もうひとつの
1学年だより bQ
無事に宿泊学習を終えることができました。行きのチャレンジウオークでは、94人全員が完歩しました。疲れてくれば、愚痴だってでるでしょうし、自分勝手な言動もでるものです。それでも、この学年の生徒達は、最後まで投げ出すことなく歩きました。そこには、ある粘り強さを感じました。
一方、夜の生活は、なかなか眠れずに大変でした。朝の4時ごろまで起きていて、5時に起床するという生徒もいたようです。環境に対して、なかなか順応できない弱さの一面が見られました。
食事は、男子はやっぱり食べますね。元気な証拠です。一方で、魚を残す生徒や野菜を残す生徒は、少々気がかりです。食べ物はやはり、健全な肉体だけでなく、健全な心までも育む栄養です。
自分だけのものでなくなるとき
学校から、K少年自然の家までほぼ20数キロのチャレンジウオークが始まりました。
「これは、ひとつの仲間作りとして行います。」と、出発前にS先生が説明しました。
@班ごとに歩くこと。A1列で歩くこと。B先頭の人は、決められた時間で変わること。
以上の3点がチャレンジウオークのルールとして、提示されました。
生徒達は、弁当と飲み物を、リュックに入れて、スタートしました。
わたしといえば、車に乗って、前方や後方の状況を確認します。車で楽チンな様子を子ども達は、うらめしそうに見ます。あまり、視線に入ると申し訳ないなと思って、わたしも、気づかれないように車で先導や後走をしました。
滝の倉を過ぎ、一度目の休憩をとりました。まだまだ生徒は元気なものです。疲れた!という言葉も半分冗談気味です。ここで、S先生から、先頭の交代が指示されました。
“春は、自転車の季節です”
なんだいきなりと思った人もいるでしょう。でも、大手量販店なんかに行くと、大安売りで、いろとりどりの自転車が売られているんです。
わたしなんか、ああいうところに春を感じてしまいますね。
わたしは、いつも自分の息子や娘に、自分が兄のおさがりをもらっていたことを話すんです。それを聞くたびに、子ども達は、「またか!」という顔です。
わたしの家は、家族が多く、決して豊かな家ではありませんでした。だから、何でも兄のおさがりです。小学校の習字道具なんか、毎年、バージョンが変わるので、4年年上の兄のやつなんて、骨董品のように思えたものです。だから、習字が嫌いでした。だから、字がへたになりました。(笑い)
一番おさがりで嫌だったのが、自転車でした。小学校の頃、自転車は、子ども達の自慢の宝でした。わたしの時代では、なんだか豪勢なウインカーみたいな装置が、自転車の荷台についているのが大流行。ライトなんか、手で引っ張ると、格納されたケースから上に飛び出してくるものでした。今、思うと重いのですが、あれが一種のステータス。
もちろん、自分の自転車は、兄のおさがり。すべてさびで、覆われています。前回もお話しましたが、わたしは酒田市出身で、なおかつ海沿いなのです。
金属のさび具合なんて、すごいものです。数年で、金属に穴があきますよ。
ま、あたらしい自転車が欲しいなんて、頑固な自分の父に言うことはできません。ものわかりのよい、わたしとは全然違います。父は、厳しく、強い、そんなの当然でした。
夏になれば、プール開放と聞くと飛んでいきました。学校に行くと、さらに大勢の子ども達に、わたしのおんぼろ自転車を見られる、そこで、友人が尋ねる前に、こう答えることにしたのです。
「オレの自転車、今修理中なんだ。」って。
そんなとき、1つ年上のヒロキくんのお父さんから、わたしの母に電話がかかってきたのです。
母に聞くと、「ヒロキの背が伸び、新しく自転車を買うので、今使っているのをもらってくれないか」と言われたというのです。
すごくうれしくて、ありがたくて。
受け取りの日。わたしをもっと驚かすことがありました。
自転車には新しい電灯が点けられ、折損部分は溶接、ペンキまできれいに塗られていたのです。
本当に、その思いやりに感激したことをこんな年をとった今でも鮮明に覚えています。
後でから聞くと、ヒロキくんのお父さんが、仕事が終わった日に車庫で、一生懸命修理してくれたんだそうです。どうせいらないからくれると言っていたのに、こんなに手間隙かけてくれたことが、自分には嬉しくて、嬉しくて・・・。
それから、このヒロキくんのおさがりは、少々さび付いていても、全然平気で、むしろ堂々と乗りまくりました。おさがりの自転車に、ヒロキくんのお父さんの心が乗り移ったとき、この自転車は、もうわたしだけのものではなくなったような感じがしたんです。ヒロキくんのお父さんの気持ちも詰まっているような・・・。
2度目の休憩の大豊小を過ぎた頃から、班のペースに乗り遅れてしまう生徒がでてきました。他の班員は、どんどん先に行きます。こんな班には、面倒でも止めて、もう一度ルール通りにするように注意します。うらめしそうな目で、遅れている班員を待つのです。
しまいには、わたしの顔を見ると、慌ててペースダウンするようになりました。
そんな中、最後まで、ペースが遅い生徒に文句も言わずに、遅れがちな生徒のペースに合わせて歩く、4人の生徒を見つけました。いつまでも、その一人の生徒のペースに合わせて歩いくのです。時に、しりとりや楽しい会話を道連れにしながら。
最初の方では、「もうダメだ」なんて、言っていたその生徒も、4人の子どもの心が伝わったとき、もうひとがんばりの気持ちになれたんですね。
“もの”だって、“つらい活動”だって同じなんですね。そこに人の心が伝わったとき、その“もの”や“つらい活動”は、自分だけのものではなくなるんですね。
K少年自然の家まで残り数百メートル。最後の坂の前に、そのグループが到着しました。「さあ、最後の坂だよ」と言ったら、5人全員、満足そうな顔に変わったのです。
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