校内研修こそ、学校・教師を変える起爆剤である

教師の意識改革から授業の改革へ

わたしは、現在在職している学校の研究主任を努めています。わたしが、研究主任になった理由は、授業を変えることこそが、学校を変え、そして生徒を変えるということを強く実感しているからなんです。幸い、わたしの考えを多くの同僚の方々が理解し、一緒になって研修を積もうという雰囲気があります。この、同じ職場の同僚だから一緒にがんばろうという意識こそが大切なんです。荒れた学校にいると、よく生徒指導などで、“一枚岩”という表現を使う方がいますが、それは違います。教師は、一人ひとり違います。「自分とあの先生とは違うんだ。」という、個性の差異を確認することこそが必要なんです。そうすることで、登る山は同じでも、多様なアプローチの仕方が出てくるのです。そして、個と個の違いを確認する作業こそが、授業の中でも保障しなくてはなりません。ここでは、新しい校内研修について取り組んだ実践例を紹介します。校内研修は、どこの学校にもあります。しかし、本当に魅力ある研修になっているでしょうか?憂鬱な時間、話す人しか話さない時間になっていませんか?本来、研修は、自分の力を高める充実した時間でなくてはなりません。では、どのような校内研修の姿を目指すとよいのでしょうか?

 

1.             授業を研究する奥深さを味わう

授業改革を目ざした研究をはじめて、2年目になります。なぜ、今授業改革なのかという問いには、ここでは、長々と説明いたしませんが、一言で言えば、児童・生徒が学ぶことを放棄しつつある時代に突入したからだと言えるからなんです。数字にも、日本の中学2年生の家庭学習の時間は、30分を切り、とうとう世界で一番勉強しない子どもになってしまいました。、多くの子ども達は、入れる高校にそこそこの学習で入学してしまう時代になっているのです。普段の授業に目を向けると、無気力な生徒が大半で、中には学習を放棄している子どもが必ずいます。

そのような中で、わたしの今いる学校の教員一同は、お互いの授業を公開し合い、良さを学びあいながら専門家として育ちあう同僚性の構築を目指しています。授業の奥深さを知り、授業を通して児童・生徒を見る目を養うことこそが、学習指導や生徒指導、進路指導の全ての基本になることをここに、強く発信したいのです。

 

2.授業を変えることは、教師の意識を変えること

   教師の専門性は、言うまでも無く授業そのものであるはずです。しかし、日々の生活に追われる中で、意外とその意識が埋没されやすいのが現状です。今の子ども達は、おもしろく、ワクワクするような授業を数多く提供できる教師を求めています。そして、そのことが学びを放棄する子ども達を、学びに帰させるのです。
 本校では、校内研修の機会を、授業の奥深さに触れ、自分の授業を進化させようとする挑戦心がみなぎり、そして職場の同僚性を高めていくものとなるような研修にしていくことに心がけることにしております。

 

 

3.具体的な実践

   上記のような校内研修を行うには、具体的な手立てが必要です。そこで、以下にその手立ての主なものを述べます。あくまでも、充実した校内研修の手立ての一部ですので、さらに細かい工夫もあります。しかし、以下に述べる手立ては、明日からでも実行できます。多くの校内研究を担当している方に読んでもらいたいと願います。

 

 (1)授業を公開する

とにかく、互いの授業を公開することから始まります。そして、公開する授業はあくまでも、日常の授業でいいのです。決して、指導主事が来校する時に備えて、念入りな準備をした授業、準備にエネルギーを異常に使う授業ではないのです。わたしが言う授業改革は、あくまでも普段の授業の改革です。要請訪問が終わり、酒を飲んでばんざいなんていうのは、研修ではありません。本校では月1〜2回、年間15回前後の授業研究会を行っています。年間20回くらいが希望ですが、いきなりは無理です。何事もあわてず、じっくりです。改革には、時間がかかるのです。

 

(2)授業準備より授業後の研究会に力を

授業を数多く、公開することに抵抗を感じる教員もいるでしょう。わたしの学校でもそうです。最初は理解してもらえませんでした。数多く授業を公開することに抵抗をしめすひとつの理由は、指導案です。指導案を書く際の多大なエネルギーが無気力にさせるのです。でも、決して指導案を書く事が無意味だと言っているのではありません。それよりも、今は授業をたくさん公開しあうことの方が大切だと思っているのです。そこで、今、指導案は極々簡略したものにしています。A4版の単元名、ねらい、指導計画、そして授業者のメッセージのみです。もちろん指導案検討会などはもちません。

