アメリカの教育から見る、世界の教育流れ

 

  アメリカに行ったから、なんでもかんでも良く見えてしまうということは、よくありす。文化、歴史、人種、宗教…等が違うのですから、見るものすべて新しく、そして羨ましくなるものです。しかし、このような視点からでは、日本の良さを見失うだけでなく、これから日本が進むべき教育の新しい道までも踏み外してしまうことになりかねません。日本の良さ、アメリカの良さを冷静に分析した後に、アメリカの教育から私達が学ぶべきものは何なのか。そして、それはアメリカだけでなく、世界の先進的な教育の流れとなっているものでなくてはなりません。逆に言うと、東アジア的な教育の弊害を乗り越えているものです。

  アメリカの幼・小・中・高・大学の授業に参加して、教室の空気を知り、1時間ごとの授業をビデオに撮影しながら、わたしなりに、日本の新しい教育、学びの姿を考えてみました。大切なことは、アメリカや世界の学びの姿を知り、日本の新しい学びの姿を構築することでしょう。物真似ではない、日本独特のものです。

 

アメリカの親と子

 アメリカの親の「子育ては、高校までで終わり」という考えが一般的です。その後は、親、夫婦の時間なのです。したがって、子どもが大学生のなると家から追い出す事をはじめます。どうするかと言うと、子どもから家賃をとるのですね。すると子どもは、アパートへ入るというわけです。アパート代なんて、親は出しません。自分でアルバイトしながら住みなさいということです。どんなお金持ちの親でも、子どもに車を買ってやったり、家賃を立替えてやったりすることは、ほとんどありません。本当の感動は、ものを簡単に与える事では生まれないことを、アメリカの多くの親は知っているのです。親によっては、子どもが自立したら、家を売り払って、楽しみの第2の人生を送ります。定年後を第2の人生と考える日本との違いがここにあります。親の生き生きとした人生の送り方が、子どもに大きな影響を与えるのだと思います。

 “子育ては、高校まで”というだけあって、親は高校生まで徹底的に子どもを守ろうとします。というよりも、アメリカでは子どもを守る法律が厳しいのですね。例えば、“14歳以下の子どもを、1人にしてはいけません。でないと、逮捕されてしまうのです。日本でいう、鍵っ子なんていてはいけませんし、親がパチンコをするために、車内に子どもを閉じ込めることなんて、一発逮捕です。

 病院で、赤ちゃんが産まれると、元気であれば早々に退院です。でも、退院するとき、新生児用のシートを持ってこないと退院させてくれません。それほど、子どもは親が守るべきものととらえられているのです。私が訪れた学校は、登校も下校も親が一緒でした。自立を推し進めていると思われるアメリカの知られざる一面です。これを知らないで、大学生の子どもを追い出す親の姿ばかりを見てはいけないのです。自立の前には、依存の時期が必要なんです。親に依存させることをしっかり教える事で、また、体験させることでアメリカ流の自立が成り立っているのです。

 大学のキャンパスを歩いていると、学生の年齢が高い事を感じます。それは、高校を卒業して1度働きにでてから、再び大学に入学する。または、働きながら大学に入学してくることが一般的なのです。それは、学資を自分で稼ぎながらということもあります。でも、大きな理由は、アメリカの労働者はキャリアをアップしないと給料が上がらないということです。給料をあげるために、再び学ぶのです。労働の流動性がさかんである社会といわれるのは、その所以なのです。大人が学ぶ。学んだ大人は、より豊かな人生を送る。そんな社会だからこそ、子どもは学ぶ意味を知っているのです。日本の子どもが親や教師に、「どうして勉強しねばねな?」と問うのはどうしてでしょう?答えは、ここにあるのです。

 

大学生のことをもう少し

大学生の家賃を安くして、社会の多くの人々に学びやすい場を提供するため、行政も工夫しています。学生の住むアパートの家賃を安く抑えるために、レントコントロールを行っているのは、その1例でしょう。アパート自体は、少々古いですけど、建物としては十分過ぎるものでした。アメリカで就職するとき、どこの学校を出たということに価値をおきません。それよりも大事なことは、その学校で何を学んできたかということなのです。要するに、日本のように履歴書の長さではないんですね。「君は何ができるのか?」就職で聞かれるのは、この言葉なんだそうです。

 

BOULDER(コロラド州)という町

 主に学校訪問を行ったのは、コロラド州のロッキー山脈の麓にあるボールダーという町です。富士山の6〜7合目の高さにあるということで、有森さんや高橋尚子さんなどマラソンランナーの高地トレーニングで有名な地ですね。

 最近は、シリコンマウンテンということで、IT産業の企業が多く、所得が高い人が多いのです。結果、教育熱も高いです。だから、研究する場としては、最適です。アメリカでも教育の先進地だからです。アメリカの流れは、いずれ必ず日本に来ます。これは、これまでの歴史が証明しているでしょう。

 

BOULDER(コロラド州)学区の教育

ガルシア教育長に聞いてみました。 

《学校選択制について》

 ボールダー学区では、両親に学校の選択権を与えています。しかし、ほとんどが近所の学校の通っています。基本的に、学校区以外への入学は、親の送り迎えが可能なら許可するのです。では、学校選択制で親が学校を選んでいる基準は、何なのでしょう?まず言えることは、特異な特色を持っている学校かどうかが、親を惹きつけています。例えば、あの学校の方が、音楽教育に熱心であるとかということです。次に、学校の成績をみて、決めている事もあります。成績やテスト問題は、新聞やWeb上でいつでも閲覧できるのです。訪れた学校の1つは、パスワードを入れると、自分の子どもの成績をネット上で見るようにしている学校もありました。学校の成績には敏感な面があります。しかし、塾はありません。補習は、校内で行われるのです。また、親が自分の母校に子どもを入れたいという希望もあるそうです。しかし、上の希望があるにしても、多くは、近所の学校に入れるのです。

