校内研究をするにあたって

〜3年目の取り組み〜

高橋 晋也

1.2年間の研究を踏まえて

さて、1年次に行った、個と個を結ぶ授業作りの研究で明らかになってきたことは、@教科書以外の“もの”をつかった授業による授業展開であり、A作業を伴う、小グループの活動の有効性でした。

そのことから、2年次では、小グループを必ずあらゆる教科の授業の、何かしらの場面で導入することを心がけました。

小グループの場面の導入は、1時間の授業の中に、生徒の作業や生徒同士の考えの交流を作る活動的な場面の設定を不可欠にしました。授業における、この小グループでの活動は、理解力の差に関係なくどの生徒にも、積極的な授業参加を促すことや、他との交流の中で、ものごとを考えるきっかけを生んでいくということが、どの授業でも確認されました。

しかし、その一方で、もうひとつ明らかになったことがありました。それは、小さな集団における活動場面の後、生徒達が抱いた疑問や、出会った事柄を、どのように全体に広げていくかということでした。すなわち、『表現の共有化』の難しさでした。

どの授業研究会で公開された授業も、教科書以外の“もの”を利用して生徒を学びの世界に誘い、小グループによる、生徒の活発な学習参加は、確実にその効果を実証いたしました。研究協議会でも、大いに同僚の授業に刺激を受けたものです。ただ、もうひとつ、必ず話し合いで問題になるのは、どのように生徒個々が抱いた問題を、全体に広げるかということでした。

   研究の3年次を向かえる本年度は、この生徒の抱いた問題や、獲得した経験、事柄を、どのように全体に広げるかということに焦点を絞っていきたいと思います。

   この研究は、多分これまで以上に、生徒の内面や小さなつぶやきに敏感になることが要求されるでしょう。また、これまで以上に、生徒一人ひとりに寄り添う、教師のスタンスが必要になるでしょう。ただ、研究は3年で1区切りと考えています。

   【協同の学び】を授業改善の柱としてきた研究の最終年として、この表現の共有化のあり方について、研究を進めたいものです。

 

2. 表現の共有化のために

当然のことながら、上記のねらいとする授業では、教師が問題を出し、生徒の正答を見つけるというスタイルの授業では、生徒と生徒の考えをつなげるような表現の共有化は図れないでしょう。

ここに、本校の研究のアドバイザーになって頂いてる、江間史明山形大学助教授の文章を掲載させていただき、表現の共有化のイメージを抱いていただきたいと思います。

この前、付属中で社会科の授業を見た。「消費者主権:賢い消費者を目指して」という単元だ。授業は、「新食料表示の現状を知り、遺伝子組み替え作物の問題点を考えるとともに、食料表示を上手に活用できるようにする」というものだった。

その授業で、教師が、遺伝子組み替え作物の研究の現状と、消費者に受け入れられるかどうかを特集したビデオを示した。ビデオの内容は、遺伝子組み替え作物の安全性と信頼性に疑問を投げかける内容だった。

 生徒は、このビデオを見た感想を発表しあっていたが、その場面が、おもしろかった。まず、「遺伝子組み替え作物は心配だ」と発表する生徒がいた。これは、ビデオから当然予想できる意見だ。教師は、うなづきながら、「いや、(遺伝子組み替えは)すばらしいことだという意見はないか?」と問いかけた。2名ほどの生徒が手をあげ、「遺伝子組み替えはイヤなイメージを持っていたが、生活に役に立つとわかった」と言う。

 感想の発表が終わると、教師は、「1番心配なことは何か?人体に影響を与えることではないか」として、「安全性」へと、展開していった。

 この授業では、「安全性」が、教師の隠したメッセージだろう。つまり、生徒に考えさせたい内容になっている。ところが、ビデオの感想発表で、生徒の意見対立があらわれた。「遺伝子組み替え作物をどうみるのか」という問題が、現代社会にダイレクトにつながったビデオの内容に触発されて、生まれたといえる。あのビデオを見て、遺伝子組み替えを「すばらしい」と見た生徒の根拠を聞いてみたかった。

 

個と個を「つなぐ」という言葉で、僕が大切にしたいと考えるのは、意見の対立や意見のズレがあらわれる、このような場面だ。ここでは、その問題を、教師も、生徒同士も、いわば「並んだ」位置から見つめ、問題について意見を交流することができる。これは、双方向でのコミュニケーションといえる。さらに、互いの意見のズレから、別の新たな問題が生まれたかもしれない。

平成13年度 山形大学学習指導研究協議会要項より抜粋

この授業コミュニケーションによる、双方向的な交流こそが、本年度目指す、表現の共有化の大きなヒントになっていくでしょう。

3.研究テーマ

柔らかく、真摯に学びつづける生徒の育成

〜表現の共有化を生むための授業コミュニケーションの研究〜

授業作りのポイントは、これまでの2年間で研究してきた通りに、@教科書以外のモノを導入することで、モノとの出会いの中から、思考のとっかかりをつかませること。A個と個を結ぶ手段として『小グループの協同』が取り入れることことです。

