全教科で取り組んだ“いのちの授業”

〜年間を通して、生徒の心の成長を大切にしながら〜

 

1.はじめに

 一口に“いのちの教育”といっても、アプローチの仕方は多種多様である。特に中学校のように、教科担任制をとっていると、『いのちの教育=道徳でのアプローチ』という取り組みになりがちであろう。そうすると、学級担任だけによる取り組みとなってしまう。

 実際、本校において、数年前までは、学年ごとに道徳の教材を選定し、同じ指導案に基づいた、いのちの教育を実践してきている。いのちの教育については、先進的に取り組んできた本校であるが、これまでの課題も見出されてきた。

 中学校において、いかにいのちの教育を学校全体のものにするか、また生徒にとって、いかに通年による取り組みにするのか。昨年度から2年間に渡って、本校が取り組んだ新しい試みについて、報告する。

 

2.“いのちの教育”を取り組んできた結果、見えてきた課題とは

 前述した通り、道徳の教材を学年ごとに選定し、それを特定の日に実施するという取り組みから始まった。全校道徳という時間を設けて、各学年の道徳担当教員がプロジェクトを企画して行うという形をとったのだが、それはそれなりに、“いのち”を考えさせる教育には、効果を発揮してきたと思われる。

 しかし、一方で、道徳というアプローチということで、学級担任のみの授業になってしまい、教員全体、学校全体で取り組んでいくという共通意識の高まりみたいなものができにくくなってしまっていた。また、教材も同一のもので行うという形であったため、指導者自身で、いのちの授業を作り上げるというやる気みたいなものも意外と低い。結果、学年の道徳担当教員だけが、苦労するという状況になっていたことは否めない。

 さらに言えば、通年を通していのちの教育を行うわけではなく、特定の日のみという実施だったため、指導の継続性という面は欠けていたように思う。学校全体で、いのちの教育を継続的に行うための新しい考え方が必要であった。

 

3.新しい試みによるアプローチ

 “いのちの教育”を学校全体としていかに意識して取り組むか、また、指導者も生徒も、いのちの教育への動機付けを高くしたい。行事をこなすように、実施して終わりというのではなく、実のなるような取り組みにするためには、今の状況のどこをどう変えたらよいのか。様々な議論を基に、ある試みを行うことを始めた。

 それは、全教科から迫るいのちの授業である。

全教科が“いのち”というテーマの特別授業を実施する。もちろん“いのち”というテーマで実施しにくい教科もあるかもしれない、それでも“いのち”というテーマでの授業は可能であると考えている。

なぜなら、学問というのは、すべて“いのちの大切さ”が源になっているからである。いのちの尊厳から、人類は学ぶことを始めた。よって、全教科の原点は、“いのち”の教育なのである。

下記は、平成16年度の初年度に実施した際のいのちの授業の実践内容である。

【平成16年度】

指導者

教科名

題材【資料名】

S教諭

英語

悔いのない生き方 諺(先人の機知)

T教諭

英語

IMAGINE/秋雪くん

O教諭

理科

生命のつながり

G教諭

理科

生命を維持するはたらき

N教諭

美術

鑑賞を通して(エゴン・シーレ)

Y教諭

国語

ことばのいのち(みつを)

K教諭

社会

戦後史と自分史(J.Lenonの映像)

T教諭

家庭

幼児虐待(新聞記事)

O教諭

国語

ハゲワシと少女or千の風になって

K教諭

社会

江戸の身分制度

S教諭

社会

戦後60年の歴史

T教諭

技術

カメラと命のリレー(胃カメラと戦場カメラマン)

F教諭

英語

”命”〜インドネシア TSUNAMIの記事から〜

K教諭

音楽

「聞こえる」から「生きる」へ/大地讃頌から生きるへ

Y教諭

数学

統計(数にされた命)

 

1年目の実践を行ってみて、学校行事である『心の集い』を担当し、生徒のアンケート集計を行ったT教諭の感想を載せてみる。

『生徒は、いのちの授業や心の集いを通じて、自分を大切にしたい、周囲の人々を大切にしたい、視野を広くしてみていきたい、一日一日を大切に、よりよく生きたい、学校をよくしたい、後輩に伝えたい、などの願いをもつことができたことが窺える。「心の集い」という行事の意図は、生徒に十分に伝わり、皆、一生懸命に考えようとしていた。

個人的には、このような全校で行った行事に対して、冷めた意見が一つもないことに、驚きと共に感銘を受けたが、その理由は、やはり職員全員が携わったいのちの特別授業にあったと思う。私たち教職員がそれぞれの専門分野から「いのち」に迫ろうとした、そのエネルギーが生徒に確かに届いていたと思う。』

 

T教諭の感想は、教える側である教職員全体が互いに意識を高め合うことの大切さを語ってくれている。

この実践は、一方で、指導者として、まずは自分で生徒に伝えたい“いのちの姿”を設定し、それを授業のカリキュラム化することの難しさも教えてくれた。カリキュラムづくりは、得てして、指導者の思いが強ければ強いほど、教師の一方通行的な説諭になりがちである。強い思いは大切なことではあるが、あまりにも伝えたいことが多すぎて、授業の焦点がぼやけてしまうという反省点もあった。

