃならないのか”とか・・・。人間って、時に自分の今いる状況を確認しなくては前に進めなくなる生き物なんです。そして、そんな時、まず戻って考えるのが、『原点』です。

「そうか、自分は、こうなろうと決めて始めたんだ。」

「そうだった、あの楽しさに夢中になって始めたんだっけ。」

 時に、原点は、わたし達に、勇気とエネルギーを与えるのです。同じ単純な繰り返しの生活の中にいると、いつのまにか、原点が見えなくなって、自分の今いる場所が確認できなくなりますね。

 1年生だからこそ、原点に一番近い場所にいる今だからこそ、この原点を大切にして欲しいのです。どうして、こんな活動を始めようと思ったでしょう?きっかけは何だったのですか?何を目指してこの活動に入ったですか?

部活動や課外活動、お習い事、地域クラブ・・・そして塾にいたるまで、すべての原点をしっかり忘れずに持つことです。そして、悩み苦しんだら、また原点に返るのです。

 

新聞記事に書いてあるアービン選手の話題は、実に人間としての素晴らしさを語ってくれていました。

金メダルを獲得した後、ミュージシャンを目指していたアービン選手。そんな時、スマトラ沖地震の悲惨さを知り、自分に何かできないものかと考えます。ミュージシャンを目指している途中でもあり、お金はありませんでした。「自分のポケットからお金を出せる人もいるけど、自分にはお金がない。水泳を通じて手に入れた幸運を少しでも、世の中にかえしたい」アンソニーアービン選手が金メダルをオークションにかけ、その収益金の全額スマトラ沖地震の義援金として寄付したのです。

 

 彼の水泳の原点は、決して金メダルを持つということではなかったのです。

 

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