しかし、考えると、学校の授業でいう“学び”とは、いろいろな“間”の中で生じるものであるはずです。@は、生徒とモノとの“間”で起こる出来事が学びを生むこと。Aは、生徒と生徒の“間”で、学びが深められること。

今年度は、この2点の後に繰り広げられる、表現の共有化についての研究となります。これも“間”です。生徒と教師、教師と生徒、生徒と生徒、いずれも並列に位置する立場で、考えを双方向に交流させながら、学びを共有させていく。

授業では、これまでの活動的な場面の公開ではなく、共有化を図る話し合いなどの場面を勇気を持って公開し、そのことを中心に研究していきましょう。

 

さて、大テーマの“柔らかく”というのは、やや抽象的でピンとこないかもしれません。これは、昨年も大きな議論を生みました。しかし、学校においてこの“柔かな雰囲気”というのがとっても大切だと考えます。どんなに明るく元気な学校でも、“硬さ”のある学校では、優秀な子の数と同程度の、学びから逃避した生徒がいることを、わたし達は知っています。また、新聞紙上で華々しい活躍をしている学校でも、人間とのつながりの中で“硬さ”がある学校では、その不登校生徒の多さを予想することができます。

昨年の本校は、決して柔らかさを感じるような学校ではありませんでした。残念ながら、1部の生徒によって、落ち着かない学校の雰囲気を生んでいました。この1部分の生徒に共通するのは、学びについていけないという点でした。やはり、学びを学校作りの中心に置くことの必要性を実感しました。

この研究をしてみて、普段の話し声のトーンの高さや、人を見る眼差し、家族との心的つながり、そんな目に見える柔らかさへの変容をゴールにしたいと思うのです。

 

4.研究の方法

昨年の研究の方法を継続しながら、さらに深化していきたいと思います。

まずは、昨年設定した『授業を開くを基盤にした授業改革』と『教員自らがよきまなび手となるための個人研究』の2本柱で、テーマに迫ります。

@授業研究会の充実

とにかく授業を公開して、教科の枠を超えて、授業の奥深さや授業に起きてくる出来事を参観者全員で味わう研究会を企画します。授業には、『活動』『小グループの協同』『表現の共有』の三つの要素を導入してもらい、生徒の学びの活力にそれらがどのように働いているのかを観察を通して批評しあいます。

そのためには、数多くの授業を公開して、それを観ることが大切です。年に1度、夜遅くまで指導案を書いて、たった一つの授業に何回も検討を重ねて本番に臨むような、お祭りみたいな授業研究ではなく、毎日の授業を開きあい、その中から、生徒個々をつなぎ合う授業をどうしたらできるのか全員で考え、そして授業の難しさを共感しあう地道な研究をしましょう。それこそが、わたし達教師の力を伸ばしていくと信じています。

基本的に今年度は2ヶ月に1度の授業研究を提案します。もしくわ、年に68回程度の授業研究会を実施したいものです。

 

A数多くの授業研究をするための手立て

数多くの授業研究というと、多分多くの教師の抵抗感は強いでしょう。ここで、確認しておきたいのは、わたし達は素晴らしい授業を目指すのではなく、授業の中で子どもと子どもがどのように学びに参加していくのか、その様子を参加者全員で確かめあうという研究会だということです。きっと、計画通りに行かない授業もあるでしょう。でも現実問題、計画通りにいく日常の授業なんてあるのでしょうか。生徒を中心に据えた授業とは、計画通りに行うことが大切なのではありません。授業の中で発生した予定外の出来事が授業を広げていくのです。授業の良し悪しが問題ではない、優れた授業を提案しようという意識から自由になりましょう。

抵抗感が強い原因に、指導案を作成するまでの膨大なエネルギーがあります。授業のプログラムを立てることは大変大切なことです。ただ、これまでのようにそれに多大なエネルギーを注ぐことを今年は止めて、それよりも授業を開き、その後の授業研究会にエネルギーを注ぐことを思い切ってしてみたいものです。授業を開くとき、単元と指導計画、そして授業者が授業をする上での願いや参観者に観る視点を簡単にA4版1枚に書いてもらうのみにします。指導案検討会は行いません。あくまでも、授業者自身の考えで、授業を行うのです。それにより、何週間前から時間をかけて準備するエネルギーを減らすのです。そしてその分、当日の授業研究会を充実させることにエネルギーを注ぎたいのです。

 

