もうひとつの
1学年だより 13
世の中は、子どもを平気で外で遊ばせることができない時代となってしまいました。教師になりたての頃は、『小さい頃から外で一生懸命遊んだ経験が大切だ』なんて、言っていたものですが、そんなこと、今言ったら、怒られそうです。時代は、映り変わります。でも、決して良い方向に変革するとも限りませんね。
子どもは、学校からの帰り道でさえ、人生勉強があります。
人間には知恵があります。知識は、よりよく活用することで知恵となります。大人の知恵で、社会を変えなくてはなりません。
本気の人
だいたい、わたしの家から小学校までは、およそ5kmありました。その間、ちょっとした小さな山を2つ超えるので、“山越えの児童”なんて呼ばれたものです。
小学3、4年生になると、だいたい学校生活について要領を得たものですから、時々、山越えでない違う道を帰りました。
なぜそのコースを選ぶかというと、途中にお豆腐屋さんがあるからなんですね。
豆腐屋の前に行くと、『水飲ませてくださーい』と大きな声して言うんです。
すると奥から、豆腐屋のおっちゃんが、
「おーい。どーぞー。」と返事してくれる。
ポリバケツの中にはお豆腐がいっぱい入っていて、そこにホースから冷たい井戸水がじゃぶじゃぶと流れている。わたしは、そのホースをムンズとつかんで、口にあてがうと、ゴビゴビと飲むんですね。豆腐屋の水は、本当に冷えていておいしいんです。傍らでは、入学したての弟が、ものほしそうな目で、兄のわたしを見ています。
「飲むか?」と言うと。
コクリとうなずく。
そして、わたしは、弟の背の高さにホースを調整して、自分と同じようにゴビゴビと飲ませてあげるのです。
「うまいねー。兄ちゃん」
「そうさ、この水は格別なんだ」と、兄貴ぶって答える自分。
そこから、また、2〜3km、二人だけの帰り道でした。
そのうちに、あまりに毎日水飲んで帰っていくからなのでしょう、玄関の窓ガラスに、“お水はお好きにどうぞ”と張り紙が書かれましたよ。
そんな下校を、今でも思い出すのです。あの頃は、まだまだ日本という国は、温かな場所がいっぱいありました。豆腐屋のおっちゃんの親切さ(当時は、それが当たり前と思っていましたが)は、わたしを大人への信用に結び付けてくれましたね。
弟と言えば、マンガが大好きで、いつも外で泥だらけに遊ぶわたしとは対照的に、部屋の中で本を読んだり、自分なりのマンガを作成していました。ま、ちょっと暗い弟でしたが、今で言うオタクです。
そんな弟でしたが、自分の夢の実現は、誰よりも信じていたようです。小さな頃から、自分はアニメの世界で生きるんだ、活躍するんだという信念は、それはもうすさまじいものでした。
当たり前かもしれませんが、周囲の者たちは、当然マンガ家なんて、夢物語と思っていたんです。うちは、代々の公務員一家ですから・・・。でも、弟は高校卒業後、東京のアニメ専門学校に飛び込み、今は一人前のアニメーターです。
1年の総合学習の時間、いろんな職業を調べています。今週は、自分の興味があるものを1つに絞って調べました。美容師、声優、保育士、モデル、パテシエ、消防士に、水族館トレーナー・・・。生徒ひとり一人、調べている職業は、さまざまです。
でも、わたしは思うのです。本当にそれを願っているのなら、必ずなれると・・・。
こんなことは、言葉ばかり、口先だけで言う人がいますが、わたしは弟や、教え子でプロ野球選手になった佐藤賢(現ヤクルトスワローズ投手)を見てきたものですから、本気で思うのです。
夢を描いていてもなれなかったという人もいるでしょう。でも、それは、本当に本気だったのか。どこかで、最初から無理とかあきらめが半分あったんじゃないかって。
夢に向かってそれを実現した者を見ると、その本気度合いは半端じゃありません。どんなに貧乏であっても、どんなに障害があっても、必ずその向こうに夢の実現をみているのです。
誰かがわたしに教えてくれました。
『人間が見る夢は、実現できるものしか思い描けないようにできているんだ』って。
そう考えると、今、こうなりたいと思っているものは、実現可能なものなのですね。
ただ、それをいかに本気に思っているかということです。
お子さんの本気とは、どのくらいのものでしょうか?
そもそも、本気になって取り組んでいるものには何があるのでしょうか?
本気になったことが無い人間は、自分の本気を知りません。
本気とは、苦しいものです。本気とは、自分を殺すこともできます。本気とは、時に人がひがんだり、ねたみを言っても、そんな言葉が聞こえなくなります。
この社会は、軽くさらりと生きていくことが、何か1番素晴らしいことのように評価している面があります。でも、それは違います。本気で、生きている人間が、1番美しいのです。そして、その人間こそが、自分の夢を実現させる可能性が100パーセントの人です。
朝の清掃。蛇口の水は冷たくなりました。雑巾を絞るのは、手の感覚を奪います。でも、そんな中、毎日、水屋のゴミを素手で集めて、そして素手をスポンジや雑巾代わりにして、水屋をキレイにしてくれるIさんを見ました。他の人は、反省会を始めようとしても、決して手を抜きません。
本気で掃除をするって、こんなことだろうと思うのです。誰のためでもなく、誰が見ているからというのでもなく、こともなげにやり遂げます。
本気の人の共通点は、なぜか、それをさりげなくやってしまうことです。
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