また一方において、私たちの本職とするべき、授業づくりの苦しさや楽しさを、全員で味わう場になったことは、思いがけない副産物でもあった。

 

4.さらに、2年目の実施に向けて

 初の試みである、いのちの特別授業を、さらに深めたのが今年度実施した、いのちの授業である。

本校の研究のアドバイザーである、江間史明 山形大学教授のご協力のもとに、いのちの授業カリキュラムづくりを、本校の校内研究のひとつの柱として取り組んだ。

 「いのちの授業」については、全国で、教師たちが試行錯誤しながら実践を図っている。ただ、江間教授によれば、いのちの授業を見せてもらうと、どうしても表層的になりやすく、いのちの重さがなかなか伝わってこないという話だった。この点は、前年度実践した、本校の反省にも見られている。“いのちの尊さ”というねらいでは、あまりにも広く、上滑りした授業になりかねなかった。もっと、具体的ないのち(生)の姿を、まずは設定して、それを通して授業カリキュラムづくりを進める必要性を感じた。

また、教科という中での、実践であるため、その授業の中には、各教科としてのねらいがあるはずである。よって、指導案に記載する際には、教科としての本時のねらいと、そしてもうひとつ、いのちの授業としての本時のねらいの、両方を併記することにした。そうすることで、本授業の中心ねらいがぶれずに、進められることを期待したのである。

 多忙化する中学校現場において、カリキュラムづくりの時間的保障ということは、大変重要なことである。各個人ごとに、授業づくりに励むのは当然であるが、同じ時間に、同じ空間で、カリキュラムづくりを行うことは、いのちの授業を行う上で大変重要な要素であった、全教員の意識を高め合うことに結びついてくる。今年度は、12月28日に、「いのちの授業カリキュラムづくり研修日」を設け、全教職員が、来るいのちの授業に向けて、一斉にカリキュラムづくりを行った。

 以下に平成17年度に実践した、いのちの授業の実践内容、そして、その授業でねらったいのちの姿を載せておく。

 

【平成17年度】

指導者

教科

題材

授業で迫る命(生)の姿

O教諭

国語

千の風になって・忘れられないおくりもの

死と生命の再生

M教諭

理科

生きるを科学しよう

生きるためのしくみを知り、大事なことであることを確認する

I講師

数学

点字のしくみを知ろう

他者を思いやる心

T教諭

家庭

納豆汁の知恵を探る

先人が託した食文化から感じる畏敬の念

O教諭

理科

ペニシリンの発見

悔いなく生きる

Y教諭

国語

「償い」

生き方(苦しみと優しさ)

S教諭

英語

諺(注がれる愛)

愛されることで感じる命

S教諭

道徳

「花に寄せて」

生きる喜び

K教諭

音楽

カンタータ「土の歌」

奪われた命とこれからのいのち

K教頭

社会

日中戦争

侵略された側からみた日中戦争

T教諭

数学

素数ゼミの秘密

13年ゼミ、17年ゼミがなぜ生き残ったか

S教諭

社会

命のビザ

何よりも重い命

Y教諭

数学

楕円

人が生きてきた証

T教諭

英語

識字から世界と自分を見つめる

世界から見る自分の生

T教諭

技術

ユニバーサルデザイン

相手を想像することで感じる生

N教諭

美術

自画像

自分の存在を確認する

S講師

体育

創作ダンス

当たり前に動いている体の器官を知ることで感じる生

N教諭

体育

救命救急処置

互いに救いあう勇気と守りあう命

院生T

学活

NEEDSを考える

生きるために「捨てる」

院生U

社会

歴史と現代社会で生きる私たち

過去から現在、そして未来に至る、繋がりあう命

詳しくは、指導案集をご覧ください。

 

5.いのちの授業を実践して

 山形県の第5次教育振興計画には、“いのち”と“まなび”、“かかわり”をテーマに、今後教育を進めていくことが明記されている。平成16年度、17年度と、本校において2年間にわたって実践してきた、『全教科で行う、いのちの授業』は、そのひとつの実践事例になるであろう。

 いのちの教育とは、まさに、学びの中の関わりから、実践が行われることが大切である。現代社会において、人間の生と死、そしてその奥にあるいのちへの畏敬の念、それらは身近に感じるものでなくなってしまった。そんな中、いかに“いのちをテーマにした教育”を実践していくことができるのか。実践を通して、何よりも大切なことは、指導者である教員自身が、生徒に伝えたいメッセージを持つことであった。

 そして、“いのちの教育”とは、教員個人で頑張っていっても、進まない。学校全体で考えるテーマである。そのためには、全教員が、何かしらこの教育に主体的に向かっていくことが必要である。

 本校の実践が、今後の教育の何かしらの一助になれば、幸いである。

 


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