B授業を観るために

授業研究会では、まずビデオによる、授業の様相をもう一度簡単にみながら、個と個の結びつきあいや、授業の流れなどを検証してみましょう。これまでのように、教科ごとにわかれるのではなく、全員で、1つから2つの授業について話し合っていくのです。生徒の名前をどんどん出しながら、思い思いに授業の素晴らしさや難しさを確認しあいます。授業者には、ビデオを最後に渡します。

 

C外部からの専門家の招聘

アドバイザー(学校外の研究者で校内研修を理論的にサポートしてくれたり、一緒に入って、専門家として違った立場から示唆を与えてくれる人)の招聘については、昨年度の後半から、思いを強くしていきました。確かに、授業を観る視点について、共通認識が図られてきて、軌道にも乗り始めた段階でしたが、同僚だけからなる研究は、どうしても、主観的で独善的に陥り易い欠点があります。そこで、教育の専門家でもある方に、年間を通して一緒に研究に入ってもらえる外部の方を探しておりました。

もちろん、その際に大切なことは、授業現場に数多く出歩いておられ、また授業を観る点や授業改革の方向性が、わたし達に近い方である必要があります。実践的な授業研究者である方が最適なのです。

そこで、わたしは、山形大学の江間史明助教授【社会認識教育学】の教官室に、今年の2月お邪魔して、本校の研究と先生のお考えをお聞きし、氏にアドバイザーとしての参加をお願い致しました。以下に氏についてのご紹介を述べさせていただきます。

地元大学との連携、そして専門家の参加により、わたし達の研究は、第二のステップに向かうことができるのではないでしょうか。

 

D授業研究会資料のライブラリー化

昨年度より、授業研究会とその後の研究協議会で話し合った実り多い資料をライブラリー化して、Web上で公開しています。昨年度は、インターネットで公開されているWebを見て、本校の研究に興味を持たれた、筑波大の学生が卒論のテーマに本校の研究を取り上げるため、一緒に校内研修に参加するということがありました。

今年度も、プライバシーに十分配慮しながら、多くの方々から本校の研究に対しての意見や感想を求める場を作っていきたいと考えています

 

http://www.vega.ne.jp/~shinyatk/library.htm

 

E個人研究の充実

もうひとつの柱としてこの2年間、授業研究会の充実と平行して、個人研究を行ってきました。わたし達は、研修が義務付けられているのは当然ですが、やらされられる研修ではなく、自分で課題を見つけその研修や研究を行うときの心の負担は雲泥の差です。昨年は、1月に個人研究発表会を企画しました。同じ職場の仲間が、どんな点にこころを抱いているのか、同僚性を高める上でも楽しい企画だったと自負しております。

今年度は、個人研究のテーマを、“いのちの授業作り”に限定して、それぞれの教科の専門性を工夫した、いのちの授業のカリキュラム作り、それを個人研究したいと思います。

実は、本校の“こころの集い”という集会のあり方を、昨年から大きく変えました。その理由として、教師もひとりの人間として、“いのちの尊さ”に対するいろいろな形の授業をすることで、学校全体の取り組みをしようという考えからでした。

また、道徳という教科を指定せず、できれば、全教科が“いのち”というテーマの特別授業を実施することを考えました。もちろん“いのち”というテーマで実施しにくい教科もあるでしょうが、それでも少々無理気味でも、“いのち”というテーマで授業はできると考えました。なぜなら、学問というのは、すべて“いのちの大切さ”が源になっているからです。いのちの尊厳から、人類は学ぶことを始めました。よって、全教科の原点は、“いのち”の教育なのです。

 

下記は、その実践内容です。

氏名

教科名

題材【資料名】

SY

 

 

悔いのない生き方 諺(先人の機知)

TS

 

IMAGINE/秋雪くん

OH

 

生命のつながり

GM

 

 

生命を維持するはたらき

NT

 

鑑賞を通して(エゴン・シーレ)

YM

 

ことばのいのち(みつを)

KH

 

 

戦後史と自分史(JLnnonの映像)

TK

 

 

幼児虐待(新聞記事)

OJ

 

ハゲワシと少女or千の風になって

K.M

 

 

江戸の身分制度

SH

 

 

戦後60年の歴史

TS

 

 

カメラと命のリレー(胃カメラと戦場カメラマン)

F

 

”命”〜インドネシア TSUNAMIの記事から〜

KA

 

「聞こえる」から「生きる」へ/大地讃頌から生きるへ

YJ

 

 

統計(数にされた命)

TY

 

 

統計(数にされた命)

今年度は、この“いのちの授業”の教材づくり、カリキュラム作りを個人研究のテーマにします。授業は、当然ですが、こころの集いの日に全員が行います。また、1時間完結のいのちの授業ができないときは、数時間で考えた、カリキュラム作りでもよいでしょう。また、試みですが、江間先生の研究室の学生なども、いっしょに入って、学生と共に作るカリキュラム作りや“いのちの授業”の実践になるかもしれません。当日は、幅広く、教育関係者への公開を行っていくつもりです。

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