学校選択制を教育改革の柱だと叫んでいる人が日本に多くいますが、学校選択制は、本当の意味で教育改革の中心にはならないというのが私の感想です。それよりも、いつでも誰にでもという、本来の公教育の姿を大切にすることの方が先決なのです。

 

《教員の人事と採用》

 基本的に教職を希望する場合、教育委員会の人事課に連絡する。もちろんライセンスを持っているものだけしかなれない。次に、各学校の中に委員会があり、面接をする。実際に授業をしてもらうこともある。また、コミュニケーション能力も大切な視点だそうです。そして、校長先生が結果を教育長に報告するのです。でも、大体は、校長先生が採用の権限を持っているのです。だから、州に採用されるという感じよりも、その学校に採用された感じの方が強いのですね。したがって、人事異動はほとんどありません。

 教員になると、3年ごとに勤務についての審査があります。(教員年数5〜10年までは、1年ごとです。)勤務評定は、クラス管理能力や教授・技術、他文化への理解、そして情熱を審査されるのです。どんなにベテランでも、改良の余地があるというスタンスがここにあるのです。新採教員には、年間の目標を立てさせて、校長が随時、授業を参観し、日常的に話し合う機会を持たされます。

 

 この点で大切なことは、そして日本のこれからの進むべき道の指針となることは、地方の教育委員会が十分な財源を確保でき、人事権も持っているということです。今、日本では、公立校(幼稚園も含む)より、私立校の方を増やした方がよいなんていう流れ見られますが、これは完全な間違いです。これからの社会こそ、公立学校の存在感が増すのです。そして、それを可能にするのが、地方の分権化、地方の教育委員会の財源確保なのです。地域自治体を基盤とした教育が新しい教育の形になる必要があります。カリキュラムも、人事も、施設も、地方の自由な発想や想像で行なわれる教育です。

 

《一貫教育の姿》

 ボールダーでは、小学校には、幼稚園の年長のk(Kinder garden)から5年生、ミドルスクールには、6から8(中学2年)年生、ハイスクールには、9(中学3年)から

11(高校2年)年生が在籍する学校が多くありました。中には、Kから8年生までの小学校もあります。中学校から高校にかけての入学試験はありません。公立とは、全てを受け入れるという考え方がそこにあるのです。

 入試がなくなると、学力が低下するという考えはあるのでしょうか?

 私がみた限り、授業への参加態度は、小・中・高を問わず、真剣です。寝ている生徒は、ひとりもいないのです。訪問した学校の先生達は、個々の生徒の将来の希望・野心があれば、大丈夫といわれました。そして、それを引き出すのが、プロの教師だとも…。将来の希望を見出せないわが国の子どもを思うにつけ、難しさを感じずにはいられません。これこそが、アメリカだからこそできるという部分です。今の日本で子どもに夢を持ってすすめといっても、言葉が軽すぎます。今、大人が、将来の希望を見出せないのですから…。

 

《基礎・基本の捉え方》

 ほぼアメリカのどこの州でも共通テストがあります。そして、目標とする最低基準があるのです。この基準が、各学年の目標達成の判断なのです。目標が達成できない生徒には、具体的にサポートサービスと呼ばれるプログラムが用意されています。授業中、別のクラスでの受講になる場合もあるのです。

 カリキュラム(ラーニングサービスと呼びます。)は、州ごとに作られます。そして、「6年生では、○○できるようになる。」という表現になっています。大変具体的です。そのできるようになるためにどうするかは、教師の裁量にまかされているのです。だから、わたしの感想は、アメリカの教師はよく教材の準備をしているということです。ある学校では、毎週金曜日に、今週学習した内容と来週学習する内容が通信となって家庭に配布されています。日本にも週案簿がありますが、これを公表するのですから、そうとう計画的でなくてはなりません。授業に対する真剣度も違うはずです。授業以外に忙しい日本の教師は、これをすると今のままではつぶれます。

 

《教科の枠が無くなろうとしている》

 訪問した小学校の中でも、Bear Creek Elementary Schoolは、注目される学校でした。どこが注目にあたいするかというと、複数の教科を結びつける=コネクションの授業を実践をしている点です。教科のコネクションとは、一つの教材から、複数の教科の内容のつながりをみつけるのです。例えば、音楽と科学のコネクション。算数と音楽のコネクションというように。訪問したときの授業では、2年生の算数の授業で、パターンを理解する内容の際、楽器を使いながらある規則に沿ったパターンを見つけるという授業を行っていました。

 たぶん、新しい教育では、教科の枠は完全に失われるのではないか?もしくは、もっとおおきな枠になるのではないでしょうか?(表現科目とか、文化系科目というように)

 算数だろうと、国語だろうと、これまでのように狭い教室で行うだけではなく、音楽とのつながりを見つけ音楽室で行ったり、美術室で行うような授業が展開されるのが、新しい授業の形なんだと実感したのです。そもそも学問とは、複合しているものなのですから。

 

 


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