ここで強く言いたいのは、授業前より、授業後の研究会に力を入れようとする教師の意識改革が新しい校内研修には必要だということです。また、教師が教師から見られることにこそ、抵抗を感じるものはありません。でも、このことが、学校の活性化を阻んでいるんです。授業のいいところを見せよう、成功しようとはおもわない。失敗していいんだということが大切です。やはり、はじめは研究主任自らが数多くの授業を公開するべきです。笛吹けど踊らずにならないためには、リーダーの前向きな姿勢が大切なのです。できれば、校長、教頭先生も率先して授業を行うと最高です。神奈川県茅ヶ崎市立浜の郷小学校の大瀬校長は、何度も授業を行っているのです。職員がついていかないわけがありません。

 

 (3)個と個のつながりを話題に

授業研究会では、授業の方法論は重要視しません。見る視点は、個と個がどのようにつながっているのかを全員で検証することに力点をおきます。「この生徒の発言は、一体だれの発言に影響されているのだろう?」「教師の今の発言が、この子とこの子をつないだ。」のような感じです。個と個のつながることが協同の学びの基本であり、そこには教科や経験年数には関係しない同僚性のみが宿る話題になるのです。よく、授業後の授業研究会では、ベテランの教師が授業の流し方に延々と説法を説くことが多くあります。基本的に授業は、指導者の数だけ方法があっていいのです。そして、授業を一生懸命考えた指導者の授業は、全て正解なのです。くどくどと重箱の隅をつつくように話す教員こそが、固定的な観念でしか授業作りができない教師なのです。学級崩壊の多くは、ベテランの教師のクラスや授業に多いのは、そこに原因があるのです。

本校では、話し合いのとき、より客観的に授業を見つめるために、ビデオをみながら行っています。授業の感想で、よく「明るくて・・・」「雰囲気がいい・・・」という抽象論になって、なんとなく終わることが多いものです。しかし、本当に力をつけるためには、明るく感じるのはどこの点か。雰囲気がいいとは、どのようなときに感じたのかを具体的に見つめ直すことこそ、充実した研修なのです。およそ、2つの授業研究をすると、3時間くらいはかかりますが、同僚と真剣に抽象的な面を実証していく時間は貴重です。自分も明日からこんなことをやってみようか、という挑戦心もかもしだされるのです。このような授業研究会が授業の奥深さや授業作りの楽しさを教師達に教えてくれ、授業を公開する意義をわかってもらえるのです。

 

(4)外部からの風を取り入れる

幸いに、2年前から、当時の教頭先生とのつながりで、現在、東京大学教授である佐藤学先生と出会うことができました。荒れた学校を経験してきたわたしにとって、先生の著書(以下に記します。)が、自分の疑問に全て答えてくれたことに大変な驚きをもったのです。わたしは、評論家や学者の本をあまり信用していないのです。現場とはかけ離れた空論が多いからです。しかし、佐藤学先生は違いました。やはり、国内外の何千校という学校訪問、荒れた学校への積極的な訪問などが、理論を裏付けていると思いました。現在、毎年佐藤学先生をお招きして、授業を見て頂き、授業研究会を行っております。でも、最初から、佐藤学先生の提唱していることを実践をしようというスタートではありませんでした。わたし達の目指す授業改革と、佐藤学先生の提唱が同じ方向だったのです。自分達の研修・研究は外部から専門の方が入ることで飛躍します。先生には、もう数年本校に来校して一緒に研究に参加したいとおっしゃってもらいました。

来校の度に教師として必要な新しい力とは何かという示唆を頂けるのは、教師の意識改革に大変有効です。そして、自分たちの研修・研究に誇りがもてるのです。

 

4.共に歩みましょう

   新しい校内研修のあり方について、今わたしは実践の途中です。でも、授業における教師の力を高めるという方向性は決して間違ってはいないと思っているのです。

   いくら、素敵な話をしても、授業でひきつけることのできない教師の話は、生徒達は聞きません。魅力ある授業を提供している教師の話は、生徒達はしっかり聞くのです。そして、魅力ある授業のヒントになるのが、学びの共同体(佐藤学先生の言葉をかりると)だと思います。

   どうぞ、一緒に研修・研究しませんか?全国の草の根から、教育の改革ははじまります。

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※著書紹介

     佐藤学著 『教育改革をデザインする』 岩波書店 1700

     佐藤学著 『授業を変える 学校が変わる』 小学館 1900

 


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